いもうとティーチャー☆

第十二限:妹ピロートーク


「ほら、漫画本片付けろ。 布団敷けないだろ」

「は〜い」

俺は布団を手に抱えながら、ごろごろと床で漫画を読む妹に言う。

しかも、そこは俺の布団を敷くスペースだ。

寝る前だってのに、何でこいつはこう散らかすんだ?

結局、里美先生とあの2年生の女の子の話が長引きそうだったので、俺達は先に家に帰らせて貰った。

待っている人間がいると、里美先生も話しづらいだろうと思ったから。

と、いう建前だ。

実際には、何故かまたしても不機嫌になってしまった未久美と、里見先生の会話を避けるためだった。

先生との個人授業が中断されたと言うのに安心している自分が、少し恨めしい。

「って言うか、お前が邪魔なんだよ」

八つ当たりぎみに、未だに漫画を読んでいる妹を軽く蹴る。

「んきょ!」

奇妙な声を上げながら、未久美はごろんと隣へ転がった。

そのスペースに、俺は布団を下ろして広げる。

まぁ、実際八つ当たりでもなんでも無く、布団が敷けないのも、先生の前からとっとと去らなければならなくなったのも、こいつの所為だ。

「お前も、とっとと布団敷いて寝ろよ。 明日も学校なんだから」

「ん〜」

兄らしく、妹をさりげなく注意。

と、言うかこいつが寝ようとしないと、いつまでも部屋の電気が消せない。

明るいところでも平気で寝られるこいつと違い、俺は授業中以外、暗いところでしか眠れないのだ。

要は、こいつがいつまでも起きていると、俺はいつまでも眠れないと言うのが、この部屋の仕組みだ。

思春期を考慮しての部屋分けなど無い。

そもそも、余っている部屋自体無いのだから、どうしようもないといえばそうだった。

「聞けや、コラ」

耳を引っ張って兄らしく注意。

ついでに、あいつが読んでいた漫画を取り上げた。

「あ〜、ちょっと待ってよ〜! せめてジョルジュとトーマスの恋の行方が分かってから…」

「何読んでんだ、お前…」

それ、両方男の名前だろ。

俺は、持っている本を読んでみたい気持ちと、今すぐ窓の外に思いっきりぶん投げたい衝動の板ばさみにあった。

「いいから、とっとと布団敷け。 後、その髪」

妥協案として、漫画をその辺に放りながら、俺は未久美の髪を見た。

「ん、かみぃ?」

色素の薄い髪だ。 茶色って言うか栗色だな。

描写し忘れてた。

…まぁ、そんなことはどうでもいい。

問題は、それが微妙に湿っていることだ。

「また、ちゃんと乾かさないで放って置いただろ。 ちゃんと乾かせ、風邪引くぞ」

さっき風呂から上がった後、ちゃんと乾かしていなかったらしい。

相手が湯上り美人だったら放っておくが、そう言う風情はまったく無いので、平然と指摘できた。

命拾いしたな。

「自然乾燥するからいいもん」

だと言うのに、妹は兄のそんな優しい気持ちを汲まないという体たらく。

そう言う態度が兄のやる気を削ぐんだぞ。

まぁ、兄歴12年の俺はその程度でくじけないんだがな。

むしろ、反抗されたから余計執着心が出てきた。

「お前なぁ、いつもそう言ってるから朝に髪が爆発するんだよ」

「む、そうなの?」

「髪ってのは、寝る前にちゃんと乾かさないと、寝癖がつくモンなんだよ。 歪んだ知識集めてないで、ちゃんとそういうのも知ってろ」

まぁ、俺とて高校生になってからテレビで知った知識だ。

実際は威張れるものでもない。

「そっかぁ、それじゃぁ乾かしてくる」

決めたら早いのが、うちの妹の数少ない美点だ。

未久美は、早速髪を乾かすべく、部屋を出ていった。

「おい、お前、先に布団敷けよ!」

「敷いておいて〜、先生命令」

「家の中でそんなモン使うな!」

そんなことを言いつつ、結局妹の分も布団を出してしまうのが、兄の悲しいところだ。

いや、別に命令されたからじゃないぞ、決して。

足で乱暴に散らばった漫画本を端にどける。

「た〜ららた〜ららた〜ららららた〜ららた〜ららたらららら♪」

ちょっとして、ドライヤーの音と一緒に。原曲も分からない歌が聞こえてきた。

こう言う時は、普通鼻歌なんだろうが、奴の場合はこれだ。

鼻歌と違って音が大きいから、ドライヤーにも負けず俺の耳に届く。

「近くで聞かされると、むかつくんだけどな…」

そう言えば、ドライヤーをかける時は、いつもアイツはあの曲だ。

ドライヤーのテーマでも決まってるんだろうか?

