いもうとティーチャー☆
第五限:妹トウコウ
「ドアが閉まります、ご注意ください」
独特の節をつけた口調。あれって、なんか意味があるんだろうか?
それとも、駅員の趣味か?
そんなことを考えながら、電車に揺られる。
うちの学校、および俺の家は、俺がいつも通っている時間でも、大したラッシュは無く電車に乗ることができる。
そのため、サラリーマンに押し潰されるなどの苦労はしなくていいし、痴漢の心配も基本的には無い訳だが…。
「こうならない為に、今日は30分も惰眠を削ったのに…」
結局、無駄になってしまったわけだ、俺の努力は。
「へへへ、良かった〜。 間に合って」
吊革につかまる俺の隣には妹、未久美が立っている。
で、こいつの場合は吊革に手が届かないので、俺の服を掴んでいる。
そして、顔にはしっかりとメガネ。ノンフレームで、楕円形のやつだ。
だからと言って、女教師に見えたりすることは、全く無いんだが。
まぁ、ちょっとまじめに見えるぐらいだろうか?
「だから、制服を掴むな。 皺になるだろ」
「じゃぁ、手を握っていい?」
そう言って、未久美が離した部分の制服は、くっきりと皺が寄っていた。
「却下」
俺は、未久美が握ろうとした手を、素気無く両手で吊革を握ることでかわした。
「む〜!」
例の唸り声を上げると、今度は違うところにしがみつく。
皺がもう一つできたな。
今、俺達がいるのは二駅めだ。学校までは後三つ。
本当は、別々に行ける筈だったものを、結局、とある「大切なもの」を俺が忘れた所為で、未久美に捕まり、現在の状況が生まれている訳だ。
「大体、そこの棒に掴まれよ。こんなところ、学校の連中に見つかったら、まずいだろ」
俺は、座席の横にある鉄棒をアゴで示した。そのまま網棚に繋がっているやつだ。
幸いにして今の所、うちの生徒らしき人間は乗っていない。
サラリーマンやらがチラホラいるのみだ。
「じゃぁ一緒に座ろうよ、席も空いてるんだし」
「…若いうちは、楽しちゃいかんのだ」
まぁ、実はそんな哲学は俺に無い。
ただ何となくだ。習慣になっているといっても良い。
拘りでもない惰性。指摘する相手がいて初めて気づくもんだな、こう言うのは。
「む〜、じゃぁいい。 立ってる」
しかし、俺のそんな口から出任せに影響されて、未久美も立っていることに決めたようだ。
が、手を持ち替えたために、また俺の制服に皺が増えた。
「だから、服を掴むな!」
しょうがないので、一旦手をつかんで…。
「あっ」
未久美が嬉しそうな声を出すが、いったん無視。
鉄棒まで歩いていって、指を広げさせ、掴ませる。
OK。 手を離す。
「む〜!」
「ちゃんとした女教師は、他人の手を借りて立ったりしねぇんだよ」
「そうなの?」
「そうなんだ」
と、言うより、ちゃんとした女教師は吊革につかまれるんだが。
「むぅ、分かった…」
素敵な女教師を目指すらしい未久美に、この言葉は効いたらしい。
しぶしぶといった感じで、鉄棒につかまる。
その時だった。
ダン!
俺の後ろからした、扉を叩く音が俺を振りかえらせた。
そこにいたのは高山秀人。
連結の扉ごしに、こっちを見ている。
我が級友だ。
まぁ、ガラスに顔を押し付けた状態を見ると、知り合いであることすら否定したくなるが。
…何でこのタイミングで会うんだ?
