いもうとティーチャー☆
第十六限:妹グリグリ
「お兄ちゃんのバカ」
ぐりぐり。
「…」
俺は、机に向かいノートを広げながら、奴の執拗な攻撃に耐えていた。
「お兄ちゃんの不潔」
ぐりぐり。
「そう思うんなら寄るな」
俺の座っている椅子は、最初から尻と背もたれにクッションが装備された回転椅子だ。
座りごこちも良く、結構優れものなのだが、今はその機能を生かしきれずにいた。
重たいものが、椅子を挟んで俺の背中に張りつき、その動きを阻害しているからだ。
今、それのアゴは俺のうなじにおかれている。
奴が喋るたびに、それはえぐりこむような刺激を俺に与えた。
擬音にするなら、それは…。
「お兄ちゃんの浮気者」
ぐりぐり。
ぐりぐりだ。
「だから、俺はお前の所有物じゃねぇ」
結局重みに耐えきれなくなって、首だけ後ろを向くと、体重を支えていた俺のうなじが回転した所為で、奴のアゴは俺の肩に落ちた。
「かふっ! 舌噛んら…」
「アホやってるからだ」
俺は頭のすぐ横で舌を出す妹を、首を戻しながら横目で見た。
しかしアレだな。 姫地とは二人っきりになっただけで、そのまま青春モードに入ってしまったというのに。
こんな近いところに顔があっても、何の感慨も沸かないとは。
恐るべし、ちんちくりんマスター片野未久美。
「大体だな、姫地とはただの友達だ。 変な勘繰りすんな」
…確かに、なんか変な雰囲気にはなったが、俺と姫地はただの友達だ。
一連の変な会話だって、あのシチュエーションに流されただけなのだ。
姫地だって、きっとそうだ。
「雪村さんとは?」
「…友達、だ」
「む〜、今ちょっと考えた〜!」
肩に乗っても、未久美はぐりぐりを繰り返す。
あいつは両腕を椅子においているので、そこまで重くはないんだが、これはまともに勉強できる状態でもない。
確かに、雪村との関係と言われて考えたが、別にやましい事があって考えたのではない。
姫地って言うと、友達って表現が一番しっくり来るんだけど、雪村はあの特殊な雰囲気から、友達って言葉が連想されないんだよな。
何を考えてるか分からないし。
って、今の俺、凄い失礼なことを考えたか?
そんな思考に没頭しそうになると、妹がまた耳の横で唸った。
「せっかく、お兄ちゃんを見つけたから一緒に帰ろうって思ったのに…」
そして、グチグチと文句を言う。
事の発端は、これである。 俺達三人が一緒に帰るところを、こいつは見ていたのだ。
それを家に帰ってから、こうやって俺を罵っている訳である。
「で、家までストーキングしたのかよ」
「む〜、ストーカーじゃないもん」
ぐりぐり。
「そこまで見といて、よく邪魔をしなかったな」
里美先生のときのような展開にならず、俺としては嬉しい限りだったが、それでも疑問ではあった。
「む〜、だって、雪村さんも、もう一人の人も知り合いじゃないし…」
俺が聞くと、未久美ははっきりとしない口調で言いよどんだ。
が、言いよどんだ理由より、俺には気になることがある。
「もう一人って…姫地桃香だ。 担当生徒の名前ぐらい覚えろ。 そんぐらいの記憶、お前なら簡単だろ」
伊達に天才やってるわけじゃなかろうに。
ため息が出た。
「む〜、人の名前って、あんまり覚える気にならないんだもん」
要は、公式を覚えるほうがやる気が出るという訳だ。
不遇だな、姫地。
何で先にそんな事が気になったかと言えば、後者の、こいつが俺達三人でいる所に乱入してこなかった理由は、さっきのこいつの発言で既に分かっているからだった。
「つまり、声をかけてこなかったのは、人見知りの所為だったと…」
「むぅ…」
こういう訳だ。
秀人との初接触時と同様だな。
何回か話した生徒とはいえ、まだそんなに親しくない人間と俺の間に入ることが出来なかったのだ。
里美先生の時は、既に仲良くなり済み、というか手懐けられ済みだったため、あんなにベッタリしてきたと。
