「よう、無事か?」
 五階まで戻った俺は、双子に軽く手を振った。
『ええ、でも寿命が縮んだわ』
『この辺りばかり、執拗にえぐるんだもの』
 言葉とは裏腹に、そこに何年も前から居るような、超然とした様子の双子。
 しかし言われてみると、確かに二人の後ろに立っていたマネキンが猟奇的にバラバラにされていた。
 間違いなくバラバラドリルの仕業だろう。
 それだけではなく、室内で台風でも吹き荒れたが如く、辺りはめちゃくちゃになっている。
 彼女はここに、『何か』がいるのを察知していたらしい。
『相方は?』
 双子が俺の肩の上に乗りながら尋ねてきた。
「こん中」
 それに対し、俺はポンポンと腹を叩いてみせる。
『それって……』
 双子が言いかけ、口をつぐんだ。 
 俺を慮った訳ではないらしい。 彼女達の視線は背後へと向いている。
「立島、ダイスケ……」
 後ろから、怪しげな発音で俺を呼ぶ声。 一度探したはずの場所だというのに、またここに戻ってきたらしい。
 占い師、本当に大した精度だ。
「遅かったな」
 ゆっくりと、俺は肩越しに振り向いた。 にやりと、口の端を破って見せる。
「先輩は、ドコだ」
 いつも以上に低い声、占い師兼狩人兼化け物兼綾菜の仇。
 椎名雅が、そこには立っていた。
「おいおい、それ俺に聞くのかい?」
 くるりと体を回転させ、軽薄に肩を竦める。 置いてきたのはお前だろうに。
 芝居がかった動作だが、彼女から冷静な狩人の仮面をはがすには充分だったようだ。
 雅は周囲に漂う煙を吹き散らす勢いで、俺に叫んだ。
「ドコダ!?」
 分からない奴だな。 いや、彼女にも俺の答えは分かっているだろう。 真相については、もちろん分からないままだろうが。
 いや、分かってもらわれては困る。 でないと俺と綾菜がした、これからするお節介が無駄になるのだから。
 笑みを深くし、顔の輪郭と同じ大きさの口で笑う。 笑って見せた。
 そうして、彼女に言ってやる。
「綾菜は、俺が食った」
 シン、と場が静まり返った。
「う、うぅ、う」
 続いて雅の嗚咽。 いや、あれがそんな弱々しいものか。
 そんなものが、こんな風に空気を震わせるものか。
「うああああああああああああああああァーーーー!!」
 次の瞬間、雅は獣になった。 雄たけびを上げ、俺に突進してくる。
 触手が集まり、例のドリルを形成し、俺へと突き出された。
「あはははは、来いよ!」
 俺もそれを大きな笑顔で迎え撃ってやる。
 ――と、見せかけて。
「なんてね」
 膝を折り、頭を下げた。 だが、土下座して謝る為ではない。
 頭上をドリルが掠めたが、それを避ける為でもない。 
 俺はそのまま、目の前にある地面を、食った。
 一瞬の浮遊感。 カートゥーンアニメのキャラクターのように空中には留まれず、俺は肥大化した頭を下にして落下していく。
 すると目の前に続いて四階の床。 これもバクリ。
 同じく三階、二階もバク、バク。
「アハハハハハハハハハハギャハハハハハハハハハ!」
 一階の床が見えた。 俺そこに頭の頂点から思い切りぶつかる。
 ほぼ減速無しで五階分の衝撃が頭を襲ったはずだが、頭蓋が割れる訳でも手足がもげる訳でもない。
 ボヨン。 と俺の体はゴムボールのように緊張感なく跳ねた。
 体が一階の天井スレスレを通りながら、前方へと回転しつつ跳ねていく。
 一跳ね、二跳ね、三跳ね。 あつらえたように、前方には開きっぱなしになった自動ドアがあった。
 その先に、避難した人々、野次馬、消防隊。 様々な人が集まった人垣が見える。
「ギャーッハッハッハハハハハハハ!」
 俺よ死ね。 頭ぶつけて死んでしまえ。
 強く念じながら肥大化した頭を地面にぶつけるが、俺の頭はカチ割れず、反動でより大きく跳ねた。
 残念、化け物なので死ねませんでした。
 入り口から勢いよく飛び出した俺は、唖然とする人々の群れを飛び越える。
 誰かが俺にケータイを向けたが間に合わない。
 着弾は人垣の二mほど後方。 そこから更に二回バウンド。
 ごろごろと転がり、勢いが減じ切らない内に立ち上がり、前傾姿勢で走り出す。
「アーッハッハッハッハッハ! アッハッハッハッハッハッハ! ギャハハハハハ!」
 俺の顔を見、ぎょっとした通行人達が道をあける。
 そこのけそこのけ、化け物が通る。
 愉快だ、本当に愉快だ。 俺はこのまま人間を捨て、無敵の化け物になり、何だって食うことが出来る。 心だって痛まない。
 愉快だ、愉快だ、本当の本当に愉快だ。
 大通りを走り抜け、俺は裏路地へと逃げ込んだ。
 追ってくる者がいないことを確認し、大きく息を吐く。 足ががくがくと震え、胸がどくどくと早鐘を打っていた。
「ハハ、ハハハ」
 無理だ。 無理だ。 俺にはそんな事無理に決まっている。
 綾菜を食ってさえ、俺は雅が言うような本物の、人喰いの化け物になどなれない。
 綾菜を食っても、彼女の真似をしても、綾菜のような人間にはなれない。
 あぁそうだ、俺は綾菜を食ったのだ。 
 今まで真似し、内心で憧れ続けてきた人間としての雛形、テンプレートを殺し、いや、消してしまった。
 雅にしたって、半分は自業自得だとしても、こんな事は望んでいないだろう。
 しかし、だが、それでも。
 俺は携帯電話を取り出して、少ない登録件数の中からその名前をみつけた。
 半端者なりの落とし前のつけ方を、見せてやろう。

 裂けた口は、いつでも笑いの形を作っていた。


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