いもうとティーチャー☆

第三十二限:妹チワゲンカ


長い回想は終わり、今俺は湯上りの体で、ベッドの上に腰掛けていた。

脱衣所には、雪村妹が入れ替わりに入っている。

「なぁ…」

「ひ、人が脱いでいるときに、話しかけないでください」

ドア越しの雪村妹に話しかけた俺だが、返事はつれなかった。

何を恥ずかしがっているんだろう。

別に裸を見られている訳ではないのだから、何も気にすることはないと思うのだが。

これが乙女心という奴だろうか。

あいつにもそういう所があったんだな。

いや、俺の周りで考えれば、あいつが一番乙女らしい気もする。

尺と年齢は足りないが。

そういわれれば仕方が無い。

俺は待ちぼうけだ。

「何がまずいかって言えば…」

とにもかくにも雪村の存在だろう。

結局なんで俺と雪村妹が知り合いなのか説明してないし、その関係については、変な誤解をされてしまった。

「何であんなこと言っちまったんだろう…」

俺はただのクラスメイトである雪村を、風呂に誘うような変態だと思われたんだろうか。

それとも、妹と間違えたと分かってくれたのだろうか。

「いや、それもまずいだろ」

無邪気に一緒に風呂に入れる年齢ではないし、かといって邪気をもって入ったら犯罪だし…。

「なんて微妙な年なんだ…」

年齢で言えば、未久美だって同じだ。

あいつの場合は、自然と一緒に入らなくなったが。

今の未久美と入れるかって聞かれれば、悩み所だ。

じゃぁ一昨年の雪村妹となら…。

「って、違うだろ俺」

何を考えてるんだか。

悩むポイントが違う。

さっき思いついた、痴話喧嘩なんだらという妄想が、尾を引いているらしい。

「そうすると、俺は恋人の家に行ったのに、姉と風呂入った鬼畜か?」

いや、まぁそういった事実は無根なわけだが。

雪村と、風呂ねぇ…。

…………………………なるほど。

………………………………………………ほう。

…………………だから、やめろ、俺。

ほんのすこし不埒な想像してしまった雪村に対して、心の中で謝罪する。

と、ドアの向こうでドアを開け閉めする音。

どうやら、雪村妹が上がったらしい。

「なぁ…」

「まだです」

「はいはい…」

…しばらくして、今度は脱衣所のドアが開き、雪村妹が姿を現した。

パジャマだ。

しかも、やたら見覚えがあると思ったら、未久美と同じやつ…。

ペアで買ったのだろうか?

