ドラポン 第三章 その5


 我が火を吐いた。火を吐いた翌日のことである。

「行ってらっしゃいませ」
 玄関先に並ぶ家族を前に、我は見送りの言葉をかけた。
 母上も珍しく人間の姿になっており、見る限りは仲睦まじい家族、いや、姉妹にしか見えない。
「というか母上、ちと若作りが過ぎるのではないですか?」
 今の母上の外見は、ユマ姉上以上ミュッケ姉様以下という感じで非常に若々しい。
 人間で言うと十歳になるかならないかという所であろう。
 更には髪を両サイドでくくり、その先端はくるくると渦を巻いている。
 服は黒を基調としたふりふり付きの物で、もはや年考えろこのオバンでは済まない事になっていた。
 顔は一応かわい子ちゃんになっている。
 だが、元を知っている我にはその顔が自動的にあのたぬきフェイスに置き換えられ、可愛いなどという感想は浮かばない。
 人間換算で、元の年齢の五分の一ぐらいの容姿になっているのではなかろうか。
「いいんだよ。アタシの精神年齢はこんなもんなんだから」
「そんな子供に育てられた我の身にもなっていただきたい」
 ふざけた事を言って年甲斐もなくウィンクをする母親に、呆れた目を向ける我。
 そんな母上が持っている籠ががさがさと動き、中から二対の瞳が覗いた。
 そちらに目をやり、我は声をかける。
「姉さんも、今日は楽しんできてください」
「買い物なんて、私は別に行かなくても良いんだけど……」
 中から拗ねたような声が聞こえ、我は苦笑した。
 今日は我を除く全員が、揃って人間の街で買い物をするという予定になっていた。
 フウ姉さんも文句を言いながら、きちんとついて行くようである。
 昔の彼女ならとっとと姿を消すか断っていたので、これはきっと姉さんなりの家族への歩み寄りと思って良いのだろう。
 そう思って我が微笑んでいると、ミュッケ姉様が急に心配そうな顔になり、我に尋ねてきた。
「ポンちゃん、本当に一人で大丈夫?」
「大丈夫ですよ姉様。我ももう立派な大人ですから」
 我は体調を理由に、自分だけ同伴を断っていた。
「キンタマ小さいくせに」
「き、キンタマの事は関係ないでしょう!」
「でも、まだ喉の調子が悪いんでしょう? お姉ちゃんが看病しててあげようか?」
 相変わらずキンタマにこだわる母上に叫ぶと、姉様はなおも下がり眉になりながら我に問いかけてくる。 
「我の事は気にしないで平気です。それよりせっかく日焼け止めを塗ったのですから、楽しんできてください」
 我を心配してくれているのだろう。姉様がそんな事を申し出てくださる。
 非常に魅力的な提案だったが、我は丁重に断った。
 今日の姉様は太陽対策の軟膏を体中に塗りこんでおり、多少油断しても灰にはならない仕様になっている。
 その軟膏を送ってくれたのは、グランゼ姉君であった。何でも調合が得意な知り合いができたらしい。
「んー、そうだねぇ」
 我の言葉にミュッケ姉様は少々考え込む仕草を見せる。
 そうして、色っぽい流し目をユマ姉上に送った。
「せっかくユマちゃんが隅々まで薬を塗りこんでくれたんだし」
 なんだと……!
「そんな艶かしいシーンがあったのであだっ!」
 我が思わず興奮して姉上を見ると、彼女は待ち構えていたかのように我の脛を蹴った。
「灰になったミュッケ姉様を、薬に混ぜてこねただけよ」
 そうして何の色気もない事実を我に公表する。
 ……いや、それでいいのか姉様の体。
「あ、あぁ、そういえばいつもより肌が白いですな」
「あんまり白いと吸血鬼みたいだから嫌なんだけどね」
「ははは……」
 姉さまの言葉がギャグか自虐か図りかね、我は曖昧な笑みでお茶を濁した。
 薬が紫色とかでなくて、ほっと一安心である。
 それに心配していただけるのはありがたいが、本当にもう我が体調に問題は無いのだ。それどころか……。
 でぅふふ。下品な笑いがこぼれそうになり、我は慌てて顔を引き締めた。
「それじゃぁ行こうかね」
 母上が号令をかけ、姉達が揃ってついていこうとする。しかし。
「あ、ちょ、ちょっと待つのじゃ」
 アグノがそう言い、母上がコケる。年齢を感じさせるこけ方だった。
「ち、ちとこちらに来るのじゃ」
 それに構わずアグノは姉上たちと離れ、横道の茂みに入ると、が我を手招きする。
 何事かと思いながら、我は彼女についていった。
「これを飲むのじゃ!」
 アグノが差し出したのは、深緑色の流動体だった。
 茶碗に盛られたそれは、飲む、という行為が正しいのか疑問に思わせる粘性を発揮している。
 今日のアグノは常に手を後ろに回しているなと思ったらこういう事だったのか。
 食事も片手で食べているので何事かとは思っていたのだが。
「……なんだこれは」
「良いから!」
「良くはないだろう。これが何なのかちゃんと説明しろ」
