いもうとティーチャー☆

第四十七限:妹ジリツ


「そういえば」

帰ってきた未久美の様子は、いつもと変わりない。

うーむ、やはり自覚してないんだろうか。

兄と、その、接吻をしようとすることのヤバさを。

…なんで俺のほうが照れなければならんのだ。

「さっきただいまって言ったのに、おかえりって言ってくれなかった。 ただいま」

「んなもんどうでも良いだろ」

他の事をもっと気にしろ。

「た、だ、い、まー!」

「はいはい、おかえり」

返事がなかったのが気に入らなかったらしく、未久美は再度大声で俺に言った。

「そうですね。 お帰りなさい、未久美さん」

すっかり落ち着いた淡森も、冷静な様子で未久美に挨拶を返す。

「で、何の話してたの?」

「何って…そうだな」

聞かれて、考える。

色々アホな会話はしたが、一番大きいのはこれだろう。

「こいつの呼び名が、淡森になった」

「あっちゃんは元からあっちゃんでしょ?」

「そうじゃねぇよ。 俺が今日からこいつの事を、淡森って呼ぶことにしたの」

「まぁ、不本意ながら、そういうことになりました」

「お〜」

「何感動してんだ」

未久美が何故か感嘆の声を上げる。

自分から持ち出した話題だが、別に大げさなことでもないだろ。

さっきまでその事で大騒ぎしていたのも俺だが。

…とにかく、こいつの様子はいつもと変わりないようだ。

「なんだ、悩んで損した…」

「え、何が?」

「あんな事したから、どうしようかと思っ・・・」

つい思っていたことが口に出る。

と、淡森が顔をしかめた。

それに気づいて、俺は言葉を止める。

「な、なんだよ」

口に出したのは予定外だったが、何か問題があったか?

未久美の様子だって変わりは無いわけだし、別に良いじゃないか。

が、問いかけた所で、未久美の表情も変わっていることに気づいた。

表情というか、おもに顔の色。

真っ赤。

茹でたタコ。 いや、ロブスターと見間違わんばかりの赤さだ。

「むぅぅぅぅぅぅ」

淡森は呆れ顔で、未久美はなみだ目で、共に非難するような目で、俺を見る。

「なんだよ、別に気にしてないんじゃなかったのかよ!」

「き、き、き気にしてない訳ないでしょー! 物凄くドキドキドキドキしたんだから!」

そういえば、あのときの未久美の顔。 今ぐらい、いや、それ以上に真っ赤だった。

たしかに、アレで平静なわけは無い。

「でも、さっきまでは普通だっただろ」

「さっきまで思い出さないようにしてたの! あっちゃんもいるし。 せっかくなんとか我慢できてたのに!」

「我慢って、お前…」

それで今まで平静でいられたり、俺が一言漏らしただけでこの有様になったりするのか。

器用なんだか不器用なんだかさっぱり分からん奴だ。

「もう、お兄ちゃんのバカバカバカー!」

「いたっ、いたた、痛いわ馬鹿!」

未久美が、ポカポカと擬音がなりそうな勢いで俺を叩く。

動作自体はファンシーな物だが、結構本気で痛い。

「馬鹿っていうお兄ちゃんがバカだもん!」

「まったくです」

「て、てめぇ!」

さりげなく未久美に賛同する淡森。

「お、お兄ちゃんはドキドキとか…しなかったの?」

「す、する訳ないだろ」

上目遣いで、おずおずと未久美が尋ねてくる。

その言葉に、あの時の光景が蘇った。

「…先ほどまで見苦しく動揺していたのは、誰でしょうね」

「うるさいっての!」

あれは、ドキドキとか、そういう類の物ではない。

断じて、決して。

そりゃ、驚きはしたし、こいつには相談までしたが、あれはあくまで倫理的問題という奴で、決してこいつに欲情したとかそういうことでは…って、何を頭の中で弁明してるんだ俺は。

