いもうとティーチャー☆
第四十一限:妹ベッキョ
最近、未久美の様子が何かおかしい。
今までだって充分突飛だったり不可解だったりしたあいつの行動だが、今回がその中でも特に奇異と言う訳ではない。
ただ…。
「二日目か…」
「何が?」
声を漏らした俺に、風邪も治っていつも通りになった姫地が尋ねる。
「いや」
「食事中に便秘の話題なんてするな」
「誰がいつそんな話をした!」
「だってお前が二日だとかなんとかいうから、てっきり出てないのかと…」
購買で買って来たカレーパンを頬張りながら、秀人のアホがアホらしい分析…もとい勘違いをかます。
「良いから、それ以上この話題を続けるな…」
俺は決して、自分の腸の具合を心配していた訳ではない。
問題は、いつものこと過ぎて嫌になるが、妹のことだ。
俺に起こる問題は8割方があいつ関連な気はするが。
自分の人生について考えたくもなるが、それについては今はとりあえず保留にしよう。
「…水と繊維を取りなさい」
ずいっと、小学生が常用しているような、プラスティックのストロー付き水筒を差し出してくる雪村。
逆の手は、ウサギ型に切ったリンゴを箸で串刺しにしている。
こいつの趣味は、本当に分からん。
「だから、そうじゃねぇ。 その話題は保留以前に破棄だ」
「保留?」
「気にすんな」
姫地は相変わらず細かい所に気がつくやつだ。
良い嫁…もしくは嫌な姑になるだろう。
「つうか、ユッキーの飲み物は水かよ」
「…実はアンバサ」
「アンバサ!?」
「アンバサかよ!」
「懐かしいねぇ〜」
アンバサ…。
カルピスの濃いヤツというのが、俺の今は無き奴への印象だ。
いや、実際に目の前にあるのか…。
少し前に某コンビニでも復刻したらしい。
「…事前に言ってくれないと、水なんて仕込めない」
「そんなもん水筒に常備するほうが、よっぽど困難だろうが…」
こいつは俺たちが気づかない間、毎日アンバサを飲んでいたのか。
ネタのためなのか、本当に好きなのか。
「仕込むといえば…、知ってるか?」
「下ネタだったら、今度こそ殴るぞ」
「…絶対避けてやる」
「図星かよ」
「未久美先生のことなんだが」
殴ろうとしてこぶしを固めていた俺だが、秀人の出した名前に手がとまる。
「先生がどうかした?」
「今、里美先生の家で同棲してるらしい」
一度止まった手が自動的に動き、秀人の顎を突き上げるように打った。
「な、なにをするだー!」
秀人が訛りと誤植の狭間のようなおかしな発音で、俺に抗議する。
もう少し強めにうっときゃ良かった…。
「おかしな言い方をするな。 部屋に泊まってるだけだろうが」
「え、そうなの?」
「なんだ。 良幸も知ってたのか」
「ま、まぁな」
秀人たちにすれば最新の情報だったのだろう。
現に姫地も驚きの声を上げた。
三日前にあいつが出て行くのを見た俺にすれば、知ってるも何も無いわけだが…。
里美先生に書類を届けて一泊だけする筈だった未久美は、未だに帰ってきていない。
母に一度連絡はあったそうだが、それ以来音沙汰なし。
学校にも来ておらず、HRと担当教科の数学は、里美先生が代わりに行った。
最初からそのつもりだったのか、それともあっちに行ってから決めたのか。
荷物も何も持っていかなかったし、前者は無いと思うんだが。
しかし、だったらその原因は…。
「…別居」
「結婚なんてしてねぇよ」
結婚はしてないが、多分俺の所為だよなぁ…。
送った時のあいつ、なんか変だったし。
「いや、それは甘い…。 何せ天才だし、許婚ぐらいいたりするのかもしれんぞ!!」
天才だからという理由はさっぱりだが、まぁ、確かに結婚をせまってる奴はいるな。
「そうだね、ボーイフレンドならいるかも」
そして残念。 ガールフレンドだ。
秀人は叫んだ後、自分の思いつきに耐え切れないかのように頭を抱えた。
そのまま肘を机について、ぶつぶつと呟く。
「きっとあれだ。 その恋人があまりに冷たいので、里美先生に鞍替えしてしまったのだ…」
「だから、なんでお前はその組み合わせに拘る」
百合だとかごきげんようだとか、流行だとかギガンティアだとか、訳の分からない単語が秀人の口から流れていく。
俺はそれに、苦い顔をしながらツッコミを入れた。
実際、その妄想は十%ぐらいは真実を含んでいるかもしれないからだ。
かなりの間あいつを放置したし、言葉のあやで誤解も与えた気がする。
しかし、俺に辟易したというなら駅でのあいつの態度はおかしい。
そもそもあいつが言った、俺に追いつくって何だ?
