玄関を出ると、一応二人は外で待っていてくれていた。
それに感謝しながらミーヤを挟む形で二人に並ぶと、俺達は共に歩き出す。
「しっかしアレだね」
俺は首筋を撫でながら呟いた。
「首がスースーしてて落ち着かない」
「足が、ジャナイノ?」
じゃないの。 ミーヤはつるつるになった俺の足を見ているのだが、そちらはあまり気にならない。
いや、慣れきってるって訳じゃ、決して無いが。
それ以上に首に何も巻いていないのが落ち着かない。
そりゃマフラーを巻いていたらそこらの偽ヒーローより判別が容易になってしまうし、仕方が無いのだが。
例えば、幼児がタオルケットを手放せないのと一緒だ。
俺の場合、寝る時には首まで布団を被らないと落ち着けないし、不安になると首元や口の周りをさする。
我ながら情けないとは思うのだが、こればかりは直せない。
「さて、どこ行こう」
「考えてねーのかよ」
先行して歩く綾菜がそんなことを言い出す。
あまりにも迷いの無い歩き様だったから、どこか目的地があると思っていたのだが、まるでそんなことは無かったらしい。
「ヨスコいこっか。近いし」
ヨスコ――俺らの自宅と学校の中間点辺りにある、総合デパートだ。
五階建ての建物で、一階の食品売り場を初めとし、アクセサリ、工具、インテリア、雑貨などなど、ここにいけば大体のものは手に入る。
今はほとんど見かけない、屋上遊園地も完備。 一階のクレープが人気であり、それにパクつきながら店内を回るのがうちの生徒の嗜みとなっている。
まぁ要するに。
「知り合い御用達じゃねーか!」
類似形の顔をしている双子に姉に向かって、俺は叫んだ。
この格好を顔見知りに見られるのは、非常に勘弁願いたい。
「大輔が、往来で女装する変態さんだってバレちゃうね」
「その、安いエロ漫画みたいな言い回しやめれ」
にししと笑う綾菜に、俺はジト目で返す。
まったく、どこで覚えてきたのかねぇこの子は。 勝手に持ってかれた本には、書かれていなかったと思うのだが。
と、横を歩いているミーヤが俺の袖をくいっと引っ張った。
「ダイスケ、声」
「あー、アレ疲れるからやめるよ」
その仕草に少々キュンとしながら、俺は答えた。
やってみて分かったが、あんなもん続けていられないし、あいつらに勝手に喋らせるというのがどれだけ危険かもさっき身をもって味わった。
「むぅ、声だけなら可愛かったノニ」
「……ミーヤ、あくまでうちの姉を先輩として尊敬してるだけだよね?」
狩人に褒められても、双子は喜ぶまい。
俺はミーヤが愛してくれるなら、股間以外は改造する準備があるけどさ。
「ダイスケは嫌い」
何を感じ取ったのか。 ミーヤは口を尖らせながらそっぽを向いた。
はいはい、分かってますよお嬢様。
――さて、話しているうちに、俺達はヨスコへとたどり着いた。
俺の願いは届かなかったようで、中はサラリーマンやら小学生やら俺らと同じ学校の高校生やらで溢れかえっている。
まぁ、綾菜達やデパートとしては、嬉しい事だろう。
俺はといえば、全員の視線がこちらを向いているようで気が気でない。
「ほら、大輔。 恍惚としてないで中入るよ」
「……これならいっそ、真性マゾになりたいわ」
促された俺は、ため息をつきながら後に続――こうとしてもう一つ思い出した。
「つうか店内で名前呼ぶのやめろよ。バレバレじゃん」
「どうせ会話を聞かれれば、どっちが大輔かモロバレだと思うよ」
「いや、せめてそこらの人にオカマだと思われたくない」
そもそも俺は、どっかで二人並んで蛇に二択迫れるような状況を想定していたのだ。
こうなってしまっては、女装も羞恥プレイ以外の意味をほとんど持たない。
「じゃぁ久しぶりに源氏名使おうか」
「うげ」
「ゲンジナ?」
「大輔が、昔々女装してた時に使ってた名前だよ」
「お前がさせてたんだろうが」
ミーヤには昨日話した、例の他の人間と打ち解ける為の特訓の名残だ。
女装して知らない女の子をナンパするという内容の物だったが、その時俺は仮の女性名を持っていた。
「アー、偽名のようなモノ?」
「そんな感じ」
