メイドさん大王

必殺! メイドさん枕!


―――昔話。

『ヘーすけー、遊びに行くわよー』

『な、何でもう決まってるのさぁ…』

『行かないなら、殴る。 いいから、今日も黙ってジェットマンごっこをするの!』

『や、やだよぅ、小学生にもなって、ヒーローごっこなんて…。 しかも、そんな話題にもならない奴…』

アレは確か、小学校2、3年のとき。

翔子ちゃんはいつも強引だった。

やたらに大きい僕の家にも、物怖じせず入ってきて、僕を遊びに誘いに来たのだ。

いや、どっちかって言うと、脅迫に近かったけど。

『私のご主人様に何をするんですか、ばか女!』

で、僕が殴られそうになると、心音がすぐに飛んできた。

確か、彼女は小学生になる頃には、僕をご主人様と呼んでいた。

現在着ているよりフリルがだいぶ多めの、ゴシックロリータ調のエプロンドレスを着ていて、既に『メイドさん』になりつつあったのだ。

そして、小学生の順応力とは大した物で、その頃の僕はと言えば、多分今より気軽に、その名称と服を受け入れていた。

ついでに、彼女が僕を守ってくれると言う申し出も、呆れるくらい簡単に受け入れたのだ、その当時の僕は。

『出たわね! おじゃま虫』

『こ、心音〜〜〜!』

『だ、大丈夫ですか、平助様! 翔子に変な事されてませんか?』

『へ、変なことなんてしないもん!』

心音が来ると、僕は、当時僕より背が高かった彼女の背中に隠れた。

『あ〜、もう! 平助はいっつも心音の後ろでコソコソして! 恥ずかしくないの!?』

『う〜、だってぇ…』

『良いのです! 平助様は、私が一生守ってあげますから!』

『そんなことしたら、平助は将来かいしょー無しのアンポンタンになっちゃうわ! 公園で暮らしたりしちゃうのよ!』

『そ、それはやだなぁ…』

翔子ちゃんにそう言われれば、僕は心音の背中から、上半身を覗かせた。

でも、両手は心音の背中にしがみついたまま。

『大丈夫です! 例えそうなっても、心音がご飯を食べさせてあげます!』

『そうなの? じゃぁいいや』

心音が、振り向いてニッコリと微笑んでくれると、僕はそれだけで安心し、また背中に戻ろうとする。

『いい訳あるかぁ!!』

が、心音が僕の方を向いた一瞬の隙を突いて、翔子ちゃんの拳骨が、僕の頭に。

ごつん!

『い、いたい…』

彼女が手加減していたのか、殴られ続けて僕が慣れたのか、僕はしばらく涙を堪えるだけで済んだ。

『へ、平助様! 今日という今日は許しません、このぼうぎゃく女!』

心音は、僕を見て顔を青くしたあと、すぐさま顔を赤くして、翔子ちゃんに挑んだ。

『うるさい! あんたがかほごにするから、平助がこんな弱虫になるんじゃない!』

…そういう風に、二人はいつも喧嘩した。

その時の僕に出来る事といえば、二人の為に救急箱を持ってくることぐらいだったのだが…。

まったく、何で今、こんなことを思い出すのだろう。

 

「平助様、平助様!」

僕を呼ぶ声が聞こえる。

意識が、水面から浮かび上がる気泡のように、ぽこりと浮かび上がった。

人間には、寝起きが良い朝と悪い朝がある。

それと同じように、気絶した後にも、しばらく意識がぼんやりすることと、パッチリと目が覚める事の両方があるのだと、最近知った。

パッチリと開けた目に飛び込んできたのは、逆さに映った心音の顔だった。

彼女の後ろに見える紫色の天井で、ここが作戦会議室だと気付く。

心配そうな顔が、僕が目を開くと、ほっと安堵の息を吐き、でも、またすぐに心配そうになった。

「平助様! お気づきになられたのですね。 どこか、痛い所はございませんか?」

「頭が…」

言いかけて、止まった。

僕が拳骨を食らったのは、夢の話だ。

頭が痛いはずがない。

ああ、それにしても、我ながら情けない夢だった。

確かにあれなら、翔子ちゃんに情けないって言われてもしょうがない。

そう言えば、僕は何で気絶してたんだっけ…?

