メイドさん大王
必殺! レッドマン殺法!
ゆっくりとバウバウさんに話しかける百瀬さん。
軽く挑発したようだが、バウバウさんはもう彼女を襲うことを決めているためか、動じない。
バウバウさんの反応がないことを確かめてから、百瀬さんは言葉を続けた。
「私のほうは準備が整いましたので、いつでもどうぞ」
「…そこのボンボンは、その位置にいると巻き込むぞ。 ついでに言えば、顔を殴らない保証もない」
「あ、あのぅ、もうボンボンじゃないんですけど…」
「職務中はギィと言え!」
「ギ、ギィ」
静かに訂正しようとしたが、逆に怒られてしまった。
それにしても、バウバウさんが僕の心配をしてくれるなんて。
意外であるとともに嬉しい。
って、嬉しがってる場合じゃない。
バウバウさんの言うとおり、今の百瀬さんはヘルメットをつけずに素顔をさらしているのだ。
「そうだよ百瀬さん。 とりあえずヘルメットだけでもつけておいたほうが…」
「いえ、平気です」
ヘルメットだけでもと僕は百瀬さんに呼びかけたが、彼女はやんわりとそれを拒否した。
「お犬さんが平助さんに被害を及ぼすこともありませんから、そこでゆっくりとしていてください」
挑発なのか、それともこの機械に余程の信頼を置いているのか。
百瀬さんはそう言いきると、こちらに微笑みかけた。
「お犬さんが片付いたら、ゆっくりお話の続きをしましょうね」
「キサマァ!」
受け流すのも我慢の限界とばかりにバウバウさんが吼え、こちらに向かって一直線に駆けてくる。
が。
「まぁ、実を言えばもう片付いているんですけれど」
百瀬さんは言うとともに、右手の中指を軽く折り曲げる。
すると連動するように、走っていたバウバウさんの体が極端な前傾姿勢になった。
まるで鎖で引かれた犬だ。
「あれ?」
「なっ!」
しかも、前方に走っていると言うのにその透明な牽引力は緩まることが無い。
僕が疑問の声を上げ、バウバウさんが驚愕の声を上げたときには、彼の体は既に四つんばいになっていた。
そのままの姿で走るバウバウさんの姿はまるで…。
「ふふっ、犬そのままですね」
「ぐぐっ」
微笑み…というか愉悦の表情を浮かべる百瀬さん。
「Sだな」
「Sですね」
ぼそりとそんな密談を交わす赤星兄弟。
まぁ、同意だけど…。
「何を今更」
翔子ちゃんはとっくに気付いていたらしい。
ヘルメットを脱ぎ、呆れた目で彼等を見る。
「ぬぅぅ!」
このまま引きずられ続けるのはまずいと判断したのか、バウバウさんが手と足の爪を立てて、その引力に抵抗した。
「うふふっ、お散歩は嫌ですか?」
「だ、黙れ!」
更なる侮辱の言葉を受け、バウバウさんの声が震える。
確かに今の彼は、散歩を嫌がっている犬のように見えた。
「って、どうなってるの? アレ」
余裕を保っている様子の百瀬さんに呼びかけてみる。
すると彼女は顔をバウバウさんに向けたまま、呟く。
「Bパーツ…」
「うん…。 さっき翔子ちゃんがそう言ってたけど」
「今私たちが身につけているこのスーツ、これがAパーツです」
「二番目だからBパーツ?」
「ええ、そうですね。 ただ、翔子さんは語呂合わせでAパーツをアーマーパーツと呼んでいるようですが」
…翔子ちゃんらしいなぁ。
「そしてこれがBパーツ。 翔子さん曰くブレイクパーツです」
「ブレイク…」
「スーツの内部燃料を消耗させる代わりに必殺の一撃を放つ…。 とてもヒーローらしい代物ですね」
「つまり、必殺技だね」
「はい。 Bパーツは5人それぞれ違う物が用意されています。 例えば私の場合は、このワイヤー」
「って、ワイヤー?」
百瀬さんとバウバウさんの間を見るが、そんなものは見えない。