「むぅ…」
「何で片野君も高山君と同じ体勢してるの?」
「悲しみの共有…」
言うと、雪村も俺たちと同じく、頭を抱えて机に肘をつく。
ただし、顔は真顔。
「片野君、私もやったほうが良いかな?」
「知るか」
いつもどおりのバカなやり取りをしながら、昼休みが終わった。
放課後になり、俺は職員室前に来ていた。
里美先生に、未久美が学校へ来ていない理由を聞くためだ。
「に、しても…」
職員室の前で待っているのは居心地が悪い。
中に入って里美先生を呼び出せれば話は早いのだが、俺にはその理由が無い。
したがって、こうして先生が出てくるのを待ち伏せして、さも偶然会ったかのように話しかけなければいけない訳だが。
なんか、めちゃくちゃ格好悪いよなぁ、これ。
気になる異性と必死で接点を作ろうとする、気弱な男のようだ。
実際、秀人辺りに一部始終を目撃されていたらそう言われるだろう。
「はぁ…」
ため息が出るが、未久美とずっとこのままというわけにもいかないだろう。
後は俺の虚しさが臨界点に行く前に、先生が出て来てくれれば問題ないのだが。
そんなことを考え、虚しさを臨界点へ向けて順調に溜めている間に、三十分ほどの時間が経った。
虚しさはほぼ臨界になったが、半端に時間が経った分、このまま帰るのも癪になってきた。
こうなったら一時間でも二時間でも待ってやろうと、俺が心に決めたときだった。
「あら、どうしたの良幸君」
何の前触れも無く職員室の扉が開き、中から里美先生が顔を出した。
…しまった。 完全に不意打ちだ。
「もしかして私に用?」
「い、いや、偶然です」
「でも、今職員室の前で、誰か待ってなかった?」
「ちょっと休憩してただけです」
「休憩って…、教室からここまでそんなに距離は無いでしょ」
「最近疲れやすいんです」
矢次に来る先生の言葉に、混乱した頭が対応し切れない。
何回か脳味噌の無いような答えを返してしまう。
「…辛いようだったら、病院に行きなさいね」
先生が思いやりのこもった言葉を送ってくれる。
憐れみがこもっているように聞こえるのは、俺の幻聴だろうか。
体の病院じゃないほうを薦められている気すらする。
…よそう。 混雑した思考回路が癇癪を起こしているだけだ。
とにかく、何か適当な話題を…。
「ところで先生」
「何?」
「えーと…」
やばい。 未久美のことが引っかかって何も思いつかないぞ。
「結構長い時間職員室にいたみたいですけど、会議かなんかですか?」
「あら、やっぱり待ってたのね」
「あ…」
しまった…。
本格的に馬鹿か俺は。
先生は俺の間抜けな表情を見て、くすりと笑った。
それは大人の女性らしい艶やかさで、俺は一瞬目を奪われる。
「それで、待ってたのは私? それとも…」
「か、片野先生なら、今日は来てないですよ」
言ってからハッとする。
何も先生は未久美のことなんていっちゃいない。
俺の言葉を聞くと、里美先生は呆れたようにため息をついた。
「未久美ちゃんのことが気になってるのね」
見事に言い当てられる。
何で今日の先生は、こんなに鋭いんだ。
焦りながら、とっさに言い訳をする。
「ち、違いますよ! 今名前を言ったのは、ただ単に思いついたからだけで…」
…今日一日出来の良い言い訳なんて出そうにない気がしてくる。
「そう? じゃぁ未久美ちゃんのことはどうでも良い?」
「どうでも良いなんて訳…!」
反射的に言いかけて、理性がそれを止めた。
こんな所で俺がいきり立つのも不自然すぎる話だ。
そう思って堪えたが、こんなときでも体裁を気にする自分に嫌気が差す。
「それじゃぁ未久美ちゃんのこと、一応聞いておく?」
「はい…一応」
自分自身に皮肉を込めて言葉を発した。
言った後で、先生への皮肉と取られるのではないかと気を揉んだが、先生は俺の言い回しを別段気にしている風ではなかった。
