いもうとティーチャー☆
第四十六限:妹ヨビカタ
「それで、廊下に立たされて、どうしたのですか?」
「どうもこうもあるか。 そのままずっとつっ立ってたんだよ」
軽い嘘をつきながら、雪村妹の放った後ろ中段蹴りをガードする。
「それは殊勝な心がけですね」
嘘がばれていないか横目で確かめながら、続いて繰り出される打ち下ろしの右も防御。
距離が離れる。
「…どうせここで逃げたりしたら、もっと面倒なことさせられるだろうしな」
「随分と遅い学習で…」
「うるせぇ」
誤魔化せたと確認しつつ、反撃に転じる。 技後硬直を狙った低空ダッシュ大攻撃だ。
が、カウンター気味に奴の必殺ロサ・ギガントアパーが繰り出され、俺の操るキャラが大きめのダメージとともにダウンした。
「甘いですね」
「ぐ、ぬぅ」
呟くと、雪村妹は座高が明らかにこちらより低いくせに、見下すような視線を使って俺にニヤリと笑った。
その視線を無視する為に画面を睨みながら、コントローラーを握り締める。
俺が家に帰ると、うちの妹の未久美は帰ってきておらず、代わりにこいつが来ていた。
格ゲーに興じながら、こいつが言い出した「そういえばお昼のお弁当はどうでした?」の質問から、この話の流れになったわけだが。
「まぁ、自業自得ですね」
「何で俺の責任になるんだよ」
「未久美さんを弄んだ罰です」
「だ、誰がいつ弄んだ!」
「未久美さんがあんなに頑張ってお弁当を作ってくださったというのに、食べるだけ食べて他の女の所へ行くとは…正に鬼畜生の為せる業です」
「アレをどう歪曲したらそんな解釈が出てくるんだよ!」
とりあえず廊下の件と、あいつに膝枕なんてしたなどという恥ずかしい記憶は省いて話したわけだが、それがまずかったらしい。
「未久美さんの手作り弁当…私だって味見しかしていないというのに…」
「…単なる僻みじゃねえか」
言い合いながら、カチカチとボタンを操作してキャラを動かす。
…こんな事で僻まれるなら、今日本当にあった事をこいつに言ったら刺殺ぐらいはされそうだ。
「そういえばあの弁当、お前も手伝ってくれたんだってな」
「…材料調達と味見ぐらいしかしていません。 あのお弁当は、正真正銘未久美さんが一人で作ったんです」
「そっか」
そのために学校遅刻したってのはやっぱり感心できないが、まぁ、それを言うのは野暮ってもんか…。
「でもありがとな、そこまでしてくれて」
「だ、だから別に私は…そんな、大したことは…。 大体、私に礼を言う前に、未久美さんにはきちんとお礼を言ったんですか!」
「ま、一応な…」
「一応ではなく、きちんと言ってください」
不機嫌な顔のまま、雪村妹はテレビ画面へと顔を戻した。
「あぁ、うん、まぁ、な」
「何ですか、その返事は」
礼を言うにしても、今日あいつが帰ってきたらどうなるか、まったく分からないのだ。
むくれてるだけなら良いが、深刻に考えすぎてドツボに嵌まっていたりはしないだろうか。
「…もしや」
「は?」
「何か隠していませんか?」
「…いや、別、に」
指を動かしながら、雪村妹が問い詰めてくる。
それと対応するかのように、画面上のキャラもじわじわと押されていく。
「大体見当はつきます。 廊下であった事を正直に白状しなさい」
「め、命令すんな」
反撃で打った大振りな攻撃が潰された。
「やはり何かあったのですね」
「う…」
そしてそのまま、勝負に決着がついてしまった。
うぅ、勝率が悪いぞ…。
それにしてもこいつ、流石は政治家…の秘書といったところか。
見事に誘導された俺が思いっきり間抜けに映っている気がするが、それはともかく。
