息を整え、自宅の玄関を開ける。
 靴を脱いでただいまと声を出すが、居間の電気はついているのに返事が返ってこない。
 慌てて居間に飛び込むと、フローリングの床で綾菜が横たわっていた。
 ……大きないびきを掻きながら。
 脱力しながら、俺は双子の姉の顔を覗き込む。
「似てるかぁ? こんなアホ丸出しのが」
 口も開いてるし、何の悩みも無さそうな面してやがる。
 まったく、慌てて損した。
『そっくりじゃない』
『特に今』
 流石にここまでは緩みきってないと思いたい。 ……口の端から涎まで出てるし。
「オラ、起きろこんにゃろ」
 足でも良かったのだが、俺は一応しゃがみ込み、頬を手で叩いて起こしてやる。
「も、もうひゃくまんえん……うにゃうにゃ」
 ダメだ、こいつ札束で頬張られている夢見てる。 しかも悦んでいる。
 続いて頬を引っ張ってみる。
 バリッ。 ……とはいわないな、当たり前だ。 ていうか超伸びる。 実はゴム人間じゃないのか?
 手を離すとパチン、とは鳴らなかったがぷるん、と震えた。
 で、目のほうが、そういう玩具かのようにパチンと開く。
「あ、おかえり大輔」
 起きていたのかと思うほどに、綾菜ははっきりと俺を見る。
 その視線に、思わず背後を気にしてしまうが、綾菜に双子が見えている様子は無い。
「ううん、強大な権力に必死で抗う夢を見た」
「その割には、緩みきった寝顔だったぞ」
 ていうか絶対屈してた。
「ん〜、背中痛い」
「こんな所で寝るからだろ」
 なして居間の、しかもフローリングの上で寝るかこいつは。
 ……もしかして、俺を待っていたのか?
「ダメだ、眠い」
 などと思っていたが、綾菜はバッチリ目覚めていた瞳が一転、ふにゃりと締りの無い半眼になった。
「だいすけー、だっこー」
「やだよ重い」
 綾菜が幼女のような声をあげ、両手を伸ばしてくるが、俺は立ち上がって拒否した。
 何が悲しくて、実姉をお姫様抱っこせにゃならんのだ。
「じゃぁせめて手ぇ貸してー」
 なおも伸ばされる手。
 ……ミーヤの話が本当なら、こいつは色んな化け物を告発し、殺させてきた占い師、ということになる。 言うなれば、俺の天敵だ。
 それでも、俺は綾菜の手を取った。
「よっ……と」
「あんがと」
 引っ張りあげると、本気で眠いらしく、綾菜が足を頼りなくふらつかせた。
「お前がこうやってデブになってくれれば、見分けもつくから俺もありがたいな」
 肩を抑えて支えてやりながら、照れ隠しにそう茶化してやる。
「バストとヒップが大きくなったんですー」
 それに対して、綾菜は恥ずかしげも無く堂々と大胆な嘘をついた。
 大きくなっているのは胸と尻ではなく、その肝っ玉じゃなかろうか。
「はいはい」
 色々悩んでいたのがバカらしくなってくる。 俺は背中を向け、部屋に戻ろうとした。
「ていうか重くなんてなってないぞこのやろー」
 が、その背中にいきなり衝撃が走った。 物理的な意味で。
 俺の背中に、綾菜が突然寄りかかった所為である。
「ね?」
 耳の裏に息が吹きかけられ、体が縮み上がる。
 俺が縮まされてどうする。 コイツより小さくなるなんて絶対にゴメンだ。
 振りほどこうと思ったが、先に綾菜の腕が俺の首に巻きついていた。
「軽さを、アピールするなら、もうちょっと、自分で立つ努力を……」
 俺は綾菜をひきずりながら、階段前まで這うように歩く。 体を押し付けられている状態なので、普通ならふくらみやらを堪能できるシチュエーションなのだが、コイツの場合はそれが無い。
 しかし、男の俺と比べれば、やっぱり柔らかいもんなんだよな。 もちろんいやらしい意味ではなく、男女の性差を確認しただけだ。
 と、後ろで何やらもぞもぞと動く気配がする。
 俺はそれを察知すると、両手を下げ、腰を屈めた。
「よいしょっ」
 予想通り、綾菜がおぶさってきた。
 巻きつけられた足を、手でホールドする。
「お前なぁ……」
「あのまま上がるとあぶないじゃん?」
「ソロでやってくって選択肢は無いのかよ」
 文句言いながら、階段を登っていく俺。
「大輔、今の私達、まるで……」
「あぁ?」
「エティンみたいだね」
「……何それ」
「双頭の怪物」
「もうちょっとこう、ロマンチックな例えは無いのか?」
「幻獣だよ? 正確には人怪だっけ?」
「そういうことじゃなくて……」
 大体、怪物――化け物なのは片一方のほうだ。
 もう一方はそれを燻りだす役目。 一塊の生物じゃまずいだろう。
 俺がそんなふうに考えていると。
「特徴的な女の子の匂いがする」
 綾菜が急に、そんな事を言い出した。
「に、匂いがうつる様な事は出来てないぞ!」
 もとい、していない。 一緒に食ったハンバーガーの匂いなら漂ってるかもしれないが、どうやっても女の子の匂いとは……って。
「あぁ、本当に女の子と会ってたんだ」
 本当に意外そうに、綾菜が声をあげた。
「カマかけかよ!」
 振り向きたかったが、バランスを崩しそうなのでやめた。
 つうか、階段を踏み外しそうになったわ。 一蓮托生ってのを忘れてないか、こいつ?
