いもうとティーチャー☆

第三十五限:妹チュウニ


テストはいつも、人に見せる前に握りつぶすのが癖になっていた。

クシャッ。

点数を見るのは一瞬で、少しでもその内容に期待した自分が嫌になって、手の中のそれを、思いっきり握りつぶす。

俺が、あいつに、勝てるわけも無いのに。

教室の一角では、一人の少女を中心に人だかりが出来ていた。

それを横目で見ながら、俺はテストをゴミ箱に捨てようとした。

「お兄ちゃん!」

すると、その人ごみの中から少女が飛び出してきて、俺の背後に隠れた。

訂正しよう。

少女ではなく、幼女だ。

片野未久美、7歳。

俺と同じ中学二年生。

俺と同じクラスの、俺の妹だ。

去年飛び級用の試験に受かった妹は、政府側が推奨する、そういう天才ばかりが集まる学校を蹴って、この学校に入学してきた。

「だぁ、服を掴むな!」

「だってぇ…」

妹は人見知りだ。

根は明るいので、打ち解ければ誘拐犯にでもついて行くほど無防備になるのだが、やはり不特定多数に囲まれるのは苦手らしい。

今までも何回か、こういう不安そうな瞳で、俺に縋り付いてきた。

この学校に二学期から編入してきたのだって、俺を頼っての事だ。

流石にこのままではいけないとは思っていたが、まだこいつも七歳。

そのぐらいの甘えは仕方ないだろう。

しかし、これから4年も5年も経ってこれでは、色々とまずい。

俺は後ろを向いて、膝をたたんで未久美に話しかけた。

「いいかぁ、これからこういうことは何回とあるんだから、いい加減慣れろよ」

そう、未久美が注目され、囲まれることなんて、これから何十回何百回とあるだろう。

何せこいつは、天才なのだから。

手の中のテストを、さらに強く握り締める。

「でも…」

「ここの連中だって、そんなに怖い奴なんていないんだから、な」

そのかすかな音に俺の手を見ようとした未久美を、無理やり前に押し出して、クラスの連中と対面させる。

みんなも俺の意図は分かってくれているようで、未久美に笑顔をくれる。

それを見て、未久美も安心した顔つきになった。

何人かは俺が普段しないことをしているので、やけにニヤけた顔つきになっているのだが…。

「うん、分かった。 がんばってみる」

未久美が決意を込めた目で俺を見る。

級友に馴染むのにそんな気合を入れるのもどうかと思うが、とりあえずはその決心に敬意を表してつっこまないでおく。

変わりに二三度、妹の頭を軽く撫でる。

それから、背中を押してやった。

未久美は嬉しそうな顔をした後、小走りに集団の中に紛れ込んでいく。

少し微笑ましい気持ちになりながら、俺はそれを見送った。

未久美を迎え入れた女子が、さっきまでの話題をまた話す。

「でも、未久美ちゃんって本当に凄いよねー。 化学でも90点取れちゃうんだもん」

俺は笑顔のまま、手に持った化学のテスト用紙をゴミ箱に投げ入れた。

 

 

現代の日本において、テストなんてものは大体が暗記だ。

有名大学の生徒に文章読解能力が無いなんて言うのは、もう既存であり周知の問題である。

強引なことを言ってしまえば、それは必要が無いから退化しているのだ。

受験は戦争であって、戦争に余分なものなど持ってはいけないのだ。

不必要ならば削ぎ落とすのが生き残るためには重要だ。

そこで、結局必要になる兵装が、暗記力と言うわけだ。

これは十徳ナイフのごとき便利さであり、特に学校のテストにおいては無類の強さを誇る。

何故なら学校のテストという奴は、ヤマを張るまでも無く、授業内容がほぼそのまま出るからだ。

化学や世界史、地理なんかでもそれは顕著で、ノートをまじめに取ってその内容を暗記していれば、かなりの点数が取れる。

まぁ、しかし。

「こんだけ言ってても、負けた言い訳にしか聞こえないっていうのは見事だよな」

未久美は今、リビングで両親と一緒にいる。

テストの結果を褒めてもらっているのだろう。

はしゃいだ声が途切れ途切れに聞こえる。

未久美のテストは、国語と英語以外は、実に立派なものだった。

あいつはどんな授業でもまじめに聞いているし、ノートも幼女文字だがしっかりととっている。

加えてあいつが天才と呼ばれる所以の一つである、人より優れた暗記能力もあれば、当然とも言えるのかもしれない。

俺の点数については、俺は両親には言わなかったし、父も母もそれについては聞いてこない。

年下の天才と比べてああだこうだと言うほど、分別が無い大人ではない。

それ以上に、テストを見せない俺の気持ちを、推し量ってくれているのかもしれない。

ありがたいことなのだが、それでも俺は思ってしまう。

「本当はもう、見捨てられてるんじゃないのか?」

俺はもう、彼らに諦められているんじゃないのか?

