いもうとティーチャー☆

第二十二限:妹デンワ


太ももに感じる、ケイタイの振動音。

俺にとっては、それは一種幸運だった。

先生の追及が続く中、とにかく考える時間が欲しかったのだ。

誰からかは分からないが、とりあえず少しぐらいは時間が稼げる。

「先生。 ちょっと良いですか?」

「ん、何?」

右ポケットからケイタイを出して、左手で指し示す。

着信ランプが点滅し、本体が小刻みに震えた。

先生もそれを見て察してくれたらしい。

「隠れて使わないと没収されちゃうわよ」

息を吐きながら、いたずらっぽく笑った。

それを、承諾の合図だと受け取って、俺は男子トイレへ向かう。

我が母校は、一応校内での携帯電話の使用は認められていないのだ。

まぁ、里美先生のように、黙認してくれる先生が大半なんだけどな。

歩きながら、誰からの着信か見る。

あぁ、ちょうど良かった。

どっちにしろ、隠れて通話しなければならない相手じゃないか。

 

男子トイレの個室。

入ってもからかわれる事が無くなった今でさえ、何となく入りづらいのだから、まったく困ったものだ。

ともかく、俺はそこに篭り、携帯電話の通話ボタンを押した。

ピッ。

『あ、もしもし、お兄ちゃぁん? わたしー』

「何やらかしてんだ、このバカ!!」

スピーカーから能天気な声が聞こえた瞬間、俺は思いっきり叫んでいた。

個室の壁に反響したぐらいだから、電話の向こうではさぞ大きいダメージだろう。

次に未久美が言葉を返すまでに、かなり間があった。

ちなみに、今あいつが通話しているのは、俺と同じ機種のケイタイ。

未久美がアメリカに行く前に一緒に買ったやつだ。

ただし、俺のには何の飾りもついていないのに対し、未久美のケイタイは本体よりも飾りの方が重いと言うほど、ジャラジャラとアクセサリーがついている。

『うぅ〜、む〜、何で怒鳴るの〜〜!!?』

俺の声に退行するように、やっとダメージから立ち直ったのであろう未久美も叫び返してきた。

だが、どうせやってくるだろうと予想していた俺は、ケイタイから耳を離していたため、まったくダメージは無かった。

…勝ったな。

変な所で優越感を感じた。

そして、さっき叫んだ分も含め、当面のストレスは解消した俺は、次の言葉を落ち着いて言うことが出来た。

「…お前この間、里美先生に住所かけって言われただろう」

『むぅ、言われた』

「で、それに自分の家の住所書いただろ」

『え〜? そんなの当たり前でしょ?』

「アホか!んなもん書いたら、先生に俺たちのことがバレるだろうが!!」

やはり冷静になりきれず、もう一度怒鳴る。

『…むぅ…』

しばらく間が空く。

またもダメージに悶えているのだろうか?

『もしかして、誰かにバレちゃったの?』

ちょっと、心配になりかけた時、未久美から反応が返ってくる。

我が妹にしては、察しの良い質問だ。

「まだバレてはいない。ただし、里美先生に問い詰められてはいる」

恋人だと思われた、なんてもちろん言わない。

言っても、つけ上がらせるだけだ。

『む〜…、里美さんと一緒なの?』

里美先生の名前を出したとたん、急に未久美が不機嫌になった。

こいつは、まだ俺と彼女を疑っているらしい。

こっちは、悲しいほど何にも無いというのに…。

「んなもん、勉強教えてもらってるだけだよ」

『でも、二人きりなんでしょ〜!?』

「図書室だから、二人っきりって訳でもねぇ」

『…二人で夜の町に消えたりしない?』

「……き、消えるかボケ!!」

一瞬、そのシチュエーションを夢想してしまった俺は、思わず声が裏返った。

『む〜、いま間が空いた〜〜!!』

「ぐっ!」

そしてそれを、未久美に気づかれるという失態。

こいつ、変なところで賢くなってきやがって…。

「…とにかく、このことは家に帰ってから話す。それで、お前の用事は?」

『む〜、お客さんが来てるから、お兄ちゃんに早く帰ってきて欲しいなって…』

「は、客? 俺にか?」

『う〜ん、どっちかって言うと私だけど…』

未久美用の客なのに、俺に早く帰ってきて欲しいっていうのは、どう言うことだ?

思いつくことといえば…。

「…まさか、学校関係者じゃないよな」

『む〜、関係あるけど関係ない』

俺が聞くと、未久美は唸った後に、要領を得ない答えを返した。

「クイズやってんじゃねぇんだよ。良いから誰か教えろ」

イライラした俺が言うと、未久美はまた唸る。

…まさか、本当に名前当てでもさせようとしたのか?

『あっちゃん』

「はぁ?」

聞こえた名前は、実に意外なものだった。

『あっちゃんが来てるの」

「あっちゃんって…あの政治家の?」

『うん、そのあっちゃん』

あっちゃん。そいつについて俺が知る情報は、数少ない。

どうやら、日本政府の重役であるらしいこと。

いくら普通とは違うとはいえ、12歳のガキを簡単に教師にできるほどの権力を持っていること。

そして、どうやら未久美のことを気に入っているということ。

…で、そのロリコンが、俺の家にいるらしい。

未久美と二人っきりで。

『お兄ちゃん? どうしたのー、お兄ぃ…』

ぷつっ。

通話を切る。

そしてそのまま、電源を切る。

まさか、いくら何でもそれは無いだろう。

落ち着け。世の中はそんな嗜好の人間ばかりとは限らない。

あんなちびっこに手を出す人間なんて…。

そう考えてみると、やたらテンションの高そうな顔と、無表情な顔が頭に思い浮かぶ。

とりあえず身近に、二人はいた。

物凄く、いやな予感がする。

一度その考えが頭によぎると、いてもたってもいられず、俺は個室を出て、廊下を走る。

図書室へ。

扉を開け、里美先生の前で止まる。

「先生、急用が出来たので帰ります!!」

「えっ、あぁ、それなら良いわよ 」

先生の了解を得た時点で、俺はきびすを返して図書室を再び疾駆していた。

「…って、何があったかぐらいは教えて欲しかったんだけど」

背後で里美先生の声が聞こえた気もしたが、今はとにかくそういう事には構っていられない。

未久美が、危ない。

ロリコン政治家の手にかかる前に、何としても家にたどり着かなければ。

 

