いもうとティーチャー☆

第三十六限:妹ツレコミ


帰りのHR。

今日は結局数学の授業が無かったために、未久美の姿を見ることができるとしたらそのときだけだった。

なのだが。

確かに6時間目の古文はやたらと退屈な授業だった。

教科書の内容がそのまま読み上げられた後、その訳文が黒板に写されるだけ。

こんな授業を楽しみにするのは、俺の前の前の席で落書きしている男か、休むことなくメールを打ち合っているドアから二番目、前から三番目の女だけだろう。

で、退屈でありその潰し方を知らない俺はどうするか。

いや、どうしたなんて能動的なものではないが、とりあえず、頭と机から発せられる、強烈な引力に任せて、俺は机に突っ伏した。

そして、今。

「の、脳髄が…」

俺は後頭部を押さえながら悶えている。

「二回目成功…」

「…二回もやるなこんなこと」

朝にかまされた雪村の悪戯(本人曰く)が、また俺の延髄を襲ったのだ。

「…片野君が、ぐっすり寝てたから」

「できれば、もうちょっと感謝できる起こし方をしてくれ」

それに、さらに贅沢を言わせてもらえるなら、もっと早く起こしてもらいたかった。

周りのクラスメイトは既に、帰宅体制に入っている。

教卓にも既に、今日は遅刻してきたはずの教師の姿は無い。

つまり俺は、未久美が帰りのHRを行っている間、ずっと寝ていたわけだ。

学校で顔を見ることができる最後のチャンスだったのに…。

「まぁ、良いか…」

顔なんて、後からいくらでも見ることが出来る。

今はとにかく、早く帰ろう。

頭を振りながら、俺は頭を起こした。

伸びをして、鞄にプリントを適当に詰める。

「とりあえずサンキュー。 んじゃ、俺は帰るぞ」

放って置かれていれば明日の朝まで寝ていたかもしれないと少々強引に考えて、俺は雪村に礼を言う。

それから鞄を持って、立ち上がった。

「…待って」

そして背を向けた瞬間、雪村が俺の腕を掴む。

「なんだ?」

「…一緒に帰りましょう」

「は?」

俺は思わず聞き返す。

いや、冷静に考えれば、別に驚くほどの話じゃない。

前には姫地と三人で帰ったこともあるし。

雪村にしたってこの性格だし、何かを意識しているわけじゃないはずだ。

付き合いも短いから、ひたすらに当てずっぽうでしかないのだが。

「…嫌?」

「そんなわけねぇだろ」

思わず声に詰まりながら、俺は答える。

なぜ動揺しているのかは、自分でも分からないまま。

「…じゃぁ、行きましょう」

そういうと雪村は自分の鞄を持って教室の後ろへ移動する。

後に続く俺。

「…」

だが突然、雪村は動きを止め、何かを思案するように黙り込んだ。

「どうした?」

「…少し待っていて」

と、不意に姫地の席に向かう。

そして前屈みになり、中のプリントを取り出し始めた。

「ん、届けてやるのか?」

その状態のまま、俺のほうを振り向き、コクリと頷く雪村。

そしてまた、机を漁りはじめる。

俺はそれを、ぼーっとしながら眺めていた。

真後ろに立っているため、自然と目が雪村の脚にいく。

ピンと伸ばされたその足。

結構長いな…。

ふくらはぎ、膝裏、ふともも。

足首で分かれた曲線が、膝で合流する。

そしてそれがまた、スカートより少し下で左右に分かれ、三角形を形成している。

前屈みになってる為にスカートがいつもより上がり気味で、少々キワドイ…。

秀人は確かこれを、魅惑の三角地帯とか呼んでいた…か…。

「…終ったわ」

雪村が姿勢を戻し、俺のほうを向いた。

それとは逆に、咄嗟に俺はそっぽを向く。

…何を考えてやがる、この頭は。

お前にはもっと考えるべき問題が沢山あるだろう。

色ボケた事を考えてるような場合じゃないだろう。

それとも寝ボケてるのか?

そうやって罵りつつも、スカートの裾を直す雪村にギクリとする自分を、俺はとてつもなく情けなく感じた。

そうして、俺の長い下校が幕を開ける。

 

帰りの電車はいつも通り、混んではいないが座れもしない微妙な混み率である。

どうせ家までは大してかからない。

俺と雪村は普段開く方とは反対方向のドアの前に陣取り、向かい合った。

駅へ向かう課程の描写は省く。

どうせ一言もしゃべっていない。

「…」

「…」

こんな具合に、寂しいほど、全く持ってだ。

車内に入っても、雪村から何か話しかけてくる様子も無い。

俺から何か話題を振るべきなのかもしれないが、さっきの足の件が自身を戒め、容易に浮かれた話題を持ち出させてくれない。

かと言って、重い話を議論できるほど元気でもない。

雪村は仮にも女子なわけだし、いきなりそんな話をされても困るだろう。

…いや、なんか普通に受け答えされそうな気もするんだが、まぁ気の所為という事にしておこう。

軽い話題で軟派っぽくない奴。

と、いうと、やはり当たり障りのない世間話が妥当か?