それとも、俗に言う大人の余裕というもので受け流したのだろうか。
「未久美ちゃんは今、私の家で勉強してるわ」
馬鹿なことを考えていた所為で、一瞬先生の言ったことが理解できなかった。
そうでなくとも、それは理解しがたい情報だった。
「勉強って…なんでまた?」
あいつは生粋の天才である。
いや、そういう言い方をすると、あいつが何もしないで飛び級をして大学まで出たように思えるが、勿論そうではない。
それなりに試験だって突破してきたし、分からない問題もあった。
しかしあいつは難しい問題を見ればわくわくし、数学の問題集を見れば涎を垂らすような奴だ。
とりあえず楽しそうな問題を解いていたら、いつの間にか飛び級してたとは、あいつらしいアホな言葉である。
何かの間違いで未久美が有名になりでもしたら、未久美語録として出版するか。
奇言迷言も多いことだし、簡単にページが埋まりそうだ。
…まぁ、無事に関係が修復できてからの話だが。
ともかく、その未久美が今更閉じこもって勉強とはどういうことだろう。
「さぁ? きっかけは私にも分からないわ」
言いながら先生は、職員室の扉の前からゆっくりと離れていく。
俺も後に続いて歩いた。
「っていうか、勉強って今更何を…」
「う〜ん…手当たり次第って感じだった。 特に目当ての物なんて無いんじゃないかしら」
そりゃぁ、未久美も大学を特例でスキップできるほどの常識はずれだが、あれでもまだちびっ子なわけで、学んでいないことだって確かにあるだろう。
だからって何で今、学校を休んでまで…。
結局疑問はそこに終始する。
「あの勢いだと、新しい公式でも探してるみたいね」
「って、そんなの簡単に見つかるものなんですか?」
「まさか」
「そう、ですよね…」
当たり前だ。 そんなものが2日やそこら頭を捻ったぐらいで出るようなら、数学の教科書だって一ヶ月で作り変えなきゃならないことになる。
先生があまりに真面目な顔をするものだから、一瞬勘違いをしてしまった。
「違うか…」
本当は、未久美ならできるんじゃないかと、俺は少しだけ考えしまっていたのだ。
頭では、あいつがきちんといろんな事を積み重ねて、それでも今もっている能力は限られたものだと分かっている。
しかし、同時に俺の芯は、あいつなら世界の誰も考え付かないような物を、簡単に発見してしまえると信じている節がある。
良く言ってしまうなら、それは期待と言い換えても良いかもしれない。
だが、俺はその自分が勝手肥大させた未久美像に、嫉妬を感じている。
始末が悪い。
格好も悪い。
「良幸君。 どうしたの、考え込んじゃって」
階段前で、先生が歩調の遅れた俺を振り返る。
「あ、いや、なんでもないです」
「そう」
尋ねたのは先生だが、特に俺の態度を不審に思っている風ではなかった。
そっけなく、階段を下り始める。
ただ何も感じなかっただけかもしれないが、なんとなくそうは思えない。
「そういえば、未久美ちゃんのことで、ちょっと困ったことがあってね」
「え?」
先生の態度を逆に訝しがっていた俺に、里美先生は別の話題を振ってきた。
その会話に対応するため、急いで思考を切り替える。
「彼女、真っ暗だと眠れないんだって」
「あぁ…」
そう言えばそうだ。 子供なあいつは、明かりを完全に消されると眠れない。
見えないと不安なんだそうだ。
「知ってる?」
「い、いえ、…そういう人もいますよね」
適当に嘘を混ぜた相槌をうつ。
確かにそういう人間もいる。 ただ、あいつの睡眠に関しては、それより困ったことがあるはずだ。
「それは良いんだけど、いくら部屋を明るくしても寝られないのよね、未久美ちゃん」
「…そうなんですか」
すっとぼけた受け答えをしながら、俺は裏で考えた。