そもそも、ミーヤには源氏名の意味が分からなかったらしい。 細かいニュアンスが伝わってしまうと俺の評判は余りよろしくない方に行きそうなので、ほっと一安心だ。
「じゃ、これから大輔はリンちゃんね」
綾菜が悪戯に、ニヤリと笑う。
「あぁ、懐かしい名前だ……なっ」
大輔の輔を車輪の輪と書き間違えた事が発端の名前だ。
その名を聞き、俺が苦笑しようとした途端、脳の真ん中に辞書の角を落とされたような鈍い衝撃が走った。
思わず額を押さえるが、違う、実際に殴られたわけじゃない。
そしてその痛みも、一瞬で消え去る。 代わりに、荒い心臓の動悸が耳にまで響いてきた。 膝が震えている。
立っていられずに俺は柱に寄りかかった。
どうしたんだ、俺の体。 なんだ、何で、何が起こってるんだ。 おかしいのは中身だけで充分だぞ。 落ち着け、落ち着くんだ。
「ダ、ダイスケ?」
「……大丈夫?」
膜を一枚隔てたようにして、遠くから二人の声が聞こえてくる。 耳の火照りと共に、その膜が薄れていき、ようやく体が元に戻ってきた。
「いや、平、気……」
そう答え、顔を上げた。
心配そうな二人の顔。 と、綾菜の表情に一瞬別のものが走った、気がした。
そしてそれが、とても不吉なものだと俺は感じる。
疲れているのかもしれない。 もしくは女装外出という行為は本人が思う以上に精神力を削るのか。
頭を振り、ひとまずそれらを脇に置き、俺は笑顔を作った。
「で、何買うんだ?」
その表情で問いかけると、綾菜の影は消え、一転笑顔を浮かべた。
「まずはクレープっしょ」
あぁ、やっぱり何かある。 今度はアイツの取り繕った態度でそれが分かってしまう。
ミーヤも違和感を覚えたようで俺達の顔を見比べる。
「いこ、ミーヤ。 アンタも早く、りのん」
だが、結局彼女は綾菜に手を引っ張られていった。
何だ最後のちょっとイタい名前は。 どういう漢字変換するんだ。
……アイツが俺の呼び方を変えたのは、きっとそれが俺の頭痛の原因だと悟ったからだ。
あいつは、何故こんな事が起こるのか知っている。
綾菜は占い師だ。 しかし、他にも隠し事があるのではないか、その時俺はそう感じた。
「これは?」
「んー、ちょっと野暮ったくね?」
「これはどうよ」
「狙いすぎな感がある」
「これなんか私のオススメ」
「お前ホンットに少女趣味だな」
綾菜の見繕った服を、俺が批評する。
「あ、あの……」
んで、モデルはミーヤ。 彼女はここ、二階婦人服売り場にて、既に十枚以上の服を試着させられていた。
評価は厳しいものの、俺は眼前の光景を先程の疑問を忘れるほどに楽しんでいる。
「な、何で私の服なんて、選ぶんでショウ」
ミーヤはフリッフリのフワッフワを着た体を試着室のカーテンに隠しながら、抗議とも質問とも取れる声を発した。
流石はヨスコだ、なんでもある。
「だって、ミーヤが私服二着しかないって言うから」
「しかもスカートは一枚しかないとか言うから」
「ジャージなら一枚……」
「部屋着なんでしょ?」
「しかも寝巻きでしょ?」
俺達が交互にリズム良く言ってやると、ミーヤはグゥの音も出ない様子で黙った。
やはり数の暴力というものは恐ろしい。 正論ならば尚更だ。 俺も最近よくやられているから分かる。
ミーヤがこっちに派遣されてきた際、荷物は最低限の物しか持ってこなかったらしい。
更に、上二枚にスカートは鹿子との買い物で手に入れたモノだそうだから、自然ジャージ一枚で日本に来た計算になる。 どんだけ男らしいんだ。
ついでに下着は何枚所持しているかも聞き出そうとしたが、それは綾菜に阻止された。
「そもそも、ダイ……リノンの下着を買いに来たんじゃ」
「いらないって。 そこはプライドが許さないし」
それが嫌なのもあって、俺はミーヤにファッションショーをさせているのだ。
いや、個人的に物凄く愉しませてもらったりなんだりはしているけれど。
さてと次は何を着させてやろうか。 流石にそんなきわどいのはないよなぁ。
いや待てよ。あの辺にあった小さめサイズのTシャツを着せてやれば……。
思いつき、俺は振り返った。
「下着をお探しでしょうか、お客様」
「は、はひ!?」
すると振り向いた先、俺達の真後ろに店員さんが立っていらっしゃった。
