メイドさん大王
看病! メイドの本領!!
見上げた天井は、木目がまだら模様を描いている。
だけど、そこには巨大なシャンデリアがぶら下がっている。
僕はと言えば、ぺらぺらの煎餅布団で寝こんでいた。
隣には、メイド服を着た少女が付き添ってくれていた。
「ごめんね、心音」
かすれた声で、彼女に声をかける。
「いえ、ご主人様の体調管理は、私の務めです。それを怠ったばかりに、このようなことになってしまい、申し訳ありませんでした」
メイド服の少女、心音はそう言うと、悲しそうに目を伏せた。
畳敷きの八畳一間のこの部屋で、彼女の存在は頭上のシャンデリア以上に不釣合いな存在かもしれない。
不思議に思うだろうけど、ここも僕達の家だ。
いや、ここが僕達の家だと言ったほうが良いのか…。
僕の喉の調子を察して、彼女はすぐにお湯を用意してくれた。
風邪を引いている時は、こっちのほうが良いらしい。
「…別に、心音の所為なんかじゃないよ」
僕が体を起こそうとすると、彼女は僕の背中に手をまわして、それを手伝ってくれた。
「あ、ありがと」
昨日風邪を引いて寝こんで以来、ずっと彼女はこの調子だった。
ポロームをバウバウさんに任せて、二日間僕の看病をしている。
そのことは、正直に言ってとても嬉しい。
「メイドとして、当然の役目です」
心音はと言えば、さっきみたいに落ちこんだり、今みたいにはにかんで笑って見せたり、中々忙しい様子だ。
でも、なんだかそれも分かる。
何しろ、彼女がこういう事を一人でするというのは、初めてのことなのだ。
「あの、でも休んでないんじゃないの、心音?」
「大丈夫です。平助様のお世話を任された以上、この身が滅びようとも、ご奉仕させていただきます」
「え、う、うん…って、あの、そういうことじゃなくて、無理しないでね」
「はい。勿体無いお心遣い、感謝いたします」
嬉しそうに心音が微笑んだので、僕はつい、休めと言えなくなってしまう。
…ええと、彼女はもちろん、我が家のメイドである。
もちろん、旧がつくんだけど。
でも、まだうちが裕福だった頃には、他にも使用人が沢山いた。
そんなに病弱じゃない僕にも、主治医がついていた。
さらに言えば、彼女のお父さんの仕事は、常に完璧だった。
双宮家の人は、使用人のエキスパートなので、その道に関してはもちろんプロなのだが。
凄かったなぁ、心也さん。
通常の人間の五倍ぐらいのスピードで、10倍ぐらいの仕事をこなしてたし。
左手と右手が同じ作業に使われる事も、ほとんど無かったなぁ。
それに、あの時なんて…。
「平助様?」
「え、あ」
気が付くと、僕は何時の間にか、湯のみを持ったままの姿勢でボケっとしていた。
まったく、昨日は散々寝たのに、まだ寝たりないのかこの体は。
意識が飛ぶって程の体調じゃぁ無いはずなのに。
「横になってお休みくださいませ」
「ああ、うん」
僕から湯のみを受け取ると、それを横に置いた心音は、そのまま僕が体を倒すのにも手を添えてくれた。
なんだか、寝たきり老人より丁重な扱われ方だ。
まぁ、つまり、さっき言った諸々な理由の所為で、彼女の仕事はほとんど無かったのだ。
翔子ちゃんから僕を庇ったりとか、そのぐらい。
だから…。
「それに、私は嬉しいのです。その、平助様の看病を、私が全面的に受け持つなど、今までありませんでしたから」
「心音…」
だから彼女は、初めての仕事に、やり過ぎなくらいに張り切っているのだ。
それも僕の為と言うのだから、止める事も出来ない。
「も、申し訳ありません。ご主人様の体調が優れないことを喜ぶなど、メイドとして失格です…」
そう言うと、心音はまた落ちこんだ。
「いや、別に良いんだよ。それに、体調を崩したのは、やっぱり僕の所為だし」
一昨日の出撃。
翔子ちゃんに、瑪瑙ちゃんの事で殴られて気絶した僕は、そのまま外で放置された。
同僚である戦闘員の皆にも、敵である友人にも。
前に、心音が僕に人望があるとか言ったけど、とりあえず、そんなモノは無い事が証明された。
で、気絶時間はこの前より長くて、三時間弱。
世の中では風邪が蔓延していたそうで、僕はそのウィルスを無条件で受け入れてしまった。
そして、結果を発表するまでも無く、この状態だ。
いや、まともな思考も出来なかった昨日に比べれば、今は各段に楽なんだけど。
それもこれも、全て心音のおかげだ。
「…あの女の所為でもあります」
「翔子ちゃんは仕事。だから、今度は出撃とかしないでね」
しゃべるとやっぱり喉が痛いななんて思いながら、僕は心音に釘をさした。
前々回の出撃の後、こんな話の流れになって、前回の出撃で心音と翔子ちゃんが戦う羽目になったのを思い出したからだ。
「ですが…」
「活動に支障が出るとか言う時は、しょうがないけどさ…」
心音が納得していなさそうな表情なので、僕は更に言葉を重ねる。
「あんまり見たくないしね、知り合い同士が戦う光景なんて。翔子ちゃんは僕の大切な友達だし、心音は僕の大切な…その、え〜…と」
無意識に翔子ちゃんを友達と言い換えた所で、僕は言葉に詰まってしまった。
彼女を僕の立場から言い換えるなら、「メイドさん」だ。
でも僕は、胸を張ってご主人様です、何て言える立場なんだろうか?
