いもうとティーチャー☆
第二十七限:妹フタリキリ
「あれ、鍵開いてやがる…」
鍵を差し込んで回すと、鍵が閉まり、もう一回逆回しをすると、鍵が開いた。
なんか悔しい。
未久美は、職員会議で遅くなるそうだ。
どうせ席に座っているだけだろうが、仕事は仕事ということで、しぶしぶ職員室前で俺と別れた。
親はどうせ仕事だろうと思っていたのだが…、いたのか?
「ただいま」
ドアを開けて靴を見るが、それらしい靴が無い。
代わりに、サイズが小さ目のローファーが一つ。
…未久美のか?
あいつは、こんな靴を持っていただろうか?
首を捻っていると、俺の部屋の方から、何やら話し声が聞こえた。
未久美の声じゃ、無い。
よく聞くために、そのまま部屋の前まで移動する。
「…前年度の予算から考えて、その案を出しても野党が何かしら言ってくることは必死でしょう」
どうやら、ケイタイで話しているらしい。
「ですが、実際に邪魔になるのは…党の…議員です。 …もうるさいとは思いますが、影響力も大してありませんので、放置しておいても問題は無いでしょう」
何と言うか、うちから聞こえて良い会話ではない気がした。
こんな会話をする人間で、俺の知り合いと言えば、決まっている。
「…現金、ですか。それはまだ、時期を見てください。無駄にばら撒けば良いという物ではありません」
雪村妹、だ。
口調は冷静なのに、声が幼いので分かりやすい。
しかし、話が話なだけに、自分の部屋であるのに入りづらいな。
かと言って、離れる気にもなれず、俺はそのまま扉の前で聞き耳を立てる形となった。
「…来週の頭頃に、…議員の醜聞が暴かれます。ええ、確定ですね」
所々、狙ったようにちょうど聞こえない個所があるが、元々俺は聞きたくて聞いてるわけじゃない。
構わないだろう。
「色々と派手な相手ですから、議員の批判も、マスコミの注目もそちらに集まるでしょう。要は通してしまえば良いのです。そういった体裁には構う必要はありません」
…それにしても、段々話がきな臭くなって来た。
あいつの仕事っていうのは、いつもこんな調子なのか?
「はい、それでは。 …それと、例の件についての根回し、お願いしいたします」
携帯電話を操作する音。
どうやら話は終わったらしい。
「入ってもいいかぁ?」
わざと呼びかけてみる。
俺が帰ってきていることは、玄関を開ける音やなんかで気付いているはずだ。
…要は無視されたんだよな。
まぁ、途中で切れるような電話ではなかったと思うが。
「…断る必要など無いでしょう?貴方の部屋なのですから」
案の定、動揺した風も無い冷静な声が返ってくる。
「それを言うなら、ここは俺の家だぞ。何で勝手に入ってるんだよ」
部屋の扉を開けながら言うが、現れた顔は、いつも通りの冷静な顔だった。
紺のブレザーにチェック柄のスカート。
いつもよりもきちんとした格好をしている。
「家自体は、御両親のものでしょう」
「揚げ足を取るな」
ちょこんと正座しているのも、さらにむかつく。
「いいえ、これは重要な事です」
「はぁ?」
「この家が貴方の所有物で無い以上、御両親の許可があれば、私はこの家に上がることができます」
「で、許可とやらはもらったのかよ」
「何時でもいらっしゃいとも言われました」
…社交辞令だろ、それは。
「それに、どうせ私もすぐに家族の一員となるわけですし。大した問題も無いでしょう、お義兄様」
お義兄様を強調して発音すると、雪村妹は生意気な表情で笑った。
…最近は、やたら表情が豊かなんだよな、こいつ。
打ち解けてきたって事だろうか?