 綾菜は、見なくても分かる、多分ニヤけ顔でふぅ〜んと何かを察した声を上げ。
「大輔もそうやって大人になっちゃうんだねぇ」
 と、セクハラ紛いの事を言った。
「だから、それはお前の勘違いで……」
 弁明しようとする俺。 しかしその後ろで、綾菜がふぅと短く息を吐いた。
 それがうなじをくすぐり、またしてもバランスを崩しかける。
 俺は、弁明を抗議に切り替えようとした。 すると――。
「ま、私達も、いつまでも一緒ではいられないからね」
 綾菜は、あっさりと、しかしどこか寂しげで、何か自嘲めいた口調で、そう言った。
 そこに含まれたのはそのどれか一つか、あるいはどれでもない物だったかもしれない。
 今度は、彼女がどんな顔でそれを言ったのか、分からなかった。
 足場は不安定だ。 この姿勢のまま、後ろは振り向けない。 平素でも、振り向けたかどうか分からないが。
「ここでいいよ」
 階段を上がりきったところで、綾菜がそう言った。
「添い寝まで要求されなくて、安心した」
 ゆっくりと太腿に回していた手を離すと、、綾菜が足をふらつかせてから、壁に手をつけるようにして地面に降り立つ。
「何時までも私の乳に頼ってないで自立しなさい、大輔」
 俺が手を貸そうとしたのを見て取って、綾菜がわざと無い胸を張っておどけた。
「さっきまで自分の足で立ってなかった奴が、何を言うか」
 言い返しながらも、俺の薄い胸にはその言葉が刺さる。
 俺は、こいつの真似をしてこの顔、そして今の立ち振る舞いを身につけたのだ。 自立は、確かに未だにしていないのかもしれない。
「それじゃ」
 俺の言葉に微笑んで、綾菜は部屋に戻った。
 あいつが疲れた様子なのは、雅の言っていた深夜の調査が原因なのかもしれない。
 双子が黙ったままなのも少し気になったが、短い一蓮托生を終えた俺も部屋に戻った。

 それから風呂に入って、ハンバーガーの匂いのする歯を磨いて、布団を被って五分。
 俺は起き上がると、テレビをつけ、即座に音声を消した。 昔、テレビでエロい番組を見る為に行った手順なので、実にスムーズである。
『何してるの?』
『ムラムラでもしてきた?』
 表情まで中学生当時に戻っていたとでもいうのだろうか。 双子が両の肩に顎を乗せる形に現れ、俺に囁きかける。
 つうかパソコンのない中学生のエロ事情に、何でこいつらが精通しているんだろう。
「……ちょっと今日の出来事がフラッシュバックして」
 ミーヤとの逢瀬で薄れていたあの、蛇と蔦が絡み合う光景が、今になって蘇ってくる。
 ついでに破裂する蛇、常識外の動きをするミーヤもだ。
 俺はゲーム機の電源も入れ、コントローラーを握った。 
 入っていたのは格闘ゲームだ。 綾菜と対戦してボコボコになった記憶が真新しい。
「俺はゲーム脳になりたい」
 俺の操るキャラクターが、CPUの超必殺にやられて破裂した。
 しかし、次のラウンドでは何事もなかったかのように起き上がり、また戦っている。 その姿は、まるであの蛇だ。
「現実とか投げ捨てて、妄想で生きれば良いんだ」
 自分に言い聞かせるように、俺は呟いた。 蛇は、そんな風に生きているんだろうか。
 そんな奴が、人間に紛れて暮らしていけるのか? 俺は、そんな風になれるか?
