ドラポン 第三章 その11


 気づけば我の足は自然と人里へ向かい、その中を歩いていた。
 飛び出してきたは良いが、どうしたものか。いや、飛び出して良かったのかどうか。
 まったく、我は考えもなく飛び出してばかりだ。
 自虐して、途方にくれた。
 しかし、今さらあの家に戻って良いものだろうか。
 我が炎を吐いたときの、アグノの嬉しそうな顔が脳裏に浮かぶ。
 我がドラゴンでないと知ったら、きっとあやつはがっかりするだろう。我が火を吐いたことを、あんなに喜んでくれたのに。
 他の姉様方は何と言うだろう。想像しかけて、その像がいびつに歪んで、恐ろしくなって想像を打ち切る。
 そんなことを繰り返しつつ歩く中、奇異の視線を向けられていることに気づく。よく考えれば視点も普段より大分低い。
「うわっ」
 草刈中の子供とぶつかりそうになり、我は慌てて避けた。
「あ、失礼」
 ぶつかりかけた少年は、我を見て目を丸くしている。
「たぬきだ」
 彼の発言で、我はようやく自分が変化をしないで人間の町に入ってきていたことに気づいた。
「喋ってるぞ」
「お前しらねーの? たぬきって喋るんだぜ」
「へー」
 動揺している我をよそに、彼は後ろから合流した子供と一緒に勝手なことを喋っている。
 馬鹿にするな。空を飛ぶことや火を吐くことはできなくとも、喋ることぐらいは我にだってできる。
「あ、なんかこいつ反抗的な目をしたぞ」
「そういえばじーちゃんがたぬきは畑を荒らすから悪いやつだって言ってた」
 思わず彼らを睨むと、少年達はにやりと笑って我ににじり寄ってきた。
 何くそ、こんな子供に臆する我ではないぞとかまえようとするのだが、どうにも体が思うように動かない。
 あの男に痛めつけられたからか? いや、違う。心の底のほうから、ずっと同じ言葉が響いている。
 我はたぬきだ。ただのたぬきだ。ドラゴンではない。たぬきだ。その言葉が、我の足をすくませていた。
「たぬきって鍋にすると美味いらしいぜ」
「マジかよ! 今日は鍋だな!」
 段々と目の前の子供達がとんでもない凶悪生物に見えてくる。
 耐え切れなくなった我は、踵を返してそやつらから逃げ出した。
「こら待て!」
「まてまてー!」
 子供達が追ってくる。
 本能の、たぬきの本能の命じるまま痛む体を引きずりながら必死で逃げて、逃げて、逃げ続けた我は、路地裏を発見し、そこへ逃げ込んだ。
 そして人間へと変身する。
 そうだ、我は変化はできるのだった。何せ我はたぬきなのだから。
 我の変身が完了してすぐ、子供達が路地裏へと飛び込んでくる。
「あれぇ、どこ行った?」
「兄ちゃんたぬき見なかった?」
「いや、見ていない。ここは危ないからさっさと行け」
 我が答えると、子供達は不満そうな顔をしながらそこから去った。
 子供達がいなくなると我は路上に戻り、窓の反射で自らの変化具合を確かめる。
 ……やはり急いで変化したためか、目の周りが微かに黒くなっている。
 まぁもう面倒くさいから良い。適当な気分でそう考え、我はしばらくあてもなく町をフラフラと歩いた。
 そうしてしばらく歩いていると、腹の虫がぐぅと鳴る。
 どんな事があっても腹は減るものだ。我は今後の事を考えるためにも、とりあえず空腹を満たすことにした。
 向かう先は踊るきつね亭である。
 知り合いに会いたくないという気持ちも片隅にはあったが、それよりも勝手の知らない店で難儀するのが面倒だという気持ちの方が強かった。
 サルーンをくぐると、「いらっしゃいませー」という大変元気の良い挨拶が響く。
 きつね亭の看板娘、ミヤゼは客が我だと分かると。
「なんだホン太か。今日は仕事休みじゃないの? それとも私に会いに来た?」
 などと憎まれ口を叩く。
「我で、悪かったな」
「何、本当に何かあった?」
 我が低い声で返すと、彼女は心配そうな目でこちらを見る。
「別に、何でもない」
 その視線に耐え切れず、我はふいと顔を逸らした。
 ……これでは何かあったと言っているようなものである。
 それに気づいた我は、「私生活でちょっとな」ともごもごと言い繕い、改めてミヤゼの顔を見た。
「ふぅん」
 納得していない表情のミヤゼ。気まずく思い、我が踵を返して別の店に行こうかと考え始めたとき、彼女は急に明るい表情になりパンと手を合わせた。
「そうだ! ちょっと今混んでてさ。相席でいい?」
「我は今、一人で飲みたい気分なのだが……」
 いきなりの変化に戸惑いながら、我は躊躇いがちに抗議する。