「ひゃ、ひゃたしは、別に」
ちょうど声が裏返ったので、そのまま弁明する。
「そうなんですよー。 この子も下着探しに来てて」
だが、綾菜が横から割り込んできて、それを邪魔した。
「あ、てめっ」
「は?」
思わず低い声で唸りかけると、店員様の顔がこちらに向く。
俺は慌てて口をつぐんだ。
「ウフフ、恥かしがってるんですよ。 できれば似合うのを見繕って欲しいんですけど」
勝手なことを言う綾菜を怒鳴りつけたいのだが、今声をあげれば俺は女装で混み合うデパートを歩いて喜ぶ変態さんだと思われてしまう。
ていうか、やっぱ見て分からないんだ、凄いぜ俺。 いや待て、そんな変態が日常に紛れ込んでいるなんて思いたくて、彼女も気づかないフリをしているのかもしれない。
考えれば考えるほど、冷や汗が……。
「なるほど、かしこまりました。ではこちらへ」
店員様が後ろを向く。その隙に綾菜の足を踏みつけようとすると、ひょいっと避けられ、逆に踏み返された。
「あ、なるべくきわどいのをお願いしますね」
俺に舌を出してから、店員様にそんなことをおっしゃる。
「承知しました」
おい、アンタも何承知してんだ。 何を納得した。 俺にどんな事情があると察したんだ。
何、女の子ならそういう時もあるよね、みたいな顔してるんだ、やめろ。
結局俺はその女に薦められるがまま、かなりアレな下着を三枚買う羽目になった。
ミーヤに可愛い服を何着か渡せたのだけが、今回の救いだ。
それから更に色々な店をめぐり、俺たちは屋上へと向かった。
一階から五階まで通じる階段は吹き抜けになっており、上にはずんぐりとした飛行機の模型がつるしてある。
「つうか、なんで、階段なんだよ……」
俺は息も絶え絶えになりながら、そこを昇っていた。
「密室で襲われるのは、マズい」
「あんまり近づかれると、匂いで大輔が男の子だってバレちゃうかもだし」
「フェロモンむんむん、だかん、な」
確かに今の俺は汗臭いかもしれない。 ニヒルに笑ってみせると、綾菜もニッコリと俺に笑い返した。
「なんかまだ余裕ありそうだね。次家具屋行こうか」
「勘弁しろ!」
両手に荷物を満載しながら、俺は叫んだ。 肩にかかる負担が、積載量オーバーを訴えている。
原因は両手に下げた紙袋の数々。 中身は先ほど買った服やアクセサリー、更には今日の夕飯の材料だ。
それをなぜか俺が一手に。 じゃなく両手に担っている。
ミーヤと綾菜は空手だ。
「ていうかこれじゃ、可愛そうな目に遭ってる方が俺だってバレバレだろ!」
「オゥ」
「気づいてなかったのねミーヤ」
相変わらず、無駄にグローバルな反応だ。
「でも、こんな変装しておいて正体バレバレだと、相手も逆に警戒するんじゃないかな」
「まぁ、それは、そうかもしれんけど」
「思わないでしょ。 まさか趣味で女装してるなんて…」
「趣味じゃねーよ!」
いや、やるって言ったのは俺だけど。
陰鬱な気持ちになりかけた俺の目に、ふと、壁に貼ってあるポスターが映った。
『ケイゴ君! 貴方の敷地を守るスゴイ奴! 二つ一組になったセンサーが、進入した不審者を即キャッチ! 大きな音で貴方に知らせます! 定価五千九百八十円!』
赤と緑のマダラ模様のキノコ型をしたその商品が、目立たないはずがない。
まぁ目立つからといって、これ買う奴はよっぽどアレなセンスか欲求不満だな。
って、俺この名前どっかで聞いたような……。
「ダイスケー!」
足を止めた俺に、ミーヤが上から呼びかける。
見上げると、とてもまぶしい物が目に入った。
何で世の芸術家達は、ミーヤのパンチラっていうこの世に顕現した美の象徴をモチーフにしないんだろってぐらいの。
俺専属モデルにしたいから、世に喧伝はしないけど。
ま、ライトグリーンのそれも目に焼き付けたし、彼女についていくとしよう。
……一昨日見た物と色が一緒だったが、まさか二枚ローテーションじゃないよな。
帰りに下着も買い足す必要があるかもしれないなんて思いながら、俺は階段を昇った。
「ムゥ……」
ミーヤがフォークをグーで握り、ムーと唸っている。
ここは屋上のフードコート。 パラソルの下で、俺達は早めの夕食を摂っていた。
