ドラポン 第三章 その7
リザードマンの巣穴というものは、基本的にジメジメと苔むした洞穴である。
この森に住むリザードマンも例外ではない。
我が洞窟に入ってしばらく進むと、ごうごうという水の流れる音が聞こえてきた。
そのまま歩くと、先程までより少し広い円形の空間と、その奥を流れる川が見える。
この部屋がリザードマン達の生活スペースであり、彼らはここで寝転がって暮らしているのだ。
しかしその場所に現在リザードマンはおらず、その代わり、水辺に屈み何かを探している様子の少女が目に入った。
「アグノ!」
我が声をかけると、彼女は振り向くとともに一瞬で黄金のドラゴンへ変化。
そして、ボゥッ!と、そのまま炎を放射した。
我の頭頂部が嫌な匂いを立てて焦げる。
「……あ、兄……そちか」
「……我の足がもう少し長ければ、黒焦げになっていたところだぞ」
頭の毛を撫でながら我がぼやくと、アグノは謝るでもなく、その長い首を垂れさせて視線を逸らした。
羽がせわしなく動いているところを見ると、一応気まずくは思っているらしい。
まぁ妹の蛮行には慣れたものである。ちょっと消し炭にされたぐらいの事は流し、我は彼女へと歩み寄った。
が、その途中でアグノが目線だけを上げ、こちらを睨んでくるので、仕方なく四本の足を停止させる。
「先ほどは悪かった」
アグノがめいいっぱい首を伸ばせば届く距離。そこで足を止め、我は後ろ足で立つと妹に頭を下げた。
「な、何がじゃ」
顔を上げると、アグノは目を見開いて尋ねてきた。
ドラゴンフェイスなので分かり辛いが、その表情は意外そう、という形容が一番しっくりくる。
「いや、その、怒鳴りつけたりして」
それで飛び出したのはお前ではないか。
我もまたあれ? と思って言葉を返すと、彼女はまたもぷいっと顔を背けて呟いた。
「……良い。そちにとてドラゴンの矜持があろう。怒って当然じゃ」
その言葉に、一瞬頭が真っ白になる。
アグノが、あの意地っ張りのアグノが自らの非を認めるなど。
つい『ウネの姐御に血でも吸われたか?』とと言いたくなるが、我はそれをぐっと堪えた。
ここで茶化してはいつもと同じだ。
我はきちんと聞くべきなのである。妹の言葉を、兄として。
「……お前は、我をドラゴンとして見てくれているのだな」
思えば町での喧嘩のときも、今日もそうだった。
こんなたぬきな我でも、妹はずっとドラゴンだと思ってくれていたのだ。
あるいはその認識は、この小さな身には有り余る物かもしれない。だが、我にはアグノがそう思ってくれているということが嬉しかった。
「あ、当たり前じゃ。その、そちがドラゴンでなかったら、妹のわらわまでドラゴンではなくなってしまうじゃろうが」
思わず顔が綻んだ我に対し、アグノは裏返った声を出しながらそう答えた。
「……前に、我のことを兄だとは認めんとも言っていなかったか?」
そんな妹の様子がおかしくて、我はつい意地の悪いことを言ってしまう。
「あ、あれは、その……虫の居所が悪かったというか……」
にやにや。弁解するアグノを、微笑ましい気持ちで見守る我。
「わらわとて完璧な存在ではない! その、言葉のあやぐらいあるのじゃ!」
すると、アグノは耐えかねたかのように叫んだ。
その言葉に、我は改めて思い知らされる。
「そう、だな。我はお前に余計な荷物を背負わせていたかもしれん」
我には、妹の期待が心地良く思える。
だが我は、アグノに対して、彼女だけではなく我が父に、そして自分自身に求めていた物まで要求してしまっていたのではないだろうか。
それではアグノが窮屈に思っても仕方が無い。
我は、やはりこの考えを改めねばならないだろう。
その為には、どうするべきか。
「よし、今から我はお前を存分に可愛がる」
腹を決めた我は、アグノにそう宣言した。
「か、かわい!?」
ひっくり返った声を上げるアグノ。