未久美がいるから、もう俺のことなんてどうでも良いんじゃないのか?

要らないんじゃないのか、俺なんて。

幼い子供でもあるまいし、本当はこんなことでビクビクしたくない。

第一俺は、彼らの期待に精一杯応えようとした訳ではなく、紙の上の数値では、それをことごとく裏切り続けている。

どうせ未久美には追いつけないと悟って、努力するのが嫌になって、勝手に諦めた結果だ。

小学校の時に、父が俺のテストを見て愉快そうに言っていた。

『お前は天才かもしれないな』

勿論そんなわけも無く、俺はあくまで凡人で、天才は母の腕の中で眠る赤ん坊だった。

ドカッ。

訳の分からない苛立ちにさいなまれ、俺は壁を殴る。

あちらには聞こえないように、自分の手を傷つけないように手加減したこの小賢しさも、また苛立ちを増す原因になる。

「俺は…俺は……」



 

 

…と、まぁこれが、俺が今日見た夢に、起きてからの俺が感想をつけた結果なのだが。

ちなみに、目覚まし時計が喧しい音を立てるまでに、あと30分ほどある。

「しっかし、なんて間の悪い…」

人間の夢がその考えに因るってのは定説だが、このタイミングでこんな夢を見る必要は無いだろう。

しかも二部構成と来たもんだ。

次は大河ドラマにでも挑戦するか?

馬鹿なことを考えながら、隣にいる妹を見る。

寝顔を見ているだけなのに、理不尽な苛立ちがぶり返してくる。

まずい、このままこいつと話したら、喧嘩をしてしまいそうだ。

理不尽にも自分の脳内で再生産したストレスを、こいつにぶつけてしまうと思う。

当人にしても分かっている。

これが愚行で、時間が経つほど状況が悪化することは分かっている。

そして、とにかくこの行動が、後で良い結果をもたらすはずがないことは分かっている。

「分かっちゃいるんだが…」

隣で眠る妹を見ながら、俺はため息を吐いた。

自覚だけで感情を押さえつけられるんだったら、誰も苦労しない。

言い訳じみた考えをしながら、俺は先に目覚ましを止めた。

奴を起こさないように、ゆっくりと布団をでる。

そして支度。

朝食を作るとこいつの場合起きてきそうな気もするし、それはやめておいた。

そっと家を出て、エレベーターの外に出てからメール。

「先に出る。 悪い」とだけ。

この前の件について何か付け足そうかとも思ったが、どう書いて良いのかも分からないので割愛。

この間の諍いから、俺はどうにもこいつに対して臆病だ。

あの言い合いを終えてから、俺達はまともに話せていない。

学校ではもちろん喧嘩まがいのことはできないし、家に帰ってきても、俺は未久美になんと言えば良いのか分からず、結局たいした話はしていなかった。

要するに、俺はびびっているのかもしれない。

失敗できないというプレッシャーと、改めて思い知った、天才が妹という事実に。 

 

「おはよう…って、誰もいる訳無いか」

教室に入って周りを見まわすが、誰もいない。

いつもより三十分も早く来れば当たり前か。

下駄箱にすら、人の気配が無かった。

いつもと違う学校の空気。

普通なら気分も良いのかもしれないが、気分が切り替えられない俺には、ただの閑散とした風景にしか見えない。

だからこそ普段にないような陽気さで挨拶をしてみる。

だが、そんな空回りした陽気さが、自分をさらに嫌な気分にさせているというのが、どうしようもない悪循環である。

「どうしようもない、か」

いや、解決方法はある。

つまりは未久美との事を何とかしてしまえば良いのだ。

それが、つまりは俺がブルーになっている理由なのだから。

「…だから、どうやって何とかするんだよ…」

一昨日の俺は、いったい何を間違ってしまっていたのだろう。

ちゃんと誤解は解いたつもりだし、俺の本音も話したはずだ。

それでもあいつの、あの頑なな態度は変わらなかった。

むしろ、冷静になって話した俺が気に入らない様子だった…。

「だったら俺は、どうすりゃ良いんだよ」

苛立ち、困惑、そして少々の怯え。

今の俺が、夢の中の、中学時代の俺と被った。

夢の心理状態を引きずっているのか、それともこんな心理状態だから、あんな夢を見たのか。

記憶なんて物はいい加減だから、実はあの夢自体が捏造である可能性だってある。

いや、あの事柄事態は確かに存在した。

俺は同じ学校の同じテストで、数学以外のことでも未久美に負けた。

それは認める認めない以前の次元で、俺の脳があの感情を添付しつつ、きっちりと保存している。

そういうのがだんだんと積み重なって、今の俺を形成しているのだろう。

だが、積み重なったからと言って、俺が人間的に成長したとは言えない。

何せ、俺は未だに中学生時代と同じようなことで悩み続けているのだから。

「あー、めんどくさい…」

自己嫌悪に包まれて、俺は机に突っ伏した。 

 

