いもうとティーチャー☆

第十四限:妹テンサイロン


「って、もしかして次って、数学じゃないか!?」

うだうだ言っていた秀人が、急に立ちあがって叫んだ。

「数学だよぉ」

そう言いながら、姫地も数学の用意をしている。

「…」

雪村に至っては、何時の間にか勉強道具が机の上に出ていた。

「うわ、ユッキー早っ!」

「…四天王として当然」

「まだ続いてたのか、その同盟…」

「くっそう、負けてなるものか!」

秀人もそれに対抗するがごとく、机を高速で漁り出した。

「お前ら、そんなにあの授業が楽しみか」

「当たり前だろ、未久美先生の授業だぜ!」

俺の問いに対して、秀人のこの意気込んだ答え。

さっきのテンションとは別人のようだ。

俺の気も知らないではしゃぐこいつを見ると、その首を掴んで縦横無尽に振りまわしたくなる。

それを実行に移そうかと考えた時、教卓側の扉が開いた。

教室中の全員が一斉に静かになる。

入ってきたのは、学校に不釣合いなちびっこ。

片野未久美、職業教師だ。

手にはちゃんと教材を持ってきている。

良し、昨日とは違うな。

「ちゃんと教科書持ってきたみたいだねぇ」

「…残念」

「あの慌て様は可愛かったもんなぁ」

安心している俺を尻目に、級友達は勝手なことを言っていた。

奴の成長を素直に喜んでやる逸材はいないのか?

