メイドさん大王
神田川密会
「凄いよなぁ、おばちゃん」
「凄いよねぇ」
隣で湯船に浸かっているパララ君とともに頷き合う。
あれから、怪人さんの一斉突撃で地獄を見た僕だったが、彼らの突撃は突然闖入したおばちゃんの一喝によって防がれた。
さすがはおばちゃんだ。
怪人さんたちがあれだけ我を失っていたのに、それを叱ってたたき出すなんて。
戦闘力は計り知れない。
その結果、今の男湯は僕とパララ君の貸し切りになっていた。
良いのかなぁ。
ていうか、また恨みを買いそうだ…。
とりあえず湯船を出る。
「お、平しゃん上がる?」
「ううん。 もうちょっとゆっくりするよ」
言って、僕はタオルを腰に巻いて浴槽に腰掛けた。
「貸切だもんなー。 楽しまないと損さね」
「いや、そういうわけじゃなくて心音が…」
隣の女湯からは、未だに姦しい声が響いている。
漢字通り、女性怪人さん達が騒いでいるらしい。
あぁ、でも女湯はバイトの子も結構来てるんだっけ。
男子と共同の溜まり場では話せない話を、あちらでするのが主な目的らしい。
後は、心音を間近で見れるチャンスということでもあるとか。
う、なんかさっきのポルルちゃんの実況が蘇ってきた…。
「つーことはアレか。 一緒に出るとか。 って、水風呂かい?」
「あ、う、うん。 ちょっとのぼせちゃって」
僕はタオルを押さえながら、通常の湯船に隣接した水風呂に浸かる。
「一緒に出るなら、声かければいいじゃん」
「えーと、それをすると色々問題があるんだ」
「あー、周りの怪人ちゃん達がうるさいとか?」
「それも有るけど…」
「あるけど?」
「心音が、嫌がるんだ」
「意外だねぇ。 姐さんが平しゃんのすること嫌がるなんて」
「心音だって、絶対服従ってわけじゃないんだから…」
「さっき、平ちゃんの為なら脱ぐとか言ってなかったっけ?」
「う、それは…」
さっきの心音の言葉が、頭の中で繰り返される。
…とにかく水風呂でやり過ごそう。
「まぁ、一緒に出ようって言っても断られないだろうけど、心音は僕より先に出たいらしいんだ」
「なんでさ?」
「ご主人様を待たせるなど、メイドとして言語道断…とかなんとか」
一緒に湯船を上がると、心音のほうが着替えなどにどうしても時間がかかる。
ついでに、彼女の都合で僕の行動が制限されるというのも嫌らしい。
そんなわけで僕は、彼女と一緒に銭湯に入るときはこうして時間を稼ぐことにしているのだ。
ちなみに心音は普段も長風呂。
入浴自体が好きみたいだ。
だからこそあまり急かすようにはしたくない。
「ほうほう、姐さんらしいやね」
「気にしすぎだと思うけどね…」
「姉さんのラヴなんだから、素直にうけとっときゃ良いじゃん」
「奉仕精神だよ」
「なんでそこで捻くれるかねぇ」
湯船の中で、パララ君がため息をつく。
捻くれるも何もない。
心音はあくまでメイドとして自分の仕事をしているだけなんだ。
しなくてもいい仕事を。
この会話…確か健ちゃんともしたな。
「じゃぁさぁ、例えば姐さんがメイドを辞めて、平しゃんのことを愛してますとか言ったら…どうよ」
「……それは」
ありえない。 と、言うのは簡単だけど、それじゃぁ話は終わらない。
それにこの状況をどうにかしたいとは、僕だって思ってはいるのだ。
想像してみる。
「うーん…」
「どうよ」
「ダメ」
僕はきっぱりと言った。
「なんでよ?」
「…まず、メイドじゃない心音を想像できない」
「そりゃ重症だわ」
呆れた顔になって、パララ君は僕から顔を逸らした。
「そもそも平しゃんは、姐さんにメイドを続けて欲しいの? それともやめて欲しい?」
今日のパララ君は、なんだか鋭いところばかり突いてくる。
いや、ただ単に今まで僕が考えてなかっただけか。
心音がメイドをやめるっていう事は、つまり普通の女の子に戻るっていう事だ。
…まぁ、想像できない訳だけど。
そうなったら悪の組織なんてやる理由は無くなるし、今みたいに時間を気にせず、いくらでもお湯に浸かっていることが出来るだろう。
ついでに、僕といる理由だってなくなる。
というか僕と一緒にいて、心音がメイドをやめるなんて出来るんだろうか。
できないのなら、僕がすべきなのは…。
寒気が、体を襲った。
「なんか、水風呂に浸かりすぎたみたい」
「相当きてるね、平しゃん」
「何が?」
「いんや、良い傾向だと思うよ」
訳の分からないことを言って、満足げなパララ君。
自己満足?
