メイドさん大王
新設!大王と下っぱの食事風景
PM7時。
僕の夕食は、いつもこの時間に始まる。
この時間ぴったりに間に合うよう、心音は帰って一心地ついた後、粗末な台所へ向かう。
昨日まで布団が敷いてあった、この畳部屋からは、そんな彼女が料理をしているところが見える。
あばら家とは言わないけど、こんな何処にでもあるような小さな部屋の台所に、メイド服の彼女が居るのは不自然だ。
でも、リズム良く包丁を使うその姿は、なんだか見ているだけで幸せになれた。
妙に緩んだ顔でその後姿を見ている僕に気付くと、心音は困った様に笑って、照れくさそうな顔をする。
その後、目をまな板に戻して。
「このような姿をご主人様に晒すのは、本来好ましく無いのですが…」
なんて、わざと無愛想にしたような調子で呟く。
その様子がおかしくて、僕は声を殺して笑った。
すべてのものを作り終えると、台所から、一旦料理を隣の食堂に運ぶ。
その後少しして、心音がわざわざ扉をノックして。
「平助様、お食事の用意が出来ました」
と、これまた扉の向こうから呼びかける。
彼女の家でもあるんだから、そんなことをする必要は無いと思うんだけど、心音曰く「何事も雰囲気が大切なのです」らしい。
一旦家を出て、隣の家へ。
心音がドアを開けて、その横に控えている。
中に広がる豪奢な空間と、今僕の居る、壁面にヒビが入っている冴えないアパートを見比べて苦笑。
確かにこの外観じゃ、中にシャンデリアや燭台があるなんて想像できないな。
一昨日、あの二人がたずねて来た事を思い出す。
さすがは大王の棲家だなんて考えて、また苦笑。
心音が怪訝そうな顔をしたので、なんでもないよと言って、僕は食堂の中に入った。
食事。
食堂自体は豪華だけど、内容はといえば、特別豪華というわけではない。
昔食べていた旧家の料理よりは、素材も量も数段落ちる。
この食堂以外、僕達は贅沢は無しで生活しているから、それも仕方のない事だろう。
それでも心音の作る料理は十分美味しいし、作ってもらっている立場なんだから、不満なんて出ようも無いのだけれど。
今日のメニューは、ご飯に里芋の吸物にサラダ。
そしてハンバーグ。
『メニューに統一感がありませんね』と心音は申し訳なさそうにいるのだけれど、僕は大して気にしていない。
確かにこの洋風の食卓にご飯や吸い物は似合わないし、ハンバーグとご飯の組合せなんて屋敷では出たことが無かった。
だけど、美味しければ僕はそれで良い。
一応裕福な家庭に育ったけど、小学校中学校と、普通の学校に通ったので、その辺りの潔癖さは無いつもりだ。
それでも翔子ちゃんや健ちゃんに言わせると、やはり何処か『世間ずれしてる』らしいのだけれど。
で、その料理を作った心音は机の反対側で控えている。
彼女の定位置だ。
いつもなら、僕はそのまま食べ終えて退室。
心音は食堂に残って、自分も食事を済ませた後片付けをする。
それがいつも通りだ。
寂しいなんて思うことも無い。
でも今日は、何だか気分が違った。
僕は椅子に座った状態で、心音に言う。
「…あのさ、心音。 今日は一緒に食べない?」
僕の言葉に、心音は僕の顔をジッと見た。
心音と暮らしてきたここ何ヶ月間、何回か誘ったことはあったけど、そのたびに断られた提案だ。
僕も見つめ返してみるけど、多分断られるだろうという思っていた。
『メイドがご主人様と食卓を一緒にすることは出来ません』。
心音がいつも言う断り文句だ。
その時にとても申し訳なさそうな顔をするので、僕も近頃はその言葉を口にしていなかった。
それでも今日は、心音と一緒に食事がしたい。
そういう気分だった。
「わかりました。 平助様がそう仰られるのであれば、ご一緒させていただきます」
心音はそういうと、深々と頭を下げた。
「え、良いの?」
あまりにあっさりと了承されたので、僕のほうが戸惑ってしまう。
「…平助様が戯れに申されたのではないということは、承知しているつもりです」
心音はそういうと、スッと頭を下げた。
彼女の言葉に、僕は余計落ち着かない気分になる。
