時間は進んで昼休み。
「お邪魔しまーす」
能天気な声が教室内に響いた。
見ると廊下側の扉から、ちんまい女子が二名進入してきていた。
「あーん、来てくれたのねマイハズー!」
「ウルサイ」
むちゅーっと唇を伸ばした俺の顔を、ミーヤは無慈悲に押さえつけ、教室の奥へと歩いていく。
後ろから歩いてきたもう一人のちんまいの。 有馬鹿子が俺を哀れむような視線で見た。
「早速ふられたんですか?」
「まだ付き合ってもねーよ」
頬杖をつき目を逸らす俺の横で、ズズ ズと椅子を動かす音がする。
「あれ、今日ミーヤの様子がおかしかったんで問い詰めたら、先輩と付き合ってるかもしくは脅されてるって結論が出たんですが」
「普通なんねーだろその二択!」
「いえ、本人は付き合う事になったと言っていたんですが、どう考えても脅迫されているだろうと私は」
「だからお前ら俺の事なんだと思ってる訳!?」
綾菜といいこいつといい、世間からの俺への認識はどうも良くない方向へと固まっていっているようだ。
俺が抗議の為に顔を前に戻すと、鹿子は俺の隣にあった後藤の机を移動して、俺の正面にくっつけていた。
「そして何やってる訳?」
「目の前にかわいそーな先輩がいるので、私がミーヤの代理をしてあげようかと」
「ありがたいありがたい、すげーありがたい」
「報酬はお弁当の五割。 白米は含めずの方向で」
「俺の昼食が真っ白になるじゃねーか!」
バカな事を話している間に、教室の奥まで移動したミーヤは今の鹿子と同じように、綾菜の机に空席になった隣の奴の机をくっつけ向かい合って座っている。
今朝、ミーヤの胸を一揉みした後に昼食の約束を取り付けたらしい。
そういうことは恋人である俺の承諾を取ってから行っていただかないと。
偽だけど。 綾菜と向かい合ってるミーヤは凄く嬉しそうな顔をしてるけど。
「で、食べないんですか先輩?」
俺の煤けた背中をいたわる様子も見せず、鹿子は自らの昼食である、購買のパンを広げている。
ため息をついて、俺も自らの弁当を出した。
ふたを開けると冷凍食品のから揚げに冷凍食品の炒飯が入っている。
「侘しいですね」
「昨日の残りだ。 どっかのアホが間違えて二食分解凍しやがったから」
ジト目で背後を見ると、何を勘違いしたのかそのアホは手で弁当箱を隠す。
いらねぇってんだよ。
「先輩の家、今ご両親がいないんでしたっけ。 ミーヤも料理はできないから手作り弁当ってのも期待できないですしねぇ」
「あ、やっぱできないんだ」
後ろを向いたまま、視線をミーヤに移す。 彼女の方も昼食は購買のパンのようだ。
「ミーヤは手先は器用なんですけど、こう、せっかちなのと字が読めないって所に妥協もできない真面目さってのが加わって残念な事に」
……俺としてはイメージ的に何となくできなそう、と思っていた程度だったが、理由を改めて聞くと想像以上に可愛そうな事になっていた。
後、昨日の振る舞い見るに相当ドジッ娘だしね、あの子。
「うーん、結婚生活にはちょっと不安が残るなぁ……」
なんて慈愛の目で見ていると、その視線に気づいたミーヤがこちらをジロリと睨み、彼女も手元のパンを隠した。
だから違うって。 本当にキャライメージ固まってるなぁ俺ったら。
あんまり見つめているといろんな意味で惨めになってくるので顔を正面に向け直す。
鹿子は俺の有様を見てクスクスと笑った後、取り出した黄な粉パンをひとかじりした。
そういう菓子パンの類って、いの一番に食べるもんじゃない気がするが……。
「……先輩って、ミーヤのどこを好きになったんですか?」
自らの偏食をなんとも思っていない様子で、鹿子は唐突にそんな事を言い出した。
今朝、綾菜がミーヤにした質問と同じだ。
問いかけられ、俺は妙に考え込んでしまう。
「うーん、あの綺麗な金髪とか、俺よりちっちゃいところとか、おっぱいとか、俺を睨む時の目とか」
「全部見た目じゃないですか」
まるでピラニアのよう。 俺の挙げた理由に鹿子が即座につっこむ。
つったってなぁ。 中身だって色々好きな所はあるよ?
