いもうとティーチャー☆

第十一限:妹アコガレ


「良幸君、何か顔色が悪いわよ」

そりゃぁ、悪くもなりますよ。

俺は隣に原爆を置いてるんだから。

「大丈夫、片野君?」

で、これが原爆こと、わが妹。

別に、涙が爆発したりする訳じゃない。

こいつが壊すのは、俺の立場、学校生活、諸々だ。

「体調が悪いようだったら、帰ったほうが良いわよ」

「寒気する? 熱は? 吐き気は?」

でこの一見、一生懸命俺をとても心配しているように見える態度。

これだって実際、目の前にいる先生と張り合っているだけだ。

要は、自分のほうが近しいって所を、里美先生に見せ付けて、俺に近寄らないようにしていると言うこと。

「平気です」

そう答えると、俺はさりげなく未久美から距離をとった。

近しいってところを見せ付けるってのは、俺とこいつの関係を見せびらかすってことだ。

今までの言動でも、勘の良い人間なら、俺達が兄妹だと言うことが分かってしまうと思うんだが…。

「本当に、仲がいいわね。 まるで恋人みたい」

そう言う兆候は無い。

むしろ、他の誤解をされているようだ。

「え〜、そう見えます? 見えちゃいます?」

なんと言うか、有頂天の頂点と言った感じの未久美。

「えぇ、そう見えちゃうわ」

そして、にっこりと里美先生。

もしかして、この人は鈍いんじゃないかと、俺は思い始めていた。

知り合って2日のはずの人間が、こんだけベタベタしてるって事は、せめて親戚ぐらいには思っても良いんじゃないのか?

苗字まで一緒なわけだし。

「錯覚です」

第一、これはこれで、迷惑極まりない見られかただ。

それに、未久美が昨日提案した通りになってしまっている。

そこも気に入らない。

「む〜!」

が、誤解を解こうにも、本当の事を言う訳にもいかず、俺のストレスは密かに溜まっていた。

「まぁ、それはともかく、早いところこっちを済ませちゃいましょう」

「そうですよ、さっさとやっちゃってください」

とにかく、この3人の集まりをとっとと終わらせることが大切だ。

そう思い、俺は思わず先生を急かしてしまった。

「む〜、お話し楽しいのに」

だというのに、こいつのこのセリフ。

俺だって、早々に切り上げたくなんてないわ。

誰の所為だと思ってるんだ。

「まぁまぁ、それは後にしましょ。 え〜と、じゃぁまず明後日なんだけどね」

そう言って、里美先生は話を元に戻してくれた。

俺も、すぐさま自習に入る。

未久美はもう一回「む〜」と唸って、俺と先生の顔を見比べたあと、先生の話に耳を傾けた。

これで良し。

「明後日のLHRで、クラス委員とその他の係を決めてもらうわ。 人数は、こっちの紙ね」

ともかく、未久美には後で厳重注意だ。

お仕置きの一つも必要かもしれない。

アイツの漫画本をその辺に隠してしまうとか。

絶対、撫でるなんてしてやるか。

そんな復讐の数々を実行ためには、とにかくこの時間を無事に過ごすしかない。

元々、未久美と里見先生の仲は良いんだから、俺が無意味に騒ぎ立てるよりも、ここは大人しくしていたほうが得策だ。

後は、何も起こらなければ…。

「…あの、里美先生、ちょっと良いですか?」

そんな訳にいかないのが、人生だったりするんだろうか?

後ろから声が響いた時、俺はそんなことを考えてしまった。

だから、振り向いた俺が、上手くいかない人生に対して、ちょっと睨みをきかせてしまったとしても、勘弁して欲しい。

「ひっ!」

その視線の先に、脅えた声を上げる女生徒がいた。

「こら、脅かしちゃダメでしょう、良幸君」

軽く、里美先生にたしなめられてしまった。

だから、勘弁してください。

「…えっと、進路のことで…相談があったんですけど…その、お忙しいんでしたら、また、後で…」

おずおずと、彼女は言い出した。

横目で俺を気にしている。 そんなに怖かったのか、俺?