屋上にいる人間はまばらで、一人トランポリンで遊んでいる少年が微笑ましい。
ミーヤが唸っている原因は、目の前に置かれたミートソーススパゲッティだ。
俺と綾菜が頼んだ、たらこスパが原因と言っても良い。
「私も、それにすれば良かっタ」
もしくは、ミーヤがミートソースを頼んだ後、揃ってたらこスパを頼んだ俺達が悪い。
別に打ち合わせたわけじゃないんだけどな。 どうも同じ格好をしてると、考え方まで似て来るらしい。
この顔だって、こいつの真似をしているうちに似たみたいだし。
『そうじゃないと』
『私達みたいになるわよ』
思わず左右を見るが、双子は鞄の中に引っ込んだままだ。 鏡の前で聞いた双子の言葉がリフレインしたらしい。
まさか、な。 俺は頭を振ってその考えを払った。
「私のと交換しようか?」
綾菜がまったく真意を解していない提案を、ミーヤにしている。 そうじゃなくてその子は、お前と一緒のが喰いたいんだよ。
まぁ、昼みたいにイチャイチャされても悲しいし、言ってやる義理は無いな。
スパゲティをすすりながら……うわ、麺類って髪長いと超喰いづらいな。 ともかく、ふと思い出し、俺はミーヤに質問した。
「そういや俺、今回の件が終わったらどうなるの?」
終わった時、平穏無事に正体がバレずに事件が解決したなら、俺はどうなるのだろう。
もちろん事件の口止めはされるだろうが、それ以外に何か……。
「記憶を消す」
「はい?」
「だから、ミミック関連の事件に巻き込まれたものは、記憶を消すのが通例」
「記憶を、消す?」
「そう、記憶を…消え去られる? 記憶を逃げる?」
自分の言葉が伝わらなかったと思ったらしい、ミーヤがこめかみに手を当てながら言葉を捻り出す。
「いや、消すで合ってるよ。 疑問を呈したのはそういう事じゃなくて……」
「組織にはあるのさ、記憶消しマシーンが」
埒が明かない会話をする俺とミーヤの会話に、綾菜が補足の言葉を吐いた。。
「化け物とかより、そっちのが信じられねぇよ」
というかそんな嘘くさい超科学的な物の存在を、今こいつあっさり言いやがった。
いや、秘密組織のお約束だけどさ。 そんなんが無きゃ、ここまで派手に活動している奴ら――俺含めてだが、そいつらを世間に隠し通せるとも思えないけどさ。
「脳だぞ、脳。しかもその中の目に見えない所を……」
言っていて、実際に脳を何かが這いずるような、悪寒に苛まれる。
その行為に対する嫌悪感か? いや、なんか違う。 何だこれ。 まるで俺自身が何かを――。
「それが嫌なら、もう一つ方法がある」
混迷していく思考に、ミーヤの声が割り込んだ。
「私達の組織に、入れば良い」
「それは――」
「それはやめといたほうがいいね」
顔を上げた俺が答える前に、綾菜が割り込み、早口でそう言った。
俺だって、正体を隠したままそんな組織に紛れ込むなんて、遠慮したい。 が、それよりも、綾菜の硬い表情が気になった。
「……なんで?」
「だって、私達」
問い返す俺に、綾菜は一転ニコリと笑う。
「人殺しでしょ?」
そして、その笑顔を俺とミーヤに振りまいた。
俺は凍りついた。 隣を見るとミーヤもまた凍りついている。 沈黙が場に落ちた。
「そ、そんなこと……そんなこと、無いデス!」
数秒後、ミーヤが凍りついた自らの体を熱しようとするかように、大きな声をあげた。
「……なんで?」
先程の俺の問いかけを真似し、しかし表情は笑顔のまま、目には愉しむような光を灯し、綾菜はミーヤに尋ねる。
「だ、だって……いえ、その、ナゼナラ」
問われ、ミーヤは言い淀んだ。 まずい。 俺は二人を取り成そうと口を開きかける。
「ミミックは、人間じゃないカラ」
それより一瞬早く、ミーヤがそう言った。 言って、自分の言葉に顔を俯かせる。
このまま綾菜を守り続ければ、きっとその「占い」とやらは実行される。
そうすれば、はっきりしてしまうかも知れないのだ。
ミーヤ自身が化け物であると。
彼女は、この話題を恐れていた。 だからこそ、綾菜の正体に勘付いていても、蛇殺しを優先していたのだ。
それでも、ミーヤとしてはそう言わざるをえないだろう。