「言っても、ひかないか?」
「ひ、ひく?」
見当がついているといった割には声を上ずらせる雪村妹。
単に鎌をかけただけだったのか。 それともこれから俺が言うことが予想の範疇を超えていそうなのか…。
まぁ、いいか。
とにかく、こいつに話してみよう…。
…ごくり。
「妹に、キスされた」
言ったと同時に俺のキャラの必殺技が炸裂。
ガードが間に合うタイミングだったにもかかわらず、雪村妹のキャラはまともに食らって派手に吹き飛んだ。
手を止めて、雪村妹のほうを見る。
「き、き、き…ちゅー…せ、接吻…ですか?」
雪村妹はコントローラーを放り出して呻いている。
いかん、なんか壊れてるぞ。 なにかこいつらしからぬ単語が登場したし。
「い、いや、正確にはキスしたのはバケツだったが…」
「…なんだ」
「な、なんだってことはないだろ! 実際避けなきゃされてたぞ!」
それを聞いて安堵の声を上げる雪村妹。 事がきちんと伝わっていないような気がして、俺は声を荒げた。
「未久美さんがそれぐらいするのは、予想の範疇です」
「それぐらいって…」
「今の未久美さんなら、それぐらいは何時でもする気配がありました」
「…マジかよ」
ぜんッぜん気付かなかったぞ。
俺が鈍いだけなのか?
それとも、女同士で何か察するところがあったのだろうか。
ついでに愛しい相手なわけだし。
「しかし、実際そういう場面を想像させられると…」
よく見ると、頬が上気なんてしている。
「マセガキ」
「私はもう十二です!」
と、答えたところで、雪村妹が考えるような仕草を見せる。
「どうした?」
「私の事を呼んでみてください」
「なんだよ、急に」
雪村妹がこちらを向いて言った。
唐突な提案に、俺は狼狽する。
「良いから」
が、それにも気をかけず、奴はさらに俺に詰め寄った。
「おい」
とりあえず呼びかけてみる。
「そうではなくて、名前でです。 良幸さん」
お手本を示すかのように、雪村妹は俺を呼ぶ。
名前で呼べって…。
そういえば、こいつ最初にあった時は俺のことお義兄様とか呼んでやがったんだよな。
で、あの日雪村の姉の方と話した時に呼び方を変えて。
その時に名前の事で何か言ってたような…。
「あー…」
「…もう良いです。 やはり私は雪村妹なのですね」
そうだ、こいつ雪村妹って呼び方が、姉の付属物みたいで嫌だとか言ってたんだ。
しばらくごたごたしていた所為で、すっかり忘れていた。
「どうせ普段はお前としか呼んでないから良いだろ。 お前だって俺のこと名前で呼ばねえし」
「そういう問題ではありません。 大体なんですか、お前お前と気安く…。 私は貴方に敬意を込めて対応しているというのに」
「んなもんあったのか」
割と頻繁に見下されている気がするのだが。
「っていうか、オマエとアナタか…」
「それがなんですか?」
「いや…」
なんかそう呼び合うのって…。
「夫婦みたあぶっ」
言いかけたところで、いきなり雪村妹がコントローラーを投げつけてきた。
危ういところでそれを避ける。
「あ、あ、危ねぇな! 何すんだよ!」
洒落にならん速度だったぞ、今の。
俺はバクバクいう心臓を押さえながら、猛烈に抗議した。
「あ、あな、よ、良幸さんこそいきなり何を言い出すんですか!!」
が、奴はそれ以上の勢いで俺に向かって叫んだ。
頬と耳が真っ赤だ。
「何意識してんだよ…。 ちょっとした思い付きだろ」
「い、い、い、意識なんて、あな、良幸さんがおかしな事を言うから…!」
言うから、意識してしまったんだろう。
「私の事を姉の付属物扱いしておきながら、急に、よ、嫁だ…なんて」