「この糸は凄く細い上、特殊な素材だそうです。 肉眼では中々見えないと思いますよ」
開いた左手で、百瀬さんは繋がったワイヤーを引っ張る仕草をしてみせる。
「それならば!」
話を聞いていたバウバウさんが、同じように手探りでワイヤーを探し出し、思いっきり引っ張る。
だが。
「無駄ですよ」
繋がれているはずの百瀬さんはピクリとも動かない。
「ワイヤーが相手から引かれると、その強さを検知してその分自動で伸びてしまうんです。 つまり…」
くいっと百瀬さんが右手を引くと、バウバウさんは耐え切れなくなり、地面に突っ伏した。
「そちら側から何をやっても駄目だと言うことです。 こちらからは伸縮自在ですが」
あぁ、また百瀬さんが楽しそうに笑ってる。
「い、いつの間にそんなのくっつけたの?」
「最初に腕を振ったときです。 Joiningってなったでしょう?」
百瀬さんが機械を装着して腕を振ったとき、確かに音が鳴った。
接続って、つまりこのワイヤーがバウバウさんと繋がったことを示すサインだったのか…。
詐欺ともいえることをニコニコと解説する百瀬さん。
「くそっ! だが、考えてみれば、近づくのに何の支障も無い!!」
再び立ち上がったバウバウさんは、百瀬さんに向かって突進を再開する。
「思いの他判断が遅いんですね。 それも怪人になった代償ですか?」
「黙れ!」
バウバウさんが叫び、あと十数歩で百瀬さんに襲いかかれる距離まで迫ってきた。
しかし。
「いやん」
気が抜けるような声を出す百瀬さん。
その声とともに、彼女は手のひらを軽く振る。
「うおぉ!」
すると、連動してバウバウさんの体が大きく傾いだ。
「えい」
今度は腕自体を内側に。
バウバウさんは完全にバランスを崩し、勢いよく地面を転がった。
それを見ながら、百瀬さんは人差し指をバウバウさんのほうへ向けてクルクルと回していた。
「何やってるの?」
「最後の仕上げです」
言いながら、差し出していた人差し指を勢い良く握りこんで、彼女はこちらを向いた。
そんな悠長なことをやっている暇があるのか。
一回転ばせたからといって、この距離ならバウバウさんはすぐに立ち上がってこちらに攻撃してくるだろう。
身構えるとともにバウバウさんの様子を見る。
が、3秒、5秒経ってもバウバウさんが立ち上がる気配が無い。
仰向けになりながら手足を真っ直ぐに伸ばし、気をつけのような姿勢を保っている。
やがて体の動きの代わりに彼の呻き声が聞こえ始めた。
「一応確認しますが、動けませんよね?」
「貴様、何をした!?」
「私が先に質問したんですけれど…。 まぁ、答えは分かったので良しとしましょう」
百瀬さんは困ったような笑顔をすると、言葉とともに人差し指をくいっと引く。
すると、自動的にバウバウさんの体がごろんとうつ伏せになった。
彼の尻尾は、縛られたかのように体にぴたりと張り付いている。
…いや、あれは実際に縛られているのだろう。
「私がしたのは、糸を伸ばすことだけです」
あの、人差し指をくるくるとした動作がそうなのだろう。
彼女の言い分からすれば、その伸ばした糸にバウバウさんが勝手に転がってからまったということになる。
「明らかに結果が分かっててやった行為だよなぁ、アレ」
「それでも悪気が無かったと言い切っちゃうのが凄いですよねぇ…」
赤星兄弟が言葉を交わすが、声をひそめている様子も無い。
まぁ、聞こえたからって百瀬さんが傷ついたりするとも思えないけど。
「ぐぅ、ぬうぅぅ!!」
バウバウさんは何とか脱出しようともがくが、ワイヤーの拘束から逃れることは出来なかった。
「設定を変えましたから、引っ張っても数ミリしか伸びませんよ。 ついでに、伸びたワイヤーは戻るときに少しだけ元の長さより縮まるようにしておきました」