実は昨日、未久美の授業初体験は終わっている。

俺が先生に2度目の呼び出しをもらった後、6時間目のことだ。

そのとき、一番最初にやらかしたヘマが、教科書忘れだったのだ。

「でも、あの時はあんまり授業にならなかったよねぇ」

姫地がポツリと呟いたように、その後動揺しまくった未久美は、教科書を読み間違えるわ、チョークを落とすわで、家にいる時とはまた違ったダメっぷりだった。

いくら関係を隠しているとはいえ、目の前で身内がアホをやっていれば、俺だって情けなくもなる。

昨日は初回だけあって、本格的な授業に入らなかったのが救いと言えばそうだった。

「HR中は普通に喋ってたし。 あれだな、一度崩れるとダメなタイプ」

「…エリートの典型」

「そう、それ」

「お前ら、片野先生のこと好き好き言う割には、けなすな」

で、こんな風に分析されると、腹も立つ。

「何を言う! 弱点が多ければ多いほど人間は守ってあげたくなるんだよ! 従って立派なプラス査定だ! 決して貶めたり、辱めたりしている訳じゃない!」

「…弱者萌え」

「そう、それ!」

「はぁ、そうか…」

なんだろう、実は妹は誉められていたと言うのに、嬉しい気持ちは全く沸いてこなかった。

視線を教壇に戻すと、未久美はやはり機嫌が悪いらしく、まだむっとした顔をしている。

朝の喧嘩、それとあいつを置いてさっさと学校まで走ってきたことが、相当頭に来ているらしい。

「…授業を始めます」

声音も、いつもより低い。

「なんか今日の未久美先生、大人っぽいよな」

「そうだねぇ、なんか落ちついてるし」

そんな未久美の様子を見て、秀人たちはそんな感想を漏らした。

俺には、ストレスが溜まってむ〜む〜唸るのを我慢しているようにしか見えないのだが…。

なるほど、あいつと知り合って日が浅い人間には、そんな風に見えるのかもしれない。

「3ページを開いてください。 今日からやるのは…」

そんなことを聞いてからあいつの顔を見ると、何やら本当に年齢が上がっているように見えるから不思議だ。

さらに、頭に血が上っていて緊張する余裕もない所為か、ふだん俺が聞いたことの無い冷静な口調で話していた。

思えば、あいつは学会のお偉方の前で発表もしたことがあるのだ。

やろうと思えば、あのぐらい出来るのかもしれない。

「なんか、かっこいいな」

「さすが天才って感じだね」

そう、この光景を見たら、誰でも認めるだろう。

自分のクラスの教壇に立っているのは、国から破格の扱いを受ける天才であると。

「…さすが、天才サマだ」

俺は、無意識に頬を歪めた。

「なんか、良幸の顔が悪いぞ」

「違うよ。 片野君は人相は悪いけど、全然顔は悪くないよ」

「…悪人顔」

「お前ら、人の顔を悪い悪い言うな」

どっちの意味にしろ、ロクなものではなかった。

一応、お前らの好きな天才教師様と、同じ系列の遺伝子が受け継がれてるんだぞ。

まぁ、この善人顔も今は少々翳りがちなことは認めるが。

秀人もそれが言いたかったのだろう。

「ですからここは…に、なります」

俺は、再び視線を教壇の上の未久美に戻す。

同じ系列の遺伝子が受け継がれていながら、こんな所で使うかも分からない勉強をしている人間と、あんな所で勉強を教えている人間に分かれるのだ。

人生の楽しさに、顔も歪む。

「…天才は、嫌い?」

不意に、雪村が言った。

顔を前に向けて、呟くように。

後ろの二人には聞こえなかったようだ。 雪村の横で、天才のことを考えている俺だから聞こえたぐらいの、小さな声だった。

「別に、嫌いな訳じゃねぇよ…」

同じように前を向きながら、俺も言葉を返す。

本心だった。 決して、あいつを嫌っている訳じゃない。

ただ、時たま耐えられなくなるだけなのだ。 このどうしようもない程の違いに。

「…私は、嫌いだわ」

「は?」

意外な言葉に、俺は思わず横を向いた。

しかしそこには、無表情な顔があるだけだった。

「12年前、弱冠13歳だったヨシュア=ヘンリークが、温暖化に対する画期的な理論を提唱し、それが大成功を収めた時から、世界中で低年齢層の能力開発が叫ばれたわ」

雪村は唐突に、今までにない饒舌さで語り出した。

こいつが、こんなに喋っているのを、俺は初めて見ている。

その話は、当時5歳だった俺にとっては、覚えていると言うより知っている出来事だ。

彼の地球温暖ナントカ論は、当時深刻だった温暖化を解決し、世界を救ったそうだ。

歴史の教科書には、その偉業が二行ぐらい使って書かれている。

とりあえず、素人の俺が聞いてもさっぱりな理論であり、話には関係なさそうなので割愛する。

「各国の勢いに押されて、日本でも飛び級制度が施行されたのが10年前。 それから、わが子に英才教育を施すのは当たり前になったわ」

「アメリカの影響とか、俺は聞いたぞ」

なんだか、熱に浮かされたような雪村に違和感を感じた俺は、思わず口を挟んだ。

それに対して、雪村はいつものように、コクリ、と頷く。

「結局はそこも大きいわ。 日本は能力開発より、国としての体裁のために飛び級制度を作ったんだもの。 当然仕組みも形骸化した。 既に受験対策を作られたペーパーテストと、面接さえ通れば、日本では簡単に飛び級が出来る」

俺が喋ったことが、余計雪村の饒舌さを刺激したんだろうか? 彼女は尚も喋りつづける。

その豹変ぶりより、俺にはその話題で気になる所があり、また口を挟んだ。

「でも、未久…片野先生はそんな受験戦争で出来たような…」

「彼女は受験によって生み出されたような、人工的な天才ではないわ」

俺が言いよどんでいた言葉を遮り、雪村はそう言った。

人工的な天才。 一見して矛盾した言葉だが、雪村が使っている天才と言う言葉は、要は飛び級さえ出来れば言われるような、天才を指しているのだろう。

ブランドみたいなものだ。 まさしく天才と言う言葉の形骸化だな。

「彼女は本物の天才。 その論文が世界に波紋を呼ぶほどの」

雪村は、論文のことを知っていた。

普通の高校生が、数学のマニアックな雑誌にしか載らなかったアイツの活躍を知っているのは、おかしい。

それでも、雪村なら知っていそうだ。 そんな雰囲気を、今の彼女は醸し出していた。

「だから、あんなポーズを取る必要はない。 あれでは偽モノのようだわ」

…あれはただ怒ってるだけのように見えるんだがな、俺は。

つまり、雪村が嫌いなのはさっき言った偽モノの天才なのだろう。

しかし、だとしたら、雪村が偽モノとやらを嫌うのは何でだ?

「…それに、可愛くない」

「はぁ?」

「うんうん、分かるぞ。 ユッキ―」

「って、お前聞いてたのか!?」

突然、後ろから秀人の声が聞こえ、俺は後ろを振り向いた。

「うん、文系の会話って感じだったよ」

同時に、姫地が返事をする。

「やっぱりあれだよな。アンチ要素と言えど、先生には純白ロリータでいて欲しい」

「…」

コクリ。

「同意なのかよ!」

あれだけ饒舌に喋っておいて、出た結論がそれだった。

雪村には、もっとこう、天才に対する深い感情があるように思えたんだが…。

「片野君!」

その時だった。

後ろ、つまり完全に背を向けていた教壇から、叱責の声が響いたのだ。

その声に、俺は渋々また半回転。 ちゃんと机に向かい合う。

教団に目を向けると、そこには、不機嫌が頂点に達したような未久美の顔があった。

「立ってください」

「…」

妹に命令させられ、渋々立つ兄の図だ。

「罰として、問題に答えてもらいます」

この方法は里美先生にそっくりだった。

あの人も、授業中に聞いていない生徒がいると、こんな風に立たせて問題を答えさせたりするのだ。

多分こいつは、彼女にそれを教わったのだろう。

「どんな問題にしようかな〜」

…嬉しそうだ。 まぁ、あいつにしたら自分のイライラの張本人に復讐できるチャンスである。

絶対に答えられない問題を出してくるだろう。

いくら里美先生に数学を習っているとはいえ、結局本気を出したこいつに、俺は勝てないのだ。

それを今から、俺はクラスの連中の前で曝される。

…むかつくなぁ。

非常に不愉快だ。

確かに、雪村が偉ぶった天才を嫌う気持ちも分かる。

よし。

「それじゃぁ…」

「片野先生」

未久美が問題を言うのを遮って、俺は声を出した。

「…なんでしょう?」

そのために、未久美の眉がひそめられる。

「スカートのファスナーが開いてます」

衝撃の事実って奴を、俺は言ってやった。

登校中から気付いていたが、喧嘩中のため言わなかったことだ。

「え、あ、嘘!?」

 その言葉に、未久美は慌てて、スカート横のファスナーを見た。

まぁ、ホックは止まっている訳だから、大して目立たないんだけどな。

何が見える見えないではなく、相手に指摘されたことが問題なのだ。

家モードなら平然と直しそうだが、教師モードではそれが出来ないらしい。

アイツがあたふたしている間に、俺は席に座った。

「雪村」

「…何?」

「さっきの、天才が嫌いな訳じゃねぇって言葉、撤回する」

「…どうぞ」

「俺も偉ぶったガキは大嫌いだ」

もちろん、その後は未久美がただのお子様に戻ったため、まともな授業にならなかった。


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