未久美が暗いと寝られないのは見えない事が不安な所為であり、人影が見える程度の光があれば問題は無いのだ。
つまりは、俺の人影が。
「不安なんだって」
あいつ特有の奇病…。
それは、兄がいないと眠れないという非常に不可思議なものだった。
小さい頃からべたべたさせ過ぎたのが原因なのか、それとも前世で何かあったのか。
ともかく未久美は俺が見える範囲に居ないと寝られない。
正確に言うと寝にくい。
大学に通っていた半年間は、ギリギリまで勉強してそのまま机に寝ていたというのだから、狂言の類ではないだろう。
ついでに、あいつの睡眠に関してはもう一つエピソードがある。
中学校の頃、飛び級した未久美と俺は、同じ中学に通っていた。
で、中学校の主なイベントといえば、修学旅行がある。
年齢一桁の真性ちびっ子である未久美も、当然のように付いてくる。
ただし、言うまでも無く、あれは男子と女子の部屋が別だ。
予想していなかった俺も悪い。 多分この条件を聞けば、大体の人間が話のオチまで予想できると思う。
妹は案の定眠れなかった。
本来修学旅行なんていかに寝ないかを競ったりするものだが、幼女でしかも飛び級までしてきた天才児が眠れないとなると、周りも不安になる。
べそまでかき始めた未久美に、同室の女子が事情を聞く。
全員が好きな子談義に熱くなる男部屋。
その中で「別に居ない」と発言してムッツリ呼ばわりされていた俺が、教師に呼び出される。
これこれこういう事情だから、お前が女子の部屋に行きなさいと言われる。
何で女子の部屋になんかと、思春期らしい抗議をする俺だが、それも妹の希望ということで意見は却下される。
教師も権力には弱いのかと、変に悟りながら、俺は渋々女子の部屋へ。
女子だって嫌がるだろうと思ったのに、あっさりと歓迎ムード。
ただし布団はしっかり隅っこで、しかも妹と一つ。
あいつはあいつで、俺が来れば急に元気になりやがって、人の顎下で今日の出来事なんて楽しそうに語りやがる。
相槌を打つ度にクスクス笑い。 邪険に扱えばブーイング。 部屋に入る前にあった中学生的な妄想だの、緊張でこっちが眠れないんじゃないかと言う心配だのは見事にはずれ、浅い眠りの後、気付いたら朝だった。
そして廊下に転がされていた。
釈然としないまま男子部屋に戻ると、奴等はまだ談義を続けていた。
寂しい気持ちを紛らわすため、適当に参加してやろうとしたら、「お前はもういい…」と口を揃えて言われた。
何がもういいのかは未だに分からない。
…まぁ、とにかく、だ。
「それで、片野先生は、結局眠れなかったんですか?」
過去の検索の結果、ダメだろうなと予想しつつ、俺は先生に聞いた。
「一応は、寝られたわよ」
すると、意外な返事が返ってくる。
そういや、あの頃とは違いあいつも二桁幼女なわけだし、その位は成長したか。
…いや、この前一緒の布団で寝たときも、同じようなこと言ってたな。
じゃぁ、何でだ。
「先生、なんか特別なことでもしたんですか?」
「ギュッ」
階段を降りきったところで、先生が自分の体の前で腕を交差して、何かを抱きしめるようなジェスチャーをした。
豊満な体の一部が潰れたりしたが、それは見なかったフリをする。
「未久美ちゃんが寂しそうだったから、抱きしめて寝たの」
「せ、先生がですか!?」
「私は一人暮らしよ。 他に誰が居るの」
「はぁ…」
ここで先生が子持ちだとか衝撃の事実が出ても困るが、これはこれで衝撃だった。
未久美はこの先生に…。
「そしたら未久美ちゃん、安心してくれたみたい。 少ししたら寝たわ」
思わず先生の体を見つめてしまっていたことに気付き、慌てて視線を戻す。
…本当に、秀人の言っていたような展開になってきたな。
「凄く可愛いわね、未久美ちゃんの寝顔」
「…知りませんよ」