「て、ことは…」
「あまり暴れられると、肉…場合によっては骨まで食い込んでしまいます。 でも、首が絞まるほうが先ですね」
恐ろしいことを、描写するまでも無く笑顔で話す百瀬さん。
「ぐくぅ、ぐ、ぬぅぅ…!」
話が聞こえていないわけでもないだろうに、バウバウさんはこちらを睨んだまま抵抗をやめない。
「ちょ、ちょっと、あれじゃバウバウさんが死んじゃうでしょ!?」
「必殺技ですから」
「いや、いやいやいや、確かに物凄く確実な殺害方法だけど、必殺技っていうのはそういう意味じゃなくて…いや、意味はあってるのか…いやいや」
「落ち着け平助」
「落ち着いてられないよ!」
健ちゃんが冷静に諭すが、僕は聞いていられない。
「とにかくそれやめてよ!」
「今やめたら、私が大変なことされちゃいます」
「え、や、それはそうだけど…」
「バウバウはど外道怪人の異名を持っていたりしないでもないですから、捕まったら子供の二人や三人じゃすまないっぽいですよー」
「そういう危険性なの!?」
「だれがそんなことをするか! 貴様も信じるな!!」
バウバウさんが抗議。 っていうかフワフワさんもそんなのんびりしてないで、バウバウさんを助けたりしないのか。
「犬の旦那もそろそろ抵抗やめなよ。 今度は俺とかが真面目に相手するからさぁ」
「ぐぅ、舐めるな、舐めるな! 心音様を馬鹿にされて、このままおめおめと帰れるか!!」
吼えるバウバウさん。
転がされている姿でも、その態度は立派だ。
「…見上げた忠誠心ですね」
バウバウさんを褒めながらも、百瀬さんは糸を緩めたりはしない。
代わりに横目で流すように、僕にゾクリとするような笑みを送る。
「きっとああいう方が、組織には溢れていらっしゃるのでしょうね」
多分この表情の意味が、バウバウさんへの尊敬ではないことは確かだろう。
一番考えやすいのは、僕へのあてつけか…。
心音に養ってもらっているにもかかわらず、こうやって敵と仲良くなんかしてる。
見られていることに耐えられず、僕は百瀬さんから顔を逸らした。
クスリと含み笑いをもらしてから、百瀬さんはポツリ。
「まぁ、この場所ではそういうものは逆に仇になりますし、人選ミスですね」
「人選ミスって…」
確かにバウバウさんは、あんな風に抵抗してるから大変な目にあってるけど、でもそれが人選ミス?
あっちでのんびりしているフワフワさんの方が適任だとでも言うのだろうか。
「あの〜。 バウバウもそろそろ反省したと思ったりするので、その辺で楽にしていただけたりしないでしょうか」
控えめなフワフワさんの提案。
それを受けて、翔子ちゃんが声を発した。
「瑪瑙。 私にもBパーツ」
「あ、はい」
更にそれを受けて、瑪瑙ちゃんがケースを漁る。
「ま、まだ何かするの!?」
「しょうがないでしょう。 そいつ意識でも無くさなきゃ諦めないわよ」
「先輩、どうぞ」
言いながら、翔子ちゃんは瑪瑙ちゃんから何かを受け取る。
「…長靴?」
「ブーツって言いなさいよ。 格好悪いわね」
翔子ちゃんの言うとおり訂正するなら、それはゴテゴテと装飾のついた、しかし装飾美も何もないような、ブーツだった。
彼女が右足を通す。
そしてかかとを踏み締めた。
ピピッ。
『―Connect』
それがスイッチだったのか。
百瀬さんのときと同じ電子音が響いた。
「と、とにかく手加減してね!」
「足だけどな」
「保障は出来ないけど、百瀬がやるよりゃマシでしょ!」
「あ、うん…」
思わず頷いてしまった。
慌てて百瀬さんを見るが、彼女の表情に変化はない。
良かった。 怒ってない…。
「うぐっ!」