やつはその調子で、勢い良く扉をあけると、ずんずんとこっちへ向かってきた。
顔はにやけているのだが、目が笑っておらず、正直言って怖い。
未久美にいたっては、完全に脅えていた。
「やぁ、今日も良い天気ですね、先生!こんなところで会うなんて奇遇ですね、先生!そこにいる野獣に何かされませんでしたか、せんせ…ぬがっ!!」
無言で殴る。
とりあえず未久美に、人間でも対処できる生物だと知らせるためだ。
と、言うかいきなり俺を無視しやがったのがむかついたのも理由ではあるが。
「朝っぱらから変態してるなぁ、てめえは」
とりあえず胸倉を掴んでみる。
「いや、偏愛してるんだ、俺は」
俺の手をさらりと除けると、俺の横を抜け、秀人は尚も未久美に寄ろうとする。
「自分で分かってるなら自粛しろや、ロリコン」
未久美の脅えた様子を見て、とりあえず秀人の首根っこを掴み、引っ張る。
そのまま位置を入れ替えて、再び秀人と未久美の間に入った。
「ええと、基本的には無害な奴だけど、気をつけてくださいね、先生」
後ろにいる未久美へ、生徒口調で忠告する。
一応、秀人への警戒と、関係がばれないようにとの二つの意味をこめたつもりだ。
「う、うん、と、ええ、片野君」
両方理解してくれたようだ。
ぎこちないながらも、未久美も教師モードに入った。
「…て、言うかなんで先生とお前が一緒に登校してるんだよ」
「ただ単に、電車が一緒だっただけだ」
一応、さっきから知り合いに会ったらどうしようとドキドキしていた為、言い訳は100通りぐらい考えてあった。
単に皺の事だけを気にしていた訳じゃない。
「それにしちゃ、なんか仲良さそうじゃないか、名前まで覚えてもらってるし」
「先生、こいつの名前は高山秀人って言います。覚えましたよね」
「え、ええ、覚えました」
やはり、緊張した顔で頷く未久美。
ファーストインパクトが強すぎて、どうにも警戒心が解けないようだ。
「ほれ、良かったな」
「…それでも、まだお前の親密度には届かない気がするぞ」
「お前が奇行をするから、怖がってるんだよ」
まぁ、半分は本当だ。
もう半分は、未久美が元来、人見知りをする娘だと言うこともある。
小学校時代なんかは、俺が居ないと、人と喋れないほどだった。
今では、少々アメリカナイズされたのが良かったのか、そこまでひどい傾向はないが、それでも初対面の人間は苦手らしい。
そんなんで、よく学校を跳び級し続けるなんてできたなとも思うが、その所為で人間関係を学べなかったのかもしれない。
「そうだ」
秀人が、急に思いついたように呟いた。
「なんだよ」
「お前になんて話しかけてない、先生だ」
にゃろう…。
「わ、私ですか?」
「はい、先生ってどこから通ってるんですか?」
「えっと、ここから二つ目の駅です」
…やばい。
こいつは自分の偽プロフィールとか、全く考えていなかったらしい。
「…それって、たしか良幸と一緒の駅じゃなかったっけ?」
大当たりです。
しまったな、先にこいつに、昨日の夜から考えていた「片野先生の偽プロフィール」を教えておくべきだった…。
「はっ、もしかして…」
急に真剣な顔をした秀人が、俯く。
「なんだよ」
「先生と良幸…、ずばり一緒に暮らしてるだろ!!」
ビシ!
ビク!
ビクッ!!
秀人が俺達を指指すと、俺と未久美は同時に身動ぎをしてしまった。
未久美にいたっては、多分、足が一瞬地を離れた。
しかし、頭の中はそんなものじゃない。
混乱の渦だ。
なんでばれたんだ!?が、出発点となり、さっきの会話を聞かれてたのか?とか、もしかして、こいつは未久美をストーキングしたんじゃなかろうかとか、俺はサトラレなんじゃないだろうかとか…。
が、その答えを探そうと、奴の顔を見ると、言った秀人がビックリしていた。
「…と、あれ、マジなの?」
「…冗談、だったのか?」
「いや、先生は宇宙人で、出会ってすぐ同居すると言う内容のアニメを、この前見たから」
また、アレの話かよ。
とりあえず、俺は誤魔化すことにした。
「はぁ、あんまり突飛だったんで、ビックリしたんだよ。そうですよね、先生」
「え、ええ」
俺に合わせて、未久美も頷く。
「本当にぃ?」
疑わしげな視線をくれる秀人。
さすがに騙せないか?