笑顔が可愛いとか、ひたむきなところとか。
理性的な部分は、彼女を守って上げなきゃ、支えてやらなきゃ。 なんて思っている。
だが心の奥底。 芯の部分、俺の本性、化け物としての部分が叫んでいる。 彼女をいじめて、いじめて、いじめてやりたいと。
化け物でありながら化け物を唾棄し、殺す彼女。
椎名雅に全てをぶちまけ、彼女を罵り、絶望させ、憎しみを向けられたい。 と。
とんだサドでマゾだが、それが理不尽だと思う気持ちもあり、俺はその薄暗い感情達を心……皮の内に閉じ込めながらミーヤに接している。
だが、その辺りの理由を鹿子に言う訳にはいかない。
「あーあー、ほら、肉体と精神は絶妙なシンクロ状態であって、精神性だけを重視する現代社会の風潮は間違ってると思うんだ」
という訳で、俺は急遽適当な話をして煙に巻くことにした。
「ほほー、なんか大きいテーマ掲げちゃいましたね。 それでそれで?」
鹿子のほうにも俺が誤魔化そうとしているのはバレバレなようだが、どう着地するのかを愉しんでいるのか話に乗ってきている。
「健全な精神は健全な肉体に宿るし肌の白さは七難隠すわけよ。 外見の綺麗さってのは、ソイツが努力した証拠にも……一応はなりえるわけだし」
しかしこのままでは、話が上手くまとまらなかったりつまらなかった場合は、キツいダメ出しをされた上先程の会話の内容を蒸し返される事間違いなしだ。
舌を動かしながら、俺の内心は激しく動揺していた。
「……大体、中身中身言うけどそれって重要か? せっかく一生懸命外見を取り繕ってるんだから、そっちが本体で良いじゃん」
そのせいで、喋っている内容がまったくもってよく分からない事になってくる。
自分が何を話しているのかもよく分からない。
「中身が多少問題あったって、それを外側に出さなきゃ一生良い人で終わる、だろ?」
だろ? と問いかけつつ、何が? と返されれば多分俺には何も説明できない。
何しろ今自分が何を話したのか、自分自身ですら分かっていないのだ。
「ま、それはそうですね」
なので、鹿子がそれに対して深い息を吐きながら頷いたのには驚いた。
「何が?」
「はぁ!?」
「あ、いや、まさか同意していただけるとは思わなかったので」
驚きすぎて問いかけると、鹿子は机に手をつき裏返った声を出しながら立ち上がった。
しまった、つい本音が。
納得がいかない顔をしつつ、彼女は椅子に腰を下ろし直す。
「……まぁ、人間皮一つ剥けば、何が出て来るか分かりませんからね。 そのままにしておくのが一番ですよ」
それから、体がビクリと震えるような事を言った。 皮一つ剥くととんでもない物が出てくる身としては、心の底から同意せざるを得ない発言だ。
偶然か? いや、そもそも俺がそんな類の話をしたんだっけか。
そうだ、和気藹々と一緒に弁当を食ってるけど、こいつも犯人候補、なのだった。
「……お前の中身も凄いのか?」
かまかけ、というより誤魔化しの気持ちで鹿子に問いかける。
「えぇ、そりゃもうキュートでセクシーでバインバインです」
すると奴は、先ほどまでの疑惑がどうやっても杞憂だったとしか思えないほどのアホな嘘を、堂々とついた。
「そりゃ凄い。外側からはまったく想像できないのが特に凄い」
適当に褒め称えて、気の無い拍手をする。
それをむむぅと睨んで、鹿子は一緒に買ってきた紙パックのジュース(イチゴオレ)を口に含み、俺に問い返した。
「先輩こそ、外見からしてペラッペラですけど、中身ちゃんと入ってるんですか?」
対して俺はにやりと笑い、答える。
「入ってるとも。 そりゃぁ凄いのがな」
凄みを利かせたつもりだったが、鹿子が呆れた顔でへぇーとバカにした声を出すのみだった。
それから少し後、俺は弁当を摘まみつつ廊下を歩いていた。
『行儀以前の問題ね』
『それも変人アピール?』
先程まで黙っていた双子が、俺の左右に現れ交互に喋る。
「栄養補強に、腹ごなしも出来て一石二鳥だろ?」
素で受け答えしてしまい、周りで何人かこちらを見た気もする。 俺のほっぺに米粒でもついてるせいかもしれないが。
先程まで俺は鹿子と一緒に昼食を摂っていたのだが、その内背後で許しがたい行為が行われ始めた。
なんと綾菜の奴、ミーヤに冷凍食品をアーンさせはじめやがったのだ。
彼氏の前で何たる暴挙。 羨ましい。 俺もしたい。 と現場に急行。
