ドラポン 『第三章 ライクアローリングたぬき』 その2
黒マントを着た恰幅の良い女性を、宿へとエスコートし始めた我だったが、すぐに問題が発生した。
――実は我は、女性のエスコートの仕方などまるで知らないのである。
何故なら我の生き方とは姉や妹の尻に敷かれる事を常とした、たぬき型クッションのようなものだったからだ。
今朝も姉さんに敷かれてきたばかりである。
それでもへこたれずふわふわを保ってきた己が毛皮には敬意を表したいが、いつまでもふわふわでは、それはそれで困る。
我は立派なドラゴンにならなければならないのだ。
まぁその、父上のようには行かないだろうが、アグノに罵られず、姉上に守られるばかりではなく、姉さんを受け止められるぐらいにまでは。
あまりごつくなると姉様に膝枕を拒否されるかも知れないので、ほどほどで良い。
そんな訳で練習というわけではないが、我は勇気を振り絞って女性との世間話を敢行することにした。
「そういえばお名前を聞いていませんでしたね」
「フィアと申します」
女性はそんな我の邪な企みにも気づかず、自らの名を明かしてくれる。
その様子に罪悪感が疼きつつも、自らも名乗り返そうと口を開く我。
「そうですか。綺麗なお名前ですね。私はホン太郎・ザ……」
しかし、ドラゴン、と言い掛けて我の言葉が止まった。あのツンツン冒険者にバカにされた記憶がよみがえったからである。
目の前の女性はそんなことをしそうな方には見えないが、ドラゴンが出るという噂もまだ残っているかもしれない。用心に越したことは無いだろう。
「タロウザ? 変わった名前ですのね」
「いえ、その……ホン太郎と申します」
結局我は、彼女と同様に名前だけを名乗ることにした。
「ホン太郎さんですか。えーと、その」
「良いですよ。無理に褒めなくても」
コメントに困った様子の彼女――フィア殿に苦笑して、我は話題を変えることにした。
「フィアさんは観光で? それとも冒険者にでもなりに来たのですか?」
ていうかそのフード何? と聞きたいのが一番なのだが、まぁ我も化けの皮を一枚被っている身である。
人にもたぬきにも色々事情があろう。勝手にそう納得して別の事を尋ねる。
「冒険者……それも良いかもしれませんね」
後半は冗談で言ったのだが、彼女はそれに対して熟考し始めた。
こう見えて意外と腕に覚えがあるのかもしれない。
確かに彼女には、只者ではないオーラが漂っている。
まぁ街中でこんな格好をしていれば、誰でもこういうオーラが漂うものかもしれないが。
「本気なのでしたら、冒険者組合のほうも案内しましょうか? 幾人か知り合いがいますので」
モノはついでという事で、我は彼女に提案してみた。前にも言ったが、この町は港と未発見の遺跡がある関係上、遺跡荒らしもとい冒険者も多い。
組合はイマイチ町を管理する気概が足りない町長側を見限って、他所から来た冒険者達が自分達の活動を円滑にするため、自主的に作ったものである。
だが町長側は、自分達の町でよそ者が大きな力を持つことが気に食わないらしい。
なので彼らの間には微妙な軋轢が生じているのだが、一市民半たぬき半ドラゴンである我には関係がない。
よって仕事上の取引等を通じて、彼らともある程度付き合いがあるのだ。
そんな我に、フィア殿はパンと手を打って感心したように言う。
「まぁ、顔がお広いのですね」
「ハハハ、仕事柄ある程度ですがね!」
顔もよく見えない女性に褒められ、我は上機嫌に笑った。
我ながらたやすいとは思う。だが、我をこんな風にストレートに褒めてくれる女性が、身近にほとんどいないのだから仕方ない。うん。
「お仕事……ですか、どんなお仕事を?」
そんな素敵なフィア殿が、我の顔を覗き込む。
そのフードの下から、若いワインのような紫がかった赤い瞳が見えた。
どきりと、我の胸が跳ねる。
「今はいわゆる隠れた名店と呼ばれる武器屋で副店ちょ!」
「ホン太郎さん!?」
胸の鼓動に任せ、つい勢いで未来の予定を前借りしかけた我。だがその体に、衝撃が走った。
トキメキを覚えた胸にではない。もっと下……具体的に言うと股間。いつも我の母が案じているあの器官が付いているあの場所である。
我はぶつかった箇所を押さえ、涙が溢れそうな目をぎゅっと瞑っててうずくまった。
