いもうとティーチャー☆

第三十四限:妹セットク


漫画なんかを読むと、いつも思っていた。

誰だって思うはずだ。

例えば、お互いを好きなのに告白できない男女。

とっとと素直になれと、イライラする。

だがなぜ、そんなことが無責任にいえるかといえば、やはり当事者ではないから。

そして、結局最後はハッピーエンドだと、知っているからだ。

しかし、現実の俺達にはそんな保証はない。

いや、実行すれば必ずいい結果が生まれるだろうことだって、俺達は回避してきている。

歯医者が怖くて、虫歯を悪化させる奴と同じだ。

当人にしても分かっている。

これが愚行で、時間が経つほど状況が悪化することは分かっている。

「分かっちゃいるんだが…」

隣で眠る妹を見ながら、俺はため息を吐いた。

 

秀人と買い物に行って、何故か未久美と遭遇したのが、雪村妹事件があった二日後。

俺はその前の日、つまりは雪村のことがあった後、ただ未久美の顔色を窺っていた訳じゃない。

ただ、こんなに難しいものだとは思わなかったのだ。

仲直りと説得の両立というのものが。

 

目覚ましが鳴って、俺とほぼ同時に未久美が起きる。

「…むにぅ、お兄ちゃん、おはよう」

「お前、そっちは窓だぞ」

寝ぼけている上にコンタクトまではずしている妹は、上半身だけを起こして朝日に向かって挨拶をしていた。

…昨日布団の位置を変えたことに、気付いてないんだな。

その様子に、少し胸が痛んだ。

「…むぅ、おはよう、お兄ちゃん」

「ああ、おはよう」

あまりにもアレな妹の様子に、昨日のことは夢だったんじゃないかと思いもする。

いっそ夢だったら…。

って、そんなこと考えててどうするんだよ。

俺は未久美にちゃんと謝って、それから雪村妹へは謝らせて、こいつらを仲直りさせなきゃならないんだ。

「むぅ〜…」

目を両手でごしごしと擦りながら、呻く未久美。

よく可愛い仕草とか言われるんだが、強く擦りすぎていて、むしろ目の心配がしたくなる。

この状態のこいつにまじめな話をするのは、なんか気が引ける。

ちゃんと目覚めてからで良いか…。

自分の考えがなんとなく逃げに入っていることを自覚しつつ、俺は立ち上がった。

「とっとと目ぇ覚ませよ」

俺はそれを望んでいるんだ。

そう自分自身に言い聞かせて、俺は部屋を出る。

リビングの机の上に、パンを二切れ発見。

ただし、焼いてもいなければジャムも付けていない。

…これでも食っとけってことか?