何がきてるって言うんだ。
「平しゃん。 そろそろ出たほうが良いよ」
「だから、僕は心音を待って…」
「苛めすぎたかね、怖い顔になってる。 そんなんじゃ姐さんと合流したときにこっちが怒られるよ」
言われて、僕は顔に手を当てる。
その様子を見ると、パララ君はわざとらしくおどけた笑い声を出す。
「姐さんには今出たところって言っときゃいいじゃん。 うちもよく使う待ち合わせの定石よ」
「そうするよ…」
逆らう気にもなれず、僕は先に浴場を出た。
すっかり日も落ちた外に出ると、春風が冷えた体に染み込む。
まだ、春なんだよなぁ。
目の前には川。
どこぞの有名な歌みたいだ。
手が冷たいのは水風呂の所為だし、そこは言い訳になるか。
やることもなく、金網にもたれる。
怖い顔か…。
最近どんどん荒んでいってる気がするなぁ。
ぐにぐにと顔を弄るが、将来これが癖になったりしないか心配だ。
「将来…か」
再び銭湯に目を向ける。
すると、ちょうど人が出てくるところだった。
心音、と、間違えることはなかった。
心音はあの容姿だし、ましてやメイド服。
目立たない訳はないが、出て来た人物もまた、目を引く容姿だったからだ。
出てきたのは怪人さんだったとか、そういう事じゃない。
ただ、電灯の光に反射する黒髪がひたすらに僕の目を引いたのだ。
伏し目の彼女。
電灯の下から彼女が離れると、濡れた髪が名残惜しそうに電灯に反射し、それから闇に紛れた。
目線が地面から地上に戻され、僕と目が合う。
「あ、高月先輩…」
「やぁ、瑪瑙ちゃん」
そう、一瞬見知らぬ人に見えた彼女は、谷田貝瑪瑙。
レッドマングリーンであり、ポロームの団員と言う複雑な立場の女の子。
どちらのときも隠されていて分からないけど、髪を晒した彼女にはいつも厳粛な雰囲気が漂う。
彼女はその水に濡れて艶を放つ髪を、背中と眉の上で切り揃え、紺色のダッフルコートに身を包んでいた。
「そっか、瑪瑙ちゃんも入ってたんだ」
「あ、は、はい…。 その、ごめんなさい」
「何でそこで謝るの」
まぁ、しゃべり出せばそんな雰囲気も張りを失って、僕は苦笑するしかなくなるのだけれど。
「ええと、だって、あの、その…」
僕の軽い追求に、瑪瑙ちゃんは口篭ってしまう。
これが彼女の性格だと分かっていても指摘してしまうのは、いまだに先ほどの「怖い僕」とやらが疼いている所為だろうか。
それとも、もともと僕には苛めっ子の資質でもあるのか。
どっちもそんなに変わらないな…。
「やっぱりごめんなさい」
考えていると、瑪瑙ちゃんは今度はぺこりと頭を下げて謝った。
髪がその動きにつられて流れる。
いくら彼女でも、理由も無いのに頭までは下げないだろう。
「どうして?」
そう思って僕は、再度、今度は違うニュアンスで尋ねた。
「だって、高月先輩の裸…見ちゃいましたから」
「……あ」
言われて、思い出す。
瑪瑙ちゃんはさっきまで心音と同じ湯に入っていたんだ。
だったら、あの透視怪人スケさんによって、同じものを見せられていてもおかしくは無い。
「ご、ご、ごめんなさい!」
「い、いいよ別に。 別に見たくて見たんじゃないんでしょ」
心音にも同じ理由で謝られたと思い出しながら、僕は必死で虚勢を張った。
むしろ見せてしまった僕が謝ったほうが良いのではないかとも思ったけど、キリがなさそうなので却下。
「そ、それは…」
「何でそこでつまるの!?」
「ごめんなさい!」
叫んでも謝られるだけで、答えは返ってこない。
これはつまり、僕の裸を見て喜んだってこと?