まぁ、昔はあいつが歌っている時に髪を乾かしていたのは、大抵俺か両親なんだけど…。

そう、昔と言っても、大体一昨年かそれより少し前ぐらいまでなんだが、俺達は一緒に入浴していた。

あいつの年も一ケタだったし、世の中には二十歳まで父親と風呂に入っていたという娘もいるそうなので、別段珍しくも無いだろう。

やたら放任主義の両親の代わりに、小学生から甲斐甲斐しく妹の世話をしていた俺にも、大した疑問は無かった。

それでも、何時の間にか俺達は一緒に風呂に入らなくなっていたし、俺があいつの髪で遊ぶことも無くなった。

「…まったく、月日が流れるのは早いもんだ」

爺臭い感想が出た。

あの妹が今となっちゃ俺の担任だなんて、成長を噛み締めてるはずなのに、追い越されてどうするんだ俺。

しかし、もう2日も過ごしたのに、まだ奴が教師になったという実感が無い。

「まぁ、当たり前だよな」

頭に過ぎる、奴の2日間の行動…。

あれや、これや、それや…。

「そうだよな! 教師っぽいことまったくしてねぇんだからな!!」

思い出しただけで、異様に腹が立ってしまった。

その怒りを叫びに転化したところで、パタパタとでも形容すべき足音がする。

同時に、俺はアイツの布団を敷き終えていた。

叫んだ時に握っていたシーツの端に、皺が出来てしまったことは気にしない。

俺だって今日、散々制服を握られて皺だらけにさせられたんだから。

「乾かしてきたよー。 あ、ホントに布団敷いておいてくれたんだ」

「やれって言ったの誰だよ」

ドアを勢いよく開けた妹は、いきなりそんな事をのたまわった。

尊敬語なのはあれだぞ、決して立場が下だからではないからな。

髪は、ちゃんと乾いているようだ。

「ん、でもありがと」

妹は労いの言葉を俺にかけると、ぼふっと布団に倒れこんだ。

「俺はもう寝るぞ。 漫画読みたいんなら、リビングいけ」

「あれ、いつもより早いよ?」

「誰かさんのおかげで疲れたんだよ」

分量多めの恨みを込めた皮肉を言い、俺はとっととドアの横にある電源スイッチに手をかけた。

「今日は色々あったもんねぇ〜」

皮肉が通じてるんだかいないんだか、妹は仰向けになると今日の出来事に思いを馳せ始めた。

そんな回想に付き合ってやる義理もない俺は、とっとと電気を消してしまう。

「あ、暗い!」

「電気消したのに明るかったら困るだろ」

「む〜! 外でスポットライトつけてたら明るいもん」

「誰がマンションの廊下で舞台やってるんだよ」

「じゃぁいいよ、もう寝るから」

「ああ、そうしろ」

それでも、階下に広がる100円ぐらいの街並みが光をここまで運んでくるのは事実だ。

部屋は、お互いの顔がぼんやりと見えるほどには明るかった。

月明かりなんかを楽しむ風情は無いが、窓のカーテンは開けたままで俺は布団にもぐりこむ。

「ありがと」

すると、不意に未久美がまた礼を言った。

…俺は別にそんな事を言われる覚えが無い。

「布団の礼ならさっき言われたぞ。 ボケたか?」

「む〜、違うよ。 カーテンを閉めないでおいてくれたこと」

「ん…あぁ」

そう言えば、未久美は完全に真っ暗だと、怖くて眠れないそうだ。

相変わらずガキだと思う。

「なんか気の無い答え〜」

「だってなぁ。 んなもん、意識してやったんじゃねぇよ。 偶然だ、偶然」 

そんなものは、こいつと二人部屋になってからの常識だ。 今更どうこう言われることじゃない。

「そっかぁ、お兄ちゃんは、無意識でも私の事を気にしてくれてるんだぁ!」

「あんまり強引なポジティブさは、美点としてカウントされないぞ」

俺は布団の中で寝返りをうって、妹のほうを見た。

窓が俺の布団側だったおかげで、未久美のちんちくりん顔がよく見える。

昔の人間によると、月光の中に不細工はいないそうだ。

まぁ、いつもと印象が違うように見えるのは事実だな。

乾かしたての髪が頬にかかっている。

普段より大人…いや、普段がともすれば一桁に見えるようなちんちくりんだから、実年齢に近づいた容貌になっている。

美人にもなっているのかもしれない。 当社比2%増しぐらいだが。

「どうしたの、お兄ちゃん?」

ふと、見ていた顔が言葉を発した。

妹からは逆光になったため、俺の顔はよく見えなかったようだ。

俺がじっと見てたなんて知れたら、何を言われるか分かったものではない。

「あ、お兄ちゃん、もしかして私に見惚れてた? そうなの? そうでしょ!」

「って、思いりきり回答が出てんじゃねぇか」

分かりやすい答えをありがとう、愚妹。

「…つーか、自分の顔のどこに見惚れるポイントがあると思うんだよ」

「えっとね、大人らしい憂いを秘めた瞳とか、大人らしい艶のある唇とか」

「実際に自分が装備してる兵装を振りかざせ」

「む〜!」

