いもうとティーチャー☆
第8限:妹サイヨビダシ
「片野君、何で落ちこんでるの?」
とは、姫地の言葉だった。
今の俺は、指摘されたとおり、がっくりと机に突っ伏している。
「何かあったの?」
「いや、自分の思わぬ一面に気づいてな」
奉仕行為によって自分が満足を得るなんてのも、ボランティア、もしくは召し使いのような喜びであったり、つまりはよくある話だ。
動物を撫でる時、撫でているほうも気持ち良くなっているという事例がある。
ついでに最近は、癒しブームだ。
が、妹に、兄の冗談で先生にまでなってしまう、あのアホに癒されたというのは、どうにもいやな気分だった。
兄の沽券に関わり、プライドが傷ついた。
例えば、普段つまらないと思っている漫画のネタに、クスッとでも笑ってしまった感じだ。
どう見ても可愛くないアイドルが、水着になったからといって、思わず興奮してしまった時の敗北感だ。
非常にやるせない…。
「…先生ね」
横にいる雪村が呟いた。
まぁ、職員室に行ってからこのテンションになったのだから、当たり前と言えばそうだ。
「先生!?まさかお前、呼び出されたのを良いことに、先生にとてつもない強要をしたんじゃないのか!?コスプレとか、語尾とか!」
尻を滑らせるように移動させ、同時に腰を捻る。回転の勢いを利用して、拳を繰り出す。
目標は斜め後ろの犯罪者。
「職員室でそんなことするかぁ!!」
「甘い!」
が、確実に奴の頭蓋を粉砕するはずだった拳は、完全に空を切っていた。
一足先に、秀人がイスを後ろに傾けて退避していたからだ。
手は背後の壁につき、絶妙のバランスを保っている。
「忍法椅子傾け。昼飯を食っていないことが仇になったな」
誇らしげに、奴は語った。確かに俺は昼飯を食っていない。
未久美との話が終わった頃には、既に購買に何の食料も存在しなかったからだ。
「すごい、私なんて目で追うのがやっとだったのに」
「…今のが奥義ね。 覚えたわ」
お前らは格闘マンガの読みすぎだ。
「つーか、語尾ってなんだよ」
「あの可憐な先生に、『にょ』とか『にゅ』とか言わせてたんだと思った。はにゃーんも良いな」
「お前がやらせたいだけだろ」
よく分からない世界の話だ…。
「…良いりゅん」
「雪村もかよ…」
「えみりゅんは微妙だな〜」
謎の単語を秀人が言った瞬間。奴の姿が視界から消えた。
同時に、鈍い音と「あだ!」と言う声。
どうやら、椅子ごとひっくり返って頭をぶつけたらしい。
「ユッキー、ひでぇ」
「…りゅん」
雪村が支点となっていた椅子の後ろ足を蹴ったようだった。
なんか、雪村なりの愛着があるみたいだ。
俺も、りゅんとやらをバカにするのはよそう。
「まぁ、俺はお前がそんな事しないと信じてるよ」
机、もとい、その下でひっくり返っている秀人が言った。
「強要とか何とか言ってたのは、なんだったんだよ」
「ウィットに富んだジョークだ」
ウィット…、その場に応じて、気の利いたことを当意即妙に言う才知。
「横文字使わないで、素直にとんちと言え」
「ジョークはいいの?」
「そっちは常用語だから良いんだ」
「日本語って、難しいね」
「姫地、実はお前は外人なのか?」
「う〜ん、実はそうなのかも」
そこで考えるな。
「良いんだよ姫地。どうせこいつは個人授業受けて、秀才君気取ってるんだから」
「…里美先生は、数学よ」
「勉強なんて、とりあえずやっただけで、頭が良くなった気分になるものなのさ、ベイブ」
「ああ、なるほど」
だから、納得すんなっての。
だが、俺はそこでキレの良いツッコミをいれることが出来なかった。
あの人の名前が出たせいだ。
「ともかく、俺はお前を信用してる。お前の守備範囲は、未久美先生より、ずっと上だとな」
「そりゃ、どんな信用だよ」
そんな事よりも、いいかげん、床と垂直に椅子に座るのは止せと言いたかったが、やはり、ツッコミ回路は不調のままだ。
「ずっと上だろう、里美せんせ…」
そこで、秀人の言葉が止まった。
たぶん、今話題に出そうとしていた人物と、逆さまの視点で目を合わせてしまったせいだろう。
「確かに、未久美ちゃんよりはずっと上よね、私」
「パンツ見えますよ」