その様子を見ると、先程よりぐっと可愛がれる気がしてくる。
「あぁ、我とて姉さんも甘やかしたいし、姉様には甘えたいから毎日とはいかん。だが、今、この瞬間だけはお前を全身全霊を持って可愛がろう」
つい最近、姉さんにももっと甘えていただくよう進言した我である。
今のままでは、このひ弱なたぬきの身では、体がいくつあっても足りない状態であろう。
だがしかし、この時間だけはアグノを妹として可愛がろうと我は心に決めていた。
両前足を広げ、さぁ来いとアグノを待ち受ける。
「そ、そんな事を言われても、わらわは甘え方など知らん……」
しかしアグノは顔を横に背けると、困ったように喉を鳴らしながら呟いた。
「そ、そうか」
この年になるまで碌に甘えられずに過ごしてきたとは、我が妹ながら不憫なやつである。
ついでに言えばそんな状況に追い込んだのは我であり、これはこやつが満腹になるまで甘えさせねばと決意を固くする。
「んー、そうだな……」
しかし、どうしたものか。
姉様達といる時はあの方々が甘え甘やかし上手なもので、我も自然と膝の上に乗ったり一緒に寝たりしている。
だが、アグノにとってそれが甘えるということに繋がるかというと少々疑問だ。
ついでにこの体格差でそれをすると、我が潰される羽目になりそうでもあるし。
期待に潰されるのならともかく、物理的に潰されるのはごめんである。
「アグノ、ちょっと頭を下げてくれ」
考えた末、我は妹にそう頼んだ。
「こ、こうかや?」
我の言葉に従い、アグノが首を下げる。
「もうちょっとだ」
「ぬぬ……」
我が更に要求すると、アグノは肘を地面につけて、後ろ足で立ち上がった我と目が合う高さまで頭を降ろした。
「よし、動くなよ」
言いつけて、我はアグノの顎の下へと移動する。
そうして背伸びをした我は、彼女の首を包むように、両の前足を伸ばした。
所謂ハグの体勢である。
我が姉様達によくやられている行為で、とりあえず相手への親愛の情を表すならこれであると考えてのことだ。
だが、予想外の事態が発生する。
「く、くの……!」
アグノの首周りが太過ぎて、我の前足では包み込めないのだ。
「こ、こしょばゆいのじゃ」
爪を立てないように足の裏――所謂肉球でぺたぺたと彼女の延髄を目指す我。
であったが、アグノが我慢しきれぬといった按配で体を揺するので上手く行かない。
「う、動くなと言っているだろう」
もはやバランスを取るので精一杯である。
仕方なく、我は首の中頃まで前足を回したところで、それ以上の進行を諦めた。
ふぅっと一息ついてそのまま制止。
妹をあやすように、ぽんぽんと首筋を叩く。
……ううむ。
「……ど、どうじゃ? わらわはきちんと甘えられておるか?」
不安になったのか、アグノがそう尋ねてくる。それはまぁ、不安になろうともいうものだ。
問いかけられると、我も自分を騙すことが出来なくなる。
「何か、違うな……」
なんというかこう、ハグしているというよりもぶら下がっているという印象のほうが強い。
傍から見ると我が遊んでもらっているようにしか見えないだろう。
甘やかすという表現には、到底なりそうにない。
「いっそ人間に変化してみるか」
いかんともし難きは体格差である。思いついて、我は妹の耳の辺りに囁いた。
穴は無いが、ドラゴンの耳はエラの後ろの辺りにある。
「そ、そんな高度なことを!?」
「うぉあ!」
すると叫び声を上げたアグノが急に頭を持ち上げ、我は宙吊りになった。
本気でぶら下がる羽目になって、我は慌てて声を上げる。
「何を想像しているのだこのすけべぃめ!」
「だだ、だれがすけべぃか!?」
首にいる我に抗議しようと、アグノが頭を振る。
その慣性で、我の体はあっさり空を舞った。
「おわっ!」
落下する我。それをアグノが、両の掌を上に向けて受け止めた。
自らが妹の掌サイズであることに驚愕する我。手乗りたぬきである。