口に出すことは、もっと憚られるが。

「そうなの?」

未久美が、何か期待するような目で俺を見る。

「違う」

「違いませんよ」

俺と淡森が同時に答える。 未久美は俺から淡森に視線を移し。

「そうなんだ」

と、頷くと、満足げな表情に変わった。

「ちょっと待て、今の明らかに淡森の方を信じただろ!」

「…」

名前で呼ぶと、淡森は口を尖らせて俯いた。

まだ照れてるのか、こいつは。

「んふふ…」

未久美のほうはといえば、俺の話をまったく聞いていない。

ご機嫌な様子で笑っていやがる。

「婚約者としてはどうなんだ。 こいつのこのふしだらさは」

「それが未久美さんですし、その辺りはのちのち改善していきます…」

ため息をつきながら淡森。

前向きなんだか後ろ向きなんだかはさっぱり分からん。

「むー、ふしだらって何?」

「のちのちじゃなくて積極的に改善してくれ。 どうせ毎日来るんだから」

「いえ、これからは毎日は来ません。 もう少し、減らそうと思います」

「なんで? 遠慮してるなら…」

「別に遠慮している訳ではありません。 もう、そんな必要も無さそうですし」

意味ありげに、淡森は笑みを浮かべた。

どういう意味だ。

「未久美さんには既に話したことなのですが…」

前置きをして、淡森が俺たち二人を同時に視界に納めるように移動する。

その意図を察して、未久美は俺の隣に座った。

隣というか、ほとんど密着している。

鬱陶しいが、どうせ離してもまた同じ事をされるだけか…。

放っておくことにしよう。

「あまりここに居ると甘えてしまいそうなんですよ、私自身が」

「はぁ?」

淡森の意外なセリフに、俺は真面目な雰囲気を保てずに間抜けな顔をさらしてしまった。

「お前が甘える?」

「…はい」

「甘えん坊ってのはこーいう奴のこと言うんだぞ」

ちょうど良い例が隣に居たので、その頭を鷲掴みにして首をぐりんぐりんと回す。

「むーーー、やめてよーお兄ちゃん!」

未久美がなにやら唸って抗議の声を出したが、聞かずに雪村妹の表情を見つめ続ける。

「未久美さんの甘え方は、可愛らしいので何の問題もありません」

「可愛い…かぁ?」

掴んでいた頭を上に向けさせてたった今可愛いと形容されたその顔を見てみる。

「可愛い? 可愛い?」

俺が判断する前に、本人が変に期待する目で問いかけてくる。

「…そういった感想は特に持たない」

「むー」

期待に沿わない返事を返すと、未久美は不満の声を上げた。

「…」

「あれ、どうしたのあっちゃん?」

と、未久美が雪村妹に声をかけた。俺も視線をそちらに向けると、淡森はぼうっとしていたらしく、未久美の声に慌てた様子で応えた。

「あ、すみません、未久美さんの可愛らしい仕草に見惚れていました…」

「今のぶーたれた態度も可愛いの範疇に入るのか!?」

「当たり前でしょう」

「俺には学会がひっくり返るほどの大胆な新説に聞こえたんだが…」

強固に言い張る淡森に半ば呆れながら、未久美の頭を解放する。

まぁ、あっちからすりゃ、こいつをこんな風に扱える俺だって、同じように見えるんだろうが。

「この家にいるのはとても心地が良い事です。 しかし、それに浸って仕事を疎かにする様では未久美さんのパートナーとしては失格ですから」

「ふぅん…」

毅然とし、背筋を伸ばしながら語る淡森。

甘えるって、そういうことか…。

「お前は、どう思うんだ?」

ふと気になって、隣に座る妹を見下ろす。

「あっちゃんとあんまり遊べないのは寂しいけど、私もあっちゃんの気持ち分かるから」

未久美はそう答えると、珍しく苦笑なんぞを顔に浮かべた。

こいつがそんな表情を浮かべるのは、この話が未久美の人生において、おそらく唯一の失敗に結びつくからだろう。

俺に置いていかれるなんて考えて、必死で勉強した未久美。

結局その無理がたたって熱なんぞ出してしまった訳だが、今でもその努力自体は継続中らしい。

まぁ、もちろんもう無理はしないという条件付で。

未久美と対等でありたいなんて考えて仕事をする淡森と未久美。