天気の話とか…。

って、何で夕方にわざわざ天気の話なんぞしなきゃならんのだ。

大体、俺は何だってこんなに雪村を意識してる。

…まさか、脚を見せられたぐらいで心が動いてるわけじゃないよな?

あっはっはっはっはっは。

まさか、なぁ…。

「…どうかした?」

そんな風に苦悩している俺に気付き、雪村がこちらを向く。

本当なら、ここで会話を作ったほうが良いんだろうが。

「…いや、別に」

「そう…」

俺はそっけない返事をし、雪村もそれで納得し、下校最初の会話は終わってしまった。

でもなぁ…。

まさか正直に、自分の性癖について悩んでいたなんて言うわけにもいかんし。

しかもお前の脚がきっかけだなんて言おうものなら、変態認定への確定コンボだ。

しかし、雪村って二人きりだとこんなに静かだったのか…?

確かにいつも無言だが、要所要所でボケていると思ったのだが。

ああ、でも確か、姫地も言ってたな。

二人で会話する時は、大体あいつが一方的に喋ってるって。

いつもこの調子だというのなら、姫地も本当に大変だな。

今まともに喋っていない俺が言って良いセリフじゃないだろうが…。

「…片野君」

不意に、雪村が俺を呼んだ。

「ん、なんだ?」

「…楽しい?」

言葉足らずだが、要は頭に「私といて」とか、「話題がなくても」とかがつくんだろう…。

気にしてたのか。

だとしたら、悪いことしちまったな…。

「こっちこそ黙ってばっかで退屈だっただろ。 悪ぃな」

俺が言うと、雪村はフルフルと頭を振る。

「…誘ったのは、私だから」

「そんなことで責任なんて生まれねぇよ。 それよりもしかして、なんか言いたいことでもあったのか?」

本当なら、自分を攻めているような感じの今の雪村に、このセリフはまずいと思う。

このタイミングでこんなことを言えば、用がなければ誘うなと言っているようにもとれてしまうからだ。

それでも今日、このタイミングで雪村が俺を誘ったのには、訳があると、俺は確信めいたものを持っていた。

「…妹のこと」

雪村が呟く。

不覚にも、そしてまたしてもギクリとなる俺。

平静を装いつつ、俺は雪村の言葉に応える。

「俺達が、何で知り合ってるかってことか?」

聞くと、雪村はまたフルフルと否定の意を表した。

「…片野君と淡森の馴れ初めは、別に良い…」

「だぁから、そういう含みを持った言い方すんな」

俺がつっこむと雪村は茫洋とした目を少し細める。

それだけでその表情が、俄かに真剣身を帯びた。

「…半年ぐらい前から、淡森は明るくなったわ」

そして、語りだす。

「とくにここ数週間は元気いっぱいで、仕事も沢山こなして、夕方になると何処かに出かけて、また元気になるみたいだった…」

「元気いっぱい、ねぇ…」

まぁ、確かに怒ってばかりいたし、余るぐらい元気ではあったか…。

それにしても雪村という娘は、時たまスイッチが入ったように饒舌になる。

興奮すると人格が変わるのか、それとも、これが本当の雪村なのだろうか。

「でも、ここの所はずっと沈んだ顔をして、家に閉じこもってる…。 貴方が帰った、あの日から」

雪村の言葉が、俺の心臓をつねくる。

その鈍い痛みが、顔を歪ませた。

「俺が来た日、の間違いだろ」

雪村の言葉の端に、俺は噛み付く。

俺があの時、まだ元気のないあいつを放って帰ってしまった所為だ。

そういわれる方が、お前が来て不幸になったといわれるより、ずっと怖かった。

「…それでも、原因は片野君でしょう」

「…ああ、そうだな」

俺を糾弾するかのような、雪村の指摘。

確かにそれは、間違ってはいない。

無表情に、雪村は俺を追い詰める。

だが、俺には察しがついていた。

雪村は多分、俺がそうやって責任を感じるような言い回しを、わざと選んでいる。

それは何故か。

「…だから、淡森に会いに行ってあげて…」

きっとこれを、言うためだったのだろう。

先ほどの無感動な表情から、懇願のような弱弱しさが滲み出た。

眉根を寄せたその表情は、俺が今まで見たことのないものだ。

噛み締めている唇は、そのためにこんな言い回しを使ってしまったことへの後悔だろうか。

俺がそう推測するのは、こいつの妹が自分を責めているときに、同じような表情を刻んでいたからだ。

それでも雪村は、それを俺に言った。

こいつが、妹のことを本当に大切に思っている証拠だろう。

「…雪村」

まいった。

こんな時に、そんな表情をされるなんて。

こんな、俺の答えが決まってしまっている時に…。