「ま、無理だわ、そりゃ」
 俺はすぐ飽きて、ゲームの電源を切った。 こう思っているうちは無理だろう。
「せめて死なない範囲が分かればな」
『範囲も何も』
『決めるのは貴方よ』
「それが出来ないから、困ってるんだろ」
 例えばRPGでも中盤辺りで、世界が広がりどこへ行っても良いとなると、ひどく困る。
 頼るべき指針、普通の人間ならここでどうするかが分からないと、不安なのだ。
 双子は俺が綾菜に憧れて、この顔になったと言っていた。 
 まぁ、間違ってはいないのだろうが、俺が真似ているのは綾菜だけではない。 
 俺はきっと人間の模範的な行動、ニュートラルな考えを目指して生きてきたのだ。
 奇行が目立つ時もあるかもしれないが、それはあくまで口を隠す為でであって……。
「俺は常識人なんだ。 いきなり完全無欠の化け物になれって言われても困るっての」
『自分の体って言う現実は見えてないのに』
『そもそも人じゃないじゃない』
 ベッドに倒れこむと、スプリングがギィッと音を立てきしむ。
 こいつらは、本当に人間という言葉に敏感だ。 逆にそうでもしないと、この非常識な体を保ってはいられないのだろうか。
 ……こいつらは多分、相当死に難いのだろう。 触れられないし、今のところ食事もしていないし。
 自分が願ったからこそ、この姿になったのだと双子は言っていた。 
 それがどんな事情かは知らない。 だが自らの体を明確に化け物だと認識して、何にでもなれると信じ込んで、こうなったんだろう。
 信じて、それが叶う。 言葉の響きだけなら、素晴らしい事だと思う。
 しかしだ。 本当に代償は無いのか? タダほど高いものは無いというではないか。
 例えば猿の手。 本人の願いを歪めて叶えてしまうという、意地の悪い話。
 俺の考える事なんて、適当で、曖昧で、言語にすらなっていない事も多い。
 実際、俺は口が裂けて欲しいなんて、願った事は、ない。
 俺が冗談か何かで言った事を、誰かが拡大解釈して、間違った風に実現させたのではないのだろうか。
 誰か? 誰かが。
『そうね、一つ指標はあるわ』
『貴方、今まで大きな怪我をしたことは?』
 長い思索に入りかけた俺を、双子の言葉が引き戻した。
 俺は口の端に垂れていた涎を、枕で拭う。
「ええと……」
 双子の問いかけに、俺は仰向けになって思い出そうとした。
 怪我……思い返すが、大きな負傷に繋がるような事件、事故に遭った覚えが無い。
 何かの拍子に顔の皮が破れる事を避ける為、喧嘩なんかも気を使って避けてきたし。
「あんまり無いな、そういうの」
『それじゃ、小さいのでも良いわ』『出来れば最近で』
「最近だと……昨日、ミーヤに投げられてコンクリに叩きつけられた」
『何やってるの、貴方』
『投げられたって事は、どこか打ったでしょ?』
「背中ぶつけたけど……、そういや何で無事なのって皆に言われたな」
 あまり痛くも無かった。 アレは受身で消力が成功したからだと思っていたのだが。
『じゃぁそこは化け物』
 違うのか。 俺が、化け物だからなのか。
「その時手をすりむいた」
『じゃぁそこは人間』
 そして、人間。  俺にも人間な部分があるらしい。 じっと手を見る。
『便宜上人間と変わらないって言っただけで』
『貴方は立派に化け物なんだからね』
 だが、双子がすぐに釘を刺す。
 こいつらは、俺を一瞬でも喜ばせないという職業についていらっしゃるんでしょうか。 どっから給料もらってるんだ?
「分ぁってるよ」
 しぶしぶ俺がそう答えると、双子は満足そうに頷いた。
『よろしい』
『まぁ、手足は人間風味って事でいいんじゃない?』
 それから、何のフォローだかそう付け加える。
 俺だって、別に浮かれてた訳じゃない。 手足が人間だろうと、頭と胴が化け物なら、そりゃ間違いなく化け物だ。
 割合の問題ではない。 体のほんの一部分でも、人にあり得ない器官が人のフリをしていれば、それは。
 例えば、それが右腕の先だけだったとしても、それは……。
「ミーヤもきっと……」
 彼女もきっと、自分が化け物であるという確信に近い不安を抱えているはずだ。
 それを、自分を化け物を殺す正義の狩人と思い込むことで誤魔化している。
 俺達は自分で作ったルールに縛られて、自分を追い詰めている。
「何にでもなれるってのに、難儀だな」
 呟いて、俺はベッドに戻った。


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