いもうとティーチャー☆

第六限:妹ドウメイ


朝の教室には、二人だけの影しかない。

これがミステリアスな女生徒だったりすると、それなりにミステリアスな展開が予想されるんだが。

男二人では、何も無い。

はらはらしながら電車を降り、名残惜しそうな未久美を職員室に追いやり、さらに名残惜しそうな秀人を、ここまで引っ張ってきた。

たっぷり掻いていた冷汗も乾き、今は背中にひんやりとした感触を残すのみだ。

だが、このひやっこさは、決して気持ち良いものと受け止めてはいけないものである。

こんな背筋の冷たさが毎日続くようなら、俺はきっと風邪を引いてしまうだろう。

「…そうしたら、お前の所為だからな」

「は、何が?」

俺は突っ伏していた机から顔を離し、斜め後ろの席に座る秀人、つまりは俺に風邪を引かせるであろう男に愚痴をこぼしたが、もちろん分かっていない。

分かられても困るが。その場合は、こいつが俺の心を読んでいると、本気で考えなければならないところだ。

「大体、何でお前があんな早い時間の電車に乗ってるんだよ」

「その俺と一緒に電車に揺られたお前がそれを聞くと、すごい不条理だぞ」

「お前があんな時間に電車に乗ってた事の方が不条理なんだよ」

普段の秀人といえば、遅刻してくるかが賭けの対象になるほど、ギリギリに来ることが常識となっている。

いつもより、30分前に起きて、さらに早着替えレースまで繰り広げた俺達と、こいつが同じ時間、同じ電車の中、さらに同じ車両に存在するなんて、有り得ないと言っても良いほどなのだ。

