ドラポン 第三章 その6
妙に赤い顔のミヤゼがもってきた果実ジュースを、フィア殿の乳……もとい寝姿を肴にちびちびやりながら今後について思いを馳せる我。
とは言え、具体的なプランはない。行くか戻るか、それだけである。
この街。そして森から出て行くか。それとも、森に戻って、それから……。
「ぐ、ぅ」
そんな時、唐突にわき腹が痛み、我はうめき声を上げた。
とりあえず、病院にでも行ったほうがいいのかもしれない。
あの男、よく分からない理由で散々我を痛めつけおって。くそ、今度あったらギタギタに……。
「のごっ」
と、考えた所で、また傷が痛んだ。そうして、あの男の笑い声が頭の中に響く。
我に、あの男に一矢報いることなど出来るのだろうか。我は、ただのたぬきであるのに……。
そんな事を考えている時である。
「ぷはぁ!」
「うおお!っ……たたた」
自らの考えに溺れかけた我の前で、フィア殿が唐突に起き上がった。
思わず叫び声を上げ、それから体の痛みに悶える我。
「はぁ、はぁ、はぁ」
だが、彼女はそんな我にも気づかないほどの必死さで、荒い呼吸を繰り返している。
どうやら自らの乳で溺れかけたらしい。やはり何事も大き過ぎるというのは困りものである。
しかしまぁ、怪我に勘付かれて心配させるのは忍びなかったのでありがたい。彼女がそうしている間に、我は自らの体勢も整えた。
我が姿勢を正し、笑顔まで作ったところで、ようやくフィア殿が我と視線を合わせる。。
「おはようございます」
目をぱちくりとさせている彼女に微笑みかける。だがフィア殿はまだ意識がはっきりしないのか。しばらく瞬きを繰り返す。
そして数秒。
「ホ、ホ、ホン太郎さん! 何故ここに!?」
長い硬直から目覚めた彼女は、叫び声を上げた。
「一緒に食事をしようと約束したではありませんか」
ただでさえ目立つのでそれはやめて欲しい。体にズキズキ響くし。
などと考えながらも、口には出すことができず笑顔をキープしながら誤魔化す我。
「し、しましたけれど!」
「よだれが垂れていますよ」
「ひへっ!?」
我が指摘すると、彼女は珍妙な声を出して口の端をこしょこしょと拭った。
それからもう一度硬直。彼女はいそいそとハンカチを取り出す。
「私ったら、恥ずかしい……」
ハンカチを取り出して指を拭きながら、涙目でそう呟くフィア殿。
人間離れした美貌と肉体を持つお方であるのに、まるで子供のような面も持っていらっしゃる。
微笑ましい。……同時に、少しまぶしい。
「あ、あの、ホン太郎さん?」
我の顔に陰が差したのを察したようで、フィア殿が訝しげに尋ねる。
しまった、人間形態で無闇に表情筋を動かすものではない。
「はい、なんでしょう?」
しかし、最後の抵抗という意味でとぼけて見せる我。
「今日は、何だかこの間より渋い感じですね。素敵です」
すると彼女は、はにかみながらそんな事をおっしゃった。
「は、はは、ありがとうございます」
……我の内面とか内臓の不調を察したわけではなかったらしい。
まぁ、ただ単に変化に失敗して景気が悪い感じになっているだけなのだが、見ようによっては影のある男に見えるのかもしれない。
「な、何を言っているのでしょう私。酔っているから……」
「良いのです。人間誰しも酔いたいときがあるでしょう。恥じることなどありませんよ」
起きてからずっと顔を赤く染めっぱなしの彼女に、陰のある男らしく気障にフォローしてみせる。
たぬきにだって酔いたい時はあったのだ。彼女がそうでも決して責める事は出来ない。
しかし、彼女がこれほどに飲んだくれた原因とはなんなのだろうか。
考えてから、フィア殿の表情が沈んでいることに気づく。
我はともかく、彼女は相当表情に出やすい性質のようだ。
「何か、あったのですか?」
気づけば我は、彼女にそう問いかけていた。
自らの問題も片付いていないのに、と後から思い出したが、後の祭りである。
もはや踊るしかない。
いや、そもそも彼女に話す気があるかどうかも分からないのだが。
「いえ、実はその、私……家出をしてきた身なのです」
心の中で扇子を握り締め、お立ち台に立つか否かの瀬戸際に立っている我。
フィア殿は少し迷う仕草を見せたが、結局我にそう打ち明けてくれた。