「だから、その呼び方で呼ぶな」
後ろ手でドアを閉めて、そのままそれに背中を預けて座る。
「鍵はどうしたんだよ、鍵は」
「未久美さんに頼みましたところ、快く余っている合鍵をご提供くださいました」
雪村妹はポケットから鍵を取り出すと、顔の前に掲げた。
「あの馬鹿は…」
将来そのノリで借金の連帯保証人になったりして、真っ暗な人生を歩みそうだ。
「それで、未久美さんはまだお仕事ですか?」
「あぁ、職員会議だとよ。結構かかるそうだ」
「…そうですか。それでは仕方ありませんね」
そう言ったきり、雪村妹が嘆息を最後に黙る。
話す話題が無くなって、俺も黙る。
当然、部屋に静寂が満ちた。
考えてみれば、こいつと完全に一対一で話すなんて、今日が初めての事だったな。
意外と軽く流してしまったが…。
結局、未久美という接点が無ければ、俺たちは赤の他人だ。
話す話題の共通項も、それぐらいしかない。
それだけ、遠い世界にいる奴なんだよな、こいつは…。
さっきの通話を聞いて、改めてそう認識した。
「…なんですか?」
「いや、別に」
俺がそう答えると、雪村妹はそのまま追求せずに黙ってしまった。
こいつは別に、気まずくなんて無いのか?
まぁ、この娘にしてみれば、俺など未久美に張り付くお邪魔虫でしかないのかも知れない。
実際に張りつかれているのは、俺だが。
そんな虫風情がいようが、気にならないのかもしれない。
「…なんだよ」
だが気付くと、今度は雪村妹が俺を見ていた。
とりあえず、虫以上の価値ぐらいはあるらしい。
普段なら、大して気にも留めないであろう視線。
だが、この空気に耐え切れなくなってきた俺は、そんな些細な事からも、話題を求めようとしていた。
「何でも…いえ」
何でもない。といいかけた雪村妹が、途中で言葉を切った。
「なんだよ」
「…ゲームでも、しませんか?」
珍しく、控え目な態度で雪村妹が提案した。
こいつもこの沈黙を気まずく感じていたのかと思うのは、俺の勝手な妄想だろうか?
「三連勝…だな」
「くっ」
俺の言葉に、雪村妹が唇を噛み締めた。
アレから、一時間ほどゲームをやり続けて、俺の勝率は7割に達していた。
さすがに完勝とまではいかないが、今までの均衡状態を考えると、十分な結果だ。
「まだやるか?」
「この程度は誤差の範囲です」
冷静に努めようとしながら、雪村妹がキャラを決定する。
「はいはい」
応じて、俺も同じ操作をした。
やはり、学校で教えてもらった事が役に立っているらしい。
普通、ちょっと教えてもらったぐらいで、こんなに勝率が上がるのはおかしいのだが、今回は特殊だった。
雪村…姉の方に教えてもらったことが、やたらと当たるのだ。
つまりは、雪村妹が使うキャラへの対応法が。
こんなの、実際に使っているところを見ないと、分からないだろうに。
「なぁ、もしかしてお前、これでよく雪村と対戦するか?」
「…私も雪村ですが」
また揚げ足取りやがって…。
「姉の方だよ、姉の」
「…する訳ないでしょう? あんな女と」
姉に向かって、あんな女呼ばわりかよ…。
まぁ、こいつがお姉ちゃんなんて呼んでも、なんか気持ち悪いが。
「…まさか、先程からの貴方の奇妙な動きは、あの人の入れ知恵ですか?」
「その奇妙な動きにやられてるのは誰だよ」
言っている間に、俺がさらに一勝する。
大体、これだって普通に操作しているだけだ。
奇妙に見えるのは、雪村妹がやりにくいと感じているからだろう。
「やはり、勘付いているのかもしれませんね。あの人は」
「はぁ、何でそうなるんだよ!? 」
話の飛躍についていけず、俺は思わず横を向いた。
そこに、雪村妹の容赦無いコンボが入る。
奴の勝ちだ…。
「明らかに私用の戦略を、タイミング良く貴方に教えるなど、通常ありえません」
「…お前がやってるところ見て、覚えただけだろ」
「私は、家族の前でTVゲームをしたりはしません」
当たり前のように再戦。
「偶然って可能性だってある。大体お前が言ったんじゃないか。雪村はお前のやってることに興味なんて無いって」