今更といえば今更だが、なんともアバウトな両親だ。

早朝に家を出て行ったであろう彼らに、呆れと感嘆のため息が漏れる。

後ろを振り向くと、未久美は未だに目を擦りながら、俺の後に付いて来ていた。

改めてみると、泣いてるような仕草だ。

おかげで、昨日の事がやけに思い出されてしまうような。

「パン焼くから、座ってろ」

俺は再び未久美に背を向けた。

表面が少し乾いているパンを手にとって、トースターへ向かう。

よく漫画にあるような、ポップアップ型とかいうトースターだ。

焼けると、パンが飛び出すヤツである。

両親の趣味らしい。

パンを二つともセットして、牛乳を出しながら時間を待つ。

牛乳を机の上に置くと、未久美は言われた通りに椅子に座っており、擦っている目も片目になっていた。

擦っていないほうの目は、変に腫れている。

勿論アレは、泣きはらした後遺症だろう。

やはり、どうにもバツが悪い…。

チンという音がして、パンが陽気に飛び出る。

俺はイチゴジャムを冷蔵庫から出して、未久美の前にパンと一緒に置いた。

「ありがと…」

腫れた両目を晒した未久美が、礼を言う。

そして眠そうな仕草のまま、ノロノロとジャムを塗り始めた。

昨日の話を持ち出すタイミングを掴めず、俺はそれを、何もせず眺めていた。

「お兄ちゃん…」

ふと、未久美が少しかすれた声で、俺に話しかける。

「なんだ?」

「あれって、夢?」

普段だったら、要領を得ずに「指示語を明確にしろ」と切り返してしまうような質問。

だが、奇しくも同じようなことを考えていた俺は、未久美が何を言っているのか、瞬時に察した。

「…夢じゃねぇよ」

一瞬の躊躇。

その後で、俺はきっぱりと否定する。

未久美自身、多分本当に分からないのではなく、夢だったらという願望から出た言葉だろう。

思考が似るのは、やはり兄妹だからなのだろうか。

「やっぱり、そうだよね」

シュンとする未久美。

昨日のことを後悔したりしているのか?

一回喧嘩したからっつっても、やっぱり友達だからな。

一晩経って、罪悪感が生まれたのかもしれない。

だとしたら、話は早い。

「とりあえず、俺も悪かった」

まず、俺は素直に謝った。

どんな状況だろうと、とりあえずこれをしてからでないと、俺としても話しにくかったのだ。

未久美が俺をそろそろと見る。

俺は目線をあわすと、未久美に言った。

「たしかに、三人でいるのに二人でゲームに熱中しすぎてたし、お前との会話も全然なかった。 お前がそれに不満を持ってたのも、気付けなかったしな」

それは謝る、といって、俺は頭を下げた。

「でも、雪村妹に言ったことはやりすぎだ。 あいつかなり落ち込んでたぞ」

かなりでも足りないほどの落ち込みようだったが、どう慰めたとか、部屋に上げられたとかいう話に及ぶとややこしいので、割愛。

「大体、あいつが気にしてるのは、お前のことばっかりだったしな。 お義兄様って呼ぶのも止めたし。 それに…」

言って、言葉を切る。

未久美が、お義兄様のくだりで反応したのが分かった。

不謹慎ながら、好感触だなんて考えてしまう。

「前も言っただろ。 俺がお前の兄貴なのは変わり無いって。 変な心配するなよ」

未久美は頭を下げたまま、黙って俯いている。

撫でてほしいようにも見えた。

一瞬、それもこの前のように未久美の頭を撫でてやりたくなったが、途中で思い留まった。

このタイミングでそんなことをしても、誤魔化しているだけの様な気がしたのだ。

「あいつも悪くないとは言わないけど、とっとと仲直りしてやれ」

やはり未久美は黙っている。

俺の言うことが、分かってくれたのだろうか?

