ドラポン 『第三章 ライクアローリングたぬき』 その1


  ぽかぽかした陽気の中、我はフウ姉さんと共に眠っていた。
 重なり合い眠る我らは、傍目から見れば一塊の毛玉に見えるかもしれない。
 実際には姉さんの体が我の上に乗っかる形になっており、正直言って割と重かったりする。
 しかし眠れないほどの重さではない。そもそもフウ姉さんに甘えられるというのは、この間の件から考えれば心地良い重みな訳である。
 暖かな陽射しにもタッグを組まれ、我は浮上しかけた意識を再び沈めようと……。
「くぉらぁ!」
 闇に沈みかけた我の意識を、穏やかならざる声が覚醒させた。
 その声に我が目の回りの模様を白黒させていると、尻尾を捕まれて体が持ち上げられる。
「の、の、何をするのだいきなり!?」
 我が中空をかきながら抗議すると、この暴挙に及んだ張本人はそれを制するように目線を合わせて我を睨みつけた。
「何をするのだではない! 今日は仕事じゃろうが!」
 そうしてその暴虐妹、アグノは我を怒鳴りつけた。息が着火寸前まで熱くなっており、非常に恐ろしい。
 吹き出る冷や汗も、即座に乾く勢いである。
「ん、ぬぅ……」
 急にクッション代わりにしていた我が引っこ抜かれ、フウ姉さんが不満そうな声を上げてから体をプルプルと振った。
「フウ姉さまも、朝早くから何をしているのじゃ……」
「いや、こう、朝食が早めに終わって、ついうとうととしてだな」
 いまだに半分夢の世界な様子である姉さんの代わりに、我が説明する。
 アグノの言うとおり、今日は町で武器屋の仕事をしなければならない日だ。
 しかし昨日夜更かしした事も手伝って、少々二度寝をかましてしまったのである。
 だが、我も阿呆ではない。遅刻しない程度の仮眠などお手の物で……。
「ほれ」
「ん?」
 考えていると、アグノが無言で懐中時計を差し出す。
 本来この娘には、人間の時間割など関係ない。だがその金ぴかさを気に入ってか、アグノはこの懐中時計を常に持っていた。
 気まぐれでプレゼントした身としては嬉しくなくもない。の、だが……。
「のおおお!」
 そこに刻まれた時間を見て、我は悲鳴を上げた。
 町まで一時間はかかるというのに、既に四十分ほどしか猶予がなくなっている。
 これはまずい。馬に変化して全力疾走したとして、間に合うかどうか不安な時間であった。
 事態を把握した我の尻尾を、アグノがふふんと勝ち誇った表情で解放する。
 地面に投下された我が、急いで居間を出ようとすると、その上からフウ姉さんがのしかかった。
「んゆ、まだ眠い……」
「ね、姉さん!?」
「これ、姉さま! 兄……こやつは仕事なのじゃ!」
 なんと未だに目が覚めていなかったらしい姉さんを、アグノが持ち上げて我から引きはがす。
 持ち上げられ、アグノと目を合わせた姉さんは、半眼のまま呟いた。
「嫉妬?」
「な、何故そうなるのじゃ!?」
 姉さんが的外れな事を言う。アグノも適当に流せば良いのに、それに対して裏返った声を出す。
 まさか本当に嫉妬? と我が目を丸くして妹を見ると、牙をむき出しにして睨まれた。
「アグノはいつまでもお兄ちゃんお兄ちゃん言ってるんだから」
「それは姉さまじゃろうが! わらわはこやつなど兄とすら思っては……」
「……そうだよね、アグノは小さい頃からずっとお兄ちゃんのおよめ」
「わー! わー!」
 フウ姉さんが何かを言いかけたが、アグノはそれを遮って、なんと姉さんをブンブン振り回し始めた。
 何が起こっているのか、我にはさっぱり把握できない。やはり虎と龍は太古から相打つ定めなのか。
 止めようかとわたわたしている我と、姉さんの視線が合う。そうして彼女は牙を見せ、いってらっしゃいと小さく口を動かした。
 どうやらアグノをからかって遊んでいるらしい。普段周囲と距離を置いている姉さんにしては、珍しい行動である。
 ……フウ姉さんは、我以外の家族とも少しずつ歩み寄るように決めたようだ。やはり、多少迂遠な感じもするが。
 ちょっぴり寂しいが、我もうかうかとはしていられない。姉さんがそのままアグノ弄りに夢中になってしまう前に、立派なドラゴンになるのだ。
「お前も早く大人になれよ!」
 アグノにそう言い捨てると、我は全速力で仕事場へと向かった。
 背後でアグノが「その上から目線はなんなのじゃ!?」と悲鳴に近い怒鳴り声を上げていた気もするが、そんな物には構っていられなかった。