興奮した所為か、目の端に涙が浮かんでいる。
「だ、だから、前も言っただろ。 別にお前を雪村のオマケみたいに思ったことなんてないって!」
その表情を見て、平静を欠く俺。
後半の言葉への訂正も忘れる。
「…本当に?」
「あ、ああ…」
聞き返す表情が、一瞬、年相応になった。
本人も自分の表情に気付いたのか、すぐに顔を引き締める。
ただむくれているだけにも見えるが。
「だったら、呼び方を変えてください」
「変えろったって…」
わりかし慣れ親しんだ愛称なのだが、まぁ、本人が気に入らないのなら仕方がないか…。
うーむ…。
雪村だと、本人の前はともかく、頭の中で区別するときに被るしなぁ。
いっそ未久美に倣うか。
「あっちゃん」
「はい?」
「あっちゃん、あっちゃん。 あはよう、あっちゃん。 こんにちはこんばんわあっちゃん。 …この色ボケあっちゃん」
「ドサクサにまぎれて、何か礼を欠いたセリフを言いませんでしたか?」
「ダメだな、しっくり来ねぇ。 そもそもお前、あっちゃんなんて顔してないし」
「余計なお世話です!」
未久美と同じように呼んでみたが、どうにも違和感がある。 そもそも口喧嘩にでもなったとき、この愛称で呼んでたら気が削がれそうだ。
…それは、問題ないのか。
「お前は何か無いのかよ。 こう呼んで欲しいとか、こう呼ばれたらなんでも言うこと聞く気になりそうだとか」
「後者の条件なら、該当するものは絶対に無いですね」
まぁ、後者のは冗談としてもだ。
本人に希望があるなら、そっちのほうが良いだろうし。
俺の問いに、考える仕草を見せる。
「淡森…で、良いです、もう」
ため息をつきながら、そう呟いた。
「嫌いって言ってなかったか? その呼び方」
「この際仕方ありません…。 放っておいたらどんな呼び方をされるか分かったものではありませんし」
「それじゃ、決定だな」
雪村妹…いや、奴の顔を見る。
同じように、あちらの無愛想な目線が俺の顔に向く。
とりあえず正座。
あちらも俺に倣って同じように正座をする。
「えーと…」
「はい」
…しまった。 ついノリでこんな事したが、改まると逆に言い辛い。
こいつにしても、そんな真面目な表情なんてしなくてもいいのに。
しかし、こうして無駄に見詰め合っているわけにも行くまい。
「あ、あ、淡森…?」
意を決して口を開く。
どもった所為で、余計恥ずかしさが増す。
「は、はい」
あ、返事をする声が裏返った。
俺の緊張が伝染したのか。
…ゆき、淡森も自分の声に動揺したようで、絡んでいた視線を外し、俯いた。
その後に言葉が続かず、お互い無言のまま黙りこくる。
くそ、こんな事なら、さらっと呼んでしまえばよかった。
「の、飲み物でも持ってくる」
耐え切れなくなった俺は、自分でも感じるほど唐突なタイミングで立ち上がり、上ずった声のままそう告げた。
「は、い…」
さっきと同じ緊張した返事が、淡森の口から洩れた。
俺と同じくらい、いや、俺よりも酷いくらいだ。
それを感じると、俺の恥ずかしさは逆に収まってきた。
そもそも、なんで緊張しているのかも分からない。
なんだか、自然に頬が緩む。
「な、何故笑うんですか!」
「別になんでもないって、淡森」
「だ、だったら、そんな風に、笑ったりすること…」
反論しようとしていた淡森の声が、次第に小さくなりながら消えた。
立って見下ろしている所為か、淡森がとことん小さく見える。
実際小さいんだけどな、こいつ。
からかい過ぎただろうか。
「ま、普段は今までどおり、そんなに名前で呼ぶ機会はないだろ。 だから安心しろよ」
「え?」