「希望的観測など、判断材料としては最悪です」
「悲観的に考えすぎるのも、どうかと思うけどな」
口で言い合いながら、手は休めずに動かす。
「しかし、なんだってそんなに、あいつを警戒するんだよ?天才政治家様の弱点ってか」
皮肉混じりに言ってやると、雪村妹は一瞬何か言いたげに顔を歪めたが、それを飲み込んでため息を吐いた。
ちなみに、その動作を見ている間に、俺がさらに一敗した。
「…何も知らない凡人様は、気楽で良いですね」
「政治家の秘書だとか、訂正しないのかよ」
俺は、苦し紛れに、そんなことを言うぐらいしか出来なかった。
見事に皮肉で返された所為ではない。
何となく、それを言う前の表情が気にかかって、訳のない罪悪感がそれ以上の口論を避けさせたのだ。
「大体、年下がいつでも慕ってくるなどと思う方が、歪んでいるんです」
「別に、そんなこと思ってねぇよ」
…そりゃぁ、未久美だって、ちょっと間違えれば、こいつみたいな生意気娘に育ったかもしれない。
だが、うちには一人しか妹がいないんだから、知りようがないだろ。
いや、もう少し経てば、あいつだって思春期真っ只中だ。
俺にべったりなんてことなど無くなり、むしろ嫌うようになるのかもしれない。
そして、先程の雪村妹のように、部屋で仕事の話をしだすのだ。
それに対して俺は、今以上に劣等感丸出しで、聞こえないフリに徹する。
「…明るい未来…ってか」
「惨敗しておいて、そのにやつきはなんですか?わざと手を抜いているとでも?」
自分でも気付かないうちに、自嘲で歪んでいたようだ。
ついでに、ゲームの方はほとんどパーフェクトで負けている。
それを余裕とでも思ったらしく、雪村妹は俺を睨みつけた。
「…別に、そういう訳じゃねぇよ」
「第一、卑怯です。 他人の教えを乞うなどと…」
俺から視線をはずして、雪村妹は小さな声で愚痴った。
「って、お前には…」
言いかけて、止める。
止めよう、愚問だ。
「なんですか、途中で言葉を切らないでください。私の心を乱すための作戦ですか?」
が、雪村は俺の気持ちにも気付かず、いや、気付いたからこそかもしれないが、言葉の先を促した。
「だとしたら、成功したよな」
言葉通り、ゲームでは俺が一勝していた。
「…そんな事より、なんと言おうとしたのですか?」
俺が話を逸らそうとしたのにも引っ掛からず、雪村妹は再び俺の方を見た。
どうやら、言うまで諦めそうにない。
「…お前にはそういう友達はいないのか?」
「…いるわけないでしょう」
ほら、愚問だった。
そんな奴がいるなら、さっきのようなセリフは言わないだろう。
大体、毎日家に来ているのに、そんな相手がいるとも思えない。
「それに私は、未久美さん以外に、友人など要りません」
俺から顔を背けるように、雪村妹は顔を画面に向ける。
ちらりと盗み見た雪村妹の顔は、何故だか年相応の幼さを、俺に見せていた。
あのちんちくりんが、そこまで信頼されるなんて、なんだか変な気分だ。
しかし、きっと未久美にとっても、こいつは唯一無二の親友のはずだ。
飛び級を繰り返している所為でまともな友達も出来ずにいるのは、あいつも同じなのだから。
大体からして、俺自体が良い兄とは言いがたい。
普段から冷たいし、心の底ではあいつを受け入れきれない自分がいる。
そういう意味で、あいつを真に理解できるのは、結局この娘なのではないかという気もした。
「…なぁ」
「なんです?」
「その、なんだ。未久美と、仲良くしてやってくれよな」
俺の言葉に、雪村がわざわざこちらに顔を向けて、驚いた顔をした。
なんだよ、こっちが照れるリアクションをするな。
首の忙しい奴だな。
「なんですか、急に」
「ん…、いや、別に深い意味はねぇ」
「い、言われなくても、そのつもりです…」
だが、俺よりも顔を赤くしている雪村妹を見て、恥ずかしさよりも可笑しさが先に立った。
「何でお前が照れるんだよ」
「…貴方が、くさいセリフを言うからです」
「そりゃ悪かったな」
…何となく、こいつを『妹』っぽく感じた時間だった。
確かにこの時、俺には二人『妹』がいたのだ…。