第四章 偽りの関係


 翌日、俺は昨日の悩みが何だったのかと思うほど良く寝、朝起きたら双子の腹に右と左の頭がそれぞれ埋まっていた。
 とんだ胎内回帰を果たした訳だが、その所為ですっかり寝過ごしてしまい。
「朝食当番すっぽかした罪でしめて九百九十八円」
「その千円切ったからお得みたいな金額はやめろ!」
 などと綾菜と並びながらさわやかなトークをする羽目になってしまった。
 昨日こいつが見せた、なんだかしおらしい態度もどこへやら、だ。
 そうやって並んで歩いていると、俺は前方を見知った少女が歩いているのを発見した。
 俺は彼女のお尻と、運命的に結ばれているんじゃないかしら。
 綾菜に止まるよう指示し、自らはしのび足でそのウェーブのかかった金髪に忍び寄る。 彼女の匂いが嗅げるほど近くに寄ったところで、俺は両手を広げ声を上げた。
「ミーヤァァァァ!」
 そのまま抱きしめ――ようとした両手が空を抱く。
 気がつけばミーヤは体勢を低くし、その左手の指はピンと伸ばされ、俺の喉元に突きつけられていた。
 それは否応無しに、昨日のドリルを連想させる。
 俺は冷や汗を流しながら、胸の前で交差した腕をまた広げ、降参のポーズを取った。
「さ、さすが狩うっ」
 言いかけた喉を、ビスッっと、突きつけられた手刀で突かれる。
 押されて、二歩、三歩、後退。
 ……本当だ。 あまり、痛くない。 自覚してみるとそれを強く感じる。
 昨日双子に言われたように、確かに俺の喉は人間の物とは違うようだ。
 凹む。 が、今はそんなリアクション取るべき状況ではない。
 大丈夫、喉は人間じゃないが、面の皮だって人間じゃないんだ。  う、うん……落ち込みスパイラルに落ち込む前に、演技を開始しよう。
「けほっ、けほ、けほけほ、うぉ、ぼぉうおっほ!」
 咳を開始。 うん、喉を突かれたら普通こうなるよな。
「だ、ダイスケ? そんなに深くツいたつもりは……」
 ミーヤが困惑しながら小走りに寄ってくる。
 いい機会だから、大げさにやって反省させてやろうか、などと俺が考えていると。
 ビリッ。 口の端から、不吉な音が響く。
 やっべ、やりすぎた。 俺は急いで背後を向き、座り込んだ。
「ダ、ダイジョウブ?」
 ミーヤが回り込んで来、俺の顔を覗き込む。
 口を隠し、彼女の問いかけに必死で頷く俺。
「コココココエガ!?」
 やっべ、ミーヤが動転の極みに陥ってる。
 明らかにやりすぎている。 でも今口を開くわけにはいかない。
 口を隠した俺の背中を、ミーヤがさすってくれる。 膝小僧がまぶしい。
 直れ直れ、早く直れ。 俺が望んだようになるんだろう俺の口。
 ………よし。 丁寧に丁寧に確認し、俺はゆっくりと口から手をはずした。
 素早く立ち上がり、マフラーを口元まで引き上げる事は忘れなかったが。
「ブ、ブジ?」
「何とか。ちょっと変なツボに入っちゃってさ」
「むぅ……ゴメン」
 うわ、あのミーヤが謝った! しかも発端、原因、経緯含めて百パーセントこっちが悪いのに!