 そしてその日、我が仕事を終え、帰宅しようとした時の事であった。
 通行人の溢れる大通りの中、奇妙な人物が目に止まる。
「何だあれは」
 我は思わずそう口にしてしまった。遅刻の件で親方に散々絞られた所為で疲れていた所為もあっただろう。
 ローブを羽織り、フードを目深に被っているためどんな人間かは判別できない。しかしローブの前面は大きく膨れており、なにやら奇妙な輪郭を描いている。
 件の人物は何やら中途半端に手を伸ばし、まるでゾンビーのようにその場で右往左往していて怪しい事この上ない。
 邪悪な儀式でも行っているのだろうか。しかし、こんな街中でやることもあるまい。
 ならば怪しげな組織への勧誘? と思ったが、ローブの人物はそのうち手を伸ばすことも諦めるとがっくりうなだれてしまった。
 事情はよく分からないが、妙に気の毒である。
 我は鼻をかき、少々考えた後でその人物に歩み寄った。姿かたちで相手を差別をしないというのは、父上から学んだ数少ない志である。
 邪悪な儀式だの組織だのと考えたのは、脇においておくとしよう。
「どうされました?」
 声をかけると、頭を垂れていた相手が顔を上げた。
 しかし目深に被ったローブのおかげで、その容姿は鼻から下しか推し量ることが出来ない。
「え、あ、えの」
 高い声、そして恰幅の割に細い顎。どうやら相手は女性らしい。
 そしてどうやら怯えさせてしまったようだ。黒いローブの中身は存外普通の人間であるらしい。
 とにかく彼女を落ち着かせよう。
 そう考えた我は、いつも肉屋のおばちゃんに一割引させる為に使う営業スマイルで、彼女に謝罪した。
「申し訳ありません。その、マダムがお困りのようでしたので」
「わ、私、まだ未婚です!」
 だが、我の言葉に女性が力を込めて抗議する。
 しまった。太っているからといってマダムは飛躍し過ぎたようだ。
「失礼しました……」
 自分がモテないのは何もキンタマの大きさのせいだけでないな。改めてそれを思い知る。
 女性は口を真一文字に結んだままであった。
 どう考えても対話終了である。頭を下げて、我は彼女の元から離れようとした。
「あ、あの!」
 そんな我に、女性が慌てた様子で声をかける。
 恐る恐る我が振り向くと、彼女の方もまた恐る恐るといった按配で我に尋ねてきた。
「あの、宿を探しているのですが。どこか良い場所は無いでしょうか」
 なんだか気を使っていただいたようで気恥ずかしい。だが、その好意を無碍にするのはもっと恥ずかしいことだろう。
「宿、ですか」
 そう考えて、我は彼女と向き直った。
「ご予算の方は?」
「この地方の通貨は、あまり……」
 我が尋ねると、女性は暗い顔でそう答えた。
 ――この世界は森で分断されている。正確には、人間の住む世界は、であるが。
 その為、人間の使う通貨というものには数え切れないほどの種類があり、数百メートル離れた隣の町に行っただけで、前の町で使えた通貨が使用不能ということもざらである。
「なるほど」
 いっそ全て物々交換で済ませればとも思うのだが、それはそれでややこしいのだそうだ。
 我が人間社会に溶け込んでそれなりの日数が経過したが、いまだに彼らの風習には分からない事が多い。
 そんなことを少々考えた後、我は彼女に提案した。
「それでしたら、踊るきつね亭はいかがでしょう。多少狭いですが、清潔で値段も手ごろですよ。異国の通貨で支払いもできますし」
 彼女の言う条件に我が思い浮かべたのは、普段贔屓にしている酒場兼の宿屋であった。
 脳内で再検証してみたが、多分問題は無いだろうと言う結論が出る。
 我がほかの宿屋をあまりよく知らないということもあったが、冒険者がよく泊まる関係上、あの店は葉っぱでできてでもいない限り、大抵の硬貨は受け取ってくれる。
 それにあそこの自称看板娘と店主(寡黙だがたまに駄洒落を言う)なら女性に対して無礼な振る舞いはすまいという考えである。
「あ、ありがとうございます! あの、それで、その場所へはどう行けば……」
 大げさなぐらい深く頭を下げる彼女。しかし続けて尋ねられ、我は首を捻った。
 我は人間が使うあの地図というものが苦手な、通称地図の読めないたぬきである。
 森は問題なく歩けるので方向音痴というわけではなく、上から見た図で描かれている地図というものを、今見ている視点に置き換えられないのだ。
 いつも空から地上を見下ろしているアグノは地図を読み解くことが得意なので、我が飛べないのはこれが理由なのかもしれない。
 もうちょっとフウ姉さんの背中を借りようかしらん。
「えー……まぁ案内いたしましょうか。そう大した距離ではありませんし」
 そんな事を考えながら、結局我は彼女にそう提案することにした。
 きつね亭の場所を口で説明する自信はなかったし、このまま放り出すのも後味が悪い気がしたからである。
「よ、よろしいのですか!?」
 女性が驚愕の声を上げる。この驚愕っぷり、彼女は一体どれだけの時間この町をさまよっていたのだろう。
 この町の住人は悪い人間ではないのだが、冒険者が集う性質上危うきものには極力近づかない傾向がある。
「ええ。後で良い両替商も紹介いたしましょう」
 その印象改善の為には少々骨を折っても良いだろう。我も町の住人には世話になっているわけだし。
 そう考え、我は女性になるべく親切にしてやることにした。
「ありがとうございます!」
 またも深々と頭を下げる女性。このぐらいでそこまで感謝していただけるなら、この労働にもおつりが出るほどである。
 そのような訳で、我はその女性を引き連れて踊るきつね亭へと歩き出した。

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