「悪い、雪村。 それ、できないんだ」

目を逸らした雪村の顔を見る。

雪村の視線は、下を向いたままだ。

「今、ちょっと厄介なことになっててな…。 終わったらまた遊んでやれるようになるから」

未久美と一緒に。

その言葉を、俺は心の中で付足した。

ふと、うつむいている雪村の口が動いた。

「それは、淡森のため?」

雪村の視線が上がり、まっすぐ俺を見る。

未久美にも同じ事を聞かれた。

俺は頭を振る。

答えは、あの時と同じだ。

「違う。 あいつの為にはなるかもしれないけど、俺はあいつの為にやってるんじゃないんだ」

それでも、未久美の時と同じことを答えながら、俺の心は違った。

あの時は、ああやって説得する立場だったから、どうしても言い訳臭くなってしまった。

実際あの時は、俺自身も疑いそうになったのだ。

本当に、ただ雪村妹に頼まれた所為なんじゃないかと。

でも、違った。

雪村に、当事者じゃない人間に話してやっと分かった。

「強いて言うなら、俺のエゴだな。 片一方の意思なんて無視してるし。 傲慢だろ?」

「…自覚してるなら、違うと思う」

もし雪村妹が、助けなんて要らないといったとしても。

雨の中で追いかけていったあの時に、あいつを見つけられなくても、俺は同じことで頭を悩ませていることだろう。

「ん、サンキュな」

雪村が慰めてくれる。

その事に自然と笑みがこぼれた。

「…別に、単語の間違いを指摘しただけ」

礼を言うと、雪村はフイっと視線を逸らした。

照れているようだ。

俺はまた、今度は声を出して笑う。

「…何?」

「そういう素直じゃないところ、妹にそっくりだぞ、お前」

ぽんっ。

いつの間にか、俺の手が雪村の頭に乗せられていた。

いつも相手にしているちびっ子どもと印象が被った所為だったんだが…。

雪村が無言のまま、眉根を寄せる。

「あ、悪ぃ」

いくらなんでも馴れ馴れし過ぎだろう。

俺は急いで手をどかす。

反射的に謝ってから、今日はこればっかり言っていることに気付いて、俺は情けなくなった。

すると、フルフルと雪村の頭が横に振られる。

「…似ているなんて言われた事がなかったから、驚いただけ」

「え、そうなのか?」

俺達兄妹とは違って、見た目だってこんなに似てるのに。

本当にこんなこと、言われた事がないのか?

ただの偶然だろうか。

それとも…。

「本当に、似てる?」

「ああ、ばっちり似てるから安心しろ」

冗談めかして言うと、雪村がかすかに微笑んだ気がした。

いや、目元が少し細まって、口の端が上がっただけだから何とも言えないが。

と、独特の節がついたアナウンスが流れた。

いつの間にか、俺の降りる駅に近づいていたらしい。

「ん、着いたか…」

軽い揺れとともに、電車が駅へ停車する。

「ま、何とか頑張ってみるから、それまで妹のほう、頼むな」

雪村に背を向けて、俺は言った。

「…」

雪村は無言。

雪村に視線を戻すと、笑っているなんて事はなく、何時も通りの無表情だった。

さっきのが錯覚かどうか確かめるのは、自動式のドアが待ってくれない。

「じゃな、雪村。 また明日」

雪村にヒラヒラと手を振り、扉の外へ…。

ぐいっ。

「ぐぇ」

だがそこで、不意に服の襟が引っ張られ、首が絞まると同時に、俺は車内に引き戻された。

俺の目の前で閉まるドア。

「な、なにすんだよ!」

「…いっちゃダメ」

「ダメってお前…」

「…まだ、片野君には用事が残ってる」

「あのな、さっき言っただろう? 俺は…」

「淡森のことは、とりあえず良い」

「じゃ、なんだよ?」

俺が聞くと、雪村は鞄の中を漁り始めた。

「…これ」

そして、何枚かの紙を取り出す。

「桃香に、届けてあげて」

「はぁ、お前が行けばいいだろ!?」

「…私は、忙しい」

何か、決意を込めた瞳で雪村が言う。

雪村のことで何かするつもりだろうか。

「…片野君は、忙しいの?」

そして、逆に問われる。

雪村が妹の為に何かするつもりだというなら、俺は俺の妹のために、何かをしなければならない。

だが、今の俺に何が出来る?

どうすれば良い?

その葛藤が、俺に沈黙をもたらした。

「無いなら、私の勝ち」

言って、雪村は俺にプリントを差し出した。

反射的に受け取ってしまう。

「何の勝負だよ…」

受け取ってしまった俺に出来たのは、ため息をつきながらのツッコミだけだった。


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