とりあえず湯上り姿の雪村妹に対して、特別な感慨がない自分にホッとする。

しかし、そこから出てきた雪村妹は、こちらに近寄ろうとせず、その場で立ち尽くしていた。

「どうした?」

「…いえ、あまりにも、準備が万端といった感じでしたので…」

「はぁ?」

雪村妹の言っている意味が分からず、辺りを見回す。

俺が今着ているのは、雪村が持ってきた服だ。

服、といってよいのか分からないが。

金持ちの風呂上りの定番といえばこれだ。

赤ワイン、シャムネコ、そしてこれ、…バスローブ。

「この格好が、どうかしたか?」

「その格好で、ベッドにいられると…」

あぁ、準備万端って、そういう意味か。

「……子供が、変な想像するな」

大人な人間は、こいつが何を考えたのか、勝手に想像してくれ。

「まぁ、とにかく俺はそういう趣味はねぇ、安心しろ」

さっき自己確認したところだ、間違いない。

言ってやると、雪村妹は不愉快そうな顔になった。

安心させてやろうと思ったのに、何が不満なんだか。

それでも、つかつかとこちらに歩いてきて、俺の隣に腰掛けた。

そして、俺をじっと見る。

「な、何だよ…」

「まったく、興味をもたれないというのも、悔しいものです」

上目使いの黒い瞳、湯上りの濡れた髪、上気した肌。

見知った、同じ顔。

「子供が、変な意地もつな」

俺は思わず、目を逸らした。

「…照れましたね」

俺のそのリアクションを見て、雪村妹がにやっと笑う。

…これは、言わないほうがいいだろう。

今、俺がこいつから目を逸らしたのは、さっき妄想に出てきた雪村とダブったからだとは。

こいつ自身の魅力…は、関係ないと思う。

「そういえば、仲いいじゃないか、お前ら」

思い出しついでに言ってみる。

気になっていたのだ。

こいつらの話し振りと、実際に会ったときの態度の差が。

…後ろめたいという気持ちも、あるにはあったが。

「なぜそこで、あの人の話が出てくるのですか?」

うっ、睨まれた。

やはり、このタイミングであいつの話を持ち出すべきではなかった。

女の感というのはレーダーよりもレーザーよりも鋭いというのが定説だから、もしかしたら何か勘付いたか。

「いや、お前と雪村って、仲が悪いものだとばっかり思ってたからな」

俺がそういうと、雪村妹は急に勢いがなくなって。

「…今日のあの人は、おかしいです」

そんなことを呟いた。

「おかしいって…?」

「貴方がいるせいでしょう。 いつもよりはしゃいでいるようでした」

アレで、はしゃいでる…?

じゃぁ、普段の雪村ってどんなのだよ。

そういえば、似たようなことを姫地にも言われたことがあったな。

気のせいだと思うが。

雪村が俺と会ってはしゃぐ?

そんなタイプにはとても見えない。

付き合いが長いわけではないから、絶対とは言えないが。

「普段は、もっと、こう…」

「大体、何で雪村が俺に会って浮かれるんだよ」

雪村が俺を意識してる?

そんなまさかな。

「…貴方は、やはりあの人のことを、雪村と呼ぶんですね」

俺の質問には答えずに、雪村妹はポツリと呟いた。

「ほかにどう呼べって言うんだよ。 さんとか様とかつけろってか?」

「それは別にかまいませんが、どうせ私は、いまだに雪村妹なのでしょう?」

「まぁ、それは…な」

怒るから、本人の前ではなるべく呼ばなかったが、やはり気にしていたらしい。

「あくまでも私は、あの人の付属物ですか…」

…こいつ、そんな風に思って、その呼び名を嫌ってたのか。

「そんな意味じゃねぇよ」

「では、どういう意味ですか?」

「やけに拘るな」

「良いから、答えてください」

雪村妹は、両手をついて俺に迫ってくる。

変な迫力に押され、俺はしどろもどろになりながら答えた。

「なんていうか、俺の中で雪村妹っていうのは、既に固有名詞になってるんだよ。 それに、呼びかただなんだって言うなら…」

言いかけて、俺は思い出す。

「そういえばさっき、お前俺のこと良幸さんって呼んだよな」

雪村と話していた俺を、こいつが部屋に引っ張り込んだときだ。

聞くチャンスを逃して放置しておいたが、確かにそう聞いた気がする。

「えぇ…」

聞き間違いではなかったらしい。

俺が指摘すると、雪村妹は複雑な顔で頷いた。

「まぁ、雪村の前でお義兄様なんて呼べないだろうしな。 どうせまた元に戻すんだろ?」

あそこであの呼び名をされたら、弁明のしようがなかった。

年上の男を「オニイチャン」と呼ぶ人間はいても、「オニイサマ」なんて呼ぶやつはいないだろう。

…「オネエサマ」ならいるか?