その言葉は何だか核心をついているような気がするのに、言葉の意味が把握できない。
「…平助様? もしや、出過ぎた行動でしたか?」
「いや、そんなこと全然無いよ! もともと僕から頼んだことだし」
また遠慮しそうになる心音に、急いで言う。
すると心音は、「そうですか」と微笑み、一旦食堂を出て行った。
そして、少しして戻ってくる。
手に持ったトレイに乗せられた夕食のメニューは僕と同じ。
心音は最初、僕に作るものより分量も質も落ちるものを作ろうとしていたらしい。
だけど僕がそれは止めてくれと頼み込んだのと、手間も費用も余計にかかるという理由で、ちゃんと同じものを食べてくれることになった。
ドアを閉めた心音が、僕の向かいに座る。
距離が離れているのが残念だけど。
「それでは、いただきます」
「あっ、いただきます」
心音がそう言ったので、僕は食べている途中にもかかわらず、挨拶をしなおした。
その様子に、心音がクスリと笑う。
僕も照れ笑いを浮かべた。
そして、そのまま会話することも無く食事。
食事中はしゃべらない。
この家に来て簡略化されたものもあるけど、その中で残っている元の家からのマナーだ。
まぁ、そこまで言うほど厳格な決まりではないから、習慣といってしまったほうが良いのかもしれない。
心音は自分の作ったハンバーグを、丁寧に切り分けて食べている。
でもあの小さな口になら、適正サイズなのかなとも、考えてみたり。
少しずつ食べていくその姿は、マナーの良さよりも小動物のような可愛らしさを抱かせる。
ふと、僕の視線に気付いた心音が顔をあげる。
食べているところを見られるのは、やっぱり恥ずかしいんだろうか?
顔に軽く赤みが差していた。
僕は『なんでもないよ』と言う風に首を振る。
すると心音は怪訝そうにしながらも、食事を再開した。
僕も半分は心音に気を残しつつ、目の前の料理を食べ始める。
やはり会話がないとしても、一人で食べるのと二人で食べるのとでは、空気が違う。
毎日、一緒に食事を取ってくれれば良いのになぁ…。
そんなことを考えている間に、お皿の上からは料理が少しずつ容量を減らしていく。
で、減った分は僕の胃袋の中へ。
僕の胃袋が満たされてきたのを見て取ると、心音は箸を持ちながらそわそわと落ち着かなくなってきた。
本当なら、この時点で締めの紅茶が用意されるのだ。
ご飯だろうが味噌汁だろうが、最後の締めはどうしても紅茶。
組合せ云々よりも、こちらのほうが余程悪食な気もする。
まぁ、習慣なのだからそれは良しとするとして。
「ごちそうさま」
完食した僕がそういうと、心音の落ち着きはなおも無くなった。
いつも言われる『お粗末さまでした』の言葉も無い。
多分心音は、紅茶を淹れたいけれど、食べている途中であるために迷っているのだろう。
それを察した僕は、一声かけた。
「あ、心音は食べてて良いよ。 紅茶ぐらい自分で用意するから」
「ご、ご主人様に、そんなことをさせる訳にはっ!」
「良いから、心音は座ってて」
慌てる心音を制して、僕は立ち上がった。
心音が急に言葉を止めたのは、彼女の口を彼女自身が手で塞いだからで、何故そうなったのかと言えば、食事中だということを憂慮してもらえば分かると思う
苦笑しつつ、食堂の外へ。
再び家のほうに戻り、やかんを火にかける。
沸かし起きは紅茶の味が下がるからダメだそうで。
紅茶を作る時のお湯の温度は、高ければ高いほど良いらしいんだけど、今回は適当に、沸騰したらそれでオーケー。
心音の場合はさらに、ポットとカップも温めるといったけど、そこも省略。
お湯を温めている間に、他の準備。
リーフは市販の特売品。
紅茶派と言っても、かなり軟弱な紅茶派の僕には、これでも充分美味しい。
それは多分、心音の腕のおかげだとも思うのだけれど。
それをティーポットへ。
基本的に僕はストレート派なので、後はお湯が沸くまですることが無い。
食堂に戻っても良いんだけど、僕がうろうろしていたら、心音は食事に集中できないんじゃないだろうか?