ところが、俺があーんとおかずを差し出しても彼女は一向に食べようとしない。
しかし綾菜に差し出されれば頬を紅潮させながら食べるではないか。 耐え切れず、教室を飛び出して来たという訳だ。
綾菜め。 あの買ったは良いが恥ずかしくて着られなくなりタンスの奥にしまいこんでいるピンクのふわふわスカートを、今度無断で売り捌いてやろうかしら。
さておき、これからどうしようと考えていると、廊下の窓側に見知った顔を発見した。
「何をやっているのだ平井」
窓の外を見、たそがれているのは平井洋一だった。
相手は男なので飛びつかずに、普通に声をかける。
「あぁ、大す……誰だお前、いや、大輔か」
弁当箱のふちを唇で咥え顔を隠した弁当箱仮面の正体を、奴は一瞬で見抜いた。
ため息をついて、俺をまるで悩みのない能天気男を見るような目で見る。
「なんだ、青春の悩みはこのマスクザノリベンに打ち明けるが良いぞ」
マスクをはずして正体を明かす。 更にとっておきの爽やかスマイルを見せてやった。
「別に悩みなんかじゃないよ」
「嘘つけ、そんな顔するのは悩み多き中年サラリーマンか恋する乙女だ」
「その二つが同じ表情してるのは嫌だな」
気弱に笑った後、平井は悩みって訳じゃないんだけど、と前置きしてポツリと言った。
「ただ、片瀬さんが今日も休んだなって」
カポッ。 俺はマスクザノリベンに戻った。
「何でまた弁当箱被るの」
もちろん表情を隠すためだ。 変身をといたヒーローに不意打ちなど、こいつはどんな極悪怪人だよ。
胸の動悸が治まるのを確認して、俺は弁当箱を顔からはずした。
「まだ二日だろ? 心配しすぎだって」
我ながら、言葉通りの表情が出来たと思う。
……極悪怪人は俺のほうだな。
「うん、だと思うんだけど……最近物騒だし、部室も荒らされてたし」
「あんなのただのいたずらだって」
部室に関しては、実質やったのは俺だし。
「それに……」
「それに?」
「何か、言おうとして口篭ったんだ。 聞き返したんだけど、何でもないって」
姫足が口篭るのなんていつもの事じゃないか。
いや、待てよ。 言い返そうとして、ある可能性に気づく。
「お前らって、もしかして付き合ってた――じゃなくて、付き合ってる?」
過去形になりかけて、言い直す。 しかしそれなら、こいつが彼女をやたら気にするのも分かる。
俺が数分しか見ることができなかった、怯えない姫足というのを日常的に見ていても不思議は無い。
「ち、違うよ。そんなんじゃない」
慌てて否定するところが怪しい。
……俺は、平井と姫足が仲睦まじくしている所を想像した。 すると、うん、なんだかイライラしてきたぞ。
俺だって姫足が好きなのだ。 死亡五分前からだけど。
どれ、もっと苛めてやろう。 俺がそんな風に薄汚く思っていると。
「ていうか」
平井の表情に、すっと影が差した。
「片瀬さんは、大輔と仲良くなりたがってた、みたいだった」
平井は顔を逸らし、呟いた。
こいつは演技が出来ないタイプだな。 表情に悔しさがにじみ出ている。
……俺がさっき覚えた感情を平井はもっと強く、もっと前から感じていたのかもしれない。
「そっか、俺達ライバルだな」
「だ、だから違うって!」
俺が好敵手と認めてやると、平井は真っ赤な頬を更に赤くして否定した。
リンゴかお前は。
「大丈夫、きっと来週には出てくるって」
このセリフを言う際には、反吐が出ないように注意。
俺は舌の根っこ辺りまで来たそれを、胃袋の底に押し戻すのに苦労した。
「あぁ、うん……」
平井は、やはり納得しきっていない表情をしたが、一応は頷いた。
キンコンカンコンと、予鈴も鳴ったので、俺達はそれぞれの教室に帰る事にする。
平井と別れた直後、双子が頭の中で囁いた。
『演技なら大したものね』
『貴方も大したものだけど』
「うっせ」
チャイムに紛れ、俺は小さく悪態をついたが、双子にはしっかり聞こえていたらしい。
薄く笑われた。
部活の後、俺はプールの更衣室の隣にある、準備室に居た。
スコアや備品が保管してある場所なのだが、俺の目的はそれではない。
「んーっと、無いな……」
屈み込んでダンボールを漁る俺。 この中はプールの落し物入れとなっている。
俺が探しているのは、綾菜のハンカチである。 アレを落としたのはプールだと思っていたのだが、見つからない。