「なんせ、昨日は寝てなくてな」

「なんでだよ?」

「 全員のフラグを落とさないようにセーブ&ロードを繰り返してたら、いつの間にか朝だった」

「は、何の話だ?」

「パーソナルコンピューターゲームOF18禁。7つ子ちゃんの組み合わせでイベント盛り沢山のやつだ。ハーレムエンドは難しいんだぞ」

「知らねぇよ」

「今度貸そうか?」

秀人が提案をしてきたが、俺は首を振って断わった。興味云々は置いておくとしても、これ以上、未久美に歪んだ情報を与えるのがまずいと思ったからだ。

「いや、いい…。てか、要は徹夜でゲームして、そのまま学校に来たから今日は早かった訳だ」

「ああ、そうして登校しようとしたら、お前が先生にその触手を伸ばそうとしてたんで、急いで助けた訳だ」

「んなもん、ついてねぇよ」

多分、俺から見たこいつと、こいつから見た俺って言うのは、非常に似通っているんだろうな。

「変態には生えるらしいぞ」

「んじゃ、てめぇには千本ぐらい生えてるだろ」

お互いを変態だと思ってると言う意味で。

そんな会話を15分ほど続けていると…。

「あれ、早いね、片野くん」

「よう、姫地」

「俺には挨拶無しかよぉ、姫っち」

この教室に3番目のクラスメイトが来た。

「…おはよう、片野くん」

「おう、おはよう雪村」

「ユッキーまで…」

4番も同時到着だったらしい。

姫地桃香と雪村麒麟の二人組は、それぞれ俺の後ろと横に着席した。

俺達の定位置となったわけである。

と、言っても、まだこの席になって二日目なわけだが。

「いつも、姫地達って一番乗りなのか?」

「う〜ん、大体そうかも。今日は一番を取られちゃったけど」

「…二番も取られた」

じっ、と俺を見る雪村。

意外と顔が近くて困る。

「ユッキー、もしかして、こだわってたのか?」

秀人が聞くと。

コクリ、と、首を縦に振る。

「うん、きりんったら、いつも2番にこだわってるんだ」

「2かよ…」

コクリ。

「…そりゃ、すまんかったな」

おもしろいこだわりだ。

俺はそのまま何故2にこだわるのか、そこにどんな充実感があるのか、放課後まで問い詰めたかったが、残念ながら、話題は別の方向へ進んでしまった。

「だから、いつもすごく早い時間に迎えに来るんだよ」

「そう言や、ユッキーと姫っちは、同じ駅なんだよな」

「うん、幼稚園からの幼なじみだし」

「へぇ」

仲が良いと思ってたが、かなり長い友達らしい。

息も合ってるし、納得できるか。

「片野くんと高山くんも、結構長い友達なんでしょ?」

「え、違うよ。 俺達は高校から」

「こんなのと、そんな長い間付き合ってられねぇよ」

「…コンビみたいなのに」

「不本意だな」

「不本意だ」

漫才師か、俺らは。

実際、俺と秀人の付き合いなんてそんなものだ。

俺がここに引っ越してきたのが、ちょうど高校入学と同時だったので、仕方がないと言えばそうなのだが。

「それに俺、こいつの家がどこにあるかも知らないんだぜ」

「…ああ、そう言えばそうだな」

「え、遊びに行ったこととか無いの?」

「彼、ぜんぜん家に上げてくれないの…」

「気持ち悪いこと言うな」

しなを作った秀人を、手を伸ばしてひっぱだく。

まぁ、実際に俺はこいつを家に上げたことが無い。

と、言うか学校の友達を家に入れたことも無い。

「…遊ばれてるのね」

「頼むから、そう言ういやな想像を喚起させる発言は止めてくれ」

俺が、人を家に呼ばないのは、部屋に少女漫画と研究書がたっぷりあるということに関する言い訳を、3年たっても考え付かないからだ。

結局、妹の存在は誰にも知られていないわけで、そのおかげで、現在も俺と未久美の関係はばれていない訳だが。

「こんな裏切り者なんて、恋人でも愛人でも無いさ」

「友人でも知り合いでもないことにしたいがな」

「裏切り者って、何したの、片野君」

「こいつ、先生と登校してきやがった」

…人が一番触れられたくない話をしやがって…。

まぁ、こいつの性格からして黙ってる訳が無いとは思っていたが。

「…どう言うこと?」

雪村の視線が、心なしか何時もよりきつい気がした。

そう言えば、この娘もうちの妹に目をつけているのだ。

何で、こう特殊な趣味を持った人間が二人も集まるんだ?

「電車が一緒だっただけだ。途中から秀人だって一緒に来たぞ」

「嘘つくなよ、お前は駅も一緒なんだろ」

少しでも、未久美と俺の接点を誤魔化したかった俺の言葉を遮って、秀人は俺の知られたくない事実をひとつ暴露した。

「…そう言うこと」

「なに納得してんだよ」

「裏切り者」

再び、多分怒っているのであろう視線を向けてくる雪村。

彼女の中で、俺の評価は決定したらしい。

無言のプレッシャーに、俺は少したじろいだ。

「だ、だからなんで裏切りになるんだよ」

「…先生を愛でる会の会員として」

「そうそう、抜け駆けはダメだってことだ」

「何時できたんだよ!?」

「あ、俺会員一号な」

「bQ…」

そこでも2にこだわってんのか…。

「で、お前が3番目だ」

「だから、俺がいつ所属した!」

「いいなぁ、私だけ仲間はずれ…」

「…なんで入りたがってるんだよ」

「じゃぁ、入ればいいじゃん、姫っちも」

すると、雪村がそっと姫地の手を握った。

「…4番バッター」

バッターってなんだ?良い数字だってアピールしてるのか?

ともかく、姫地もこの妖しげな集団に加入したらしい。

「ありがとう、きりん!」

姫地は嬉しそうな様子だが、本当に良いのか、それで?