もちろん酒の勢いということもあるだろう。
だが、一定の信頼は得られているようで、少々嬉しい。
「家出? どうしてまた」
自分もただいま家出してきた身であるのに、いけしゃぁしゃとそんなことを尋ねる我。
すると、フィア殿は先程より幾分長く沈黙してから、口を開いた。
「実は私は、竜のいけにえに捧げられる運命なのです」
びくり、と体が震える。竜の中にそんなけしからんことをする奴がいるだなんてまったく許せないことだ。
と考えてから、そういえば今の我は竜と何の関係もないのだと思い出して落ち込む。
「あの、信じられないかもしれませんが……」
何も言わない我に、フィア殿がこちらを伺うように見ながら言葉を足した。
「あ、いえ、そういうことではないのです。ただ、驚いてしまって」
その様子に、慌てて弁明をする。
自分の問題が解決していない時に人の問題に手を出すと、こういう所で支障が出るのだなと実感しながら。
「しかし前時代的な事をする竜もいたものですね。人間の娘さんなどもらってどうするのでしょう」
「は?」
自分の不甲斐なさも相まって我が愚痴ると、フィア殿はぽかんとした顔をしていた。
しまった。人間側のコメントとしては、これでも不適切だ。
慌てて弁明しようとした我だが、その前にフィア殿が口を開く。
「人間、の……」
反応するのは、そこか? まるで彼女が自らの胸より髪を気にしていたときのようなすれ違い。
そして、それとは別に我は何だか嫌な予感を覚え始めていた。
「母が勝手に決めたことで、私は竜と……その、結婚させられることになってしまって」
親が決めた、竜との結婚……なんだかどこかで聞いたことがある話である。
どくん、どくんと心臓が心臓が脈打ち、ひびでも入っているのか肋骨が痛む。
胸を押さえた我に気づかず、彼女は言葉を続けた。
「その竜はひどく好色で、どんな女性にも襲い掛かって子を産ませたと言います。きっと、その息子も同じような性格でしょう」
そしてその内容、評判は、どこかで何度も我が聞いたものだった。
「私は、結婚などしたくはないのです。よしんば結婚するとしても、相手はその……」
よし、分かった! 色々と言いたいことはあるが、まずは肝心なことを確かめることが先決である。
つらつらと喋るフィア殿を、我は手で制した。
「どうしました?」
酔いが回ったのか赤い顔をしたフィア殿が、不思議そうに言葉を止める。
息を吸って、我は彼女に問いかけた。
「貴方はもしや、魔王ヴァトラスカのご息女ではないですか?」
我が問いかけると、彼女は口を手で覆い目を見開いた。
はずれだったらどうしよう。その時は我も酔っているのだということにしよう。
そう考えながら、我は彼女の言葉を待つ。
しばらく硬直していたフィア殿。だが、しばらくすると彼女は指の間から小さく言葉を漏らした。
「何故……それを」
それは、肯定の返事であった。
「やはり、ですか」
もっともらしく頷く我。しかし内心では自分でも驚きの声を上げている。
話を聞くにそうだとしか思えないが、こんな可憐な方が魔王の娘だとは思わなかったのだ。
まるで人間と変わらぬ姿形。髪色を気にしていた件も含め、おそらく我のように変化をしているわけではないだろう。
しかし驚いてもいられない。我には彼女に伝えなければならない事があるのだ。
「ならば今すぐご邸宅に戻るが良いでしょう。婚約は、破談になりましたから」
笑みを浮かべて、我は彼女に言った。
「え、は、破談!? 何故!? というかホン太郎さん、あなたは一体……」
一気に疑問が噴出した彼女に、我はフッと笑って見せる。
というより口が勝手に笑いの形を作った。
「破談の理由は、ヴォルガー・ザ・ドラゴンの息子はただのたぬきだった為です」
「……たぬき?」
とまどいの声を上げるフィア殿。それに対し我は自らの目元をぐっと拭った。
「初めましてお嬢さん。我が貴女の元・婚約者、旧姓ポン太郎・ザ・ドラゴンです」
その下から、黒い隈取りが表れる。
我の早変わりを見て彼女は……。
「きゅー……」
「え、あ、ちょっと!?」
と、旧式のリアクションをして倒れた。
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