誰かが、拾った? 考えてみれば、荒れたプールにハンカチなんて落ちていたら、犯人の遺留品と思うのが普通な気もする。
警察を呼んだとも聞いていないから、指紋が採られてどうこうだとは思わないが、何か後々厄介な事になりそうな予感がする。
俺が鬱々とした気分で、ダンボール底の、何年入っているのかも分からない旧型のゲーム機まで漁り終えた所で、双子が目の前にすっと現れた。
……こいつらの唐突さには、未だに慣れないな。
『そういえば、昨日蛇に体当たりされたけど』
『その後変わりない?』
「え? あぁ、ぶつかったって言っても……顎と尻ぶつけたぐらいだし」
話題まで唐突だ。 何で今頃と思いつつも、俺は質問に答えた。
『本当ね?』
『どこもおかしいところはないわね?』
「尻……いや、口がぱっくり割れちゃいました」
『元々でしょ』
『くだらない自虐は置きなさい』
自分でもくだらないとは思うが、そうばっさりやられると凹む。
ったく、何の話だよ。 と、俺は視線で先を促した。
『化け物は自分だけじゃなく、その周囲の物理法則まで捻じ曲げるの』
『私達を見れば分かるでしょう?』
双子が喋っている間に立ち上がり、ドアについた窓から外を確かめる。
うん、誰もいない。
俺は改めて双子に向き直り、頷いた。
確かに双子は、俺以外には見えない。 ついでに皮がなければ触れない。 こんな奴ら見たら、世の中の物理学者が首を吊るだろう。
『言ったでしょう? 化け物は思い込んだ通りになっていく』
『あの化け物が、貴方に死ねと念じれば、ただの体当たりでも見た目以上に力を持つの』
「えーと……?」
『相手が毒を持ってる、みたいな認識で良いわ』
『殺意という名の毒。 触れただけで、それは貴方に入り込んで殺そうとするわ』
「どんどん、何でもアリになっていくな」
いや、違うか。 最初から何でもアリなのだ。 改めてひどい生き物だな……もちろん俺含めて。
「まぁ、別に変わりない」
双子に言われて思い返すが、特に体の不調を感じた出来事は無かった、はずだ。
『でもあいつがその毒を持っていても』
『貴方はぶつかったぐらいで死ぬはずがないって思っている』
『だから貴方はその思い込みで、自分を守れるの』
『貴方の中の常識って言い換えてもいいわ』
化け物が常識を振りかざして自分を守るというのも、滑稽な話だ。
まぁ、要するに俺は蛇と肉体的にぶつかった時、精神的にもバトルをしていたらしい。
むしろそちらの戦いの方が激しかったようだ。
「って、それ聞いたら次から無事でいられなくなりそうなんだけど」
双子が言う事が本当なら、俺はその毒とやらを意識してしまった所為で逆に今度蛇に触れられた時、大ダメージを負うかもしれない。
俺ってダメだダメだと思っていると本当にダメになるタイプだし。
俺が不安になり、おそらく余計にその毒とやらの効き目を高めていると。
『だから今聞いたのよ』
『貴方には、今日半日大丈夫だったっていう常識があるでしょ』
双子は呆れたような顔で俺を見ながら、そう言った。
「まぁ、そりゃそうだけど……」
曖昧な返事をする俺に、双子は眉根を寄せて珍しく真剣そうな顔をした。
『それより重要なことがあるわ』
『普通の人間は、その毒に抵抗できないの』
「え?」
『貴方の片割れが蛇にぶつかられただけで』
『死んでしまう可能性もあるって事』
理解が遅い俺に、双子はそう補足してから揃って鼻を鳴らす。
そうか、だからこいつらは今それを言ったのか。 綾菜への危険を知らせる為に。
『どうせ守る気なんでしょう』
『占い師を』
「え、あぁ…」
口を尖らせつつこちらを見る双子に、俺は頷いた。
いくら占い師だからって、やはり俺は綾菜を見捨てることなんて出来ない。
だが双子には、乗り移り先である俺を弱体化させてまで綾菜を守る義理は無い訳で。
「ありがとうな」
俺は素直に礼を言った。 双子はそれに対して「アンタの為じゃないんだからね」などと定番な反応はせず、長くため息をつく。
『それに、貴方だって』
『まるきり大丈夫って訳じゃないのよ』
それどころか、俺の不安を更に増すような事をのたまうのだ。
『あのドリルが』
『きっと良い例になると思うわ』
「ドリルって、ミーヤのか?」
問うと、双子は揃って頷いた。
