いもうとティーチャー☆
第三十限:妹ユキムラケ
…不味いことになった。
自分の運の悪さを呪って、俺は腰掛けたベッドの上で頭を抱えた。
俺の背後から、雨音に混じって、別に水音が聞こえる。
いわゆるシャワー音というやつだ。
湯気の湿っぽさが、ここまで届いてくる。
確かに、これも不味いことではあるが、今はもっと深刻な問題があるのだ。
あるんだよ。
だから、とりあえず今は背後のことは忘れて、回想に集中することにしよう。
使用人に見つかると色々と五月蝿い。
そう言われれば依存がない俺と、言い出した雪村妹は、裏門からこっそりと雪村妹…いや、雪村邸にあがった。
使用人がいるといわれても、この家なら何の不思議も無い。
そんな広さだった。
「政治家ってのは、ここまで儲かるもんなのか?」
どこぞのホラー映画にでも出てきそうな洋館で、金持ちの象徴のような作り。
今歩いているのは細い廊下だが、横手にはズラッとドアが並んでいる。
床にはカーペットが敷かれているし、玄関から裏門に行くために5分ほど歩いた。
こんな家が建てられるほど儲かるというのなら、他の人生をすべて棒に振っても、政治家になる価値は充分あるのかもしれないが…。
「まさか…。 この家は、明治頃に巧く成り上がった酒職人の祖先が、全財産の4分の3を投資して作った建物ですよ」
水で重くなった髪に手櫛を通しながら、雪村妹が答える。
俺なんかは、下の絨毯に水滴が落ちることにすらビクビクしてるっていうのに…。
「酒職人?」
「我が家の先祖です。 戦争でこの家以外が焼けて、それを契機に政治家に転向したようですが」
「そりゃ、面白い人生だな…」
この家以外って言うと、やはり酒蔵などだろうか…。
まぁ、良くこんな大きい建物が燃え残ったもんだな。
「で、こっちなら本当に使用人に見つからないのか?」
「…裏門からの通路は、私専用ですから。 決まった時間以外は、誰も通りません」
「専用、ねぇ…」
豪華なもんだ。
「んじゃ、このドアとかは何なんだよ?」
「…物置になっています。 作った人間が考え無しに部屋を増やしたのでしょう」
「へぇ…」
考え無しに部屋を増やせるといった時点で、一般とはかなり尺度が違うよな。
「この調子だと、風呂なんかもやたらでかそうだな」
家の様子を見て、そんな感想が沸く。
「? 一般家庭よりは大きいと思いますが…」
何か今、雪村妹が訝しげな顔をしたような気がした。
変なこと聞いたか?
…別に、人の家の風呂でくつろごうなんて考えたわけじゃないんだが。
「こんな広いと、移動とかは不便だろ」
「食事は使用人が運んできますし、この無意味に広い家を歩き回ることも大してありませんから、問題ありません」
雪村妹は俺の先を歩きながら、淡々としゃべる。
「運んで…って、それじゃお前」
「一家団欒など望んでいる人間は、この家に存在しません」
俺が言いたい事を察したのか、雪村妹は俺の言葉を途中で遮るようにして言った。
…前から感じていたことだが、やはりこの家の事情は、かなり複雑なものらしい。
「だからって、部屋に引き篭もってゲームしてたのか?」
「だ、誰が引き篭もりですか!」
怒った雪村妹が急に振り返った所為で、髪が吸い込んだ水滴が俺の顔にかかった。
「お、お前なぁ…」
「大体私は仕事で忙しい身です。 家にいることなんてほとんどありません」
抗議の声を上げるが、雪村妹は聞き届けずに、さっさと歩いていってしまう。
「毎日遊びに来てたくせに…」
「未久美さんにお会いすることは、最優先事項でしたから、当然です…」
そういうと、雪村妹は声に力をなくして、歩く速度を弱めた。
さっきの雨の中のように、また肩が落ちている。
俺は雪村妹に追いついて、その頭をぐしぐしと乱暴に撫でた。
「過去形なんて使うなって。 すぐ会いに来れるようになる」
「や、止めなさい!」
命令形で発した抗議で、とりあえずいつもの調子に戻ったと感じた俺は、雪村妹を解放した。
さっきとはあべこべに、雪村妹がぐちゃぐちゃになった髪の毛を直しながら、ぶつぶつと文句を言っている。
「さっきの仕返しだ」
「…子供」
「ガキに言われたくねぇよ」
俺が答えると、雪村妹は憮然とした顔をして、再び俺を追い抜いた。
「…貴方が、会いに来れるようにしてくれるのでしょう。 少しは期待しているのですから、ちゃんとしてください…」
そう言えば、さっき雨の中で俺が「なんとかしてやる」と言った時、こいつの返答は聞いていなかった。
少しは期待か…。
無愛想なこいつにしては、上出来な答えだ。
「分かってるよ」
俺は苦笑して答えた。
雪村はちらりと振り向いたが、鼻を鳴らしてまた歩き出した。
しばらく無言で歩いたところで、雪村妹は急に立ち止まる。
「どうした?」
「…ここが、私の部屋です」
雪村妹が、並んでいる扉の一つを手で示した。
右隣のドアとも左隣のドアとも変わりの無い、普通の部屋だ。
もっとこう、重々しい両開きのドアとか、その横に控えるSPとかを想像していた俺は、少々肩透かしを食らった気分だった。
「どうぞ」
「どうぞって…」
「なんですか?」
何ですかと来たか…。
「部屋に招待されるのは光栄なんだが、それより先にシャワー…、タオルだけでも良いが。 とりあえずこの体を何とかさせてくれ」
「安心してください。 シャワーだけなら、私の部屋で事足ります」
「は?」
雪村妹があっさりと言う。
そうか、普通に見えたけど、シャワーが部屋についているほどには、豪華なのか。
部屋から出なくても事足りると言っていたぐらいだしな。
風呂トイレ完備は、当たり前なのかもしれない。
いや、問題はそこではなく。
「別にお前の部屋じゃなくても、風呂は別にあるんだろ?」
「浴室まで行くと、貴方を内密に連れ込んだ意味がなくなるんですよ。 見つかったら摘み出されますから」
「だから部屋に匿うってか…。 俺は捨て猫かよ」
「…そんなに可愛いものですか、貴方が」
「ぐっ」
本当は連れ込むという単語を聞いた時点で、もう少し大人向けの表現が思い当たった。
だが、ちびっこの前で言うことではないので心の中にしまった俺の苦労を、もっと汲み取ってくれないだろうか。
「せいぜい、ヒモが良い所でしょう」
なんていうか、とりあえず今の一言で、俺の苦労は台無しになった。
「せめて、愛人とかにならんのか」
「あ、愛人!? 何を思い上がってるんですか!」
「いや、ヒモは大丈夫で、愛人なら照れる、お前の感性が分からん」
「…愛人の愛は、愛の愛」
「その説明は、なんか分かるけど、分かんねぇよ」
愛っていう単語に照れてるってことか?
目の前の雪村妹につっこんだが、奴は口を開けて、唖然とした顔をしている。
「あれ?」
何でこいつは、こんなギリギリアウトめの、アホ面を晒してるんだ?
俺は、何もしてないよな…。
見てるのは、後ろ?
「…つっこみ間違い」
そして、声が後ろの方からした…。
恐る恐る振り返ってみると。
「…ハロゥ」
そこには、今アホ面をさらしている顔と対極的なクールフェイス。
素材がほとんど同じだからこそ、対極の顔がある。
「雪村!?」
俺が初めて見た、雪村姉妹の共演だった。