彼女は自分が人を守り、悪い化け物を狩る狩人であると主張しているのだから。
ミーヤの中の矛盾。
綾菜は、多分それを分かっていて、敢えて言った。 自らをも人殺しと呼びながら。
……綾菜もまた、組織について快く思っていないようだ。 しかし奴はこうして、俺の知らない間に組織に入っていた。
それは何故だ。
俺がそれを尋ねようと口を開こうとした時、ピンポンパンポンとのどかな館内放送の合図がする。 それに続いて、切迫した声が屋上に響いた。
《三階で火災が発生いたしました! 三階で火災が発生いたしました!》
火災? 抜けるような秋空の下。 不釣合いな単語に人々が顔を見合わせる。
《て、店内のお客様は係員の指示に従い、慌てず避難してください!》
しかしその上ずったアナウンスが二回繰り返される頃には、屋上にいた数人の人々は一斉に逃げ出していた。
俺もまた、椅子から慌てて立ち上がる。
「火事ってまさか!?」
「蛇……かな」
「ここまでやんのかよ!」
「私も、ちょっと迂闊だったね」
綾菜も立ち上がる。 俺達はあの蛇を、丸呑みだけの化け物だとナメていたのか。
そりゃ、闇討ちぐらいはしてくると思ったが、こんな、無差別に人を巻き込むなんて。
ミーヤもまた、勢いよく立ち上がる。 だが彼女は、テーブルに手をつき腰を上げたまま、一点をじっと睨んでいた。
「アイツ……!」
低い、彼女の狩人用の声。
俺はミーヤの視線を追う。 そこは屋上から階段への唯一の出口だった。
しかし人が押し合いへし合いになっており、どれがミーヤの言うアイツなのか分からない。
そんな俺の横を、ミーヤがテーブルを蹴って走り抜ける。 ライトグリーンの下着が目の前を踊った。
「大輔、見とれてる場合じゃないよ」
「わ、分かってるわい!」
綾菜もミーヤに続き走り出す。 放置された荷物を手に取ろうか一瞬迷ったが、そんな場合ではないと気づき俺もまたそれに続いた。
「ど、どうしたんだミーヤは」
「多分見つけたんだよ、犯人を」
俺が動揺しながら呟くと、綾菜がそう答えた。
見つけた? ここにあの大蛇が現れたなら、別のパニックが起こるはずだ。
それが無い。 という事は、皮を被った人間の姿の犯人を見つけたということだろうか。
じゃぁミーヤは犯人を知っている? いや、そんなはずは……。
考えながら階段へとたどり着く。
ミーヤは迷う事無く、開いていた外付けの非常階段から飛び出していったようだ。
「どっち行く!?」
「ミーヤは非常階段行ったんだから、邪魔しないようにこっち! あの子なら大丈夫!」
言いながら、綾菜は俺達が元々昇ってきた階段を下っていく。
「って、そっち火元だぞ!?」
悲鳴を上げながら俺もそれに続く。 他の客達も非常階段で下ったようだ。
一階降りると、屋内は煙に溢れていた。
蛇に遭わないとしても、焼け死んだら意味が無い。 だが、綾菜は足を止めなかった。
「多分これ、火事じゃないから平気!」
「火事じゃ、無い?」
だって、こんなに煙が……と考え、おかしな事に気づいた。
「熱くも無いし、ススも飛んでこないでしょう。 発煙筒でも焚いたんじゃないかな」
確かに言われた通り、火にまかれているという感じではない。
流石にデパートで無差別殺人するほど見境なしではないか。 あんな奴の良識に感謝するとは思わなかった。
「にしても、俺達を殺す気はあるんだろうな」
「じゃなきゃこんな事しないだろうからね」
どちらにしても急いでここから出たほうが良いだろう。 蛇がこっちにきた場合、この視界じゃ庇う事もできるかわからない。
そこで思いついて、俺は綾菜の手を掴んだ。
「大輔?」
「迷子のアナウンスも、今はできそうにないからな」
言って、彼女の手を引いて駆け出す。
「男の子の手だね、大輔」
綾菜がそんな平和な感想を漏らした。
「手だけはな」
そこだけは、かろうじて人間の手だ。 俺は心の中でそう付け足す。
「なぁ、ミーヤは何で、あんなに蛇を憎むんだ」
その事でふと、手だけが化け物のミーヤの事が思い出し、俺は綾菜に問いかけてみた。
そりゃ、狩人なら化け物を退治して当然だと思うが、大好きな綾菜を差し置いてまで追いかけるのは、やはりその、異常だ。