な、なんだこの内臓がすべて十センチほど飛び上がったような、悲劇的な痛みは……。
本来、たぬきのキンタマは弱点ではない。我は例外だが、変化に使うパーツであるし、変ったたぬきだと武器にも使うものである。
そうでなくとも普通は引きずるほどの大きさにまで成長するので、いちいちそこに痛みを感じては生きてゆけない。
しかし人間に変化した今の我は違う。今の我の股間は人間同様、繊細で、過敏で、できそこないな器官なのだ。
……失礼、配慮が足りない言葉だった。というかこんな物をぶら下げて生きている人間男性諸君には敬意すら感じる。
「だ、大丈夫ですか?」
フィアさんが我を心配し、傍らに膝をつく気配がする。
言葉が出ない。我は彼女に大丈夫ですという意味で手を軽く振り、しばし黙祷。
彼岸から手を振る父を幻視した後、我は自らに何が起こったのか確かめんと、閉じていた目をゆっくりと開いた。
「う、うぁ、ふぶぐぶ」
するとそこには、涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになった少女が立っている。
何を言っているのか。そもそもこれが言葉であるかも怪しいのだが、どうやら、彼女が我にぶつかったのは確実であるようだ。
「お、おぉ、そんなに痛かったか。その、悪かったな」
図らずも目線が合う状態になった彼女に、自らの痛みを堪えながら謝ると、相手はぶんぶんと首を横に振る。
中々気丈なお子様である。感心しながら我は周囲を見回してみる。
だが、我の予想に反して彼女を心配して駆け寄る親や、囃し立てる友達等の姿は発見できない。
本当に痛いところを誤魔化す為にふとももをさすりながら、我は考えた。そしてその間も幼女を案ずる相手が現れないことで、結論に至る。
「迷子というやつか」
察して、我が問いかけると、幼子はぶんぶんと首を縦に振った。
なんとまぁ、今日はよく迷い人を拾う日である。
「ううむ。少し遠回りになりますが、自警団に寄ってもよろしいですか?」
ため息を吐いて、我は横にいるフィア殿に尋ねた。いくら道案内中とは言え、この娘をこのままにはしておけないだろう。
「あ、はい。もちろん」
目の高さが同じになったフィア殿を見ると、やはり彼女の瞳は赤紫色。そして唇は桜色であった。まるで体ごと引き込まれそうな気分になる。
「ぶぅええええええん!」
しかし今はそんなロマンチックな気分になっている場合ではない。天まで届けという勢いの童女の泣き声が、我を現実へと引き戻した。
慌てて彼女に視線を向けなおし、我は幼子に言った。
「こらこら、そんなに泣くな。お兄さんがお前に友達を紹介してやる」
「……トモダチ?」
我がそう告げると、幼女が一旦泣き止む。
うむ。と頷くと我は自らのポケットに手を入れる。そうして、手だけをこっそりと変化させた。
「それ」へ化けるのは久しぶりであったので若干不安であったが、出たとこ勝負である。
変化を終えたことを確認すると、我は思い切ってそいつの頭をポケットからぴょこりと出させた。
「うぇ……?」
ポケットから出てきた二本の角に、童女が涙を止め、目を見開く。あくまでびっくりしての事だろうが、こちらに注目が集まったのならチャンスである。
我はしばらくそのぴょこぴょこという動きを続けた後、彼女の目線が充分に集まったところでポケットの中の住人を飛び出させた。
「こんにちはー。ドラくんでーす」
ポケットから出てきたのは、片方は竜のマペット。変化に多少失敗して不細工になっている。
とりあえずその事は脇に置き、我はその人形に挨拶をさせた。
腹話術、という体だが彼の声は変化をさせた手の先から出ている。
「ポンくんでーす」
続いて反対側の手。声色を変え、たぬきのマペットを動かす。
こちらもブサイクだが、彼は元々こういう顔なのである。
「二人合わせてドラポンでーす」
まるで漫才師のように自己紹介をさせると、童女の動きが完全に止まった。
その静寂に我の頬を冷や汗が流れる。 だが、緊迫の一瞬を破り、童女が急に動いた。
彼女が手を伸ばしたのは、我が右手を変化させたドラくん。なんと童女はいきなりドラくんを握り締め、その首をもごうとしてきたのだ。