いや、そんなはずはない。
そんなまさか…。
ただ単に、僕の叫びに驚いただけだろうきっと。
条件反射で謝ってしまうのも瑪瑙ちゃんらしいと納得している自分が、少し恐ろしい。
「ええと、瑪瑙ちゃんもここの銭湯にはよく来るの?」
少々強引に話をかえる。
「い、いえ、普段通っているところが閉まっていたので、今日はたまたま…」
「ふぅん。 いつもは別のところに行ってるんだ」
「は、はい。 心音様に顔が見られるのはまずいので…」
「それは…そうだね」
というより、瑪瑙ちゃんの家にはお風呂とか無いんだろうか。
彼女の家庭の事情には詳しくないんだけど、もしかしてお金に困ってたりするのかな?
まぁ、詮索しても仕方が無いか。
もし彼女が困っているとして、それをどうにかする経済的余裕なんて今の僕にはないんだから。
昔の僕でも無理かな…。
どうせお金持ちなのはお爺様だったわけだし。
そういうことには厳しい人だったしなぁ…。
「…あ、あの、先輩」
「ん、何?」
「今日、本当は心音様が入ってたから、高月先輩にも会えるかなって、期待、してました…」
俯いて、緊張した調子で途切れ途切れ話す瑪瑙ちゃん。
本人にすればそんなに決心のいるセリフなんだろうか。
「そしたら、ちょっとおしゃべりできるかなって思って…。 ごめんなさい」
そして、いつもどおりに謝る。
僕は別に悪い気になんかしてないのに、何でこんなに謝られるんだろう。
「そんなに遠慮すること無いよ。 話したかったらいつでも話そう」
「あ…、ありがとうございますっ」
当たり前のことを言ったつもりなんだけど、瑪瑙ちゃんは僕に向かって頭を下げる。
こんなことでこんなに喜ばれるって事は、翔子ちゃんたち、瑪瑙ちゃんとあんまり話してないのかな?
それは、ちょっと影は薄いかもしれないけど、こんなにいい子なのに。
「でも、心音様にも謝らないと…」
「心音に? なんで?」
僕と話すのに、何で心音に謝らなきゃいけないんだろう?
それとも、もっと他のこととか…。
「ごめんなさい。 人に見られると良くないので、そろそろ行きます」
「あ、そうだね…」
僕の問いかけには、不意か故意にか答えず、瑪瑙ちゃんが呟く。
理由が理由なので、僕もそれ以上追及できずに同意してしまう。
「高月先輩。 さようなら」
「うん、またね」
「はい、また今度」
ぺこりと頭を下げて、瑪瑙ちゃんは早足で僕の横を通った。
すれ違うときにした控えめな香りに気を取られているうちに、その背は遠ざかっていく。
あの髪を間近で見たかったなぁなんてバカなことを思い浮かべながら、僕はそれを見送った。
「…あくまでも、ただの興味だけど、ね」
いや、別に瑪瑙ちゃんに興味津々って訳じゃなくて…。
あ、でも興味が無いって言うのも逆に失礼な気もする。
って、そもそも僕は何に対して言い訳してるんだろう。
…瑪瑙ちゃんと話し込んでるうちに時間も経った。
おとなしく心音を待とう…。
思考を打ち切るため、僕は息を吸った。
「平助様」
「うわぁ!!」
突然の声。
息を吸ってる途中だったものだから、自分でも驚くぐらいの声が出る。
でも、振り向いた先にいた相手は冷静そのものだった。
「こ、心音…」
「お待たせしました、平助様」
何も無かったかのように、冷静に頭を下げる心音。
しかし、髪の先が湿っているのが見て取れる。
僕がいないと気づいて、急いで上がってきてくれたのかもしれない。
いや、とりあえず心音のそんな嬉しい気遣いは置いておくとしよう。
それより、重要な問題が一つある。
「…心音?」
「はい、何でしょうご主人様」
…呼び方が変わった。
不吉な印だ。
「さっきの、見てた?」
「何をでございましょう」
質問を質問で返されたが、こちらの質問が不明瞭だったので致し方ない。
と、いうより、今のが答えだ。
心音の顔が、さっきから一向に変化しない。
謝られたときも今のときも、申し訳なさそうな顔とか不思議そうな顔とかの一切をしなかった。
つまり心音は、遅れてきたことを申し訳なくも思っていないし、僕が何を聞いているか不思議でもないのだ。
「平助様がおっしゃりたいのは…」
そして、本人からの死刑宣告。
「平助様が女性と親しそうにお話をされていたことですか?」
やっぱり見られてた!