まぁ、そんなことはどうでも良かった。

「いいえ、しばらくその呼び名は、控えようと思います」

「何でまた?」

本当は、俺はここで喜ぶべきなのだろうが、不思議さが先にたって、質問してしまった。

…別に、お義兄様と呼ばれるのが快感になったって訳では無いぞ、決して。

「未久美さんとは、あのような事になってしまいましたし…」

雪村妹の口から、未久美の名前が出されて、俺は不覚にも驚いてしまった。

シャワーを浴びてすっきりしてから、俺は未久美のことを忘れていた。

いや、そうじゃない。

あいつのことは、すっかり解決した気になっていたのだ。

まるで、いやなことをシャワーで洗い流してしまったように。

「そんなの気にすることじゃないだろ。 すぐ仲直りできるんだから」

説得力がない。

俺が一番分かっている。

こんな所でこんなことやっている俺が言うセリフではない。

あいつだって、泣いていた。

それを俺は放っておいて、ここにいるのだ。

「それに…」

続けて、雪村妹が何か言いかけた。

だが、その途中に俺の顔を見て、言葉が止まる。

「…なんだよ」

「フゥ…帰ってあげてください、未久美さんのところへ」

「それ、さっきの言葉の続きじゃねぇだろ」

また未久美の名前が出され、心拍数が上がる。

それも、でてきたのがこんな内容なら、なおさらだ。

それでも、俺は平静を装って言葉を返した。

「それはもう良いです」

そんな俺を見て、雪村妹がもう一度ため息をつく。

「そんな顔で悩んでおいてなんですか。 気になっているのでしょう、あの方のことが」

「今、ふっと思い出しただけだよ」

事実だ。

こいつが未久美の名前を出してくれるまで、俺は未久美のことなんて、俺があいつに何を言ったかなんて忘れていた。

それを、こんな所でのうのうとして。

「後悔しているのですか、私を追ってきたことを」

「別に、そういうわけじゃねぇ」

雪村妹が、俺を覗き込む。

後悔。

確かにした。

何せ、俺がこいつを追いかけて行った所で、何も出来なかったのだから。

「…そうですね、あんな状態の未久美さんを貴方が放ってきた。 そのことには、私も怒りを感じます」

「そりゃ、当然だな」

「しかし、私は、やはり嬉しくもあったんですよ。 貴方が来てくれたことが」

「だけど、俺は、何も…」

「散々人を撫で回しておいて、何もしていないとでも言う気ですか、貴方は?」

「な、あ、あれはだな!」

「ですから言ったでしょう。 私は嬉しかったんですよ。 あの時、そして今、ここにいる貴方の存在が」

だが、もし、俺がいることだけでも、雪村妹の助けになれているのだとして。

…あいつは、誰もいないあいつはどうするのだろう。

「これは甘えですから。 私はもう充分です」

「あの時も、そう言ってたな」

雨の中、俺の目の前で、雪村妹はそう叫んだ。

そこで俺は思ったのだ。

甘えてるのは俺だと、俺はきちんとしなきゃいけないんだと。

俺は、きちんとしなくちゃいけない。

こいつのことはまだ気になる。

そして、この考えは、もしかしてさっきの繰り返しかもしれないが。

「そうだな。 俺は帰る」

「まったく、やっと素直になりましたか」

「うるせぇよ」

雪村妹が、安心したような顔を見せる。

まったく、こいつはたいしたものだ。

自分が落ち込んでいるときに、逆に俺を励まして、こうやって未久美の元に返そうとしてる。

「なにかと苦労のかかる人ですね。 私の野望の尖兵なのですから、しっかりしてください」

「…お前、ほんとに12才かよ」

「もちろんです。 一度甘えたからには、骨の髄まで利用させていただきますよ」

「しかも悪女か」

今日はじめて、こいつの事を怖いと思った。

世の中の政治家と渡り合ってるって言うのも、納得できる。

「未久美さんに土下座でも何でもして、とっとと私たちに挙式をさせてください」

「…そこまでは面倒見きれねぇよ」

いつものような生意気で、俺を挑発する雪村妹。

その言葉に、俺は思わずにやりと笑ってしまった。

ピーッ。

同時に、脱衣所のほうから電子音。

「そうと決まったら、早く出て行ってください。 服も乾いたようですし」

乾燥機の音のようだ。

俺は気付かなかったが、放り込んでおいてくれていたらしい。

「ありがとな」

「別に、礼を言われるようなことはしていません…」

俺が礼を言うと、雪村妹はそっぽを向いた。

照れているらしい。

俺は苦笑して脱衣所のほうにはいる。

よく見れば、洗濯機と乾燥機があることに気がつく。

俺はそこから着替えを取り出し、着替えた。

すっかり乾いている上、もとより感触が良いくらいだ。

着替えて脱衣所から出ると、雪村妹が俺を無表情に見る。

「んじゃ、俺は帰るぞ」

送っていくとも言わず、雪村妹は黙ったままだ。

俺が部屋の出口まで歩いていったところで、、彼女は口を開いた。

「まったく、本当に不義理な人ですね、貴方は」

そういって、雪村妹は困ったように笑う。

「え…?」

「ただの恨み言です。 気にしないでください」

一瞬、ドアノブを握る手が緩む。

しかし…。

「すまんな」

そうつぶやいて、俺は部屋を出て行った。

とりあえず、礼と謝罪が言えた分、マシだろう。

雨は、まだ降り続けていた。


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