 妹には言葉足らずな部分が多々ある。我が問い詰めると、彼女は唇を尖らせて渋々といった感じで話し始めた。
「これはその、リザードマンの洞窟に生えておった、喉に効く良薬じゃ」
 ……何故アグノがそんな物を。と考えてから我は昨日のこやつの行動を思い出した。
「あぁ、お前昨日、それを探しに行っていたのか」
「うぐぬぅ」
 納得した我が声を上げると、アグノは肩をすぼませて唸った。
 なんだ、かわゆいところもあるではないか。兄の体を思ってあんなに興奮して家を飛び出すとは。
 ちょっと撫でちゃろうかと我が背伸びをした所で、アグノが言葉を足す。
「その、そちの喉が痛いのは、わらわが原因……じゃから」
 初耳だった。
「お前のせい、とはどういうことだ?」
 我がなるべく穏やかに尋ねると、アグノは自らの人差し指と人差し指で押し相撲をしはじめた。
 どこで覚えたのか、中々可憐な仕草である。
 というか全体的に、なんだか今日のアグノは少し可愛らしく見えた。
 これは我が彼女を妹として見るようになったからか。
 それともドラゴンとして成長できたことによって精神的に余裕ができたのか。
 おそらく後者であろう。ドラゴン化は自らの心にまで作用するのだ。
「その、そちを追い出した後、一応様子を見に行ったのじゃ」
 我が内心でニタニタしていると、アグノがおずおずと話し出す。
 そういえば、我が寝ている間に差し込まれていた枕。あれはアグノの物であったようだ。
 礼を言わなければと今さら思い出したのだが、それよりも先にアグノが口を開く。
「そうしたら、そちが寝言でその、おっぱ……おっぱ……」
「……乳で良い。というか我が恥ずかしいから乳と言ってくれ」
 アグノが聞くのも恥ずかしい単語を何とか言おうと努力する。その顔はブレスを吐く直前よりも真っ赤であった。
 たぬきであった頃の我は、なんとまぁ軟弱な生き物であったのだろう。
 これからは気高く、大きな心を持とう。ドラゴンらしく。
 などと決意しながら、妹の話の続きを待つ。
「乳乳と連呼するから、ついカッとなって」
「うんうん」
「顔の上に石を落とした」
「なにすんじゃこのアホ妹!」
 しかしドラゴンたる我の決意は、妹による殺害未遂の告白によってあっさりと砕かれた。
「ま、まさかそのまま飲み込むとは思わなかったのじゃ!」
「口に入らなくても大惨事だろうが! え、何飲み込んだ? 飲み込んだって何!?」
 アグノの口から飛び出す新事実に、我の心は大混乱である。
「じゃからその、大口を開けているところにスポっと」
「えぇ!? あぁ、あー……あの夢はそういうことか。 えっ? えー……」
 例の焼きおにぎりを詰め込まれる夢は、現実のものであった。
 そして喉に石が詰まっているかのように痛みは、本当に石が詰まっていたからだったのだ。
 ため息をつく我。アグノはそんな我の表情、をまるで小さな子供のようにおどおどと伺っている。
「……まぁ良い。多分そのおかげで火が吐けるようになったのだからな」
 いつもの不遜な態度ならともかく、そんな顔をされたら怒れないではないか。
 我が諦めてそう言うと、アグノはやおら笑顔になり、ずいっと茶碗を差し出した。
「では、これを飲むのじゃ」
 のじゃではないわ、この可愛い妹め。しかしこの粘性は……ううむ。
 我が躊躇うと、まるで必殺のタイミングを心得ているかのようにアグノの顔が曇る。
「ええい!」
 もはや自棄とばかりに、我はその妙薬とやらを受け取って口をつけた。
 ズロ、ズロズロズロ。まるで魚を丸呑みにしているような弾性を堪えながら、必死で喉の奥へと流し込む。
 今日のアグノがこんなに我に良くしてくれるのは、きっと我がドラゴンらしくなり始めたからであろう。
 長年家族の恥であった我がドラゴンらしくなりつつあることを、彼女は喜んでいるのだ。
 その期待を裏切るわけにはいかない。 しかし、これは、中々、どうして……。
「ぷぶぶ……ごっ………ぷはぁ!」
 すべて飲み終えた頃、我は窒息寸前であった。それでも荒い息をつきながら宣言する。
「見ていろ! 兄はこれから立派なドラゴンになるからな! 過去の我は忘れるのだ!」
「あ、う、うむ……」
 我がそう言うと、アグノは何やら煮え切らない返事で我に応えた。
 なんだろう。もしかしたら、雄雄しく成長した我の姿を想像してそれに惚れていたのかもしれない。
「アグちゃーん、まだー?」
 姉様が遠くからアグノに呼びかける。
「ほれ、行ってこい」
 気にはなったが、皆様を待たせてもまずい。
 我が促すと、アグノは何か言いたげだったが結局姉様達と合流し、そのまま買い物へと出かけていった。


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