「ただいま!」

ドアを勢い良く開け、左右確認。

特に変わったことは無し。

いきなり血まみれの未久美が転がっているとか、猟奇的な展開も無い。

…って、何を想像してるんだ、俺は。

電車の中でやきもきしている間に、おかしな方向に考えを進めてしまったらしい。

いつもと変わらない壁を見て、なんだか馬鹿らしくなる。

そもそも、急いで帰ってくる必要だって無かったのではないだろうか?

いくら未久美に目をかけている人物とはいえ、変態とは限らない。

がちゃっ。

「あっ、おかえりー!」

俺たちの部屋のドアが開いて、そこから覗いたのは、いつも通りのちびっこ顔だった。

…やはり、取り越し苦労だったようだ。

「って、お兄ちゃん!さっきなんで電話切っちゃったの!?電源まで切るしぃ!」

「うっさい、その…色々あったんだよ!」

こっちに来て俺に詰め寄る妹君は、過剰気味にも見える健康ぶりだ。

言い返そうとして、俺は言葉に詰まってしまった。

この元気そのもののこいつが、どうしても心配なら、通話を切らなければ良かったのだ。

逆探知されるわけでも無し、されて困るわけでも無し。

自分が動転していたとは、どうしても思いたくないのだが。

「色々って?む〜、もしかして里見さんと何かしてたの!?」

いつも通りの邪推をしてくる未久美。

何かもう、予想され尽くした反応過ぎて、力が抜ける。

「マジで、急いで帰ってくること無かった…」

靴を脱ぎながら、深く後悔した。

相手には分からないだろうが、とりあえず一言謝っておきたい気分だ。

あってもいない相手に対して俺がしていたことは、つまり未久美のこの姿である。

人のふり見て我がふりなおせ。

で、そんな反面教師になるような、愚昧の相手をしてくれていたわけだし。

「そう言えば、お前とあっちゃんとやらは、今まで何してたんだ?」

ふと、気になって聞いてみる。

俺が電源を切った時点で、未久美の不機嫌は容易に予想できた。

そんなのとまともに付き合っていたとすれば、相当人間の出来た人物だ。

「む〜、話してただけだよ」

「話題合うのかよ」

重役政治家と12才のお子様。

どう考えても共通の話題が見つからないんだが。

「うん!あっちゃんのお話って面白いんだよ!あっちゃんねぇ、私と結婚したいんだって」

「…ハァ?」

けっ…こん?

重役政治家が、12才のお子様に求婚?

いや、冷静に考え直そう。

さっき、それで失敗したばかりじゃないか。

もしかすると、何か正当な理由が…。

納得の行く理由が…。

思いつかない。

変態決定。

「あ、でもねぇ。私が、その、結婚したいのは…」

「ぬぅおおおおおお!!」

もじもじとしながら何事か呟いている未久美を無視して脇を通りすぎ、部屋の前まで走る。

ドアノブに慣性を殺させつつ、それを使って勢い良くドアを開けた。

バタン!!

「って…あれ?」

抹殺しようとしていた相手は、部屋の中にいなかった。

「む〜、今せっかく胸キュンなセリフを言おうとしたのに…」

後からぺたぺたと歩いてくる未久美を見た。

「…あっちゃんとやらは、どこだ」

「えっ、そこにいるでしょ?」

未久美を見下ろした視線の低さで、部屋を見る。

すると…。

「うわ、いた!」

確かに、人がいた。

だが、それは、俺が思い描いていた変態政治家像とは、かなりかけ離れた姿だった。

「…古いコントのようですね」

それが、第一声だ。

身長は、未久美と同じか、少し高いぐらい。

黒く艶やかな髪。

緩やかにうねるそれは、肩口で切りそろえられている。

「えっと、この娘があっちゃん?政治家の?」

「うん、あっちゃんって私と同い年なのに、すっごくえらい政治家さんやってるんだよ!」

「…初めまして、片野良幸さん」

「お、おう、初めまして…」

挨拶をするが、その表情は無表情。

茫洋とした眼差しは、何を考えているのか読み取らせない。

それが、その子をやけに大人びて見せている。

そして、その容姿に、俺はやけに見覚えがあった。

「…雪村淡森。フルネームは好いていませんので、あっちゃんと呼んでくだされば、結構です」

少女は、自分の名を「あわもり」と名乗った。

「て、言うか、雪村って…」

「雪村麒麟は私の姉です。愚姉がいつもお世話になっています」

当たり前のようにそう言うと、彼女はここが自分の家であるかのように、俺に座ることを促した。

そして俺も、彼女に言われるがまま、素直に床に座る。

正直、疑問で頭がいっぱいになり、何も考えられなかった。

こんな小さい子が政治家?

雪村の妹?

何の用でここに?

結婚ってどう言うことだ?

全ての答えは、このサイズの小さな雪村が知っている…。


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