 これが詐欺! と思う前に心が痛い。
「いや、こっちこそごめん。 あと、ごめん。 本当にごめん」
 謝り返す。 三倍返しで。 襲い掛かった事と、迂闊な発言した事と、嘘リアクションした事についてだ。
 ミーヤは首を捻ったが、まぁ理解されても困る。
「えーと、とにかく、君の素性とあの蔦」
 周りを見回し、聞き耳を経てている奴がいない事を確認すると、小声で告げる。
「バラバラドリルの事は秘密ね」
「そ、ソンナ名前ジャナイ!」
 俺があの武器につけた名称を、ミーヤが勢いよく否定した。 ちなみにバラバラは薔薇薔薇ともかけてあるのだが、彼女はお気に召さないようだ。。
「じゃぁ何て言うのさ」
「その、名前なんて、ナイ」
 ミーヤにとって、この右腕は決して受け入れられるモノではないのだろう。 愛称などつける気分にならないのも分かる。
 俺だって、この口に名前とか二つ名とかつけろと言われても困るだろうし。
「んじゃ、暫定バラドリで」
「縮メルナ!」
 略称までつけると、ミーヤが顔を薔薇のように紅潮させて抗議した。 うーん、バラエティアイドルみたいだしな。
「なんか仲良くない? 二人とも」
 アホな事を考えていると、後ろから、綾菜がゆっくりと追いついてきた。
 いや、タイミング的にしばらくこのやり取りを見届けていたのだろう。
 一昨日も似たような事をしたが、奴が指摘している通り俺達の親密度が違う。
「おう、俺達愛し合ってるからな」
「ナァっ!?」
 ミーヤが可愛い顔で驚いてくれた。
 間違いました? と顔で問いかけると、当たり前だ! と思いっきり睨まれる。
 どうやら動揺で頭から日本語が吹っ飛んでしまったようで。
 うん、言葉よりこっちのほうが誤解なくコミュニケーション取れるかも。
 しかし、これって使えるんじゃないか? 思いついて、俺はミーヤの肩を抱――こうとして跳ね除けられたので、ちょいちょいと合図をして後ろを向かせる。
「ちょっとハーフタイム」
 綾菜が不審そうな顔をしたので、そちらを見てしばしの猶予を申請。
「よく分かんないけど分かった」
 物分りの良い姉で助かる。
 顔を寄せるとミーヤは嫌そうな顔をしたが、構わず囁く。
「……俺達、恋人同士って設定にしない?」
「ハァ!?」
 ミーヤにこういう声を出させる事に関しては、俺は世界一かもしれない。 できれば、もっと色っぽい声担当になりたいのだけれど。
 既にミーヤはアルファベットも忘れた様子で口をパクパクさせている。
「これからミーヤは綾菜を守っていく訳でしょ? だったらより近くで見張れたほうがいいに決まってるよね」
 しかし俺の言葉が続くうち、ミーヤの顔へと理性が舞い戻っていった。 そして、狩人の鋭い光が眼に宿る。
「俺と付き合ってるってことにしちゃえば、わざわざ約束しなくても教室に来れるし、俺ん家に来る理由だって出来ちゃうんだぜ」
 だがすぐに、その顔に憂鬱なブルーが上塗りされた。
 椎名雅。 千の顔を持つ少女である。
「デモ……」
「なんか反論ある? 生理的嫌悪以外で」
「キモチワルイ」
「それが生理的嫌悪ね。 はい決定」
 ざっくり切られた心の傷を押し隠すように、俺は強引に話をまとめた。 くるりと振り返り、綾菜に笑顔で告げる。
「俺達、付き合うことになりました!」
「え、何、脅迫!?」
「ちょっと待て、何だその反応」
 すると、なんかひどいリアクションを返された。 こいつまで……皆俺の事をなんだと思っているんだろう。
「大丈夫ミーヤ?」
 言いながら綾菜は、俺を無視しミーヤの手を取った。
 なして頬を染める、ミーヤ。
「弱みを握られたなら、私も大輔の秘密を教えるよ? 実はこいつ中学の時ビデオ……」
「やめろやめろやめろ!」
 続けて綾菜が喋ろうとしたことに気づき、俺は慌てて奴の口を塞いだ。
 それは例え俺がミーヤの盗撮写真を持ち、彼女の片パイぐらいを揉んでいたとしても等価交換は出来ない恥部だ。
 押さえた掌の下でなおも口が動く気配がするので、俺は慌ててミーヤに呼びかけた。
「ほ、本当だよねミーヤ!」
「アゥ、ア……」
 俺が必死な視線を送ると、ミーヤが押されたように何度もコクコクと首を縦に振る。
 それを見、綾菜の動きがようやく収まっていった。
「本当、なの?」
 手を離してやると、恐る恐るといった調子で綾菜はミーヤに問いかけた。 何故そこまで疑うのか。
「本当だよね、ミーヤ」
 ここぞとばかりに、ミーヤ側に回り込んで肩を組む。
 ミーヤは俺をキッと睨んだが、事情を思い出し渋々――。