「む〜、人見知りなんかじゃ、無いもん…」
拗ねたように、妹は否定した。
自分は人見知りではないと、こいつはいつも言うのだ。
今日の授業でも、薄っぺらに天才ぶっていたし、意外と体裁を気にする人間なのかもしれない。
「ま、割って入られてたら、今頃こんなことさせてないけどな」
もし、あの時にこいつがあの輪に乱入していたとしたら、俺はこいつと口も聞かなかっただろう。
別に未久美も意識してやったんではなかろうが、こいつのこの性格のおかげで、とりあえず今日のところは助かったのは確かだ。
「大体ねぇ〜、お兄ちゃんはいっつも目を離すと、女の子とベタベタして…」
ぐりぐりぐりぐり。
そんな訳で、俺は未久美の成すが侭になっている。
「今日だって、みんなの前でチャックのこと言うし…」
ぐりぐりぐりぐりぐり。
「あれは、…悪かったよ」
こういうのも素直に謝る。
結局これは、こいつのストレス解消法なのだ。
俺にベタベタしてグチグチ言う。 今日に至ってはグリグリつき。
これで、明日になれば大体いつものアホに戻っている。
ご機嫌取りのようでなんだが、平穏な学園生活のためだ。
このぐらいは我慢しよう。
「昨日だって、せっかく可愛い妹が一緒に寝てるのに何の間違いも起こさないし」
ぐりぐりぐり。
「まじめな俺に、間違いを起こさせるような要素を持ってから、そういうことを言え」
つーか、何でそんなものを期待してるんだ、こいつは。
落ちつくまで放っておこうと思っていた俺は、思わず口を挟んでしまっていた。
「じゃぁ、間違いを起こさせる要素って何?」
真剣に聞く目だ。 その証拠に、さっきまでしていたぐりぐりが止まった。
多分、この後言ったセリフは、こいつの無駄に広い記憶領域に書きこまれ、それこそ半永久的に保存されるだろう。
達成できることなんて言った日には、いつ寝首を掻かれるかハラハラしなければいけない。
それを避けたい俺は、不可能だと思われる条件を言った。
「Eカップ以上の胸」
うむ、こいつには絶対不可能だ。
こんなちんちくりんにそんなものが実装されるなど、考えられない。
「む〜、お兄ちゃんの肉欲魔人!」
「ばぁか、そう言う間違いなんてのは肉欲が元で起きるんだよ」
「む〜、違うもん! 押さえきれない感情の本流が心のダムを決壊させて、ロマンチックな夜を作るんだもん!」
「お前、それどの漫画のパクりだ?」
まぁ、俺だって本当は、そう言う衝動的なモノは性欲だけが元じゃないと信じてる。
そりゃぁ、勢いとか、相手の体自体を求めてってのはあるだろうけど、その発端には感情があるはずだ。
相手を魅力的に思うかはもちろん、寂しいだけとか、そう言うのも含めて。
感情があるわけだから、そこには思考があるし理性もある。
それだけが人間と獣の違いだと言われているのだから、そういうのは大切にしておいた方が良いだろう。
本能に任せて襲ったなんて言ったら、それこそ獣であるわけだし。
実際問題、そう言う衝動は、刹那的にせよ、外の要因と自分の感情がこすれあって火種を起こすのだ。
で、だからと言って…。
「お前に、俺の心を燃やす武器は無ぇ。 言い換えるとダムに水一滴も溜まらねぇ」
「む〜!」
つまり、肉体面だろうと精神面だろうと、こいつに対して俺が間違いを起こす要素は、全くない訳だ。
こすれる要素が無きゃ火もたたない。
「いいもん、Eカップぐらい簡単になってやるから!」
「はいはい、頑張れ。 俺はお前が無駄な努力をしてくれるおかげで、安心して眠れるしな」
未久美は半身をずらしているため、その話題の中心は、二の腕に当たってる。
…多分。
実際は、布とスポンジで出来た背もたれの方が、よっぽど柔らかかった。
位置の問題ではなく、中に夢やらが詰まって膨らんでいるモノの方のことを問題にしているなら、話題の中心とやらは存在しないのではないだろうか?