やっぱり、どこにどうあろうと、こいつはこいつだった。

「…それより、この布団の間。 いつもより空いてない?」

妹に言われ、俺は奴と俺の間を見た。

距離としては握り拳二つ分だ。

「あのなぁ。 これ以上近づけるんだったら、布団が一つで済むぞ」

「む、それ良いね」

「却下だバカ」

この小うるさい妹を持つ兄としては、もっと距離を離したいぐらいだが、漫画本やらなんやらが散乱するこの部屋の惨状では、これ以上スペースを取りようがないのが事実だ。

「む〜! 昔はくっついて寝てたのに」

「懐古主義はもっと年を取ってからにしろ」

まぁ、昔は、俺達は両親と共に川+1の字で寝ていた。

最初は両サイドに両親を配置し、真ん中に俺が来る川の字。 そこにぽこっと未久美が入って来、途中で俺が思春期を向かえ脱退。

余った部屋での俺のソロ生活が始まり、妹と両親の川の字が形成されるはずだったのだが…。

「つーか、アレはお前が強引についてきたんだろ」

何故か妹が俺の部屋になるべく部屋について来て、そのままの成り行きで俺と未久美の部屋というものが誕生してしまったのだ。

「お兄ちゃんがいないと眠れないんだもん」

それは一種病気だぞ、マイシスター。

「俺はお前のお気に入り人形かなんかか?」

「へへへ、近いかも」

そういって、未久美は照れたように笑った。

あの時、お前が両親といるより俺についてくることを選んでしまったせいで、両親に今でもぐちぐち言われる俺の身にもなってくれ。

「そんなんでお前、アメリカではどうしてたんだよ」

半年間しか通わなかった、大学の話。

学歴で言う最後のところを半年で終わらせてしまえるんだから、まったく今の時代の天才の扱いと言うのは、本当に異常だ。

「へっへー、すごい方法があったから大丈夫だよ」

「どんなんだよ?」

「限界までお勉強を頑張って、何時の間にか机で寝てる作戦!」

「それは作戦って言わねぇよ! 風邪引くだろお前! アホだろお前!」

「む〜、でもそうすれば、その分早くここに帰ってこれるって思ったし…」

知らなかった。 妹がアメリカで、その辺のスラム街よりバイオレンスな日々を過ごしていたとは。

「…マジで馬鹿」

「む〜!」

そんな無茶してまで、帰ってきたがっていたこいつを思うと、部屋を一人で使えるようになって浮かれていた自分の延髄を、思いきり蹴飛ばしたくなった。

物理的に不可能なのでしないが…。

「お前なぁ、そんなことしてて、俺がいなくなったらどうするんだよ?」

「…お兄ちゃんが、いなくなる?」

きょとん、といった顔をする未久美。

本気で考えたこともないような顔だ。

「そりゃぁ、俺だって就職もするし結婚もするだろ。 100坪の大豪邸だって持つさ。 いつまでもお前と寝れる訳ないだろ」

「やだ」

それに対して妹は、これ以上ないほど簡潔な答えを寄越した。

「やだってお前…。 いや、確かに100坪は高慢な夢だけど」

「やなの」

なんと言うか、この話題を拒否するような返事だった。

今まで、俺が見たことも無いような頑なさだ。

理由はともかく、この話題が妹をいやな気持ちにさせたのは事実のようだった。

…ったく、イライラしたからって矛先をこいつに向けてどうするよ、俺。

「ふぅ、それにしたって、たまにはそう言う日もあるんだから。 そんぐらいは一人で寝られるようになれよ」

「む〜、その内ね」

「その内って…、まぁ、今日のところはそれぐらいで妥協しておいてやる」

いつもだったら、その内って何時だよとまで問い詰めたところだが、今日はそこで勘弁してやった。

サービスだ。

「じゃぁさじゃぁさ、今を大切にする意味で、今日のところは一緒の布団で寝よ!」

「そんな過剰サービスをする気は無ぇよ」

甘やかすとすぐこれだ。 バカバカしくなった俺は、再び妹に背を向けた。

「む〜、実力行使!」

その言葉に不吉なものを感じた俺が首だけ後ろを振り返ると、今まさに、奴は実力行使そのままに俺の布団に入ろうとしていた。

と、言うか半身が入っている。

「って、このアホ!」

俺は咄嗟に、奴の顔を右手で押しのけてこれ以上の接近を防いだが、未久美の足は既に俺の胴体に絡んでいた。

「良いじゃん〜、今日だけ〜!」

右手が俺のパジャマを掴んだ。

「んなこと言って、どうせ明日もくっついてくるつもりだろ!」

それを左手で引き離す。

「当たり前だよ!」

「なんで誇らしげなんだよ!」

一瞬でも、こいつに優しくしようとした自分が馬鹿だった。

いつもと違うと感じた顔も、今は俺の右手によって頬がつぶれ、ただの間抜け顔にしか見えない。

…結局、俺達のこのアホな争いは、親に近所迷惑で怒られるまで続いた。


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