第五章 ミミック・コミュニケーション


 さて、次の日。 俺は女子制服のまま例のカツラをつけ、学校の裏門に立っていた。
 林の奥の校舎を見上げてみるが、大した感慨は無いものだ。
 そんな風に考えていると、林の中で屈みこんでいた人物が立ち上がった。
「おい立島」
 俺に声をかけたのは、我が水泳部の顧問、山本いるかその人であった。
「ハロー山本先生。 綾菜ダヨー」
「立島大輔」
「……よく気づきましたね」
 裏声でごまかしては見たものの、キャラ付けを間違った感がある。
 俺は諦めて、凶悪なジト目でこちらを見る彼に、地声で挨拶をしなおした。
「何してんスか、こんな所で」
「あぁ、ちょっとケイゴくんをな……。 ていうかなんだその格好は」
 こめかみを押さえるいるかちゃん。
 ううむ、今日の登校中、誰かに気づかれた様子はなかったのだが。 むしろ何回か男子の視線を奪ったぐらいだ。
「姉が病気なんで、代わりをしてみました」
「病気はお前だ。 ったく、姉の病気が重くなるぞ」
「そりゃ、多分大丈夫でしょう」
 これ以上病める体もないし、俺がこの格好でどんな痴態を演じようが、怒ることもできまい。 ざまぁみろ、勝手に死ぬからだ。
 快活に笑っていると、いるかちゃんが俺の顔を覗き込んできた。
「お前、何かあったか?」
 目が怖いからやめてと言おうとしたが、俺はその言葉を飲み込んだ。
 彼の瞳に、本気で心配そうな教師の表情が浮かんでいたからだ。
「先生って、本当に先生だったんですね」
 ここ三日の出来事の中で一番驚き、俺は感嘆の声を上げる。
「どういう意味だコラ!」
「あははは、替えの服は頼んであるんでそれじゃー!」
 ヤクザい声を出したいるかちゃんの手を逃れ、俺は校内へと入った。
 今日の目的は彼ではない。

「立島、何その格好」
「どうしたの大輔クン」
「うわぁ、似合ってるー」
 口々に言う友人達に、笑いながら手を振って応える。
 教室に入った俺は、そのまま綾菜の席に座った。
 誰も俺を綾菜と勘違いしない。
 髭でも伸びているのかなと口周りをさすってみるが、ざらつきも無いし、口が破れているわけでもない。
「俺の顔、なんか変わった?」
『ふてぶてしくはなったわね』
『あとはガニ股のせいかも』
 それは昨日からつけているビキニパンツが蒸れるから仕方ない。
 風通しを良くしよう。 よいしょっと足を机の上に投げ出し、頭の後ろで手を組んだ所で、教室に何者かが侵入してきた。
 金色の髪がボサボサに乱れているが、それが妙に色っぽい。
 椎名雅は入ってくるなり大開脚をした俺を目撃し、手に持った紙袋を投げつけた。
 それが顔に直撃。 パァンと凄い音が鳴るが、痛くはない。 机に袋が落ち、俺は不敵に笑って見せた。
「ちゃんと持ってきてくれたんだね。 嬉しいよミーヤ。 あ、今ドリルは無しね」
 そうして、右手を左手で掴む例のポーズを取る雅を牽制した。
 今のやり取りで完全に注目集めてるのに、ドリル抜こうとしたよこの子。
「オマエは、センパイの格好で何を……」
「だから言ったじゃん。 早く着替え持ってこないとこの格好で恥ずかしい事するって」
 飄々と答えながら、俺は脚を机の下に戻す。 四肢は人間のままだと決めた俺だったが、股間までそれが適用されるかは未設定だったのを思い出したからだ。
「ナンデ……センパイを……」
 だが、雅の追撃は来なかった。 それどころか彼女は拳を握り締め、俯き、まるで泣きそうな顔までしだしたのだ。
 その表情を見ないようにしながら、俺は紙袋の中身を確かめた。確かに俺の制服が入っており、マフラーまで入れてある。
 下着は……流石に無いようだ。
 何だ雅。 まだこの俺に良心とか、節度とか、悲しい事情なんて期待しているのか。
「だから騙されるんだよ」
 今になってそんな甘さを出す雅に苛立ち、俺は言ってやった。
「余計な事を考えて、振り回されて、それなのにまた簡単に信じて」
 顔を上げ彼女を見ると、瞳が零れ落ちそうな程目を見開き、俺を見つめている。
「何でだって? 邪魔だったからだよ。 姉貴面して、人間な事を見せ付けて。 その上天敵の占い師? 生かす理由がないじゃん」
「センパイはお前を庇って……!」
 激昂した雅が、それを言いかける。
 雅を睨んで、俺はその続きを言わせないようにした。
 そんなことは分かっている。 あいつを殺した張本人に言われなくても。
 大きくため息をつき、俺は椅子から立ち上がった。 雅が身構えるが知ったことか。
「逃げても無駄ダ! 占い師が死ネば大量のエージェントがお前を……!」
「逃げるつもりは無いよ。 夜の十時頃になったら学校来て。 そこで決着つけよ」
「……」
 すれ違いざまに、俺は雅にそう告げた。 そして教室を出る。
 スカートのポケットに手を入れ、大股で歩きながら息を吐いた。
 これで雅は、俺――それどころか全ての化け物を無条件に恨むようになるだろう。
 無論、自分の事もだ。 彼女の病気はより根深くなる。
 綾菜が裏で酷い目に遭いながら俺を庇っていたことを知った時、やはり俺は言って欲しかったと思った。
 そんな事をしてまで守ってもらいたくはないと思った。
 彼女だって、真実を知ればそう答えるだろう。 だが俺は、彼女にそれをする。
 偽善。 いや、それよりももっと性質の悪い物の為に。

 彼女を利用してまで、姉の末期の願いを捻じ曲げてまで、なしたい事が俺にはあった。


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