ドラポン 第四章 「たぬきの矜持」 その1


 こうして、我の新婚生活が始まった。
「はーい。ポン太郎さん、シャワーを浴びましょうねー。熱くないでちゅかー」
 言いながら、フィア殿……姫様が我の頭へと熱湯を浴びせかける。
「だ、大丈夫です」
 虐待されているわけではない。その温度は適温その物である。
 やたらに広く、豪奢な風呂場。ここには、常に温かいお湯が溢れ、設置された鏡は曇る様子も無い。
「それじゃシャンプーしますよー。目を瞑ってねー」
 姫様に言われ、我は慌てて目を瞑った。彼女の方はなるべく見ないようにしているのだが、油断すると瞼が勝手に開き、その肌色を視界に納めようとする。
「はーいごしごししまーす。痒いところはないですかー?」
「だ、大丈夫です」
 先程と同じ返事を我が返すと、高級品のはずのマジカル☆バブルタイムが、姫様の手で我の体に満遍なく塗られていく。
 こそばゆさと未知の情動に我が身を悶えていると、今度は体が持ち上げられた。
「じゃ、次はお腹だね。はーいごろーんしてくださーい」
 仰向けに転がされた我が、驚いて目を開いてしまっても、それは不可抗力である。
「あ、姫様! そ、そこは……あっ!」
 姫様の手が我のへそ辺りに伸び、我はあえぎ声を上げた。
 これが彼女と暮らし始めて七日目。一日二度起こる出来事である。


 風呂から上がると、地べたに皿がごとりと置かれる。その上には、茶色い種のような物が大盛りでよそられていた。
 タオル一枚を体に巻きつけた姫様が、屈んだ姿勢で我に微笑みかける。
「今日は南の国から取り寄せた高級ドッグフードですよー。いっぱい食べてね」
「あ、ありがとうございます」
 姫様の桃色に染まった肌や、何故こぼれないか不思議な乳房や、それに引っ張られかなりきわどいことになっている下半身が視界に入りかける。
 それを誤魔化すように、我は一心不乱にその食事……餌を貪り食った。
 カリカリとしていて食感は良い。味はまぁ、うん……。
 今の我は、姫様のペットである。形式上は婚約者となっているが、現在の扱いはご覧の通り。
 ……まぁ、たぬきなんぞと本気で結婚したいと思う魔王はおるまい。それに今の生活は、たぬきとしては破格のものである。
 この餌とて最高級品だし、栄養バランスとやらも考えられているらしい。体を洗う回数など昔より多いぐらいである。
「ポン太郎さんにもその内、かわいいたぬきの奥さんを作って上げますからねー。……この場合は愛人、かな」
 彼女は、我の繁殖相手に関しても世話を焼いてくれるらしい。
 思わず顔を上げるが、姫様がいきなりタオルを取り去ったので慌ててエサに視界を戻す。
 我は畜生なのだし彼女も気にしてはいない様子なので問題は無いのだが、こう、何かが我を邪魔するのだ。何かが。
 そうして衣擦れの音を聞きながら少々経ち、我が餌を食い終えた頃。
「さ、玉座に行きましょうか」
 大きく胸元を露出させた黒いドレスに着替え終えた姫様が、我に向き直って微笑んだ。
 これは幸せな生活だ。これ以上は無い。本当に? 時たま、疑問が頭を掠める。しかし。
「うん、しょっと」
 言いながら、彼女が我を抱き上げる。すると我が双肩にずしりとした重みが乗った。
 そうして更に、彼女は我の体の前で腕を組む。両頬が何やらやわらかいものに押しつぶされ、我はなんだかもうどうでも良くなってしまった。
 そのまま部屋の扉の前に来る。
 彼女は両手が塞がっているので、扉は我が前足を伸ばして開けた。
「ありがとうね、ポン太郎さん」
「いえいえ」
 我の、数少ない仕事である。このぐらいはする。
 部屋を出た我々は、赤い絨毯が引かれた長い廊下を往く。 
 我はすることもなく正面の景色をぼんやりと眺めた。左右はすっかり乳景色なので他に見られる場所が無いとも言う。
 この場所は魔王城……ではなく王族が暮らす別荘のようなもので、プチ魔王城とでもいうべき代物である。
 とはいえ待機する魔物の数は百を越え、姫を守るという目的の為に精鋭が揃っていた。兵の質という意味では魔王城よりも凶悪な場所だという話である。
 ここに住み始めて一週間だが、たぬきを相手にしようなどという酔狂な魔物は存在せず、いまいち全貌はつかめていない。
 まともに話が出来るのは、姫様ぐらいなものである。
 そう、我はそんな場所で、魔王の夫――もといペットとして暮らしている。

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