「ハイ……」
 と頷いて唇を噛み締めた。 なんだろう、背中を未体験の感触が駆け上がる。
 さっきミーヤに嘘をついた時は確かに痛んだはずのこの胸が、今確かに弾んでいた。
『やっぱり脅迫じゃない』
『気持ち悪い顔してるわよ』
 ええい、人聞きの悪いことを言うな。 ミーヤには後でご褒美に、この綾菜の唾液で湿った右手を舐めさせてあげよう。
「そっかぁ、そういう不可思議な事もあるんだね」
 ついに、綾菜は納得したようでミーヤの手を離して呟いた。
「あ……」
 抗弁しようとしたのか、あるいは名残惜しかったのか。 ミーヤは空気をつかむように何度か指を動かした後、結局何も言わずに俯いた。
 なんか友達以上恋人未満の二人を引き裂いてしまったようで、それには少し心が痛む。
 でも同時に、暗い愉悦なんかも感じちゃったりなんだり。 俺にも、嗜虐モードとか陵辱モードなんてあったんだなぁ。
 ……いや、大丈夫。男の子には誰にでもついてるスイッチだ。 決して、俺が化け物だからじゃない。大丈夫だいじょうぶだいじょーぶ。
『何を落ち込んでるの?』
『いつもの下卑た顔に戻りなさい』
 自分に言い聞かせていると、双子が呆れた表情で言葉を投げかけてくる。 
 ……最近どうも不安定でいけない。 これが恋の痛みというやつだろうか。
「とにかく、まずは学校行こうか」
 しばらくは紳士でいよう。 そう心に決めて二人を促す。
 それに応じて、ミーヤと綾菜も再び歩き出した。
「ミーヤは大輔の、どこが気に入ったの?」
 歩き始めて、いきなりこの質問。
 女ってこういう質問好きだよなーというのほほんという感想より、あれ、コイツやっぱ俺がモテる要素なんて皆無だと思ってるんじゃね? という疑念のほうが浮かぶ。
「ハンサムな顔立ちだよね、ミーヤ」
「それなら私でも良いじゃん」
 俺が出来るだけハンサムにミーヤへと微笑みかけると、綾菜がミーヤを挟んだ反対側から即座に反論する。
 つうか実際お前のほうが良いんだ。 とは言えず俺はミーヤの答えを待つ。
 挟まれたミーヤは、左右と俺達の顔を見比べ、顔を伏せ唸り声を上げた。
 うわぁ、すっげぇ悩んでる。
 そして彼女は、二十歩ぐらい歩いた後、ぱっと顔を上げ言った。
「ありのままの私を、認めてくれるところ、カナ?」
「カナじゃないよ、可愛いな」
 小首を傾げるところとか超あざとい。 超可愛い。
「ミーヤは可愛いなー!」
 あ、先に抱きつかれた。 綾菜に飛びつかれ目を白黒させるミーヤを、苦笑しながら俺は見つめる。
 誤解されているが、というか、俺が意図的に騙してるんだけれど――。
 俺は別に、彼女のありのままなんて認めちゃいない。
 ちょっと変な腕を持っているけれど、所謂普通の女の子。 その評価は、彼女自身が抱えている理想の椎名雅の姿だ。
 悪いがそんな風には、俺は思えない。 そう考えるには、俺が俺自身を、ちょっと口が広がるだけの、普通の人間の男の子だなんて思い込めないとならないからだ。
 俺にはそんな事、不可能だ。 自分を無敵の化け物だと思い込むのと、同じぐらい。
 そんな中途半端な存在のまま、自分が化け物だという自覚は嫌というほど持っている。
「どしたの? 大輔」
 俺はミーヤをどんな表情で見ていたのだろう。
 不思議そうに、綾菜が問いかけた。
「いや、似てるなぁって」
 きっとミーヤも、それが自分のありのままだなんて、心の底では思ってはいない。
 彼女は知っている。 自分が化け物である事を明確に分かっている。 何故なら俺達が、未だに厳然として化け物だからだ。
 双子の言では、化け物は自分が思っているように進化するという。
 だったらきっと、自分が普通の人間だと思い込んでいれば、それが彼女のありのままになるはずである。
 しかし逆に、自分が化け物だという自覚が芽生えてしまえば、もう抜け出せない。
 化け物でありたくない。 人間になりたいと、そう願えば願うほど、きっと自分が化け物であると自覚してしまう。
 俺達は、化け物である事からは抜け出せない。
「似てる? アタシは大輔よりテクニシャンだよ」
 言いながら、綾菜がミーヤの豊満な胸をひと揉みした。
「ンッ」
 ミーヤの甘い声が、朝の爽やかな空気を染めた。 恋人の前で彼女を喘がせるとは良い度胸である。 だが綾菜の寝取りは、そこで終わった訳ではなかった。


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