掌に乗せられたまま見上げるが、ふぅと熱い息を吐くこの娘を甘えさせる度量など、我には無いのではないかという気がしてくる。
いやいや、諦めるのはまだ早い。そうして諦めて、アグノや姉さんや姉上、様々な方の心を痛めてきたのではないか。
「さ、先程のその、抱擁は……いい線まで行っておったが、その、どうするのじゃ?」
……行っていたか? 妹の基準は我にはよく分からない。
だが、それと同時に我の脳裏に第二の名案が閃いた。
「分かった。口調だ」
「口調?」
首を捻るアグノ。そうだ、妹が醸し出す威圧感の正体のひとつが、これである。
「お前は威厳を出そうとして古めかしい喋り方をしているのだろう。だが、兄の前ではそんな堅苦しい物言いをしなくても良いのだぞ?」
思えばアグノは、小さい頃からこんな喋り方をしていた。
きっと妹は、自分を無理に大きく見せようとしてこんな喋り方をしているに違いない。
昔から続けている虚勢を、いきなり打ち切るのは抵抗があるだろう。
だが、兄の前でだけならどうだ。
普段はつんけん偉そうにしているアグノが、こう、我と二人っきりになった時にだけは「お兄ちゃん、なんだか寂しいよぉ」とくる訳である。
……うむ、これなら何だかいくらでも甘やかせそうな気がする。
我が優しい瞳かつ渋い声で諭していると――。
ボォッ!
またも頭上を炎が通過した。
「な、なにを……」
「誰のせいでこんな言葉遣いになったと思っておるのじゃ、この阿呆ぅ!」
我の説得を阿呆のような顔で聞いていたアグノだったが、炎を吐いたかと思えば我の抗議も聞かずに叫んだ。
「は?」
思わず先程までのアグノのように、口を開け目を点のごとくする我。
アグノはそんな我の表情を見ると烈火のごとく怒り出す。
「そちが幼い頃からドラゴンの威厳がどうこうと説教をするから、わらわがこうなったのではないか!」
「……我が?」
まるで覚えの無いことをまくし立てられて、我は混乱した。
いや確かに、昔は自身が立派なドラゴンであると固く信じ、アグノにもその心得を叩き込もうとしていたが。
「そうじゃ! おまけにあの人形劇じゃ!」
人形劇……はてと考えて思い出す。そういえば昔はよく、かのドラくんポンくんを使ってアグノに対して即興の人形劇を行ったものだ。
「覚えておらぬのか!?」
「い、いや、内容までは詳しくは……」
幼い頃にした人形劇の内容など、我が覚えているはずがない。
あんなもんふわふわした毛玉の、ふわふわとした抜け毛のようなものなのだ。
「おぬしが物語の姫を指して、『高貴な生き物はこういう言葉遣いをするのだ』だの『お前がこんな風に話したらなぁ』などというから、それがすっかり身についてしまったのじゃ!」
「あまり身についていないぞ」
「うるさいわ! そなたの言葉遣いが適当だったせいじゃろう!」
我がつっこみを入れると、アグノはがぁっと火を吐かんばかりの勢いで言い返した。
まさかこの娘の口調が、父ではなく我の影響であったとは。世の中何がきっかけか分からないものである。
我が感慨にふけっていると、アグノの体がブルブルと振動しだした。
「こ、こんな阿呆の為に、わらわはこんな所まで……」
「わわわ我の為?」
阿呆とはもしや我の事だろうか。アグノの震えが伝染する中、我が聞き返すと、彼女ははっと言葉を止め、こちらを睨んだ。
「知らぬわ! とっとと去ね! でないと燃やしてしまうぞ!」
言いながら、アグノがぱっかりと口を開く。その奥に赤い炎が煌いた。
わ、我が妹ながらこの娘の思考はさっぱり分からん! 我が慌てて掌から降りようとすると……。
ざばぁ! と、背後にある川から水音がした。
「お?」
「ん?」
その音につられ、我らが同時にそちらを見る。
そして、そこで我らが見たものは……。
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