何だかんだいって似た者同士なのかもしれない。

「一応お前にも釘さしておくけど、無茶はするなよ」

「平気ですよ。 ちゃんとこうして息抜きに来ているでしょう」

忠告したが、ため息とともに流されてしまった。

まぁ、たしかにこうして遊びに来たりしてるんだ。杞憂なのかもしれない。

しかし、前回の一件でも思ったが、こいつ自分を追い詰めるタイプみたいだしなぁ。

って、俺は何を勝手に他人の人生心配してるんだ…。

「まぁ、それならこの話はこれでお仕舞いだな。 好きなようにストレス発散していけよ」

言いながら、俺は腰を浮かせた。隣に座っていた未久美が、バランスを崩してよろける。

こいつ…俺にもたれてやがったな…。

「えー、お兄ちゃんも一緒に遊ぼうよー!」

床に手をついた状態で、未久美が立ち上がった俺を見上げる。

「一緒に遊ぶったって、何すんだよ。 言っとくけど俺はままごとなんぞに付き合う気はないぞ」

「えー!」

「…マジでままごとする気だったのかよ」

抗議の声を上げた未久美に、あからさまに呆れた視線を向ける。

いくらギリギリ小学生とはいえ、こいつの年でやることじゃないだろ。

「…普通の十二歳って何して遊ぶもんなんだ?」

「私に聞かないでください」

分からなくなって、未だに正座をしたままの淡森に振ってみたが、奴も同じらしい。

こいつの場合は、未久美と遊べれば何でも良いのかもしれない。

「かくれんぼとか、鬼ごっことか、あ、家で出来るのじゃないとダメなんだね」

「…そういう問題じゃねぇ」

それももっと対象年齢の低い遊びだ…。

「まぁ、無理に遊ばなくても適当に喋ってりゃいいだろ」

「だったらお兄ちゃんも一緒にしゃべれば大丈夫でしょ」

「だから、何で俺がお前らにつきあわにゃいかんのだ。 俺はとっとと一人の時間を満喫したいの!」

「あっちゃんとは遊んでたのに…」

「あ、あれはだな。 まぁ一人にしとくのも悪いと思って仕方なく…」

未久美のセリフで、この前のことが思い出されて酷く動揺してしまう。

ああいうことは二度と繰り返さないと決めたばかりであるわけで、弁解にも必死になる。

が。

「あれ? ちょっとからかっただけなのに、お兄ちゃんが慌ててる」

「お、お前なぁ」

いじけていた筈の未久美は、まるで平気な顔をしている。

兄を謀るようになるとは。

これも成長と呼んでいいのだろうか。

「仕方なくですか。 まったく、大層な物言いですね」

淡森は至極冷静で、こちらに皮肉など投げかけてくる。

「て、てめ!」

「まったく、仕方なく相手をしてあげたのはどちらだと思っているのですか…」

「俺だよ、俺! 俺のほうが、お前が所在無さげにしてたから構ってやったんだろうが!」

「そんな事実は一切ありませんでした」

「こんのやろ…」

「とにかく、そういうことでしたら問題は無いでしょう?」

言いながら、とっとと座れとでもいう様に目配せをする。

ようするに、気にしすぎるなと言いたいのだろうか…。

変な気の利かせ方しやがって。

結局座りなおす羽目になる。

「あ、そうだお兄ちゃん」

俺が座ったのを見て、未久美が声を上げる。

「なんだよ」

「お金ちょうだい」

「そーいう物乞いみたいな話題の切り出し方は止めろ」

「未久美さん、お金の援助でしたら私が…」

「そういう話じゃねぇよ」

「こいつの貯金は俺が管理してるんだ」

まぁ、しっかりと説明するなら、うちには両親の口座と俺の口座、それに未久美の口座がある。

で、両親はもちろんといっては何だが、全部の口座から貯金を出し入れできる。

俺は自分の口座と未久美の口座を担当し、炊事なんかの出費は一旦自分で出してから親に報告し、適当な日に受け取ることになっている。

未久美の貯金も、本来は親がおろして未久美に渡すはずなのだが、未久美が金を欲しいときにうちの風来坊どもがいつもいるという事も無いので、結局俺の役回りになった。

「未久美さんはしっかりと自立した大人なのですから、お金は自由にさせてあげるべきです」

「自立した大人…ねぇ」

さっき思いっきり寄りかかられてたが…。

まぁ、言うことに理が無い訳じゃない。