 しかし彼女は諦めず、小首を傾げて食い下がった。
「ま、ま。飲み代一割引きにするからさぁ」
 自分の悩みでいっぱいいっぱいだった我が、その言葉に驚愕し言葉を失う。
 あのミヤゼが、値引きを敢行するだと? しかも我に。
「ダメ?」
 とどめとばかりに細い目を一生懸命開き、上目遣いをするミヤゼ。
「はぁ、まぁ良いだろう」
 彼女らしくない行為の連続に押され、我はつい首を縦に振ってしまった。
「了解。それじゃお席に案内いたしますお客様―」
 まぁ、別に相手方に愛想良くする必要もあるまい。食事だけしてさっさと出て行ってしまえば良いのだ。
 そう自分に言い聞かせながら、ミヤゼに案内されて奥の席まで歩く。
 そこへたどり着くまでにいくつか空席も見かけたのだが、そちらはまぁ、予約でも入っているのかもしれない。
 一度頷いてしまったものを蒸し返すのも億劫で、我は黙って歩いた。あの男にやられたわき腹がズキズキと痛む。
 そして件の席へとたどり着く。そこにはミヤゼの言葉通り、先客が座っていた。いや、机の上に突っ伏していた。
 背中が規則正しく上下しているところを見ると、寝ているようだ。しかし我には、その人物の正体を察することが出来る。
 朝一番の、日を受けて輝く新雪のような銀の髪の美しさも目立つが、それだけではない。
 一番目を引くのは……乳である。
「オゥ……」
 我は思わず驚嘆の声を上げた。乳がでんでんと机の上に乗っている。
 彼女は自らの乳を枕にするように、それに頭をつっこんで眠っていた。
 我の知り合いでこんな立派な物をお持ちの方は一人しかいない。これは前に我がこの宿屋を紹介した女性。フィア殿だ。
「ちょっと、変な目で見ないでよ」
 あまりの光景に我が唖然としていると、ミヤゼが低い声で我を現実へと呼び戻す。
 我は彼女の方を見ると、ちょいと視線を上下させる。
「……まぁ人間は愛嬌も大切な要素というしな。一要素ぐらい欠けていても気にするな」
 そして、そうフォローしておいた。
「だ、誰の胸が欠けてるって言うのよ!」
 薄い胸を隠しながら、ミヤゼが抗議する。我は具体的に何とも言っていないのに、語るに落ちたな。
「この娘、アンタの知り合いなんでしょ。面倒見てあげてよ」
 いーっと我に歯をむいた後、ミヤゼはそんな事を言い出した。どうやらそれが狙いであったらしい。
「我は彼女にこの場所を紹介しただけだ」
「その割には、アンタのこと楽しそうに話してたけど」
 たぬきがきつねに化かされていてはしょうもない。我が渋面で抗議すると、ミヤゼは横目で彼女を見ながらそんな事を言った。
「嫉妬したか?」
「まさか」
 茶化した我に、正面を向きなおしたミヤゼが思いのほか真顔で言う。
 そうばっさり斬り捨てられると、冗談で言ったにしても心がしぼむ。
 人間の姿になってもお前はたぬきだ。そう突きつけられているような気がした。
「どったの?」
「いや、なんでもない」
 不思議そうな顔をするミヤゼに首を振ると、彼女は気にしないことにしたようで話を進めた。
「その子目立つでしょ。変な客にちょっかいかけられないように見張ってくれるだけでいいから」
 そう言われて我は周囲を見た。すると幾人かの客が慌ててこちらから目をそらすのを感じた。
 この店は冒険者が集まるにしては治安が良いほうだが、この乳の魅力に血迷ってしまう輩がいないとも限らない。
 いくら我でもたぬきの置き物役ぐらいはこなせるだろう。
「分かった。ただし飲み物だけでなく、食い物も全品一割引にしてくれ」
 仕方なく彼女の提案に了承して、しばらくこの席で飲むことにした。自棄酒を飲むのは中止である。
 我がそう言いながら果実ジュースを頼むと、ミヤゼは苦笑しながらそれに答えた。
「はいはい。じゃ、一品だけね。頼んだわよ。あ、後」
「なんだ?」
 ちゃっかりした女である。そんなミヤゼが途中で言葉を足したので、サービス券でもくれるのかと我が彼女に目を向けると。
「ちょっとだけ、した」
 などと告げ、彼女は足早に席から離れていってしまった。
「え、何が?」
 話がいきなり飛んだ、もしくは遡ったように感じる。
 彼女の発言の意図が掴めず、我は首を捻った。
 しかしあの女と話していると、店に入るまでより少し元気が出たようである。
「すぅ、すぅ」
 新しい問題も増えてしまったが。 
 ご尊顔の見えない少女のあられもない寝姿を見ながら、さてどうしようかと我は考えた。

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