いもうとティーチャー☆

第三十七限:妹ミマイ


俺と雪村は、同じ駅で降りた後、しばらく無言で歩いた。

さっきは気まずいだけだったが、色々と考えることもあったので、その沈黙はちょうど良かった。

で、考えている事といえば、大半は妹の事。

次いで雪村の妹の事。

後、チラッとこれからプリントを届ける姫地の事。

結局は堂々巡りで、何の結論も出なかった訳だが。

それが不毛だと気付く前に、目の前に森が現れる。

天候が違う所為で少し印象が違うが、間違いなく雪村の家だ。

こんなに大きな建物が、他にあるはずが無い。

「…この前も思ったけど、やっぱり非常識な大きさだな、お前の家」

正面に門が見える。

流石に中の屋敷が見えないなんて非常識なサイズではないが、ここから玄関まで行くのに自転車ぐらいは使いたくなる距離があった。

俺が言うと、雪村もまた頷く。

住んでいる人間でも、やっぱりそう思うんだな。

「…スペースが無駄」

「まぁ、無駄っつっても小さくするわけにはいかないだろ。 なんか作るか?」

一瞬、この林に太陽の塔やらメリーゴーランドやらが点在しているファンシーな想像が浮かんだが、それも充分に無駄なので却下。

「…学校が良い」

「本当に置けそうなスペースがあるのがすげぇよな…。 つーかなんで学校なんだよ」

「小さい女の子がわんさ…」

「 お前が正直なのは分かったが、とりあえず丸出しにした欲望は隠せ」

聞いて損した。 言ったほうも確実に損をしていると思うが…。

こんなんと姉妹で、妹はよく無事で済んでるよな…。

本当にあいつは、大丈夫なんだろうか?

「…やっぱり、寄っていく?」

ふと、雪村が俺のほうを向く。

一瞬考えたが、俺は首を横に振った。

「いや、良い」

時間が無いなんていうのは、建前だった。

それだったら、頼まれたとはいえ、こんなところまでは来ない。

なぜ俺があいつに会わないかと言えば…。

「…いくらなんでも不義理すぎるだろ、そんなの」

「…何?」

「いや、なんでもない」

俺は一度追いかけたはずのあいつをまた放り出して、今、未久美のところにいるのだ。

つまりは、あいつを一度裏切っている。

それを、まだ何もしていないのにまたこの家に入っても、うまく行かずに泣きついているようにしか見えないだろう。

…未久美だって、気分が良くないはずだ。

「姫地の家。 確かお前の家の近所だっつってたよな。 どうやって行けばいいんだ?」

すると、雪村はくるりと自分の家の正門に背を向けた。

「…ここ」

「まんま向かいかよ」

俺もそれに従って後ろを向くと、そこにはこじんまりとした一軒家があった。

いや、さっきまで見てたのが非常識なまでにでかい家だったから、錯覚しているのだろう。

家自体はサラリーマンが一世一代で思い描くような普通の一軒家だった。

「…それじゃぁ、よろしく」

雪村は再び後ろを向いて、自分の家に入ろうとする。

「こんだけ近いんなら、自分で届けたって変わらないだろ」

「…片野君の鞄からプリントを出すのが手間」

小学生のような言い訳をする雪村。

そもそも押し付けたのがお前だろう。

…受け取ったのは俺なのだが。

「ハイハイ、さいですか…」

俺もあきらめて、姫地の家のチャイムを押そうとする。

「…ファイト」

「なにを頑張れってんだよ」

雪村の謎の言葉に、一旦指を止めつっこむ。

「…私は忙しいから。 じゃ」

「…おう」

シュビッと手を上げて、雪村は歩き出してしまう。

まったく答えになっていないが、あいつの言葉なんていちいち気にしていたら不眠要素には充分だろう。

今の俺には間に合っているので、軽い挨拶を返してそのまま見逃す。

一瞬、このインターホンに添えた指をどけて、プリントをポストにでも入れてしまおうかとも思ったが、さすがにそれは却下。

どうせ、プリントを渡して帰るだけだ。

躊躇した後、指に力を込める。

ピン……ポーン。

押してから離すまでにまた躊躇して、なんとも描写しにくい間抜けな音が、その家に俺の訪問を知らせる。

考えてみれば、本人が出ると決まったわけじゃないんだよな。

うちは両親が重度の仕事馬鹿だから忘れがちになるが、母親なんかがいても不思議はない。

…男がプリントを届けに来たりなんかすると、もしかして勘違いされたりするんじゃないのか?

