ドラポン 第三章 その8


 水音がし、洞窟の中にある川へと同時に視線を投げた我ら。
「ぷはっ! はっ! あー! 死ぬ! 死ぬか! 死ぬかと思った!」
 するとそこから、なんと人間の男が上がってきたではないか。
 ……妙な活用形を使うその男に、我は見覚えがあった。
 水に濡れてなおツンツンとした頭の先がチリチリにカールし、その一部が剣で切り取られたかのようにざっくりと欠けている。
 安そうな鎧に安そうな剣。
 先週この森に侵入してアグノに燃やされかけ、数日前に武器屋で我に転ばせられたあの男である。
「また貴方ですか」
 我はうんざりとして呟いた。この男は、我と妹が外出すると現れるのか。
「あ、お前はあの時のたぬき! あとドラゴン!」
 ドラゴンとたぬきと相対して、先にたぬきの方に反応する根性は凄いと思う。
 きちんとドラゴンの恐ろしさを把握しているのならば、だが。
「ていうか何その声!? 似合わねぇ!」
 放っておいていただきたい。
「……何故あんな場所から出てきたのです?」
 しかしいくらなんでも神出鬼没にも程がある。
 我が尋ねると、男は気まずそうに頭をかきながら答えた。
「いや、この川を下っていけばリザードマンの洞窟に着くって言われたから下ってきたんだけど」
「ほう」
 確かに街とは反対側にある川の上流からも、このリザードマンの洞窟へ入ってくることが出来る。ただし……。
「途中に洞窟があって、どんどん天井が低くなっていって、下はコケが生えてるし」
 男が語ったとおりの状態になっているので、我のように背丈が低い生き物でないと通行は難しい。
 例えば人間が入ろうとすると……。
「それで足を滑らしたとと」
「そう! いやーまいったね」
 我が言い当てると、男が妙にフランクに同意する。
 もしかしたらかなり本気で死に掛けて、そのおかげでテンションが半永久的に上がってしまっているのかもしれない。
「ドラゴン対策に、似た感じのトカゲ野郎で修行しようと思ったら、ひどい目にあった」
「鱗以外に共通点はありませんよよよ」
 相変わらず失礼な御仁である。
 しかし、彼も間が悪い時にきたものだ。我にも原因はよく分からないが、妹の機嫌は今すこぶる悪い。
 かわいそうに、この男は骨も残らないかもしれないなどと考える我。
 それにしても、何やら先ほどから地面がぐらぐらとしている。
 地震か? いや、違う。我は今地面に接していない。
 我が今乗っている、妹の手が震えているのだ。
「どどど、どうしたアグノ?」
 慌てて彼女を見上げると、手だけではない。
 なんと我が妹、金色の偉大な竜であるアグノが、男の方を見てぶるぶると震えているではないか。
 そういえば妹は、先程から一言も発していない。
 何事かと我が尋ねると、アグノは牙をガチガチと小刻みに振動させながら答えた。
「ななな、なんでもないのじゃ。ただその男が持っている剣ががが、気に、食わん」
「けけけ剣とはあの安そうなやつか?」
「安そうとはなんだ! 実際お買い得だったぞ
!」
 阿呆な男が阿呆な抗議をするが、聞いてなどいられない。
 というかアグノの振動のせいでまともに喋れすらしない。
 いい加減、我は妹の手の上から降りることにした。
 えいやっと飛び降りてポーズを決める。そうして妹に向き直るが、アグノの震えはやはりひどいものだった。
「そ、そっちではない! あの腰にさしている方じゃ!」
 大声を上げながら、アグノが先ほどまで我を乗せていた手で、男を指差す。
「腰のって……これか?」
 指摘されると、男は不思議そうに腰から剣……というかナイフを抜いた。
 それはボロボロに朽ちており、どう見ても大した物とは思えない。というかアレは……。