何でこうタイミングが悪いんだ…。
僕はその場で頭を抱えたくなったが、ついでにそこで気づく。
「ええと、その、相手の顔は見た?」
「…それは、口惜しくも…いえ、後姿しか見ておりません」
なんか怖い単語が聞こえかけたけど、それは聞き流すとしよう。
とにかく、瑪瑙ちゃんの姿は見られてないんだ。
これなら彼女がポロームでバイトをしていることが心音にばれる事も無い。
ひとまず安心といったところかな…。
僕が思わず安堵の息を漏らすと、心音の目じりが細められ、何かを堪えるような顔になった。
「やはり…誰か庇っておられるのですね…」
「あ、いや…」
そんな心音の表情に、僕は急激に罪悪感を感じはじめる。
庇うのは仕方の無いことじゃないか。
組織の中に敵の団員がいるなんて知ったら、心音だって処置を取らざるおえないだろう。
瑪瑙ちゃんのためには秘密にしなきゃならない。
瑪瑙ちゃんのことを知ったって、心音の得になんかなりはしない訳だし。
頭の中で必死に論理だてるが、理不尽な居心地の悪さは拭えない。
「私は平助様のメイドですから、平助様の為さる事に口出しは出来ません…」
前のときは思いっきり追求されたのに、何で今回はそうしないんだろう。
何でそうしてくれないんだろう。
こっちのほうがずっと辛い。
「心ネエー!」
と、そのまま黙ってしまった心音の腰に、黄色いものがいきなり突撃した。
「ポルル…」
レインコートを被りなおしたポルルちゃんだ。
心音の腰に抱きつきながら、彼女を見上げる。
「こんな所で立ってると冷えちゃうよ! 早くいこっ!」
「え、えぇ…」
そしてポルルちゃんは心音の手をすばやくつかむと、手を引いてとっとと歩いていってしまう。
戸惑いながらもそのままついていく心音。
しばらく歩くとポルルちゃんは、心音に見えないよう後ろを振り向き、僕に舌を出した。
「…ポルルは姐さん派だからねぇ。 そうじゃなくても今の平ちゃんは女性の敵っぽいし」
遅れて歩いてきたパララ君が、苦笑しながら僕の腿を叩く。
ポルルちゃんのあの行動は、つまり僕から心音を引き離してやりたかったらしい。
「だから、僕がめ…彼女の事を話せないのは、ちゃんと事情があって…」
「大丈夫だって、星は違えど同じ男の子。 その辺は察するよ」
茶化した言い方だけど、パララ君は本当に僕を信用してくれているみたいだった。
なんだか分かり合えた気持ちになって、僕も口元をゆるめる。
「ついでに平しゃんがもう少し女心とか察してくれればねぇ…」
心音が、歩き出さない僕のほうを向く。
何でそんなに悲しそうな顔をするんだろう。
「ま、俺らも行こうさ、平しゃん」
ねぇ、別に彼女を庇っているからと言って、それは決して君を大事に思ってないって訳じゃないんだ。
その辺察して…って言うのは都合が良すぎるな。
今は、しょうがないか…。
心音の顔が前方に戻される。
僕はため息をついて、心音たちの後を歩いていった。