そう思って、そのまま畳の上に座った。
頭を壁に預けると、やたらと眠くなってくる。
食後の満腹感と、それと何か得体の知れない疲れ。
あぁ、今日の僕は、何でこんなに疲れているんだろう。
そう思って、今日いままでの出来事を思い出す。
今日は出撃があった。
病み上がりだけど、頑張ろうと思って。
健ちゃんに会って、格闘の真似をして。
翔子ちゃんがやってきて、健ちゃんを…。
その後、二人で話していたら…。
その人物の事を思い出すと、僕は急に目が覚めた。
数瞬寝ていたらしい。
ヤカンがカタカタといっている。
急いで火を止める。
「こんなものをかけたまま、寝るだなんて…」
呟きながらも考えているのは、今日会った人物、百瀬さんのことだった。
復縁しても良い。
確かに彼女はそう言った。
彼女の上にはお兄さんが二人いる。
よって、婿養子にする必要は無い。
僕が彼女と復縁さえすれば、我が家は一応再興という形になる。
正に心音が望んでいることだ。
悪事に手を染める必要も無くなる。
だったら、僕はそれを素直に受けるべきか?
「でも、本当に本気なのかな?」
冗談ではなかったのだろうか。
でも、冗談で言うには、重すぎる話題だ。
少なくとも僕…、そして心音にとっても。
彼女のことが信じられない理由は、あの態度の所為だけではない。
彼女には、前科があるのだ。
あの日、僕の家ではなくなったあの家の、あの花園で…。
「熱っ!」
反射的にそう漏らして、僕はやかんを手放す。
半分ぐらいまでお湯の入ったそれは、がいんがいんと音を立てて、ほとんど中身をこぼすことなく、流しに着地する。
ポットに注ぐはずだった熱湯を、手元を見ていなかった僕は、自分の指にかけてしまっていた。
そう気付いたのは、赤くなった指を水で洗いながらだ。
表面を冷やしても、その奥がジンジンと痛い。
なんだか惨めになってくる。
たかが紅茶を淹れるぐらいの事で、こんなにヘマをするなんて。
一人でいると際限なく落ち込んでしまいそうな僕は、ポットとカップをトレイに乗せて、足早に食堂へと向かった。
じっくり蒸らすなんて工程もあったけど、そんなのどうでも良い。
「あ、平助様…?」
部屋に入ってきた僕を見て、心音の表情が曇る。
自分では見えないが、あまり良い表情をしていないのが原因だろう。
急いで笑う。
「心配だったの心音? 紅茶ぐらい、僕だって淹れられるよ」
自分が犯した数々の失敗を棚に上げて、僕は心音に言う。
彼女が言いたいのはそういうことじゃない。
それは分かっていながらだ。
「心音も飲むよね。 適当に作ったから、あんまり美味しくないかもしれないけど」
心音の前にティーポットを置く。
そして手元に集中しているフリをして、彼女の顔は見ないようにした。
「平助様…」
弱弱しい呟きも聞こえるけど、聞こえないフリ。
ふと思う。
彼女に復縁の話を持ち出したらどうか。
いや、自分では決めかねているのだから、相談するだけで良い。
彼女には聞く権利があるだろう。
自分では気付いていなかったけど、僕はそれを言うために彼女と食事を取ったんじゃないのか?
心音の意見を聞きたくて、普段誘わない彼女に、一緒に食事を頼んだんじゃないのか?