「我が渡したものではないか」
 ガッツ&ガンツでの一件で、我があの男におまけでくれてやったはずの不良品だ。
 それが何故妹をここまで怯えさせるのか。
「ももも、もしやあれはドラゴンスレイヤー……」
 我の疑問に答えるがごとく、アグノが呟く。その名前には、我も聞き覚えがあった。
 ドラゴンスレイヤーとは、その名の通りドラゴンを殺す為に作られた剣である。
 その刀身に宿る魔力は、対峙しただけで竜を萎縮させる効果があるという。
 昔々に大層ドラゴンを憎んだ剣士と魔法使いが共同で十振りのみを製作し、その縁で二人が結婚したというおめでたい由来の剣である。
 あのぼろっちぃナイフに、そんなすさまじい効果があるとは思えないのだが……というか。
「我などあのナイフを思いっきり掴んだが、何とも無かったぞ」
 武器屋で、あの男の顔に落ちそうになったナイフを、我が受け止めてやったのだ。
 そのとき我はあのナイフに対し、何の感情も覚えなかった。ボロいという以外は。
 そんな我に対し、ドラゴンフェイスで信じられないという表情をするアグノ。
 そんな顔をされても、我は相変わらず喉が痛いぐらいで、体が震えるとか逃げ出したくなるとかそんな症状は一切表れない。
 アグノの勘違いなのではなかろうか。我は妹の先端恐怖症を疑った。
「こ、このナイフがどうしたって?」
 男のほうもびっくりした様子で、取り出したナイフを不思議そうな表情で掲げる。
「ひぃっ!」
 するとアグノは恥も矜持も無いといった様子で、悲鳴をあげるとドスンと大きな音を立てて座り込んだ。
 ……どうやらあのナイフの効力は、本物のようである。
「マ、マジかよ」
 男が呆然と声を上げる。
「あの店員。散々俺の事を馬鹿にしてたのに、こっそりこんな凄い武器を授けてくれていたんだな……」
「いやいやいや」
 我のまったく意識していない所で何故か株が上がっているが、まるで喜ばしくない。
 男は陶然とした表情で、我らへと向かってくる。
 これはもしや、結構なピンチなのではないだろうか。
 今更ながらそんな実感が湧いてくる。
 遅まきながら慌てた我は、とりあえず変化してみることにした。
 ええと、とにかく強そうなもの!
「とう!」
 イメージが決まった我は、真上へとジャンプした。
 光に包まれた我の体から羽、牙、鉤爪が生え、それと共に肥大化していく。
 全長二十メートルの大ドラゴンへの変化である。だが――。
 ゴンッ。
「あだっ」
 強大にしようとし過ぎて、我は途中で天井に頭をぶつけてしまった。
「……」
「いてててて。ちょっとタンマ! ふたたびとう!」
 ぽん、と再び変化。今度は仕方なく十分の一の大きさで我慢する。
「がおー! ドラゴンだぞー!」
「なめんな!」
 相手よりちょっと高いぐらいの身長で改めて威嚇を開始した我の脛を、男が蹴り上げた。
「いった!」
 ぼんっ! その痛みに、我は変化を解いてうずくまった。我の脛を蹴っていいのは姉上だけだというのに! 
「つーかたぬきだって分かってりゃ、どんな姿だろうとビビるかよ。ほれ、どっか行ってろ」
 男は我の首根っこをひょいとつまみ上げ、放り投げようとする。
「アグノ! 逃げろ!」
 呼びかけるが、妹は震えて動けないようだ。
 まずい。あのナイフが本当にドラゴンスレイヤーだと言うのなら、ドラゴンである妹を傷つけることもできるはずだ。
 姉上は我がアグノの心を守っていると言ったが、こういう時きちんと彼女自身を守れなければ仕方がないではないか。
 妹を精神的にも物理的に受け止めきれず、こんな大事な時にも役に立つことができない。
 何が、何が兄だ!