それから童謡でも歌うように交互に喋る。
『バラバラにされても復活するはずの蛇が、逃げた』
『アレには、きっと化け物に対する怨嗟がたっぷりと籠められている』
『絶対に殺す。 生きては返さないっていう類の』
『それは多分、蛇の脱皮で助かるという思い込みには敵わなかった。 でも』
『ヒヤリとはさせたんでしょうね』
「だから逃げた、か」
『貴方も変に強気にならないで』
『小ずるく逃げ回りなさい』
「へいへい」
こいつらも、一応心配はしてくれているんだろうか。 確かめたら罵倒されそうだから聞かないでおくけど。
――と、そんな事を話していると、背にしていたドアがノックされた。
振り返ってガラス窓を見てみると、そこには笑顔の生首が。 もとい笑顔を窓から覗かせている三橋愛華がいた。
「ど、どうした三橋」
ドアを開けて彼女に応対する。
先程まで双子が喋り倒しだったし、俺も聞かれてまずい事は口に出していないはずだ。 なのに胸が跳ねたのは恋以外のなんだろう。
「大輔さんのお姿が見えなかったので……どなたかとお話していましたか?」
「い、いや、ちょっと寸劇してただけだよ」
「そうですか……」
双子は三橋が途中で射抜くような視線をした所為か、俺の中へと戻っている。
三橋は失礼しますと言いつつ準備室に入ると、きょろきょろと左右を見回した。
「じゃ、じゃぁ俺はこれで」
「あ、待ってください」
俺が入れ替わりに部屋から出ようとすると、彼女に呼び止められる。
「あの、今度の特別メニュー、私なりに考えてきたんですが……」
「あ、そうなの?」
言いながら彼女はおずおずとノートを差し出した。
それを受け取り、俺はノートをパラパラとめくる。
「バタフライの選手に腰痛は付き物だそうです。 ですからフォームの改善と共に筋力トレーニングを並行して行きましょう」
ノートには、三橋の解説通り、筋トレの方法等が丁寧に書き込まれていた。
何となく彼女はノートにびっちり書き込む派だと思っていたのだが、意外にも図が貼り付けてあったり項目をページ毎に区切ってあったりで、読みやすい。
「凄いな、三橋」
「い、いえ、図書館の本やインターネットの記事をつまんだだけですから……」
「それを整理して自分なりに纏めてるのが凄いんだって」
「そそそんな事ありません! 私なんかより大輔さんのほうが凄いです!」
俺が褒めると、彼女は銃でも突きつけられたかのように、両手を宙に掲げそれと頭を激しく振った。
「は、何が?」
「だって、大輔さんはいつも明るくて、気遣いが上手くて、誰にでも優しいですから」
そのリアクションと言葉に唖然とした俺が聞き返すと、彼女は両手の指先を合わせ、それをぐにぐにと押し合いながら言葉を紡いだ。
『厭味かしら』
『皮肉かも』
双子が頭の中でそう囁く。
否定したい所だが、俺にもそう聞こえてしまう。 俺の何処を見たらそうなるんだ。
例え俺がそう見えるとしても、それは正体を見破られない為に必死に繕った姿だし。
「それこそ、買いかぶりだと思うよ」
「いいんです。 私にはそう見えるんですから」
少々硬い声を出してしまった俺に、三橋がはにかみながら笑った。
その笑顔に、ミーヤという彼女(偽)がいる身でありながら少し心動かされてしまう。
――と、そんな俺の軽薄さを諫めるように、ポケットの携帯がぶるぶると震えた。
取り出してみると、表示名マイラバー。 件のミーヤからだ。
「どなたですか?」
「あ、ミ……綾菜」
三橋が小首を傾げたので、咄嗟にそう答える。
まぁ別に嘘って訳ではない。
すっかり頭から抜けていたが、俺は今日この二人と一緒に帰る事になっていたのだ。 その催促だろうとメールを開く。
『綾奈さん怒っています。 大輔早くしてください』
何故敬語。 ていうかそれでも呼び捨てか。 あと綾菜の字が地味に間違ってる。
色々つっこみたいが、それより早く行った方が良さそうだ。
「ごめん、綾菜……が待ってるから行くわ。 あ、今日はありがとうな」
「いえ、お役に立てたなら、とっても嬉しいです」
ノートを彼女に返すと、三橋はそれを両手に抱いて目を細めた。
「また、明日学校でお会いしましょう」
こんなに喜んでくれるなら、これからはもうちょっとだけ、彼女の言うような優しい奴になろうかな。
彼女が犯人候補だという事も忘れ、俺はその時そんな事を考えた。