「あ、あの女! 平助様の頭を、よりによって踏みつけるだなんて…!」

…訂正しよう。 やはり僕は寝ぼけていた。

心音に言われた言葉がきっかけで、僕は自分がなぜ気絶したのか、思い出した。

同時に頭の痛みがぶり返すのだから、人間の体というものは、実に現金だ。

「いや、アレは踏みつけって言うより、踵落としだったんだけど…」

小さく訂正したが、心音には聞こえていないようだった。

彼女は、虚空を親の仇のように睨んでいる。

多分、今の心音の目には、空の上で高笑いをしている翔子ちゃんが見えているのだろう。

「あのさ、それより心音」

それを意識して、ちょっと大きめの声で彼女に呼びかける。

「…はっ、はい。 何でございましょう?」

「もう大丈夫だから、その、起きあがりたいんだけど…」

こっちの世界に帰ってきた心音に、我ながら不明瞭な提案をする。

いや、こんなこと言うのも、それが遠まわしな言い方になってしまうのにも、理由があるのだ。

「私の腿がご不満でしょうか? その、硬すぎたり…」

「いや、適度に柔らかくて、すごく寝心地が良いけど…って、そうじゃなくて!」

えーと、今の僕は、頭を心音の膝に乗せて寝そべっている状態だ。

固有名詞を出してしまうなら、膝枕。

…傍目から見たら、それはもう羨ましい限りだと思う。

少なくとも、ここにいる皆はそう思っている。

「ギー」

「ギー」

「ギー」

首を動かせば、周りに見えるのは、黒い人、人、人。

僕の同僚たちだ。

「しゅ、首領がこんなことしちゃダメだよ」

その圧力に押されながら、心音に陳情してみる。

僕はもう既に、十回近く出撃しているが、こんなことになったのは初めてだった。

「いえ、既に労働時間は終わりました。 ここにいる方々は、平助様の身を案じ、わざわざ残っていてくださったのです」

ちなみに、わが秘密結社の労働は、夕方の5時までとなっている。

まぁ、悪の組織っぽくないんだけど、うちの社員はほとんど普通の人間だ。

休みがなくては、体が持たない。

それにしても、色々差し引いても僕は二時間以上気絶していたことになる。

…さすがに、この長さは生命にかかわるんじゃないだろうか?

