ドラポン 第三章 その13


 踊るきつね亭の二階。そこは冒険者が寝泊りをする為の宿屋となっている。
 基本的に宿泊以外の用途は禁止されている場所だが、たまに泥酔した客を休ませることもある。
「まったく、見張っててって言ったじゃない」
「面目ない」
 共にフィア殿を運んできたミヤゼが、変化をしなおした我に対し、呆れた目を向ける。
 見張っているどころか、自分が演出過剰なことをして気絶させてしまったのだ。
 情けない思いで肩をすぼませる我。
「……もう。お医者さん呼んでくるから、アンタも診てもらいなさいよね」
「気づいていたのか」
 はっと顔を上げる。変化した我には目立った外傷がないのに、彼女は我の怪我に気づいていたらしい。
「看板娘ですから」
 目を見開く我に、細い目をさらに細めた笑いを見せたあと、ミヤゼは部屋を出て行った。
 後には我と、我によって気絶させられ、ベッドに寝かされたフィア殿が残る。
 ここに彼女を運ぶよう指示したのはミヤゼであるが、我に看病を任せてしまってよいのだろうか? 
 我も一応雄なのだが。もしかしてそう思われていない?
 いや、だからと言って、別にフィア殿に何をしようなどとは微塵も、そう、微塵も思ってはいないけれど。
 そんな事を、呼吸を楽にする為に胸元のボタンを二つほどはずされたフィア殿の艶姿を見るともなし見ないとも無しどちらかというと見る方向で我が考えていると――。
「ん……んぅ」
 妙に艶かしい声を上げてから、フィア殿が目を覚ました。
 慣れない酒で頭痛がするのか。彼女は自らの額を抑え、重いため息を吐く。
「お目覚めですか」
「ひゃっ」
 我が声をかけると、彼女は慌てて飛びおき、シーツを手繰り寄せる。 
 もしかして胸を見ていたのがバレたのだろうかとドキドキしながら、我は彼女の様子を伺った。
「ええと、ここは……私……気を、失ったんですか?」
 彼女は左右を見回して、ようやく状況を把握したようだ。
「ええ、ほんの短い時間でしたが。ミヤゼが今お医者様を呼んでいますので、もう少し寝ていたほうがよろしいかと」
 補足すると共に、我はフィア殿にそう促した。
 何もしていませにょというアピールの為、無駄に爽やかな笑顔を見せることも忘れない。
 フィア殿はまだ意識がはっきりしないのか。しばしの間、ボンヤリとした顔で我を見ていた。
 だが、急に首を左右に振ると。
「あの、ホン太郎さん。たぬきって、本当ですか?」
 そんな風に、尋ねてきた。
 その問いかけに、全ての夢が急に醒めた気分になる。
 あの、ツンツン頭の冒険者の前で大きなドラゴンに化けた時と一緒であった。
 我がどんな姿になろうが、たぬきであるとバレていれば何の意味もないのだ。
 ぽんっ。
「はい、私は、我は、その、正真正銘、たぬき、です」
 我は彼女の問いかけに、元のたぬきへと戻って見せた。
 フィア殿は目を見開いて我の姿をじろじろと検分すると、がっくりと肩を落とす。
「まさか、ホン太郎さんがたぬきだったなんて……」
 その言葉に、我の胃がずんと重くなる。今頃真相を知った姉上たちも、そんな風に言っているのだろうか。
 しかしよく考えれば、彼女ががっかりする必要は無いように思える。
 こちらの落ち度で婚約が破棄になるのだから、彼女は何も気にせず家に帰ることができるはずだ。
「運命の人が見つかったって、思ったのに……」
「は!?」
 フィア殿の言葉に、我は自らのけもの耳を疑った。運命の人というのは、もしや我のことか? 