お給金も払ってないし、むしろ養われている身分。
こうやって手厚く看病してもらっているけど、この恩を出世払するなんて出来そうに無いし。
「私は…、何でございましょう?」
心音が、僕の言葉の先を促す。
本当なら、さらっと言えばいい何でも無いセリフなんだけど、一度詰まってしまうとどうも言い難い。
しかも、今の心音の言い方、そして表情。
おずおずとしながらも、聞きたくてしょうがないような、そんな顔。
明らかに僕の次のセリフに、何かを期待している。
「あ、え〜と」
余計言い辛い。
いや、きっと彼女が僕に期待しているセリフと言うのは、もちろん幼馴染とか、そう言う言葉ではない。
恋人とか、色っぽい話でもないし。
僕らの首領なんだからとか言ったら、きっと怒られるだろう。
心音が期待している言葉。
それは、僕が言おうとしていた言葉ときっと同じだ。
つまりは、「メイドさん」。
言いたいことが同じなら、何も問題は無いだろうと思うかもしれない。
でも…。
「えと、心音は、僕の大切な…」
同い年の女の子に、正面切って「僕の大切なメイドさん」だなんて、とても言えない。
確かにそう言ったほうが心音は喜んでくれるだろうけど、僕の羞恥心が、どうしてもそれを言わせない。
「心音は、高月家の大切なメイドさんだしね」
よって、このぐらいの言い回しが一番妥当。
「そう…ですか。 高月家のメイド…。はい、勿体無いお言葉、ありがとうございました。」
それを聞いて、心音が肩を落とす。
そして、社交辞令的に礼を言った。
うわ…、一目見て分かるほど、あからさまに落ち込んでいる。
「そういう反応は、喜ぶべきなのかな…?」
その心音の様子を見て、僕は小声で呟いた。
そりゃぁ、心音の期待に応えられなかったのは残念だけど、心音がこういう言い方をするっていう事は、彼女は「僕のメイドさん」で居たいっていうことだ。
単純に、顔をにやけてしまうほど嬉しい事柄でもある。
でもそれ以上に、高月家のメイドと言われて落ち込む心音の姿が、この間、心音に「高月家の当主」と言われて同じく落ち込んだ僕とダブった。
僕と心音が、同じようなことを同じように悲しく思っている。
それなら僕達の関係も、もっと色々改善できるのではないだろうか?
「平助様、何か仰りましたか?」
「ん、別に…」
喉の調子が程よい掠れ具合を演出して、僕の言葉は心音に聞こえなかったようだ。
でも、そんな体調とは裏腹に、僕の心は浮かれていた。
いや、こんなに高揚しているのも、熱がある所為なのかもしれないけど…。
具体的な方法など何も分からないけど、とにかくこれからうまく行きそうな気がする。
「…平助様。 そろそろお食事の時間ですが、いかがいたしましょう?」
と、心音が時計も見ずにそう言った。
彼女の体内時計は、非常に正確なのだ。
心音に言わせると、それもメイドには必要不可欠な能力ということらしい。
そして、彼女が聞いているのは、今日の献立のことではなくて…。
「あっ、えーと、あっちで食べるよ」
「しかし、まだお体の具合が優れないようです。 なんでしたら、昨日のように私が食べさせて差し上げても・・・」
「いや、本当に良いから!!」
先に言っておく。
昨日は本当に体調が悪かったんだ。
だから、まぁ、食事は心音がここに運んできてくれて…。
で、スプーンを持って。
その日の献立であった、きのこのリゾットを掬って。
そのスプーンの下に手を添えて。
僕の口に運んで…。
さっき言ったように、僕はまともな思考ができてなかったんだ。
だから、心音が「あーん」って言いながら運んでくるスプーンを、馬鹿みたいに咥えていき…。
その、ごめんなさい。
「そうですか…」
なぜか残念そうな心音が、立ち上がる。
何か声をかけようとしたんだけど、とっさに思いつかずにやめた。
「では、食事の用意ができましたら、お呼びします」
一礼してから、心音が玄関へ向かっていく。
彼女のことだから、もう買い物は済ませてあるだろう。
それだったら、言うはずだし。
多分、直接『食堂兼台所』に行くはずだ。
ぴーーーーんぽーん。
だけど、それを待ち構えていたように、タイミングよくチャイムが鳴った。
古いせいか、変な音なんだよね、アレ。
その音に、玄関の前まで来ていた心音が、ドアスコープから外を覗いた。
そして、固まる。
「心音…?」
その様子を見て、僕も不安になる。
いくら今はメイドとはいえ、心音は悪の大王だ。
警察の手が伸びてきたり、他の組織から狙われることもあるのかもしれない。
あぁ、そうなると僕は、足手まといだなぁ。
心音、僕をおいて逃げてくれ・・・。
「平助様、先程の話ですが」
「えっ、何?」
勝手な妄想を広げていた僕を、心音の声が呼び戻した。
まずい、今また寝かけてた。
一瞬だったはずなのに、心音が津軽海峡まで逃亡しているところまで見えたし。
「先程の、出撃は控えよとのご命令ですが…」
「うん…」
命令ってわけじゃないけど。
僕が体を起こすと、心音がドアを開けて体をどけた。
すると、そこには…。
「迎撃ならば、よろしいですか?」
「へっ?」
外跳ねの髪に、つり気味の目。
「…邪魔、するわよ」
翔子ちゃん…。
何か、ばつの悪そうな表情をしている。
そして、もう一人。
「はい、おはようございます。 お邪魔しますね」
「百瀬さん…」
腰まで届くストレートの髪と、桃色のワンピースを翻らせながら、柔らかい笑みを浮かべた女の子が立っていた。