いもうとティーチャー☆

第二十限:妹キュウチョウ


何てことは無い、忘れた事なんて何もなかった。

休日もあけた、月曜日の学校。

俺は、そんなことを再認識した。

「トイレのタイルが、一枚、二枚、三枚…」

斜め後ろに、幻覚を見ている男がいるとしても、それは決して、俺の所為などではない。

「あぁ、床に倒れているというのに、誰も助けてくれない…。 レイジ不死鳥伝説も、ここまでか」

レイジなんて男は、もういないし、大体俺はそんな人間知らない。

知らない人間のことを忘れることなど、不可能だ。

「悪魔が、逆三角形の目をした悪魔が見えるよぉ…」

よって、俺は何も忘れていない。

思考する価値も無い、単純な結論だ。

「高山君、どうしちゃったの?」

「さぁ? 俺の記憶の一片にも、一切関連する原因は思い当たらないな」

だからこれも、至極当たり前の答えだ。

「きりんも、分からない?」

「…精神的外傷」

雪村はポツリと、姫地のほうを振り向きもせずに答えた。

「トラウマかぁ…。 どうしてあげたら良いんだろうねぇ?」

「…今の私には、他人の事なんてどうでも良いわ」

「って、お前なんか酷いこと言ってるぞ。 雪村こそなんかあったのか?」

「…未久美先生との恋路に忙しいもの」

無表情なので、冗談か本気か分かりにくいのだが、この前のパフェの事を言っているのだろう。

つーか、始まってもいないのに、忙しいも糞もあるか。

「そっか、それじゃしょうがないね」

「って、姫っちもそれで納得するのかよ!」

笑顔で、さらっと秀人の心配を止めた姫地に、見捨てられた本人からのつっこみが入った。

何だ、普通に元気じゃないか。

まぁ、元々何の心配もしていなかったが。

キーンコーンカーンコーン。

チャイムが鳴る。

たまには面白い音でも出してくれないかと思うが、出たら出たで、俺はまた文句を言うと思う。

人間なんて身勝手なものなのだ。

「…来た」

「…来たわ」

秀人と雪村が、同時に顔を上げて呟いた。

この二人がユニゾンするなんて、他に理由は無い。

彼らの大好きな、ちびっこ先生が来たのだ。

トットットっと、未久美はリズム良く教壇に上がると、始めますと宣言した。

「起立! 礼!」

今日の日直が、タイミング良く言う。

全員が、号令の通りに動く。

流れを維持したまま、教壇の上で奴はしゃべり出す。

「今日はこれから、クラスの係を決めたいと思います」

事務的で簡素。 ただし、口調は嬉しそう。

理由は簡単。 良いことがあったから。

「まず、男女1名ずつ級長を決めて、その人たちに進行をしてもらいます」

多分、里美先生にでも吹き込まれたのであろう段取り。

気付かなければ、立派な教師だった。

「それでは、級長に立候補する方はいますか?」

「はい!」

「…はい」

未久美の問いかけに、俺の斜め後ろは勢い良くてをあげ、隣が静かに手を上げた。

「…ええっと」

あまりに早く立候補者が出たので、とっさに反応できない未久美の動きが止まる。

とりあえず、そこで流れが止まった。

未久美は、微妙に素に戻りかけている。

だが、この二人が手を上げたのは、あの話が出た時点で、予想の範囲だった。

うちの学校でいう級長は、会議での司会、進行のほかに、先生の雑務まで手伝えるという特権があるのだ。

普通の人間は、そんなもの特権だなんて思えないだろうが、この二人には、間違いなく美味しい特権だ。

何しろ、未久美と接する機会が増えるのだ。

それはもうヨダレが

「じゅるり」

と出るぐらいに魅惑的だろう。

今、俺の横で実際にそんな音が聞こえた気が、きっと気のせいだ。

「…決定で良いんじゃないんですか?」

黙った未久美を、俺は促した。

それに対して未久美は、秀人、雪村の顔を順に見た後「むぅ」と俺を不満げに見る。

こいつの視線の意図する所は、分かっている。

つまり、俺は立候補しないのかと訴えているのだ。

反応が遅れたのは、もしかしたら、俺が手を上げるのを待っていた所為かもしれない。

「待ってても、他に立候補者なんて出ませんよ」

駄目押しで、もう一言。

間違っても、俺は級長になんてならない。

何が悲しくて、学校でもこいつと一緒になる機会を作らなければいかんのだ。

俺が言うと、未久美は不満そうな顔をして、む〜と唸ると、渋々といった感じで決定しようとした。

「そ、それじゃぁ…級長は雪村さんと…」

「…先生」

それを遮ったのは、雪村の声だ。

小さい、呟くような声音であるのに、彼女の声は教室全体に広がった。

「えっと、何でしょう?」

不意を突かれる形になった未久美が、怖々、といった感じで雪村を促す。

戸惑ったのは、俺も同じだ。 同じく、雪村を見た。

「片野君を、級長に推薦します」

「はぁ!?」

「えぇ!?」

「ユッキー!?」

上から順に、俺、未久美、秀人のリアクションだ。

全員、雪村の発言の意図が分からないと言うのは、共通だった。

が、仲間内で唯一声を上げなかった姫地はと言えば。

「きりん…」

なんだか、彼女の行動が理解できているような表情だった。

…幼馴染だからこそ、なのだろうか?