そうなったら、姫地にもいい迷惑だな…。

実は父親が自宅で仕事していたりして。

専業主夫も珍しくない世の中だし。

しかもそれが、子とはかけ離れた堅気には見えない人間で、『娘とはどういう関係なんだね』とか髭を揺らしながら聞いてくるかもしれない。

「関係も何も、お嬢さんとはただの友達ですよ。 と…」

だが、俺が想像を逞しくしている間にも、誰かが出てくる気配はない。

姫地の怖いお父さんに対する予行練習もしてみたが、やはり空しいだけだ。

「…フッ」

まるで鼻で笑われたような声に振り返ると、奴の家の玄関の中に、雪村がまだいる。

「お前はとっとと家に入れ!」

俺が振り返ったときには既に無表情に戻ってるのがまたムカつく。

「…ファイト」

「うっせぇ」

さっきと同じ言葉をかけられ、俺はまた姫地の家を見た。

念のため、チャイムをもう一度鳴らす。

すると、今度は反応があった。

インターホンから聞きなれた声がしたのだ。

『はい、どなたでしょうか?』

姫地だ。

インターホンごしだと調子までは分からないな…。

『もしもし?』

再度問いかけ。

不審がられているようだ。

「と、ええと、プリントを…」

慌てて、問いかけに関係ないことを答えてしまう。

『あ、きりん? ちょっと待ってね』

「え、あ、ちがっ」

失敗に気づいた時には遅く、俺が訂正する前に、ぷつりという音と共に姫地からの声が途切れてしまった。

そしてほとんど間をおかず、家の扉が開く。

あけたのは勿論、姫地桃香その人だった。

淡い桃色のパジャマに、薄手のカーディガンを羽織っていた。

髪もいつものようなポニーテールではなく、まっすぐ下ろしている。

それが所々はねていて、俺は姫地が寝起きだったことを悟った。

「片野…君?」

唖然とする姫地。

まぁ、あっちにしてみれば、ここに気心の知れたちょっと無愛想で無表情の親友が立っていると思っていたのだ。

そりゃ、棒立ちにもなるわな。

「よぉ…と、プリント届けに来たんだけど」

気まずい空気の所為か、二度も同じことを言ってしまう俺。

「あ、え、あ、う…」

何事か言葉を発しようとしては、また空気を吸う姫地。

…やっぱり、俺が来たのは失敗なんじゃないのか?

とりあえず、プリントだけ渡して帰ろう。

「あぁ〜と、とにかくこれ…」

鞄を漁って、プリントを出す。

「あ、そっか、プ、プ、プリントを届けに来てくれたんだったよね!!」

ようやく話せる位には落ち着いてくれたらしい。

姫地からまともな反応を返ってくる。

「そうそう、んで…」

「…桃香、お茶」

プリントを渡そうとしていた俺の後ろから、声がかかる。

「てめっ、まだいたのか!」

後ろを振り向くと、そこにいたのは、どうしても雪村である。

「そ、そっか、ちょっとまってて!」

「お前も納得するなよ! おい、姫地!?」

俺の言葉も聞かずに、姫地は家の中へと引っ込んで行ってしまった。

「…忙しいんじゃないのかよ、お前」

さっきから何がしたいんだ、こいつは。

「…ファイト」

「それはもう良いっつの」

三度同じセリフを言うと、雪村は背を向けて歩き出す。

この娘は、何回俺に同じ描写をさせる気だ。

じっと睨んで、雪村が家の中に消えるのを見送る。

テクテクと、雪村は門から家本体へと歩いていくが、時たまこちらを振り向く。

…絶対に俺で遊んでやがるな、あいつ。

しばらく見送っていたが、やはり玄関までが長い。

雪村は俺で遊ぶのに飽きたのか、そのまま歩き続けている。

俺もいい加減あいつの脚…ではなく背中を見ているのにも飽きたので、再び姫地の家に向き直る。

お茶を出すだけにしては、時間がかかってないか?