「とりあえず、もう大丈夫だから、起きあがりたいんだけど…」

周りの人から見たら、、僕は随分間抜けなことを言っているように見えるだろう。

膝枕をしてもらって、その上起きあがることに許可まで求めているのだから。

いや、実際に許可は必要なんだけど。

「承知できません、平助様。 ご意識が戻られても、突然お動きになるのは危険です」

そこだけは譲れないというように、心音は毅然とした顔で僕に告げる。

僕の両肩には、それぞれさりげなく、心音の手が添えられている。

それに、ほんの少し重量がこもった。

人間というのは、両肩を押さえつけられるだけで、ほぼ起きあがれなくなる。

胸か首でも押さえれば万全なんだけど、彼女の場合はそれが必要無いようだ。

さっきから、ちょっとずつ重心をずらそうと試みてるのだけれど、ピンで縫い止められているかのように、僕の肩はそこから動かない。

「しばらくこの態勢で居て下さい。 それとも、平助様は私がお嫌いですか?」

「いや、別に、心音が嫌なんじゃなくて…」

心音が、今度は眉根を寄せて、小声で呟く。

そんな顔をされれば、余計動けなくなってしまう。

と、言うか、物理的に動きを封じられるより、ずっと効果があった。

「ギーー」

「ギーー」

「ギーー」

それに、ここで僕が彼女の意向を無視して起きあがったりすれば、周りの人たちも黙ってはいないだろう。

かといって、こうやって膝枕を甘んじて受け入れていても、また視線が突き刺さるのだけれど…。

「平助様。 やはり顔色が優れないようですね。 …後で、もう一度精密検査をさせましょう」

いや、気分が悪いのは、周りからかかるプレッシャーの所為なんだけど…。

それよりも、気になる言葉があった。

「もう一度って…、僕が寝てる間に、一回やったの?」

「五度ほどさせていただきました」

…心音は、平然とそんなことを言う。

僕以外にも、気絶した人間なんていっぱい居たのだから、さぞ治療が遅れただろう。

皆に睨まれている訳には、その辺も含まれているのかもしれない。

「ぎー」

「ぎー」

「ぎー」

うぅ、罪悪感までプラスされると、仮面ごしの視線に負けてしまいそうだ。

少しでもプレッシャーを減らそうと、僕は周りに話しかけてみる。

「あ、あのさ、みんな。 もう勤務時間外なんだから、普通にしゃべっても良いんじゃないかな?」

「ぎ!」

「ギ!」

「ギィ!」

だが、彼らの言葉遣いは変わらなかった。

と、言うか、余計視線が厳しくなった気がする。

彼らにとって、心音はいつも首領であり、勤務時間に関係なく尽くす相手って事なのだろう…。

それはつまり、その心音に対して普通にしゃべっている僕への恨みがこもる原因でもある。

でも、今更「ギー」なんてしゃべり出しても、ダメだろうなぁ。

そんな風に考えていると、心音が口を開いた。

「皆様。 ご主人様はお目は覚まされましたが、非常に疲れておいでです。 ですから、今日の所はお引き取りくださいませ」

彼女が考えてくれたのは、僕の体調か、それとも心情か。

ともかく、その言葉はとてもありがたかった。

彼女にこう言われては、逆らえる人間など、この中にいない。

「ギー…」

「ギ…」

「ギー…」

黒タイツの集団は、悲しそうな声を上げながら、ぞろぞろと部屋を出ていく。

皆が皆、もうし合わせたように項垂れているのが、やけに切ない。

扉が閉まるのを見届けると、心音は大きくため息をついた。

「どうしたの?」

僕が問い掛けると、心音は首を振って答える。

「いえ、平助様の人望の厚さに感服していた所です。 ご同僚とはいえ、あそこまで大勢の人間が平助様を心配するとは…」

「…絶対、僕の人望じゃないと思うなぁ」

メイドさんに膝枕をしてもらっている下っぱ戦闘員なんて、恨みはともかく、人望が集まる人物にはとても思えない。

途方に暮れている僕に、心音の膝枕はとことん心地良い。

だけど、同時に僕を途方に暮れさせているのが彼女なのだから、どうにも救いようが無かった。

「いいえ、平助様はこの組織などでは収まりようも無い、大きな器を持っておられます。 …少なくとも、私はそう確信.していますから」

見上げた心音の笑顔が、眩しかった。

こうやって甘えさせてもらっているからには、きっと、僕は彼女の期待に応える義務があるのだろう。

例えそれが、僕に分不相応な、過剰過ぎるものだとしても。

「なのに…、その大事な平助様のお体に、あの女は…」

急に、心音の表情がこわばり、震え出した。

僕の頭にも、その振動が伝わる。

「えっと、心音? 翔子ちゃんも仕事だっから…」

どうやら、また彼女のことを思い出してしまったらしい。 明らかに興奮状態の心音をなだめようと、僕は声を発したが、彼女には効力を発しなかった。

「いいえ、例え親の死がかかっていようとも、平助様を足蹴にするなど許せません!!」

「そ、そう言う事情なら、許してあげても、いいんじゃないかなぁ…」

まぁ、彼女にそんな事情があったわけはなく、どっちかと言うと八当たり気味にやられたんだけど。

僕としては、実は慣れっこなので気にしていない。

「今度と言う今度は、あの女を平助様に服従させます!」

「服従ねぇ…」

メイド服を着た翔子ちゃんを思い浮かべる。

で、その彼女に「ご主人様」とか言わせてみる…。

まったく似合わない。

「その為に、次は私が打って出ます!」

「って、心音が出撃するの!?」

妄想を広げている僕の脳に、不自然な言葉が進入した。

「はい、これ以上の暴挙を許すことなど出来ません」

「あ、悪の組織のトップが言うことじゃないなぁ…」

「大丈夫です。 平助様は、私が守って差し上げますから」

昔から、心音が僕に言いつづけてきてくれたセリフだ。

でも、今の僕は、素直に心音の後ろに隠れることなど出来ない。

ともかく、これで早くも悪の大王とヒーローの対決が実現してしまった。

…構図は、昔と変わっていない気がするけど。


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