安心しかけた僕だったが、百瀬さんがいきなりくいっと人差し指を引いた。
連動してバウバウさんが呻く。
「ちょっと百瀬さん!?」
「サポートですよ。 翔子さんの」
いや、あの状態のバウバウさん相手に、サポートも何もあったもんじゃないだろう。
絶対怒ってる…。
そして、言ってる間にも翔子ちゃんは歩きでバウバウさんの元へとたどり着いていた。
「私だって苛めたい訳じゃないから、大人しく引くならやめるけど?」
バウバウさんを見下ろしながら、翔子ちゃんが最後通告を発する。
「俺に降伏などという選択肢は無い!」
「あっ、そう」
呆れたようにため息をついた翔子ちゃんが、ヘルメットを被り直し、その足を持ち上げた。
ピッ。
『―Destroy』
電子音が鳴る。
「ですとろいってなんですか?」
「ええと、破壊するとか滅ぼすとか殺すとかいう意味です…。 希望などを砕くとか言う意味にも使われます…」
「何する気!? 翔子ちゃん!」
僕が抗議するより早く、翔子ちゃんが全体重を右足にかけて踏み下ろした。
それがバウバウさんに触れるとともに同時に爆発。
「ガウアアアアアアアアア!!」
バウバウさんの断末魔。
爆風が吹き荒れ、爆炎が翔子ちゃんをも巻き込んだ。
「って、自分まで!?」
必殺技に自分が巻き込まれてどうするんだ。
訳が分からず僕は著しく混乱したが、周りのみんなは冷静だった。
「あれくらいの爆発なら、特に問題はありませんよ」
「翔子なら、素でも大丈夫そうだけどな」
いや、それは流石に酷いでしょ、健ちゃん。
心の中で健ちゃんにツッコミを入れる。
でも確かに、翔子ちゃんはあれより凄い心音の猛攻に耐えてたし…。
ヘルメットを被ったのはあれの為か。
「バウバウにも効果は薄いっぽい感じですね〜。 頑丈さが取り柄の男っぽさを出してる感じですし」
「だったら、あれって何のためなの?」
「演出だそうですよ」
「え、演出…」
特撮ヒーローのお約束って奴だろうか…。
そのためだけにあんな火薬を使うのか。
確かに必殺技をくらった直後の怪人って爆発するけど、ヒーローが巻き込まれるって言うのはあんまりないよなぁ。
やがて、煙が晴れて翔子ちゃん達の姿がはっきりとする。
みんなが言ったとおり、翔子ちゃんはバウバウさんの上に足を乗せたまま平然としていた。
対するバウバウさんは…。
「う、うぅ…心音様…」
良かった。 ちゃんと生きてる。
しかもその銀毛は炎で縮れてさえいない。
でも。翔子ちゃんの蹴りはやたらと効いてるみたいだ。
うわ言を繰り返している。
「良いから寝てなさい」
ガンッ。
が、翔子ちゃんが止めの一発をバウバウさんの脳天に食らわす。
バウバウさんは意識を失い、今度こそ完全に倒された。
「うわっ、翔子ちゃん!?」
でも、この展開昔見たなぁ…。
「なんか、犬の旦那に親近感が沸いてきた…」
健ちゃんががくがくと震えている。
健ちゃんも…色々な目にあってるし共感できるところが多いのかもしれない。
…でも、嫌なシンパシーだ。
もっと嫌なのは、僕もまた共感できるところだったりするわけで。
「それで、そこにいる毛玉の方はどうしますか?」
百瀬さんが手の甲の機械を操作すると、シュルシュルと何かが擦れるような音がした。
たぶんバウバウさんに巻きつけていた糸を回収しているのだろう。
「あー、降参っぽいことをしますー」
「敵の怪人が降参するな!」
毛玉の方こと、フワフワさんはそう言ったが、翔子ちゃんは気に入らないようだった。
派手なことをして、テンションが上がっている所為かもしれない。
「では、戦略的な撤退をしようかと思いつきましたがどうでしょう?」
「…まぁ、それなら良いわ」
言い方を変えると翔子ちゃんは引き下がる。