「本当は、先生と運命的出会いを果たして、ひとつ屋根の下で暮らし、あれやこれやしてるんじゃないのか?」
「ゲスな勘繰りすんな」
ロマンチックなんだか、爛れた関係なんだか判らない言い方だ。
「あ、あれやこれ…」
未久美も照れるな。
「そうすると先生は、既にこの畜生の毒牙にかかってるのか!?マイ・スイート・ロリータが!」
「こら、てめぇ!勝手に人をクソ外道にするな!」
いきなりテンションを上げ、危ないことを言い出した秀人の胸倉を掴み、揺さぶったが、こいつは人の話を聞く様子が全く無い。
今までもおかしいやつだと思ってたが、ここまで奇行を見せるとは。
恐るべしは、ちっこいモノへの執念か。
「犯罪だぞ、犯罪!あ〜、そんなの耐えられない! そんなの嘘だ! …嘘?」
その一言を境に、秀人の勢いが止まった。
「嘘か…。 そうだ、そうか」
正気に戻ったのかと思い、とりあえず手を離す。
が、その直後。
「そうだ、そんなわけないな!お前みたいなチンピラもどきが、そんな主人公的役割を天から与えられるわけない!」
性質の悪い病気がぶり返したがごとく、秀人は再度暴走を始めた。
好き勝手言ってくれるな、この野郎。
「むぅ、チンピラもどき…」
怒るな妹。兄だって今すぐ引き倒してストンピングをかましたい衝動を、必死でこらえているんだ。
「と、言うことは、俺のコンピューターは見つけ出したぞ、答えを!」
「はぁ!?」
「お前ら、一緒に暮らしてないだろ!!」
ビシ!
今度は、俺達二人とも、何のリアクションもしなかった。
いや、できなかったのだ。
当てずっぽうで完全な正解を出しておいて、自分のリビドーのためにその論を覆すと言う、超E難度のアクロバット飛行に、ただ、唖然としてしまったからだ。
ようは、こいつの一人上手に、ついていけなかった訳だが。
正しく、こいつの言った事を飲みこめたのは、約3秒後だった。
「…えっと、それはさっきの説は撤回と言うことか?」
「ああ!ばっちり撤回だ、疑って悪かったな!!」
爽やかなぐらい、秀人は言いきった。いつもこの爽やかさを発揮していれば、さぞモテることだろう。
「…いや、別にいいさ、うん、どうでも…」
俺の尊厳を脅かす発言を多量に言われたにも関わらず、俺は力の無い顔で許してしまった。
もう一回こいつの論が裏返って、俺達が一緒に暮らしていることがバレても、俺はあっさりと認めてしまいそうだ。
「先生もすいません! この償いは俺の体で…!」
「ひっ、はい!?」
ため息をついた俺の横をすり抜け、秀人は何時の間にか未久美の手を握っていた。
今の俺にはそれを止める力も…。
ドス!
「うが…、今鈍い音が…」
いや、とりあえず一発分リバーブローを打つ力ぐらいは残っていたようだ。
しかし、良かった。こいつがバカで本当に良かった。学力低下バンザイ。 ゆとり教育バンザイ…。
駅まではバレてしまったが、とりあえず良しとしなければ…。
そう納得し、膝から崩れた秀人を未久美と引き離す。
その時、電車に軽い横揺れが起こった。
それが、3つ目の駅の到着だと気づく前に、背中に軽い衝撃。
秀人に握られ、鉄棒から手を離していた未久美が、バランスを崩し、俺の背中に両手でしがみついていたのだ。
秀人の手前もあってか、その手はすぐ離されたが、また、俺の服に、くっきりと皺が二つ付いた。
…この沢山のシワとシワを合わせてシアワセになれたら、どれだけ良いだろう。
手に持っているこのゴミを列車の外に放り出そうか思案しながら、俺はため息をついた。