こんなもんが膨らむなど、絶対に信じられない。
ポップコーンの袋が膨らむのは理解できても、空気を入れるとカエルの腹が膨らむのは理解できても、こいつの胸がむくむくと大きくなるなんて…。
まぁ、大体二次成長を過ぎても胸など膨らまない俺には、想像できる材料も無いんだがな。
「む〜〜〜〜〜!」
ぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐり。
未久美が、かなり盛大に唸った。 同時にグリグリも再開だ。
…そうだ、ストレス解消させるためにこいつの話を聞いてたはずなのに、逆に怒らせてどうするんだよ。
「あ〜、悪かった悪かった! 万が一胸が膨らんだら、間違いでもなんでも冒してやるから!」
その場しのぎで、俺はとりあえず適当な約束を叫んでしまった。
こうやって嘘を重ねていって、人間は汚れていくんだな…。
「…ほんと?」
ぐり。
「膨らんだらな」
しかし、原理は分からないが、直感でとりあえずこいつの胸は膨らまないと、俺は確信した。
「分かった! じゃぁ楽しみにしてる!」
が、こっちは逆に膨らむと確信しているようだ。
「どんな間違いが良いかなぁ?」
間違いを楽しみに選ぶって行為自体、色々間違ってると思うぞ、マイシスター。
…しかし、この浮かれ様。
これだけ能天気に浮かれられると、確信が早くも揺らぎそうだ。
まぁ、良いか。 本当に膨らんだ時は、見間違いやらヒト間違いして誤魔化そう。
胸が膨らんでも、こいつはとりあえずアホだ。
人の肩の上で浮かれる奴を見て、俺は今度こそ間違い無い確信を持った。
そう思っていたら、未久美は俺の肩から、顔を上げた。
つられて、自然と俺も椅子を回転させた。
そうすると、ちょうど未久美と至近距離で顔を合わせることになる。
「そういえばお兄ちゃん、昨日も約束してくれたよね」
「…何をだ?」
に、してもこいつは、こういう事してても全く照れないんだよな。
先生モードの時は、多少恥じらいもあるのに。
視点の違いだろうか? 先生モードの時は、少なからず、俺と兄妹という感覚が薄れているから照れているのかもしれない。
と、いうことは、間違いだなんだいいつつ、結局妹のときのこいつは、俺が異性だって言う感覚が少ないんだよな。
ああいう危ない事を言うのも、結局はスキンシップの行き過ぎた延長なのかもしれない。
「帰ったらいくらでも遊んでくれるって」
「言ったか?」
「言ったよ」
だとすれば俺も、教師としてのこいつには多少ドキドキしたりするんだろうか?
例えば、このよく喋る唇やらを、奪いたくなったりするんだろうか?
「…んなバカな」
「む〜、嘘じゃないもん!」
俺の呟きを、未久美は誤解したようだ。
怒った未久美をなだめるように、俺は言った。
「あ〜あ〜、覚えてる。 遊ぶぐらいしてやるよ」
そう、こいつの記憶量には遠く及ばないにせよ、俺だって覚えている。
確か、昨日呼び出された時のことだ。
俺はアイツをなだめるために、そんな約束をしたのだ。
そしてその後…。
「やった! 後ね後ね、もう一つ約束したよね」
「…撫でてやるって奴か?」
「そう、それ! そんな訳で…ねっ」
こんな適当な約束ばっかり重ねて、そのうち首が回らなくなるだろう。
未久美は頭を垂れて、すっかり撫でられる準備が万端だが、正直俺は気が進まなかった。
覚えているのだ、あいつを撫でて自分まで気持ち良くなっていたと言う、恥ずかしい感覚を。
「…今まで、そんなこと気付いたこと無かったのにな」
そんなことを自分で呟いて、それにハッとなった。
もしかして俺は、あれが先生モードのこいつだったから、あんな風に感じたんじゃないのか?
妹口調だったとはいえ、スーツを着てメガネを掛けたあの状態だから、いつもと違う感覚を持ったんじゃないのか?
妹とは違う女の子の頭を撫でたと認識して、気持ち良くなったんじゃないのか?
妹としてこいつを見なければ、俺はこいつを魅力的に思えてしまうんじゃないのか?
「どうしたの、お兄ちゃん?」
迷う俺に、未久美は不思議そうな目を向けた。
そうだ。
だとしたら、撫でればはっきりするはずだ。
こいつを撫でて、この鬱々とした気分が晴れれば、俺は妹を撫でて気持ち良くなってる変態ということで、話は終わる。
だが、もしもそうならなかったら…。
「…やめた」
俺は、伸ばそうとしていた手を引っ込め、また机に向かった。
そんなこと確認して、一体何になるっていうんだ。
こいつが教師の時だけ恋人になるとでも?
俺は、確かこいつに言ったのだ。
俺はこいつの兄貴で、こいつは俺の妹なのだと。
それは何があっても変わらないのだと。
「む〜、お兄ちゃんのウソツキ〜!」
どうむくれられても、俺がこいつを撫でることはしばらく無いだろう。
結局、俺達は兄妹。 それが俺の結論だ。
まぁ、この思考が、この後の俺に、色んな苦労をさせることになる。