 悔しくて涙が出てくる。それが情けなくて、我はめいいっぱい暴れた。
「ちょ、なんか俺が悪者みたいで心苦しいんだけど!? お前は見逃してやるから離せってこのたぬき!」
 だが、男の手から逃れることは出来ない。
 我に父上のような爪や、牙や、大きな体が有ればこんな事にはならないはずなのに。
 我は叫ぼうとした。それで事態が好転するはずはない。
 しかし叫ばずに入られなかったのだ。息を吸い、それをめいいっぱい吐き出す。しかしその途中で喉が詰まり。
「げぼん!」
 我は盛大に咳をした。すると――。
 ぼっ。そんな音がして、我の口から何か熱い物が飛び出た。
 それが男の目の前でぼわっと広がり、オレンジ色の輝きを放つ。
「あっぢ!」
 男が悲鳴を上げて万歳をした。同時に彼の手から、ナイフがすっぽ抜ける。我も放り投げられる。
 我は重さの関係上そう飛ばず、地面へと柔らかい尻を打ち付けることによって着地に成功したが、もう一方、ナイフは後方へと綺麗な放物線を描きながら飛んでゆき。
「あ」
 ぽちゃっ。と心に染み入る音を立てて川へと入水した。
「あー……」
「あー……」
 同じような間抜け面をしながら、我と男はナイフが落ちた川を見つめ続ける。
 そのまま見つめていれば湖の精霊かウネの姐御が金銀のナイフでも持ってきてくれると信じているような按配であった。
 しかしいくら待ってもそのようなものが現れるはずはない。それどころか……。
「よくも、やってくれたのぅ」
 背後から、低い声と共に鈍感な我でも分かるほどの殺気が迸る。
 男と我が毛を逆立てながら背後を見ると、そこには怒りのドラゴンが立っていた。
 彼女が大きく口を開くと、その中に煌々と燃え盛る炎が現れる。
「ちょ、たんま! 待って!」
 それを見た男が、叫びながら川へと走り出す。それを見て、我は逆に妹の方へと走った。
 アグノのブレス袋の中で生成された炎――オレンジ色の光線がその口から放たれる。
 それを、ヘッドスライディングで彼女の股座にもぐりこむ事で回避する我。
「ぎゃー! すみませんでしたー!」 
 叫びながら、男が川の中へと逃げ込んだ。
 それと同時にアグノの吐いた炎が、川の水面を舐める。ザァーっと大雨が降るような音がして、大量の霧が発生した。
 残響が洞窟内を響いた後、一瞬の静寂が訪れる。そして――。
「あ、あっぢ! くそ、忘れないかんな!」 
 霧の向こうから、男の捨て台詞が聞こえる。どうやら無事らしい。
 我がアグノの股座からぴょっこりと顔を出すと、ちょうど霧が晴れていく。その後には男の姿は無かった。
 恐らく川を下って逃げたのだろう。溺れていないと良いが。
 命を狙われたとは言え、同じ炎に二度も焼かれかけた身である。
 我がかの男の心配をしていると、背中に感じていた妹の感触がふっと消えた。
「ほぐぅっ!」
 そして、背中に衝撃が走る。
 うつ伏せのまま我が見上げると、人間の姿に変化した妹が我の背中を踏んでいた。ぐりぐりしていた。
「そなたは、どこに、潜り込んでおるのじゃ!?」
「あ、あくまで緊急避難だ! 死角がここだったのだからしょうがないだろうが!」
 我にやましい気持ちなど無い。妹に欲情するなど畜生のする事だ。いや、我も半分は畜生であるわけだが。
「ええい、あのまま消し炭になれば良かったのじゃ!」
「お、お前は兄になんて事を……あだだ! すみません我が悪かったからやめてください!」
 妹のあんまりな言いように抗議する我だが、彼女がそのまま力を込め始めたので慌てて謝った。
 しばらくして、ようやく妹が我の背中から足を退ける。 
 摩擦で毛皮が焼けてはいないか確認してから(焼けていた)、我は彼女に問いかけた。
 どさくさに紛れてしまった感もあるが、非常に重要な事をである。
「……なぁ妹よ」
「なんじゃ」
「さっき炎を吐いたよな」
「何を今さら。わらわはいつも吐いておるじゃろう」
 呆れた顔をするアグノ。彼女の言葉にそれもそうか。と納得しかけたが、そうではない。そうではないのだ。