風邪引いてるわけだし、心配だ。

つっても、他人の家だしなぁ。

漫画とかだと、こういう時に飛び込むとろくな目にあわないんだよな…。

「って、何が起こるって言うんだよ…」

そんなもんと自分をごっちゃにするなっての。

意を決して、俺はその家の扉を開ける。

「お邪魔します…」

勝手に入ったことを示すために声を上げながらも、その声は小声。

中途半端だとは思うが、さすがに初めて侵入する他人の家で、そこまで堂々とは振舞えない。

で、呼びかけに対する姫地からの返事はなし。

聞こえていないのか。 もしかしたら返事ができない状態にあるのかもしれない。

空想だと分かっていても、気持ちが焦る。

その直後。

がちゃん!

家の奥から物音が響く。

しかもすこぶる不吉な感じの。

俺は急いでその場所へ向かった。

「姫地!?」

家の奥。

どうやら台所であるその場所に、うずくまった姫地がいた。

慌てて駆け寄る。

「ちょ、大丈夫か!?」

「あれ、片野君?」

うずくまっていた姫地が顔を上げる。

その手には湯呑み。

「…なんともないか?」

「あ、うん。 ちょっとこれを落としちゃっただけだから。 割れてないし良かったぁ」

そう言って、手に持った湯飲みを見せる姫地。

…自分の体調よりそっちの心配かよ。

「立ちくらみとか、そういうのじゃないんだな?」

「うん。 …えっと、心配して見に来てくれたの?」

「ああ。 勝手に入って悪かったな」

「え、あ、その…嬉しかったから、良いよ」

言いながら、姫地が照れたように笑う。

そんな特別なことじゃないと思うんだが。

まぁ、病気の時って、やたら不安になるもんだしな。

「姫地は病人なんだから、茶なんて良いから大人しくしてろって」

言いながら、丁寧に茶菓子まで用意してある台所を見る。

流しの上に、湯飲みが一つ、二つ。

で、姫地が持っているので三つ…。

「三つって…、一つ多くないか?」

「あ、ごめん、私も喉かわいちゃって…」

「それは良いけど、後ひとつは誰だよ。 …もしかして、この家に他に誰かいるのか?」

「ううん、居ないよ」

ここで、姫地が「生きてる人間は…」とか付け加えたら、立派なホラーなんだが。

「じゃぁ、これは誰の分だよ」

「私と、片野君と、後、きりん…」

姫地の口から、雪村の名が出る。

それに反応して、俺は思わず後ろを振り向いた。

そのまま玄関先まで覗いてみたが、やはり雪村はいない。

「いないだろ。 脅かすなよ…」

さっきあれだけ熱心に送ってやったんだ。

これでもまだ後ろにいたら、それこそホラーだろう。

「え、え、じゃぁ、片野君しかいないの!?」

「まぁ…、なんていうか成り行き上そうなったな」

「あ、あう、どうしよう…」

「だから、何もしなくて良いって。 寝起きなんだろ、姫地」

「えっ、何で分かるの?」

「髪とか、格好とか見れば…」

「あ、きゃっ!!」

姫地が慌ててパジャマの胸元を隠す。

そういえばさっきまで、開き気味だったような…。

一応、見てないからなと心の中で呟いておく。

「ちょ、ちょっと着替えてくるね!!」

立ち上がった姫地が、そういいながらも胸のボタンを留める。

着替えるんならそのままで良いと思うのだが。

「待ってて!」

そしてそのまま姫地は、凄い勢いで居間を出て行ってしまう。

「あ、おい、姫地!」

階段を駆け上がる音、ドアを開ける音、閉める音が響いた後、静寂が訪れる。

「…まぁ、元気そうだな」

また待ちぼうけか。

今度はさすがにのぞきに行くわけにはいかないしな…。

コポコポコポコポ。

とりあえず、急須に入ったお茶を注いで。

ずずぅ…。

半セルフサービスの茶でもすすってみる。

病人が淹れたからって、美味くなる訳でも不味くなる訳でもないな。

…それにしても。

「もう、プリントだけ渡して帰れる雰囲気じゃなくなったぞ、これ」

こういうのを、ドツボに嵌るっていうんだな、きっと…。

自らの思考もお茶で濁しながら、俺はぼんやりとそう思った。


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