だが。

「え、自分でお金を使うと大人?」

大人という響きに、何やら過剰な反応を見せる妹。

またこいつの悪い病気が始まったか…。

「お前に余分な金もたすと、何しでかすか分からんから却下」

「む〜! そんな事ないもん!」

そういう態度を取るから信用が出来んのだ。

「何に使うんだ? 俺の手持ちもそんなに無いから、あんまり大きい金額だと明日になるぞ」

「えーと…」

俺の質問に、未久美が考え込むような仕草を見せる。

なんだ、具体的には決まってないのか。

俺がつっ込もうとした所で。

「ブラジャーって、いくら?」

妹が言葉を発した。

「はぁ!?」

「み、未久美さん、それは…」

未久美の言葉にただ動揺する俺。 未久美を止めようとする淡森。

「え、何、何?」

自分のセリフが何故俺たちをここまで動揺させているか、分からない様子の未久美。

「んなもん俺が知るか!」

「あ、そっか。 あっちゃんは知ってる?」

「え、あ、いえ…」

「だから、他人に聞くな!」

「む〜、友達だもん」

「そういう意味じゃねぇっての!」

こいつは…本当に羞恥心なんてないんじゃなかろうか。

接吻の話なんてした時にはあんなに取り乱していたくせに。

何年一緒に暮らしても、こいつの精神構造だけは一生把握できない気がする。

「…つうか、必要なのか?」

頭痛を感じながら尋ねてみる。

アレを身に着けるべきタイミングなんて、そりゃぁ本人が見極めるべきものだろうが。

この貧弱な妹にそんなものをつける必要性があるとは思えない。

「必要!」

が、未久美はきっぱりと言い切った。

「早いうちにつけておいたほうが良いって書いてあったもん。 将来大きくしなくちゃいけないし」

「未久美さん。 そういったものをつけて整えられるのは形であって、その、大きさは特に…」

複雑な表情をしながら淡森。 こいつは同じちびっ子の癖に、未久美のその起伏のない胸を愛しているらしい。

何とも病んだ性癖を抱えている身としては、こいつのこの発言は喜べないのだろう。

「え、でも寄せてあげる奴とかで凄いことに出来るんじゃないの?」

「その肉はどこから持ってくる気だ」

「ええと、じゃぁパットとか」

「思いっきり偽乳じゃねぇか」

「そっか、そういえばお兄ちゃんには何買うか内緒だったんだ…」

「だぁかぁら、お前のその貧相な体が次の日いきなり膨張してたら、誰でも気づくわ」

見たら悲鳴を上げそうな奴らも思い浮かぶ。

「ていうか、何でそんな事気にしだしたんだよ」

「里美先生の家にも大きいのがあったし…」

「ぶっ!」

思わず噴出した後、一気に想像が広がって俺は鼻と口を押さえた。

とりあえず、漫画のように鼻血がタラタラと出てくるということはないようだ。

おおきいの…か。

「どこのどなたですか? その里美先生というのは」

なにやら棘の混じった視線で俺を一瞥した後、淡森は未久美に尋ねた。

そういえばこいつは知らないんだな。 先生のこと。

「お兄ちゃんが好きな先生」

「な、お、お前なぁ!」

あまりにストレートな未久美の言いように、俺は思わず立ち上がった。

好きって、別に俺は彼女の事をそういう目で見ているわけではなく、というか憧れというか、それも好きに含まれるのか。 いや、ていうか別にやましい気持ちがないわけではないが。 それはともかくとして、つまり…。

「ほぉう」

頭の中で必死に弁明しているところに、淡森が何やら何かを理解したような、多分分かっていないような呟きを漏らす。

「だ、別にそういうことじゃなくてだな!」

「今日だって、雪村さんのおっきい胸で喜んでたし」

「その話は、聞いていませんでしたが…」

未久美の言葉に声を低くして淡森。

お前がそういう反応をすると思ったから言わなかったんだよ。

「お兄ちゃんのおっぱい馬鹿!」

「色魔」

「だぁー、うるせぇ!」

両方から責められて、俺は半分悲鳴の入った大声を上げた。

で、結局アレの件については、また今度という結論で落ち着いたらしい。


次の授業へ  復習する   時間割を見る   TOPへ