「あら、秀人君って透視が出来るのかしら?」
その人は、黒いロングスカートをはいていた。
確かに、アレで下着を覗くんなら、脚の間に潜りこまなければ無理だ。
そして、スカートは白いブラウスへと続き、終着点には口元を緩ませた、大人の女性の顔があった。
「里美先生。後ろから入って来ないでください」
「はいはい。 良幸君はまじめねぇ。ただの気分転換よ」
「まじめとか、そう言う問題じゃないです」
里美葉子先生。数学教師で、次の授業の教科担当だ。
俺の去年の担任であり、2年生の頃から、こんな風に自然と輪の中に入ってきていたので、俺達の会話も自然だった。
明るくて笑顔を絶やさない、大人の女性。
未久美には是非見習って欲しい教師の鏡のような人だ。
「…流行?」
「そういえば、未久美先生も、後ろから入って来たよねぇ」
姫地が思い出したくも無いことを言ってくれた。
確かに、その人間の話題をしてる時に、ちょうど現れるというパターンまで一緒だ。
まるで、誰かが手抜きをしたような展開だった。
「て、言うか今、良幸がまじめとか言われた気がしたんだけど。…気のせいですよね」
ようやく、秀人が立ちあがった。
と、思ったら、何やら含みがありそうなこのセリフだ。
「異論があるような言い方だな、お前」
「まじめでしょう?授業もちゃんと聞いてるし、別に問題を起こすわけでもないし」
「あ、でも今日呼び出しされたよね」
ま、またしても姫地。
なにやらニコニコ顔で楽しそうなんだが、そんなに俺が窮地に立つのが嬉しいのか?
「あら、そうなの? 何で?」
俺は、その原因を言いそうな秀人に注意を払った。言いそうになったら速攻でモンゴリアンチョップだ。
それと、さっきから不穏な状況に俺を追いこもうとする姫地もチェック。
「…セクハラ」
「って、お前が言うんかい!」
「…何が?」
しまった、このセリフを一番言いたがっている奴をノーチェックだったなんて。
しかも、つっこんでしまったと言うことは、認めたようなものだ。
「セクハラって、良幸君が未久美ちゃんに?」
「ええ、それこそ犯罪行為のようなセクハラを…」
「もともと、セクハラは犯罪だけどね」
「ちょっと、良幸君」
「小さい先生が珍しかったから、じろじろ見ただけです」
咄嗟に、と言うより、秀人達用に用意していた言い訳を、俺は言った。
本当は一緒に暮らしてるんだから、あんなちんちくりん、珍しくもなんとも無いんだがな。
「それだけで呼び出されたの?」
「それだけで呼び出されたんですよ」
どうやら、信じてくれたようだ。
本当は、もっとくだらない理由だったんですが。
「…じゃぁ、私も呼び出そうかな」
「誰をですか?」
「さっき、下着のこととか、年のこととか言った人」
秀人が、今後は自主的に椅子から落ちそうになった。
「せ、先生まだ20代でしょ。そんなこと気にする必要ないと思うな〜、ボク」
あからさまに慌てた奴は、急いで取り繕う。
「あ、でも年齢のこと言うだけで、セクハラにはなるんだよねぇ」
「姫っち!」
これもニコニコ顔で姫地。
自分に関係の無い状況でこの発言をされると、悪意が無いように聞こえるから不思議だ。
いや、多分悪意は無いんだろう。
が、追いこまれたほうには、悪魔の一言なんだよな。
「そうよねぇ、じゃぁ放課後に来てもらおうかしら」
「ま、まじっすか!?」
そうか、秀人も呼び出しか。
これで俺だけが冷やかされることが無くなる訳だな。
なんだか小学生の付き合いみたいで、少々虚しいところがあるんだが。
「と、言う訳で、放課後に図書室に来てね」
そう言うと、先生は秀人の机を通りすぎ。
「良幸君」
「俺なんですか!?」
今までの流れを覆す発言を、俺の肩を叩きながら言った。
それと同時にチャイム。先生は5時間目の授業をするべく教壇へ歩いていってしまった。
「ほう、一日に二回も呼び出されるとは、やるなぁ」
「快挙かもねぇ」
自分に呼び出しが無いと分かり、すぐに調子を取り戻した秀人と、きっと悪意はないのだろう姫地の言葉。
「…手玉に取られたわね」
雪村の言葉が、俺にとどめを刺した。
もっともこの後、その呼び出しは、いつもの『アレ』だったと気づくのだが。