今度、鏡でもじっくり見てみようか…。

「良いのよ、良幸君のことは気にしないで。 この子はちょっと目つきが悪いだけだから」

「そうそう、片野君はいっつもこんな顔だもん」

ひどいことを言われた気がするが、それよりもこの子と言われたことの方が気になった。

やっぱり先生にとって、俺はまだ子供なんだよなぁ。

思わぬ所でショックを受けてしまった。

「え…、その、あの、出来れば、先生と、二人で…。 いえ、ご迷惑なら良いんですけど…」

なんか、はっきりしない女の子だな。

上履きを見ると、緑色だった。

…2年生か。

うちの学校は、上履きとジャージの色で学年が分かるようになっている。

そんなわけで、知らない人間にあったら、とりあえず足元を見る。 これが、わが母校の常識だ。

ちなみに、今年度は1年生が青で、3年生は赤。

たまに、先輩に貰ったジャージなんかを履いている生徒がいるので、そこは注意。

「ん〜、そっかぁ…。 それじゃぁ、未久美ちゃんにもちょっと自習してもらおうかな?」

「あ、あの、ありがとうございます!」

未久美も置いてきぼりらしい。

先生は椅子から腰を浮かせ、立ち上がった。

「自習って、数学ですか?」

自習という言葉に、嬉しそうに未久美が反応した。

どうしてそんな声が出るのか、俺にはまったく理解が出来ない。

「残念、数学で未久美ちゃんに私が教えることなんて無いわ。 …その代わり、この紙に記入よろしくね」

机に置かれていた書類を、先生が器用に指で分けると、そこには空欄がやたら多い紙があった。

「ドタバタしてて気付かなかったんだけど、未久美ちゃんって全然プロフィールとか無いのよね」

そうか、電話で即了承だったしな。

大体、そんなものが出回っていたのなら、俺が今やってる行為は全て無駄になってしまう。

「それじゃ、良幸君も、今の調子で未久美ちゃんと仲良くしててね」

里美先生は、まるで俺達の母親のような様子で、軽く俺の肩に手を置いた。

「分かってますよ」

「む〜」

そんなこととは関係無く、未久美のほうは不機嫌になっていた。

いや、例え母親気分だろうと、俺だって置かれた手の温かみは嬉しいんだが。

「それじゃ、あの端の机で良い?」

先生が指差したのは、こことは反対側の端にある机。

あそこだけは、本棚ではなく壁によって仕切られている。

内緒話をするにはもってこいだ。

ただし、あそこにいると、いかにも聞かれたくない話をしてますよって感じで、注目を集めてしまうことも多々。

よって、普通の生徒には人気が無かった。

「ええと、あ、はい」

一言で答えられないのか、この娘は?

まぁ、この学校に一年いるのなら、あそこで話すのが躊躇われるのも分かるんだけどな。

が、里美先生はそのためらいにも気付かないまま、先に歩いていってしまった。

女の子はそれに続く。

「…進路、ねぇ」

二人が席につくのを見送りながら、俺は呟いた。

まったく、2年生も始まったばかりだろうに、熱心なことだ。

俺もそろそろ、本腰をいれないとまずいのかもしれない。

だが、その前に片付けなければならない問題があった。

とりあえず、周りを確認。

どうやら、俺達の近くに人はいないようだった。

「どういうつもりだ、お前」

「何が?」

手元は適当にシャーペンを動かしながら、未久美に言った。

口調は普段のままに戻してしまったが、色々説教しなきゃいかんのに、敬語ではやりにくい。

小声だし、顔も問題集に向けている。

とりあえずばれる事は無いだろうと踏んでの行為だ。

が、未久美のほうは完全に俺のほうを向いている。

書類をやる気はないのか、こいつ?