「ユッキー! いっしょに先生を愛でるんじゃないのか!?」

「…先生独り占め」

今度は、俺達にだけ聞こえるように呟く。

「それが目的かよ!」

そこまでして未久美に近づきたいか…。

「片野君は無害って事だねぇ」

それを解釈して、姫地が一言。

喜んで良いのか分からんが、考えてみれば、秀人より有害な人間はそういないだろう。

「なんでだよ! こんなチンピラより、俺のほうが絶対先生を幸せにするって!!」

「何プロポーズしてんだ、てめぇ」

趣旨を間違っているようなので、とりあえず一発殴っておく。

「うが!」

「…と、このように片野君は腕力面でも性能が高く、突然暴漢に襲われても、安心できます」

「お前も、訳わからん売込みするな!」

そんな機会、ねぇよ。

大体、こういう場合は、推薦より立候補の方が優先されるのだ。

いくら雪村が俺を推そうと、俺が級長にされる恐れはない。

「それは安心ですね。 じゃぁ、片野君を級長に…」

もっとも、学級のルールを作る教師が、普通の人間であればだが…。

そんな世の中の常識を覆すがごとく、未久美はあっさりとそれを受け入れようとした。

元々俺を級長にして傍に置きたい未久美としては、雪村の提案は渡りに船だったのだろう。

だからって、何のためらいも無いのは如何なものか。

「ちょっと待て! 俺の意思は関係無いのかよ!」

「そうだ! それじゃぁ、立候補した俺の立場が無い!」

俺が言うと、後で秀人が言葉の後をついだ。

…とりあえず、今はこいつが正しい。

動機は不純でも。

「と、言うわけで、俺も姫っちを推薦」

そうかと思えば、秀人はいきなり、余計場を混乱させることを言った。

「えっ、私!?」

いきなり矛先を向けられ、姫地が驚いた声を上げた。

そりゃ、驚くわな。

「…邪魔をするのね」

「ユッキーの思い通りにさせるかよ…」

「だから、お前ら勝手に人の名前を挙げるな!」

静かに闘志をぶつける二人は、何時の間にか立ち上がっていた。

向き合ったりしていないのが、奴ららしいと言えばそうだ。

人権を無視されそうになった俺も、憤り立ち上がる。

が、そんな三人に、姫地が困ったような声を出す。

「あの、とりあえず座ったほうが良いんじゃないかな? みんなもビックリしてるし…」

その声に周りを見まわすと、俺達はクラス中の全員から、迷惑そうな視線を向けられていた。

彼らからすれば、俺達の会話は身内漫才にしか見えないのだろう。

確かに、そんな事されれば、こんな顔になる。

「えっと、それでは投票で決めたいと思います。 良いですね」

元々、立候補者が複数いる場合は、そうしろといわれたのだろう。

未久美がそう提案すると、二人は大人しく座った。

なぜ俺まで巻き込まれているのか、そして、この提案になぜ異論が巻き起こらないのか。

様々な疑問が頭をよぎったが、場の雰囲気に圧されて、俺も座ることになってしまった。

…未久美に仕切られたことだけが、とても心残りだ。

 

「はい、と言うわけで、他の委員を決めたいと思います。 やりたい委員に手を上げてください」