相手に見逃してもらうことが前提なんだから、本当に言い方だけだ。
でも翔子ちゃん的にはOKらしい。
派手なことをして、ある程度ストレスが解消できた所為かもしれない。
…僕も酷いことを言っているだろうか。
「それでは、後のことは救護班に任せたりなんかしてみようかなと思います」
言って、フワフワさんは戦場を去っていく。
ここを出ればすぐに基地への秘密通路があるので、あの姿を晒したままでも大丈夫だろう。
「…それじゃぁ僕も」
立ち上がって、ほこりを払う。
ちなみに救護班というのは、気絶した戦闘員さん達をアジトまで運び、手当てをする係だ。
とはいえ、いつも翔子ちゃんたちの殴り方が良いのか、今までに長期にわたる怪我を負った人はいない。
実質運び込むまでが彼等のおもな仕事で、僕もよくお世話になっている。
戦闘員で一人だけ残ったなんて言ったら、みんなに変な目で見られるんだろうなぁ。
うぅ、憂鬱だ。
「じゃぁね、百瀬さん」
まぁ、こうやって話したりしてる場面を見られるほうがまずいし、とっとと帰ってしまおう。
僕は百瀬さんに挨拶をしてから、ふらふらと基地へ戻ることにした。
「平助さん。 もう少しだけお話をしませんか?」
だが、百瀬さんに背を向けたタイミングで、彼女自身から僕を呼び止める声がかかる。
「え…」
「心音さんのことで」
足を止めて、僕は逡巡した。
さっき途中で終わった話。
あれは多分、良くない話だ。
心音にとってか、それとも僕にとってか、もしくは僕達の関係にとってか。
分からないけど、良くない話だ。
「うん、ちょっとだけなら…」
「ありがとうございます」
「さっき僕が話してくれって言ったんだしね」
だけど、良くない話だからって耳をふさいで良いわけもないだろう。
心音が僕の為に何か悪いことをしているというなら、僕はそれを聞いて…。
あ、いや、悪いことをしてるっていうのは当たり前なんだろうけど。
悪の組織だし。
でも僕は…どうするんだ?
僕が止めたからって、心音は聞いてくれるんだろうか。
「やっぱり、ご都合が悪いですか?」
「あ、いや、そういう訳じゃないんだ」
「心音さんなら平気ですよ。 このぐらいなら大目に見てくれるでしょう」
「このぐらいって…時間のこと?」
「何事も、ですよ。 メイドさんは平助さんに甘いですから」
「そうかなぁ…」
言われて、心音の言動やらを思い出す。
心音が過保護なのは、まぁ、確かにそうだ。
…養ってもらってるし、保護で正しいはず。
それは置いておくとして、例えば心音は食事のマナーには厳しい。
後は身だしなみとか、そのほか僕の立ち振る舞いについて。
「うーん。 確かに甘やかされてるとは思うけど、何事もってわけじゃないよ」
「でも、厳しくするにしても、それは平助さんが本気で嫌がれば止めてしまうと思いますよ」
「そういうものかなぁ」
それなら心音は、僕が土下座して悪の組織なんてやめてくれと言えば、やめてくれるだろうか。
やめて、今度は正義の組織とか。
いいかも。
そんな妄想を広げていると。
「平助さんが頼めば、どんな事だってしてくれますし」
「ど、どんなことでもって…」
百瀬さんの一言で、妄想が変な方向へ急カーブする。
…まぁ、どんな方向かは、ともかくとして。
「何で顔赤くしてんのよ!」
「平助エロいぞー」
だが、脇に追いやろうとした妄想は、こちらに向かってくる翔子ちゃんと健ちゃんに見事掴まれる。
「まぁまぁ、平助さんも立派な男の子ですし」
「お前にそれ言われると、余計平助の立場が無くなるぞ」
実際、遠巻きの悠二君の慰めは僕を惨めにしただけだった。
「あ、あの、私もそういうのは平気ですから!」
「あんたも何のアピールよ」
「ご、ごめんなさい!」