「さて、四天王になったところで、することがある」

コクリ。

秀人が急に切り出すと、雪村が頷いた。

だから、俺は入ってないっての。

「なに?」

何か、位置関係まで決まっている気もする。

そして、俺の位置はと言えば。

「…裏切り者に、今日先生と話した内容を全て暴露してもらおうか」

裏切り者のままらしい。

て、言うか、いきなり内部分裂かよ。

「別に、ただ挨拶をしただけだ」

「ほおぉぉ、先生は挨拶をしただけで名前を覚えてくれるのか」

こいつは、未久美が絡むとやけに性格が悪くなるらしい。

2回会っただけでこれだけ入れ込むとは、兄として嬉しい気持ちがさっぱりわいてこない。

「名簿でも見て覚えたんだろ」

「2日目でか?」

「そんぐらい覚えられるんだろう。 …何しろ天才なんだしな」

そのセリフを言った時、皮肉めいた感情が出てしまったのを、俺は自覚していた。

あいつが天才だと自覚すると出る、嫉妬めいた感情。

自覚が自虐を招くから、さらに性質が悪い。

「…」

雪村が、そんな俺の顔を見ていた。

視線に気づき、歪んでいた唇を戻すよう努力する。

「そうなのかぁ?」

納得いかなそうな秀人だが、実際に未久美なら、そのぐらい簡単に出来る。

あいつが優れているのは閃きとか直感だけではないのだ。

難しい公式やらも沢山覚えているし、ゆとり教育でおよそ3になったあの円周率でさえ、俺の頭を痛くするには十分なほど覚えている。

とにかく、数学に関する能力なら人並みはずれたものは持っているのだ、未久美は。

奇跡といっても言いぐらい偏った能力。

そう言うものを持って、はじめて天才といえるのだろうとも、俺は思っていた。

「へぇ〜、天才ってすごいんだね」

そして、素直に感心する姫地。

そりゃすごいさ、天才は。何しろ兄が困ってる宿題なんて、あっという間に解いちまうんだからな。

さすがにそれは言えず、俺は皮肉げになった顔を隠すため、体を机の前に戻して突っ伏した。

普通なら不自然に思える動作も、秀人の目には追求を逃れるためにしたように見えたようだ。

「他に話した事、ないのかよ〜」

しつこく聞いてくる。

「別にねぇよ」

「3サイズとかは?}

んなもん聞けるか。12年間相手にしてきても聞いたことがないというのに。

まぁ、と、言うか。

「…どうせ、ぺったんこ、ほそい、うすいだろ」

俺も興味がなかったから聞かなかったわけだが。

あいつの体なんぞ、このぐらいの定義で十分だ。

「あんまり、3サイズとかが気になる体型じゃないかもねぇ」

結構ひどいことを、さらりと言う姫地。

「…そうだな、はっきりデータが無いほうが萌えるか」

そして勝手に一人で結論付ける秀人。

そう言うものなのか? ハロー・キ○ィの体重がリンゴ3個分と表記されるのと同じ理由かもしれない。

背中越しにあいつのアホな発言を聞きながら、ぼんやりと教室を眺めた。

もう、大半の生徒は登校してきている。

時計を見れば、始業3分前だし、当たり前といえばそうだ。

「そうだ、先生はどこに住んでるんですか?」

「俺が知るかよ」

また、後ろから聞こえた秀人の声に答える。

「お前に聞いてない」

…この会話、さっきもしたな。

え〜と、さっきは秀人が俺に話しかけたと思ったら、実は未久美に話かけてて…。

と、思いついたとたん、俺はその勢いで地球が回るんじゃないかって勢いで後ろを向いた。

そして、振り向いた先には。

「む〜」

未久美がいた。

「な、何で当たり前のように紛れこんでる!…んですか!?」

思わず素が出そうになった俺は、急いで敬語に切り替えた。

実に切り替えが難しい。それが、顔を膨らまして唸っている威厳も何もあったものじゃない相手に対してなら、尚更だ。

「えっと、いつからいたんですか?」

「ぺったんこって言った所から…です」

こっちも、今切り替えが出来たらしい。

そして、怒っている理由もそれが原因のようだ。

と、言うかこいつらは何で先生先生言ってるくせに、いざ本物が出てきたらこんなに大人しいんだ?

いや、理由はわかっている。

展開が面白そうだからだ。とりあえず、間違いなく秀人はその理由だ。

俺はつまり、はめられた訳である。

「ほら、良幸。先生に暴言を吐いたことを謝れ」

嬉しそうな秀人。後で一回殴ろうと決意する。

「だって、実際…」

いや、決め付けるのは良くない。

もしかしたら、妹は兄の知らない間に成長しているかもしれないのだ。

幸いにも、今のやつは曲がりなりにも先生だ。多少は客観視できるかもしれない。

よし、確認してみよう。

尻、うすい。

胴、ほそい。

胸、ぺったんこ。

…やっぱり合ってるじゃないか。

そのまま見上げた顔は、何故か赤みがさしている。

「…セクハラ」

「あ?」

雪村がマイブームを呟き、俺は未久美から目を離した。

「お前、やるなぁ。先生を其処までじっくりと見るとは、俺もさすがに尊敬するぞ」

「片野君、えっちぃ…」

一通り全員の顔を見てから、また未久美の顔に視線を戻す。

顔が赤いのは、怒りと照れが混在しているからなのかもしれない。

どうやら俺は、見事にこの場にいる全員に誤解されたらしい。

「お兄…片野君!」

未久美が、少し声を声を大きくして、俺の名を呼んだ。

また間違えかけたことから推察するに、妹として、何か物申したいことがあったらしい。

「な、何ですか?」

「むぅ…」

が、みんなの手前言えないことでもあるらしい。

そこで、未久美のとった行動は。

「…後で職員室に来なさい」

実に先生らしいものだった。


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