やはりあの執着には理由がある。 俺はそう確信していた。
綾菜はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「ミーヤの両親は、ミミックに殺されたの」
綾菜の使うミミック、という単語には独特の硬さがある。 そんな事のほうが、俺には気にかかった。
綾菜の話した事実自体は、驚くというよりやはりという思いのほうが強い。
「彼女の両親も協会の狩人だったんだけど、普段はひっそりと隠れ住んでいて」
「へぇ……」
両親が狩人。 それは意外な情報だった。 綾菜や自らの思考にだけ注意が行かないように注意しつつ、俺は相槌を打つ。
サラブレッドという訳だ。 それならあの動きも遺伝……もしくは両親の鍛錬の賜物と言うことだろう。 謎だったミーヤの背景が次々に埋まり、納得していると。
「ミーヤが、案内しちゃったんだって。 そのミミックに協会の人間だって騙されて」
綾菜の言葉の続きが、俺を愕然とさせた。
「……」
「どしたのダイスケ」
黙りこみ、一瞬手を強く握ってしまった俺に、綾菜が怪しい発音で問いかける。
「そのミーヤっぽい発音やめてくれる。 胸に響きまくるから」
それ、今俺がしている事とほとんど一緒じゃないか。
知らなかったとはいえ、俺はミーヤにドンぴしゃでひどい事をしてしまった。 いや、している。
自分が人間だと偽って、彼女から情報を引き出すだなんて。
「それで、どうなったんだ?」
しかしショックを受けている場合でもない。 ひとまずその事を脇に置き、俺は綾菜に続きを促した。
「その時に彼女はミミックとして目覚め、父親を殺したミミックを撃退。 母親もすぐ息を引き取ったらしいんだけど、死に際にその、ひどく錯乱したみたいで……」
「娘を化け物だと罵った?」
「……そんな感じ」
言い辛そうだった綾菜を引き継ぎ、俺が先を言う。
俺にはその光景が、ありありと浮かんできた。
家の隅に追い詰められた母親、立ち尽くすミーヤ。 来ないで! 母親が叫び、そしてぽつりと言うのだ。
「化け物」と。 彼女に正体を知られた俺は、その小さな体に手を伸ばし……。
そこまで考えて、ズキンと、また頭が痛んだ。 足を止め、頭を左右に振る。
あれ? おかしい。 イメージがやけに具体的な上、途中からミーヤ役が俺に切り替わっていた。 そして、俺が対峙していたのは妙齢の女性ではなく、小さな女の子でその顔もはっきり……。
「大輔?」
止まった俺の顔を、綾菜が覗きこむ。 俺は思わず手を離し、頬を押さえた。
「あ、う、大丈夫だ……」
そこが破れていない事を確認し、彼女に答える。
綾菜が不思議そうにしながらも手を差し出すが、俺はそこで、急に不安になった。
俺は化け物で、こいつはそれを炙り出す占い師だ。 そんな俺達が、本当に手を取り合ったりして良いのだろうか。 そして綾菜は、俺の正体を知ったらどんな表情をするのだろう。
「お前は、怖くないのか? その、ミミックが」
「怖くないよ」
問いかけた俺にあっさりと答えながら、綾菜は再度俺の手を取り、今度は自分が先導して走り始めた。
「あ、おい!」
「ずっと前から、怖くなんてなかった」
こちらを振り向き、笑顔を見せる。
ずっと……? それって、もしかして。彼女の言葉に、頭が一瞬真っ白になる。
『あ』
『上』
そんな俺の真っ白な頭の中に、双子の声が割り込んだ。
言われたまま、俺は上を向く。
「いっ!?」
煙に覆われた天井の奥から、大きな音を立てつつ何かが落ちてきていた。 そして煙を突き破り、それの正体が明らかになる。
それは、五階天井にぶら下がっていた大きさ三m程の飛行機の模型だった。
その正体が分かった時、模型は既に目の前、を通り過ぎようとしていた。
「綾菜ァ!」
口が勝手に開く。 異音が鳴り、急激に顔が肥大化し重くなる。 階段から飛ぶ、いや、つんのめるようにして、俺は前方へと落ちた。
目の前が、その古ぼけた飛行機の模型でいっぱいになり――。
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