瑪瑙ちゃんが、励ましているのかもよく分からないセリフをかけて、セットのように謝る。
もう、何がなにやら。
「実際に、平助さんは既に沢山のことを許されていると思いますし」
「え、沢山って…」
「例えば、こうやって私たちと会う事」
…言われてみればそうだ。
しかしそれよりも、なんだか不自然さのほうが目立つ。
意外だ。
百瀬さんが心音を褒めるだなんて。
あ、いや、別に今までだってけなしてたって訳じゃないけど。
「まぁ、友達だし」
「でも、平助さんは心音さんの大切なご主人様でしょう?」
「まぁ…一応は」
「大王様のご主人様。 ひいてはメイドさんの行動目的。 いわば組織の要ですよね」
「そういう事に、なるのかなぁ?」
「その重要人物を、知人とは言え敵の前に放り出すんですから」
「ほ、放り出すって!」
「甘い。 と、思いませんか?」
彼女の言葉の響きに、一瞬、空気が凍った気がした。
彼女自身の口調にも、鋭いものが混じった感がある。
「実際に、相当見合わないことですよ。 益を探すほうが難しいほど」
「だ、だけど、翔子ちゃんだって健ちゃんだって別に危険は…」
「あ、今私のことは怖いと思いました?」
おどけた口調で、百瀬さんが僕の揚げ足を取る。
「そう言うことじゃないよ! 百瀬さんだって僕の…その、友達でしょ」
その言葉に、僕は慌てて訂正した。 後半部分で一瞬言葉に詰ってしまったことに、気恥ずかしくなる。
百瀬さんの顔が直視できない。
だが、その僕の様子を見て、百瀬さんが口の端を持ち上げた気がした。
今度は、何の笑いだろうか。
僕の仕草が、そんなに滑稽だったのだろうか。
それとも、この言葉がか。
「ふふふ…。 そう、ですね。 またお友達から始めましょうか」
「え?」
百瀬さんの不可解な言葉に顔を上げると、彼女は僕の目の前で手のひらを振った。
『―Joining』
電子音声が間近で聞こえる。
「えっ、えぇ!?」
これは、さっきの、バウバウさんを捕縛したときの音だ。
そのまま百瀬さんは指をくるくると回す。
なにかが体に撒きついてくる感触…。
認識を追っているうちに、僕の体は強制的に気をつけの姿勢を取らされていた。
「平助さんは予想しませんでしたか? こういう展開」
「ちょっ、何してんのよ百瀬!」
こちらに合流した翔子ちゃんが驚きの声を上げる。
足を揃えさせられた所為で転びそうになるが、百瀬さんが細い糸で支えているらしく、僕は立ったままの姿勢で、頭を混乱させる羽目になった。
倒れたほうがマシ…という訳ではないけれど。
百瀬さんは翔子ちゃんを無視するように僕の後ろに回りこむと、両手を僕の肩に置いた。
「き、聞きなさいよ!」
枝垂れかかるように、体を寄せてくる。
その感触に僕がドキドキしていると、彼女はそのまま置いた手の上、つまりは僕の肩の上に頭を乗せた。
「メイドさんは想定はしていたみたいですけれど。 …余程怖かったんですね」
百瀬さんの髪の感触が、頬を滑る。
百瀬さんが吐いたため息が、耳の奥へ忍び込み、体が震えた。
「こ、怖いって、百瀬さんが?」
唯一自由になる首を回して、百瀬さんを見る。
上目遣いの百瀬さんとばっちり目が合い、慌てて元に戻す羽目になったが。
「違いますよ」
百瀬さんの控えめな笑い声が、耳たぶに響く。
「あー! もう、どうでも良いから離れなさいよ!!」
業を煮やした翔子ちゃんが、僕に手を伸ばす。
その前に。
「メイドさんが怖いのは、平助さんです」
とろりと、耳が内側から溶けたような感覚に落ちる。
耳を溶かした言葉が脳に染み渡った。
そしてそれがどういう意味か考える前に、百瀬さんの放った鮮やかな手刀によって、僕の意識は刈り取られた。