チョークを持って、委員会名を書いていく。

俺の後ろでは、片付けられていないアンケート用紙が置かれた机で、姫地が普通に会議を進めていた。

「では、図書委員会をやりたい人」

巻き込まれて、強引に級長にされたと言うのに、文句も言わずにこうやって進行をしているなんて、姫地は偉大だ。

俺はと言えば、横目に感じる視線にイライラしてしょうがないと言うのに。

その視線の元、議長を明け渡した未久美は、壇上の横でこちらを見てニコニコしていた。

結局一番得をしたのは、こいつなんじゃないかと思うと、余計腹立たしい。

後の机では、投票で負けた秀人がふて寝に入っていた。

雪村は、悔しくないのか飄々としている。

「体育委員をやりたい人」

結局、投票で勝ったのは、俺と姫地だった。

おかげで、このちんちくりんに付き纏われる機会が、また増えたわけである。

女子の方は、姫地30票:雪村5票。

男子の方は、俺22票:秀人3票。 どっちでも良いと言う答えが10票だった。

で、投票のついでに理由を書いてきた人間が結構居たのだが…。

姫地には「地味だけど、しっかりしてそう」 「地味ながら、まとめてくれそう」 「地味だが、ユッキーには票を渡さん」と言う意見多数。

雪村に来た5票は、ノーコメントだったが、多分雪村好きの地下勢力だろう。

とりあえず、雪村は密かに人気があるのだ。 黙っていれば綺麗ではあるしな。

「美化委員をやりたい人」

で、俺に来た票はと言えば…。

「クラスより大きい組織を仕切ってそう」とか、「目つきは悪いけど、面倒見はよさそう」とか言う意見の他に、「あいつを級長にするよりは…」と言う意見が多かった。

秀人の暴走っぷりは、クラスの連中に知れ渡っているのだ。

だが、どっちでも良いと答えた人数を考えると、笑ってもいられない。

これは、俺とあいつを同一視している人物が、意外と多いと言うことを示しているのだから。

いつもつるんでる所為だとは言え、あのロリコンと俺を一緒にするとは、失礼千万だ。

「保健委員をやりたい人」

だが、その中で不思議だったのが、この一票。

「これ…、多分雪村のだよな」

見覚えのある、流れるように書いてある特徴的な文字。 高い確率で雪村の票なのだが、腑に落ちない点が二つあった。

「何で、姫地に投票してるんだろ?」

「片野君」の文字の下に、何故か彼女は、「桃香」と書いていた。

きっと、間違えたのではない。 その証拠に、紙には一旦消したような後があった。

自分で立候補しておきながら、今回はライバルであるはずの、姫地の名前を書くなんて、不可解でしょうがなかった。

そして、ついでに謎なのが、それぞれの名前の横にあるコメント。

姫地の名の横には、「健闘を祈る」

俺の横には「コンプレックス」

これが、投票の理由?

この言葉を雪村が俺に宛てた意味は分からなかったが、俺はひどく、落ち着かない気持ちにさせられた。

「…」

盗み見るように覗いた雪村の表情は、相変わらず、何も語らなかった。


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