 いつの間に我は彼女にとってそんなに重い存在になっていたのであろう。
 しかし我は人ではない。なるほど、人でないからこそ彼女もがっかりしたのだ。
「たぬきでごめんなさい」
 彼女に、いや、色んな方への謝罪を篭めて謝る。
「え、いえ……」
 そう答えるも、彼女の表情は沈んでいた。
「あの、それでは我は失礼します」
 その空気に耐え切れず、我は蹄を返して部屋を出て行こうとした。
 看病を任されていたが、彼女は目を覚ましたのだしもう平気だろう。
「待ってください!」
 そんな我を、フィア殿が呼び止めた。
 振り向くと、彼女は呼び止めたのは自分でも予定外だったとでもいうように、口を開け、硬直している。
 どうしたのかと我が首をかしげると、彼女ははっと我に返ったようだった。
 そうして、なにやら彼女の表情が変ってくる。
 悲しそうなうつむき顔から、次第に深く何かを考えるような、どこか怜悧な雰囲気がする表情へとだ。
 その貌は美しいながらも近づきがたく、彼女が魔王の娘だと我に深く納得させた。
「でも、ホン太郎さんなら……いいえダメよ私。相手はたぬきなのよ。でも、よく考えると……そう、うん、そういうことなら」
 しかしそんな表情をしながらも、彼女はまるで自分自身と会話しているかのような呟きを延々とかましている。
 先程気絶した時どこか悪くしたのではないだろうか。
 というか、何やらあまり良くない方向へ話が進む予感がする。
「ホン太郎さん……いえ、ポン太郎さん!」
 そんな風に我が慄いていると、俯いていたフィア殿が急に目を見開き、我に呼びかけた。
「な、なんでしょう」
 嫌な予感がますます膨れ上がり、戦々恐々としながら我は彼女に返事をする。
「私と結婚しましょう!」
「は、はいぃ!?」
 続いた言葉に、我はいまだに痛む喉の奥から裏返った声を出した。
 何故畜生だと正しく認識した上で我と結婚などしようとするのか。
 もしや彼女はたぬきであっても我の事が好きなのでは……我が芽生え始めた希望にドキドキしていると。
「そ、その、母の魔力が落ちてきて、近々私が魔王にならなければいけないのは決まっていることなのです」
 彼女は我ではなく、窓からその先、どこか遠くを見ながら語りだした。
「だ、だから、ですね。ポン太郎さんとの結婚を断っても次のお見合いが組まれるだけなのです」
「は、はぁ……」
「でも、ポン太郎さんと結婚したってことにすれば、他のお見合いもしなくて済み、ますよね!」
彼女が喋るたび、我の中に芽生えた希望が萎んでいくのが分かる。
「えーと、つまり……結婚するフリをして欲しいと?」
 それ以上聞くのが辛くなって、我はフィア殿の話を簡潔に要約した。
 愚かな期待をした自分が悪いのだが、重くなる気持ちは如何ともしがたい。
「まぁ、たぬきなんぞと結婚したいだなんて変ですからね」
「そ、そうですよね、変ですよね」
 自らに言い聞かせるよう我が呟くと、フィア殿が元気良くそれに同意する。
 そんなにはっきりと肯定せずとも良いではないかと思わなくもないが、まぁ、我は畜生だからしょうがない。
「「はぁ……」」
 我らはお互いに深くため息を吐いた。
 お互いが何故ため息を吐いたかは理解できなかったので、お互いを探るような一瞥を交わした後、フィア殿が口を開いた。
「だからポン太郎さん! 私と結婚するフリだけでもしてくれませんか!?」
 お願い! と手を合わせる彼女。
 フリ……か。
 こんなたぬきの身一つで一人の少女の自由が買えるなら安いものではないか。
 それにもはや我に行くところなどない。
 そんな声が、脳と頭蓋骨の間をスルスルと回る。
 しかし頭の奥の部分はじんと痺れ、ボンヤリとしたままであった。
 部屋の中に沈黙が訪れる。その空白を埋める為のように、いつの間にか我は。
「はい」
 と答えていた。

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