少なくとも、凄く可愛い未久美の寝顔など、俺は見たことがない。
見たことがあるのは、ちんちくりんの幼女の緩みきった寝顔だけだ。
よってこれは嘘ではなかった。
「良幸君の寝顔も可愛いのかしら」
誘うように…と、いっても何にかは分からないが、そんな笑顔を俺に向ける里美先生。
「んな形容詞、生まれてこのかた使われた事ありませんよ」
内心ドキドキしながら、俺は切り返した。
「あら、普段の良幸くんだって充分可愛いのに」
「…っ!」
「そうやって照れる所とかね」
が、あえなく撃沈。
弄ばれている…。
響きは甘美だが、想像していたのとは少し違う。
と言うか俺は、未久美のことを聞きに来たのだ。
こんなことで青春を感じている場合じゃない。
「そ、それで、片野先生は学校に来そうにないんですか?」
「私も彼女に言ってはいるんだけど、どうしても譲れないみたいで…」
「そうですか…」
ここまでの話を聞いてると、俺を避けてるってわけじゃ無いらしい。
ただ何か、あいつのしたい事があって、そしてそれは多分新しい数学の公式を発見するとかじゃない。
それもあるかもしれないが、多分それはその何かをするための手段だ。
あいつがしたい何かって…何だ?
「でも、未久美ちゃんもこのままじゃ困るわよね、将来」
「…別に、今のままで充分ですよ」
「一人で寝られないのは問題だと思うわ」
「あぁ、そっちですか…」
俺の受け答えに、先生が訝しげな顔をする。
さっきまで先生はその話をしていたんだから、当たり前じゃないか。
何を勘違いしてるんだ、俺は。
「毎日抱きしめてくれる人が出来れば、問題ないんだけどね」
「先生みたいな?」
「う〜ん。 どちらかというと、恋人とかのほうが良いわね」
下駄箱につき、そこで一旦立ち止まる。
下校時間から少し経った所為か、人通りがほとんどない。
教員用出口はまた先だ。
「まだ子供ですよ、アレは」
「先生に向かってアレなんていっちゃダメでしょ」
「別に、子供は子供でしょう」
注意されたにもかかわらず、ひねくれた言葉を重ねてしまう。
また怒られるかと思ったのだが、先生は俺の言葉を聞いて軽く笑っただけだった。
「…もしかしてやきもち焼いてるの?」
「お、俺が誰に嫉妬するって言うんですか!」
「将来、未久美ちゃんを抱きしめる誰か」
「そんなもん、俺の人生には何の係わり合いもありません…」
先生の突拍子もない言葉に動揺し、その後変に気が滅入った。
俺がまだ居もしない人間相手に嫉妬?
未久美じゃあるまいし。
俺はただあいつとこんな状態なのが嫌なだけで、別に独占したいとか思ってるわけじゃない。
シスコンな訳でもない…はずだ。
そうやって心を宥めすかしても、苛立ちは収まらない。
「なんなら、良幸君が毎日抱きしめてあげれば?」
「だから、俺は別に…」
さっきから何を言ってるんだ、先生は。
仮にも俺とあいつは教師と生徒だぞ。
生徒に淫行を勧めてどうする。
「まぁ、未久美ちゃんも成長してるしね。 いつまでもそうするわけにはいかないか」
俺の話も聞かずに、先生は言葉を続ける。
この言い方じゃ、まるで…。
「それにもう…」
一旦、先生は言葉を切る。
思考がずれかけた俺の注意を戻すかのように。
「抱きしめてあげるだけじゃ、足りないみたいだしね」
「はぁ?」
せっかく意識を傾けた言葉は、理解不能なものだった。
本気で、今日何回も思ったが、今一番強く感じた。
何を言ってるんだ、この人は。
「それじゃ、また明日ね、良幸くん」
唐突に話を切って、先生はスタスタと歩いていってしまった。
一人下駄箱に取り残された俺。
気になったことも聞けずじまいだ。
ため息をついて、そのまま帰路につくことにした。
「まっ、本人が隠したいんならいいか」
職員用下足室で、先生のそんな呟きが漏れたことを、俺は知らない。