「…片野君」

俺を呼ぶ声がぼんやりと聞こえ、俺は目を覚ました。

…寝てたのかよ、俺。

自分の呑気さに呆れながらも、現状確認のために顔だけを上げる。

「…おはよう」

目の前に、唇があった。

それの口が動いて、歯、舌が見えて、そこから挨拶の言葉が飛び出す。

視線を上に上げると、鼻があって、それから目が合う。

「…おはよう」

目が合ったそれが、言葉を繰り返す。

俺の顔色を確かめるように、それらが乗った顔が、一段と近づく。

「ゆ、ゆきむっ!!」

ドスッ。

慌てて体を上げた俺の延髄に衝撃が走った。

再び机に突っ伏すことになる。

「な、に、すんだよ…」

どうやら雪村が、ギロチン台よろしく、自分の手を俺の延髄の上にセットしていたらしい。

「…いたずら」

「もう一回、深い眠りにつくところだったぞ、今…」

いうなれば、肩を叩かれて振り向くと、指が突きつけられていて頬に刺さるといった類のいたずらの進化系か。

むしろ、進化しすぎている感があるが…。

あ、また意識が遠ざかってきた。

「…もうすぐHRよ」

「誰の所為で、こんな体勢してると思ってるんだ」

重い体を上げて、首を振りつつ周りを見回す。

雪村の言葉どおり、教室の中にはクラスの連中がほとんど揃っている。

時計も後3分ほどで、HRが始まることを示している。

俺はそのまま後ろを向き、後ろにいるはずの人物を見た。

が、俺と雪村の後ろの席二つには、誰もいない。

もう一度周りを見回す。

「あれ、姫地は?」

「…休み」

「風邪かなんかか?」

俺が聞くと、雪村はこくりと頷いた。

「ふぅん、で、一人な訳か」

姫地が風邪か。

この前の雨に往復で濡れたにもかかわらず、風邪の兆候などまるで無い頑強なわが身を思うと、自分がおかしい気がしてくる。

それともあいつの普段の生活が荒れてるとか…。

姫地の場合、それはあまり想像できないな。

「…ボケの人は?」

「もしかしてそれ、秀人のことか?」

聞き返すと、やはり雪村は頷いて。

「…相方」

などとのたまいやがった。

「相方じゃねぇし、別に示し合わせて登校してるんじゃねぇんだよ。 あいつに付き合ってたら、俺まで遅刻トトカルチョが行われるだろ」

ちなみに遅刻トトカルチョとは、高山秀人が無事に登校できるかをかける物で、来るが1.5倍、始業から一時間以内が1.2倍という代物だ。

「いつの間にかやめている」の配当が常に3倍をキープしており、「今日は休む」の選択肢より配当が低いのが不思議でならない。

で、俺はといえば、あいつと特別に親しいという理由で、蚊帳の外に置かれている。

何か納得いかないが、あんなどう動くかもわからないような宇宙的人類に、貴重な金銭をつぎ込む気にはなれない。

好都合といえば、好都合だろうか。

「で、後ろの席二つが丸々空いちまってる訳か」

 こくりと、雪村がうなずく。

と、そこでチャイムが鳴った。

始業である。

同時に教卓側の扉が開く。

未久美は入ってきたら、どんな表情をしているだろう。

やはり置いていった俺に怒っているのか、それとも、悲しんでいるのか。

どちらにしても、学校じゃ慰めることもできないし、ここでなくても今の俺には無理だ。

流石にあの不条理なイライラは薄くなっているが、それでも未久美とまともに話せないことに変わりはない。

苦い思いを抱えたまま、俺は未久美が入ってくるのを見つめ続けた。

が。

「あれ?」

入ってきたのは、いつものちびっ子ではなく、成熟した女性だった。

「…未久美先生の胸が、大きくなった」

「いや、全体的に大きくなってるだろ。 何でそこしか注目してないんだよ。 …っていうか、そもそもアレは別人だ」

教壇に立ったのは、里美先生だった。

「…未久美先生は?」

「…」

雪村に、俺に聞くなといってやりたかったが、できなかった。

俺としても、気が気でないのだ。

もしかしてあいつ、俺に放って置かれたのが原因で、学校を休んだんじゃないだろうか。

だとしたら、かなり深刻だ。

だから、良い方向に転がるわけは無かったんだ。

あいつを放って家を出た自分をなじる。

「ええと、今日は未久美先生は、遅刻します。 二時限目には間に合うそうですから」

遅刻…? 休みじゃないのか。

俺は、里美先生の言葉を聞いて、思わず安堵のため息を漏らした。

「…安心?」

「ん、多分お前とは意味が違うけどな」

だとすると、あいつは何で遅刻したんだ?

「…あ」

そういえば今日、目覚ましを止めたまま出てきたんだった。

謝る事が、また一つ増えた…。


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