むぎぎぎ。っと容赦なく捻られるドラくん。その暴挙に手首を捻り上げられた形になる我は悲鳴を上げそうになるが、それをすんでの所でこらえた。
「っいたたたたた! な、なにすんだこのやろー!」
「ヤメロー! ドラくんをはなせー!」
役者魂を総動員してドラくん自身にリアクションを取らせると、少女はぴたりとドラくんしぼりを中止した。
「えへへへへ」
そして何が嬉しいのか無邪気に笑うと、ドラくんを撫で始めた。まったく人間というものは不可思議なものである。
しかしどうやら彼女の中で心の整理がつき、ドラくんとポンくんは一己の生き物として受け入れていただけたらしい。とりあえずは一安心である。
「ところで君、お名前はー?」
「ネナー」
ポンくんで問いかけると、ある程度元気を取り戻した挨拶が返ってくる。
「ネナーかそうか。なんとも言い難い名前だな」
「ホン太郎さん、おそらくネナちゃんかと……」
ネナーとドラくんポンくんを遊ばせながら、我は周囲に目をやった。
道端で人形劇をする我を、人々は奇異の目で見たり、微笑ましく見たり、不審者を見るような目で見たりしながら通り過ぎていく。
とりあえず即自警団に通報されるようなことは無いようだ。
しかしである。やはり……。我は横にいるフィア殿に目をやった。
「フィアさん。あの」
「あ、はい」
「……脱いでくださいませんか?」
「え!?」
「あ、いや、変な意味ではなく。この取り合わせは若干目立つと思いまして」
目を剥いた彼女に、我は慌てて弁明をする。
子供と人形を持った男とフードをすっぽり被った女。前者はともかく、中者も怪しいが、最後の一人は明らかに不審人物である。
それが全員合わさると、相乗効果で違和感も倍々である。
実際、町行く人々は彼女を見てひそひそとささやきを交わしている。このままでは彼女も良い思いはしないだろう。
「あ、そうなんですか。でも、その……」
「いや、無理ならばよろしいのですが」
我がちらりと周囲に目を向けると、彼女自身も自らが目立っていることに気づいたのだろう。
はっとなってから、しばらくもじもじと体を揺すったあとで意を決したように口を開いた。
「そ、それじゃぁ、脱ぎますね」
そう宣言されると、妙に目が離せない気分になる。
我が唾を飲んで見守る中、彼女はローブに手をかけ、その結び目を解いた。するとその下からは、蜂のような鋭角的な腰のくびれが現れる。
では何故我は、彼女を恰幅の良い女性だと勘違いしていたのでろう。
その答え。つまりローブを膨らませていたのは……彼女の胸についた物体だ。
彼女の頭ほどの大きさの果実が、でんでんと二つ実っている。
いや、簡素な平民服に包まれたそれは、間違いなく彼女の乳房、というものであった。
服という皮に覆われたそれが、今にもはじけそうに自己主張をしている。
あまりの大きさに、我も少々認識が遅れてしまったが。いや、これは、そんな……。
我の中で、ゴゴゴゴと音を立てて何かが開く音がする。
「あ、あの」
その未知のトキメキに我が心を奪われていると、彼女が遠慮がちな声を出す。
失礼、と我が咳払いをして誤魔化すと、彼女は続けてフードに手をかけた。
「おぉ……」
こちらにも、思わず感嘆の声が出る。現れたのは、まるで若き狼のような銀色の髪を持つ少女の顔であった。
野性味に溢れながら、威厳と荘厳さを損なわない整った顔立ち。そして口調に似合わぬ鋭い目じりが、また魅力を増幅させる。
先程から覗いていた赤紫の瞳は、光を受けると生き物が死ぬときの流すような深い赤へと色を変えた。
「あの、私の髪って真っ白だから。街中ですと目立つと思って……」
「髪ですか?」
「え、ええ」
聞き返した我に、彼女が不思議そうな顔をする。
散々描写しておいてなんだが、やはり全体を見てインパクトがあるのは、彼女の胸の方だと思う。
とにかく大きい、凄い、愛を感じる。
それとも我が雄だからそう思うのだろうか。いや、たぬきにも竜にもこんなふくらみは存在しない。
だから我が、これに対して母性だろうがすけべいだろうが、こんなにも惹かれるのはおかしい訳である。だが事実、我はこのふくらみから目が離せないでいる。
我にも父上から、異常性癖の血が受け継がれているのだろうか。そういえば母上もそうであった。