「その紙をやりながら話せ。 怪しまれるだろ」

「む〜、だって、この紙めんどくさそうなんだもん」

「俺だって数学なんてめんどくさいわ」

「じゃあさ、紙交換しようよ!」

「それじゃ意味ねぇだろ、いいから前向け」

片手で未久美の頭を持って、強引に書類に顔を向けさせる。

「で、どういうつもりなんだ?」

仕切り直し。

「だから、何がどういうつもり?」

「何がじゃねぇよ、先生の前であんなにくっついてきやがって。 お前の脳は、数学しか記憶できないのか?」

「む〜、人の名前覚えるのだって得意だもん」

「後半に反応すんな。 問題は前半部分だ」

「お兄ちゃんが、里美さんにベタベタするのが悪いんだもん」

「ベタベタなんてしてねぇ! 勉強教えてもらってただけだろ!」

思わず声を荒げてしまったが、それでも喉を使わない発声、つまりはヒソヒソ声の中の大声を使っている辺り、俺も現金だ。

「個人授業だなんて、お兄ちゃん話してくれなかったし」

「お前がこういう反応すると思ったからだよ」

美人で若い先生に勉強を教えてもらっているなんて言ったら、こいつがヤキモチを焼くなんて、分かりきっていたことなのだ。

それでもまさか、こんな早々にばれる事になるとは、思いもよらなかった。

何も対策をしていなかったことが悔やまれる…。

「大体、だからって何でお前がベタベタしてくるんだよ。 教師らしく振る舞うんじゃなかったのか?」

「だって、なんか里美さんがお兄ちゃんのこと、取っちゃう気がしたんだもん」

「俺はお前の所有物じゃねぇよ」

俺は、きっぱりと言った。

ったく、それだけの理由でこんな事やられたら、こいつと学校生活なんて、とてもやっていけない。

「む〜」

「何唸ってんだよ。 お前の理論だと、俺はお前の奴隷になるしかないみたいだぞ」

こいつの我侭を全部聞いていれば、学校生活は平穏無事だろうが、それじゃぁ俺はただの忠犬だ。

バラされない代わりだと言っても、そんなことをするのは論外だった。

「なってくれるの?」

だと言うのに、未久美は嬉しそうに聞き返した。

「イヤに決まってんだろ、ボケ」

兄なのに生徒で奴隷なんて、これ以上無いほど落ちぶれている。

いっそ、兄の肩書きが無いほうが地位が上ではないかと思うほどだ。

「うん、そうだね。 お兄ちゃんはお兄ちゃんのほうがいい」

「…なんだそりゃ」

さっきは嬉しそうな顔をしたくせに、こいつの考えは、本当に俺の理解を超えている。

「お兄ちゃんが女の人と仲良くするのはいやだけど、お兄ちゃんはお兄ちゃんでいてほしいもん」

つまり、こいつは俺に自分らしくいてほしいってことなんだろうか?

仮にそれが、こいつの考える「お兄ちゃん像」でいてほしいと言う意味でも、こいつの前で俺は「お兄ちゃん」でしかなかったのだから、どっちの大差は無いのだろう。

「あのなぁ、俺はどうやったってお前の兄貴だ。 で、お前は妹。 どこをどうしようが変るわけ無いだろ」

今にしたって、俺はこの学校でこいつの生徒であるが、こうして兄でもあるわけだ。

こういう事実は変えようが無い。 タイムマシンが無い現在においてはこれは不変だ。

「あ、うん、そうだね!」

未久美は体を再びこちらに向けて、笑顔を見せた。

「何が嬉しいんだよ」

俺が言ったのは、当たり前のことだ。 そんな嬉しそうな顔をされるほどのことじゃない。

「だってぇ、学校で妹だって言ってくれたんだもん」

確かに、学校では教師であることを強制したし、俺もなるべく生徒でいた。

だからって、こんな嬉しさの絶頂みたいに笑うか、普通?

「いいから、前むけって」

自分が言った何でも無い台詞が、こいつの反応を見てると、ものすごく気障だったような気がして、俺は取り繕うように、未久美の首を書類に向けさせた。

「えへへ〜」

にやけ顔を続ける未久美から目を逸らして俺が見たのは、里美先生だった。

意味なんて無い、ただ、そこに彼女がいただけだ。

彼女は、思いつめた顔をして話す女の子の話を、真剣な顔で聞いていた。

未久美は、俺が兄でなかったら、もちろんこんな風にベタベタしてくることは無かった。

俺はどうだろう、あの人が先生でなくても…。

「お兄ちゃん、何見てるの?」

思考に没頭している時、にやけていたはずだった未久美のいらだったような声が聞こえた。

「別に…」

それでも俺は、何となくその考えに夢中で、上の空だった。

「里美さんって、優しいよね」

「ああ、そうだな」

あんなに熱心に話を聞いてやってて…。

「里美さんって、綺麗だよね」

「ああ、綺麗だ」

物凄く…。

「里美さんって、先生だよね」

「ああ、でも関係無い」

そう、多分、俺は彼女が先生でなくとも、彼女に好意を持っていただろう。

自分で出した答えに、俺は納得し、同時に嬉しくもあり、気持ちが弾んでいた。

「…むぅ、問題は解決してないんだった」

そんな訳で、こいつのこの呟きは聞こえなかった。


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