 いつも吐かれているのが我だという事を差し置いてもそうではない。
「そうではない! 我が炎を吐いたのだ!」
 我が叫ぶと、アグノがきょとんとした顔になる。
「え、そのような事……」
 そうして、そう言いかけて言葉を止める。ありえない、と言いかけて言葉を飲み込んだのだろう。
 あの傍若無人ドラゴンのアグノに気を使われた。
 それに気づくと、やはり自分が炎を吐いたなどというのはただの思い込みだった気もしてくる。
「……勘違いかもしれない。ちょっともう一回やってみるから出なくても笑わないくれ」 
 我が言うと、アグノは律儀に頷いた。ほっと一安心してから、我はその辺においてあった木の枝を拾った。
 そうしてそれを目の前に構えると、息を吸い込み、昔々練習したようにガァーっと発音しながら下の歯に当てるようにして息を吐く。
 すると――。
 ボゥッ。
 音がして、目の前に小さなオレンジ色の光が広がる。そうして構えた木の枝の先端に小さな火がついた。
「お、おぉ……」
 我がアグノに視線を送ると、彼女は首を激しく縦に振り、頷いている。
 や、やはりこの木は我が火をつけたのか。いまだ信じられずに、今度は枝の反対側に同じようにして息を吹きかける。
 するとやはり同じような音がして、そちら側にも火がついた。
「「おー!」」
我と妹は同時に声を上げた。
 やはり、我が、我が炎を吐いている! ぐるりぐるりと枝を回して両端の火を確かめるが、間違いなく本物の火である。
「やった、やった、やったーー!!」
 両端に火がついた枝を持って、我は踊り狂った。
 アグノも興奮して手拍子を叩く。
 そうしてしばらく、我らは歓喜の舞を続けたのであった。


「我が、炎を吐いたことは、しばらく、皆に内緒にしておいて、くれ」
 しばらく踊って息も絶え絶えになった我は、腹を見せて寝転がりながら、アグノにそう頼んだ。
「何故じゃ?」
「もっとしっかり吐けるようになってから、皆に見せたい」
 今のような小さい火を見せても、姉上を驚かせたり姉様を喜ばせたり姉さんを守れるようになったり母上の執拗な見合い話を断念させたりは出来ないだろう。
 そうだ、もっと、もっとしっかり吐けるようにならなければ。
「……わらわも、手伝ってやっても良いのだぞ?」
 するとアグノから、珍しい申し出があった。
 アグノは我が立派なドラゴンになることを期待している。
 我がその道へ進むというのなら、協力してくれようとしているのだろう。
「いや、良い。妹に手伝ってもらうというのも格好がつかないしな。それに、これから我は立派なドラゴンになるのだから!」
 しかし、その申し出を我は腹を膨らませて断った。
 とりあえず火を吐くことには成功したのだ。きっかけさえ掴めば、もっと簡単に大きな炎が吐けるような気はしている。
 そうだ。何も炎だけとは限らない。
 これから我にもフウ姉さんのような羽や、ミュッケ姉様のような牙や、ユマ姉上のような大きな体だって獲得できる可能性だって出てきたのだ。
 我は成長期が少し遅かっただけなのである。
 立派なドラゴンにさえなれば、アグノとて姉さんとて甘やかし放題であろう。
 今日のようなことがあっても、アグノをしっかり守ってやる事だってできる。
「そ、そうか。その、一緒に練習しようと思ったのじゃがな。昔のように……」
「ハハハ、お前にその必要はないだろう」
「うむ……」
 なにやら肩を落としているアグノを笑い飛ばすと、彼女は少々寂しげに頷いた。
 なんだろうその表情はと我が彼女をじっと見つめると。
「ま、その、期待しておるからな」
 アグノはそう言って、顔をぷいと逸らした。
 なんだ、照れているだけか。
「おう、任せておけ! ごほっごっほ!」
 言っている途中で咳が出る。しかしその咳でぼうぼうと火の粉が舞い、我は自らの明るい未来を見た気がしてまた得意になった。 


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