「はい、心音」
考えながら、僕は心音の分の紅茶を用意して、彼女に渡す。
思いつめた表情で、僕を見つめる心音。
まずい、目が合った…。
僕のほうから視線を逸らす。
すると同時に、心音も顔を背けたが、そこで彼女は気付いてしまった。
「平助様、その指は!?」
紅茶を置いて引っ込めようとした僕の手首を掴んで、心音が叫ぶ。
でも彼女が言っているのは、掴んでいるほうの反対の手だ。
「あぁ、ちょっとお湯を引っ掛けちゃった。 さっき冷やしたし、平気だよ」
手はちょっと膨れているものの、そこまで過剰に反応するものではない。
こうなると思ってたから、一応隠すつもりだったのに。
「いけません! 今すぐ氷を取ってまいりますので、お待ちください!」
そういうと心音は、椅子を蹴って食堂を出て行った。
うーん、ちょっとはしたないのではないだろうか?
そんなことを考えているうちに、心音が氷嚢を持ってくる。
「座ってください、平助様」
言うとおりに座ると、心音は別の椅子を僕の向かいにおいて、そこに自分も座った。
「手を出してください」
「うん…」
差し出した僕の手を、片方の手の上に乗せて、余ったほうの手で、心音は氷嚢を僕の指に当てた。
心音の両手に、僕の手が包まれている形だ。
「このまましばらく、動かないでください」
「うん…」
直接触れる心音の手も、冷たくなっていた。
ついでに言えば柔らかくてスベスベしている。
これで撫でてもらった方が、直りも早くなるのではないかと思うほどに。
いや、そんなことを頼む勇気なんて無いけど。
…頼んだらしてくれるかな?
そんなバカなことを考えていると、心音はまだ辛そうな顔をしていた。
「どうしたの、心音?」
「申し訳ありません、平助様」
「え?」
「私が職務を疎かにした所為で、このような事になってしまいました…」
心音は、自分の所為で僕がやけどをしたと思って、自分を責めているようだ。
こんなの、僕の不注意なのに。
「これなら全然大したこと無いよ。 それに…」
「なんですか?」
いつも戦闘員をやって、怪我には慣れてるし。
そう言おうとして、やぶ蛇になると気付いた僕は、途中で言葉を止めた。
そこでふと思いつき、他の言葉を言う。
「今日は心音と一緒に食事が出来て、楽しかったしね」
お世辞じゃなくて、本心だ。
こんな日がいつもであって欲しい。
火傷はさすがに勘弁して欲しいけど…。
「しかし、私の所為で平助様が…」
「そんなこと言わないでさ。 また一緒に食べてくれると嬉しいな」
僕がそういって笑うと。
「…………はい」
こくり頷いてくれた。
その様子が可愛くて、冷やしてもらっている手が、また熱を持った気がする。
いつの間にか、さっきの嫌な気分はなくなっていた。
同時に、百瀬さんのことを心音に話す気も。
問題の先送りかもしれないけど、今はこの手を離したくないし。
くさい事を考えた照れ隠しに、紅茶を含む。
「心音。この紅茶飲んでみて」
とりあえず、そのまま笑顔で心音に薦めてみる。
彼女の両手は離して欲しくないと思ったばかりなので、その口に直接カップを持っていった。
「へ、平助様!?」
何故か動揺する心音。
うーん、確かにマナーは悪いかな?
そう思っているうちに、心音の顔が戸惑いから決意の顔になり、それから彼女はおずおずと、上唇をカップに触れさせた。
こぼれない程度に、気持ちカップを傾けてやる。
すると、紅茶を含んだ心音は、一旦羞恥のような表情になったが、直ぐに顔をしかめる。
一般で言う苦い顔だ。
まぁ、当たり前といえば当たり前だ。
だって。
「…物凄く苦いでしょ」
心音はそれを口に含んだまま、涙を浮かべて、コクリとうなずいた。
本当に苦いんだもの。
その様子を見て、僕は声を出して笑った。
余談だけど、それからは一週間に一度ぐらいの割合で、心音は一緒に食事を取るようになった。
紅茶は絶対に彼女が淹れることになったのも、また余談である。