期待を込めて、奴の言葉を待つ。

「やだ」

拒絶は突然だった。

いや、こいつの拒絶はいつも突然だから、珍しいことではないんだが。

「…なんでだよ」

意外とすんなり事が運ぶかと思った瞬間だったので、自分の顔に不満が表れるのを感じる。

…って、それじゃダメだ。

そんなにすぐうまく行くはずがないだろう。

第一、ここで怒ったら余計こじれるだけだ。

「なんか、お兄ちゃんが優しいから…」

「はぁ? 何だよその理由!?」

が、必死で自分を押さえつけようとしていた努力も、あっさり霧散する。

思わず大声を出してしまった俺は、その後の言葉が続かず、未久美を睨むように見た。

それほど、こいつの言葉の意味が分からなかったのだ。

「お兄ちゃんは…、いつもだったら、そうやって怒るもん」

「んなこと…」

未久美の指摘に、俺の憤怒が喉で詰まる。

未久美にすれば狙ったわけではないだろうが、それで俺の勢いは止まってしまう。

「『人に迷惑かけるな!』って怒鳴って、それから自分も、目とか見ないで謝ったりするもん」

「それは…」

未久美から見ると、それが普段の俺らしい。

確かに思い当たることが数件あるが、傍から聞くと極悪人のように聞こえる。

「だから、そういうのを反省したから、ちゃんと謝ろうと思ったんじゃねぇか」

目を逸らして、呟くように俺は言った。

いじけたような自分の態度が、情けない。

「お兄ちゃんがそういう風に思ったのって、あの子のおかげ?」

あの子、雪村妹のことだろう。

確かに、俺が今こうやって反省できているのは、雪村妹の助言があって、未久美と同じ立場のあいつの弱い姿を見たからだ。

「…そうだよ」

「じゃぁ、お兄ちゃんが謝ったのも、あの子の為?」

「そっちは違ぇ」

同じトーンで聞いてきた未久美の言葉に、今度は違う返事を返す。

勿論気まぐれなどではなく、事実を言ったまでだが。

「あいつの頼みっていうのは否定しないけどな」

自問自答しながら、それを未久美に聞かせるような感触で、俺は言葉を紡ぐ。

「でもやっぱり俺は、お前に、せっかく見つけた友達と別れて欲しくないんだよ」

お前の為…と言い切れるほど俺は傲慢ではないし、そんなことを言われたって、こいつも納得できないだろう。

将来のための友達づきあいって言うのも、なんだか間違ってるしな。

「むぅ〜〜」

だからといって、俺の頼みってだけじゃ納得は出来ないか…。

「やっぱりやなの!!」

そう叫ぶと、未久美は椅子を蹴ってリビングを出て行く。

「あ、おい、ちょっと待てよ!!」

俺が声を上げた時には、既に未久美は部屋の中に入っていた。

慌てて後を追いかける。

ばしっ。

扉に手をかけ、開けると、いきなり何かが飛んできた。

それがうまい具合に、顔に引っかかる。

「くっ、はあ…って、パジャマ?」

顔から離した状態で、改めてそれを見る。

…未久美が、さっきまで着てたパジャマだ。

じゃぁ、本人は?

目を向けると、未久美は既に上着の着替えを完了していた。

「早っ!」

思わず、驚嘆の声が上がる。

早着替え選手権とかに出場させたら、間違いなく上位に食い込むだろう。

…実際に在りそうだな、そういう大会。

「じゃなくて、話を聞け!!」

俺は未久美が動けないと判断して、もう一度説得を試みる。

未久美はスカートを身に着けながら、俺を睨む。

下にはいているズボンを下ろせば、着替え完了といったところだろう。

俺がさらに何か言おうとしたところで、未久美が先に唸った。

「む〜〜〜〜!」

さながら、獣の威嚇のようだ。

不覚にもそこで、俺は言葉を止めてしまう。

「お兄ちゃんが違うお兄ちゃんになるなんて、そんなの嫌だもん!」

未久美が叫ぶ。

その言葉に、俺は一瞬唖然となった。

違う、俺?

その隙に、視界を遮るものが、再度飛んでくる。

「うわ!」

それに気を取られた隙に、未久美が俺の横を駆け抜けていった。

玄関のドアが閉じる音がやけに響いた後で、家の中に静寂が広がっていった。

「違う俺って、何だよ…」

顔にかかっていた未久美のパジャマのズボンを手に握りながら、俺は呟いた。

ただ反省して、ちゃんと未久美と話そうと思っただけなのに。

優しくするのがいけないのか?

いつもみたいに不貞腐れてる俺のほうが、いいって言うのかよ。

訳の分からない疲労感が生まれてくる。

未久美の言葉に打ちのめされた。

そんなことが、いつもの俺のつまらないプライドに引っかかって、あいつへの不満がちろちろと顔を出し始める。

いつもの俺…あいつがそれを望んでるんなら、それで良いじゃないか。

当て付けのように、考えもする。

「ああ、もう、何考えてんだよ!」

一人叫んでみたところで、それを否定する声も、肯定する声も響かない。

「…ちきしょう、まだあきらめないからな」

萎えそうになる心を反抗心で奮い立たせて、俺は未久美のパジャマの下を持った手を、強く握り締めた。


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