からかうのはこれで終わりにしようと決めて、宣言通りに飲み物を取ってこようと淡森に背を向けようとする。
が。
「待って!」
体を回転させる途中で、急に足が引っ張られる。
バランスを崩した俺は、そのまま盛大にコケた。
階下への騒音が心配になるような大きな音と衝撃が、尻を襲う。
「いってぇ! お前、何するん…」
「べ、別に、名前で呼ばれるのは、嫌じゃありません! だから…」
俺の抗議よりも大きな声を出して、淡森が尻餅をついた俺に詰め寄った。
そして、そこで言葉が途切れる。
「名前で呼んでほしいのか?」
俺は後に続く言葉を想像して、淡森に問いかけた。
「…っ」
淡森の顔が朱に染まる。
そうかと思えば、その赤さのまま俺を睨みつける。
未久美だったら、むぅやらむぅ〜やらの呻き声が聞こえる感じだ。
まぁ、こいつの性格からして、本当にそう思ってても、口には出せないだろうな。
「分かったよ、淡森」
俺も目を合わせたまま、淡森の名前を呼ぶと、あちらが先に目を反らした。
なんだか、少し、ほんの少し、可愛いなんて思ってしまった。
手が、頭へと伸びる。
が、俺の手が淡森の髪まで数ミリという所で、ビクリと淡森が身を引いた。
「な、な、な、何をしようとしたんですか!」
「いや、別に・・・」
俺も冷静に戻る。
冷静に戻ったなら、ちょっと頭を撫でようと思いましたなどと言えるはずもない。
ましてや俺が先ほどこいつに持った感想なんて・・・。
「わ、私はあくまで未久美さんの伴侶です! 貴方と、そういった淫猥な行為を行なう気はありません!」
そんな事を煩悶していると、淡森のほうからとんでもない誤解が飛び出した。
「だ、だ、誰がそんな事しようとした! 意識しすぎなんだよ、このエロガキ!」
「どっちが色魔ですか! そうやって節操無く手を出すから、未久美さんが・・・」
今日何度か言われた覚えがある言葉が、淡森の口から発せられる。
奴が言い終わる前に反論しようと、俺が息を吸い込んだところで。
「ただいまー」
扉が開くとともに、聞きなれた声が響いた。
「…帰ってきた」
しまった。 こいつとじゃれてたおかげで、未久美にどう対応するか考えるのを忘れてた。
いや、変に考える必要は無いのか?
さっきの淡森だって、未久美が何時あんな事をしてもおかしくなかったとか言ってた訳だし。
いや、でも…。
「何を悩んでるんですか」
「あ、いや、あいつとどう接しようかと思って」
「何言ってるんですか。 いつも通りで良いんですよ」
淡森は柔らかく笑った。
なんだか、励まされたようだ。
まったく、年下のくせに生意気な奴だ。
「でも、この体勢は何とかしたほうがいいだろ」
「…は」
俺に指摘されて、淡森が慌てて周りを見た。
尻餅をついた俺が広げた足と足の間に、淡森がすっぽりと収まっている。
図としては、俺が押し倒されたような感じだ。
まぁ、実際には引き倒されたのだが、見る側にそんな差異は見分けられないだろう。
「あれ?」
部屋に入ってきた未久美が、俺たちの体勢を見て声を上げる。
「ち、違うんです、未久美さん。 これは…」
淡森は凄い勢いで立ち上がると、未久美に必死で弁解を始めた。
ううむ、ぞっこんという奴だな。
何処がいつも通りなんだか。
まぁ、こいつらしいって言えばこいつらしいが。
その勢いに、未久美も当惑気味だ。
助けを求めるような、未久美と目が合う。
・・・なんだ、こいつもいつも通りだ。
本当に、あのぐらい当たり前だと考えていたのだろうか。
まぁ、ここは雪…淡森に任せよう。
勝手に納得して、俺はそのまま二人を見守ることにした。
ゆ…淡森の弁明が終わったのは、それから5分後だった。