いやいやこの胸の高鳴りが、そんな倒錯した性癖から生み出された物などとは到底思えない。これはもっと、生命の根源に根付く感情であるはずだ。
これは、一体なんなのであろうか。
「あ、あの、ホン太郎さん? やっぱり私の髪、変でしょうか」
自らの精髄と向き合っていた我に、フィア殿がおそるおそるといった具合で尋ねる。
「髪? あぁ、とても綺麗な髪だと思いますよ」
「あ、ありがとうございます……」
そちらには何の問題もないだろう。我が思ったままのことを言うと、フィア殿は目を丸くしながら礼を言った。
髪などは些細な問題である。それよりもこの未知の感情を……。
「むぅ」
「あでっ!」
またしても思索に入りかけた我の右手もといドラくんを、放置されたままのネナーがぐいっと引っ張った。
しまった。フィア殿の美しさ……そう、美しさに見惚れ、すっかりドラくんを動かすのを忘れていたようである。
「ご、ごめんネナーちゃん。ほら、ネナーちゃん手を繋ご」
我が慌ててドラくんを動かし彼女を促すと、ネナーはドラくんの右手。我の手でいう所の親指をちんまりと握ってくる。
ネナーがひとまず容赦してくれたことにほっと息を吐き、我はフィア殿を促して歩き出した。
ドラくんの顔が逆さにならぬよう手を反らしながらである。
そうして途中でネナーが不安そうに辺りを見回す仕草を見せると、左手のポンくんでおかしな動きをして彼女の気持ちを紛らわせた。
出会ったばかりの童女であるが、こちらの拙い人形劇で笑ってくれると、我も自然と頬が緩む。
「慣れていらっしゃるんですね」
微笑を浮かべ、そのやり取りを眺めるフィア殿。その際体を捻ったのは、恐らくそのままだと胸が邪魔でネナーがよく見えなかったからであろう。
「えぇ、うちの妹の世話も昔はこうして見たものです」
その仕草に妙な感動を覚えつつ、我は彼女に説明をした。
彼女の胸に対する慕情はいまだ尽きないが、こうして童女の手を握っていると、しっかりしなければという感情のほうが先に立った。
兄モードに入ると、自らの欲望はひとまず脇に置きがちになる。姉上達に指摘された我の悪癖とは、こういう事なのかもしれない。
今回に限っては、自らのこんな性分がありがたくて仕方がないが。
「妹さんがいらっしゃるんですか?」
「はい、昔は兄上兄上と我の……私の後ろをついてきたものですが」
問いかけてくるフィア殿に、我はため息混じりに答えた。
今では考えられないことだが、小さい頃のアグノは兄をよく慕ってくれるそれはそれは可愛い妹であった。
彼女が生まれる少し前に父が死んでしまった為、当時の我が一族はゴタゴタしていた。
妹が我に懐いたのは、彼女の面倒を見、かつ遊び相手になれるのが我ぐらいなものだった所為もあるだろうが。
ともかくそのおかげで妹は我の行く先行く先をついて回り、我がする些細なことにもはじけるような笑顔を見せていたものだ。
我がドラくんポンくんの人形劇を考案したのも妹の為であり、それをすれば、当時のアグノは宝石と見間違うほど目を輝かせていた。
「それが今は生意気盛りで。ほとほと手を焼いています」
短い回想が入ったのち、それが現在のぱっと現在の妹の姿へと跳躍を果たして我はもう一度ため息を吐いた。
それがどうしてあぁなってしまったのか。
実際には手どころか色んな場所を本当に焼かれかけているがそれは黙っておく。
「でも、大切になさっているんでしょう?」
当たり前のようにそう言われ、我はぐぬっと息を詰まらせた。
それはまぁ、どうでも良いと思うのならため息など吐かない訳であるし。というか……。
「……過保護が過ぎて、最近叱られました」
我が三度目のため息をつくと、フィア殿が苦笑する。それから、彼女は少々暗い顔になって呟いた。
「それはショックですね。でも、妹さんの気持ちも分かります。私も……」
そこで言葉が止まる。彼女は俯いたまま、その続きを言おうとしない。
「ご両親が過保護、とか?」
「いえ、その、過保護というか……」
先を促してみたが、彼女の口は重い。無理に聞き出しても悪いと思い、我はそれ以上の追求を諦めて他愛のない話題に切り替えた。
ちなみに右手のドラくんは、その間にもネナーによってかじられていた。
次へ 戻る INDEXへ TOPへ