ドラポン 第二章 その14


「本日はよろしくお願いいたします」
「よろしくお願いいたします」
 正面に座ったたぬきの親子が深く頭を下げるので、こちらも同じように頭を下げる。
 ここは隣山の茶室の中。畳敷きの部屋の中で、机を挟み二組のたぬきが対峙していた。
 不本意ながら連れてこられた見合いであったが、無作法にして母にまだまだ子供だと思われるのは癪であったし、先方にも悪い。
 我はなるべく粗相をしないようにしながら、見合い相手と向かい合った。
「急な話だったのでご迷惑だったでしょう。それなのにそちらから来ていただいて、ほんとにもう」
 おそらく見合い相手の母であろう方が、ほほほと上品に笑う。
「いえいえ、こんな素敵なお嬢さんとの縁談と聞けば、どんな予定も脇に置きますわ」
 それに対し、我が母上もほほほと上品に笑った。予定を勝手に脇へと置かれた我としては、内心苦い顔である。
「ほら、チャガマも黙ってないで」
「あ、はい。あの、宮瀬乃チャガマと申します」
 母親に突かれると、チャガマと呼ばれた少女ははにかみながら自己紹介をした。
 目の周りにある隈取は大きすぎず小さ過ぎず。羽織っている着物の裾から覗くしっぽはふっさりとしており、なんとうっすら縞模様まで刻まれている。
 これは雄たぬきが嫁にしたい雌の条件において、高ランクを獲得するポイントであった。
「ポン太郎・ザ・ドラゴンと申します。本日はよろしくお願いします」
 その縞模様だが、我の尻尾には遠めにも分かるぐらいばっちりと刻まれている。
 以前友達のシカ次郎に、「お前アライグマなんじゃねーの?」というひどいそしりを受けたが、おそらくドラゴンの血が成した所業であろう。父上の尻尾には縞など無かったが。
「まぁ、耳が随分と丸くていらっしゃるのね。素敵だわ」
 笑顔を見せた我を、きゃっと言って相手方の母が褒め称える。これもたぬきにとっては、人間のおける鼻筋ぐらいの美点らしい。我には両方よく分からないポイントではあるが。
 まぁ娘の方もまんざらではない感じなので、老若関わらず現在も価値のある要点らしい。
「ポン太郎さんは、変化もお達者でいらっしゃるとか」
「いえ、母には及びません」
 更にこちらを褒めにかかる相手方に対して、我は謙虚に答えた。
 実際この母上に変化対決で負けなければ、我もここへ来ることも無かった。なので、一切間違ってはいないのだが。
「変化小町と言われたお母様ですものね」
 それを受け、相手方の母親はまたホホホと笑った。
 我は思わず母のほうを凝視してしまう。変化小町……実際に浸透している呼び名だったのか。
 母はそしらぬ顔で茶を啜っているが、その異名がつくまでにどんな過程があったのだろうか。父との出会いにも関係あるのかもしれない。
 知りたいような、知るとげんなりしそうな。
 そうやって、我が母の過去に思いを馳せていると、相手方の母親が「ところで……」と言い出した。
 我が顔をそちらに戻すと、彼女はこちらを上目遣いで見ながら、何やら卑屈な笑みを浮かべている。
 その表情を見て、我は「あぁアレだな」と察することが出来た。尻尾の模様や耳の丸さなど瑣末なポイントとなる、例のモノのことである。
 思わずため息を吐きそうになった我であったが、その前に隣にいたチャガマさんとやらが自らの母の裾をちょいちょいと引っ張った。
「あら、ごめんなさい私ったら無作法で」
 それに気づくと、彼女の母親は「へほほ」と取り繕いきれずに微妙な笑いを漏らした。
 初対面の相手にアレ……つまりはキンタマの大きさを尋ねる事は、一応失礼に当たるらしい。
 我はため息の代わりに、ほっと息を吐いた。
 まったく、キンタマ至上主義はどこでも一緒のようだ。
 ふと気づくと、チャガマさんがこちらを見ている。彼女は我と目が合うと、小首を傾げて微笑む。
 感謝の意を込めて、我も彼女に微笑み返した。
「あぁ、タマ美さんお茶のおかわりはいかがですか?」
 そんな我らの顔を見比べてから、チャガマさんの母がうちの母上に尋ねた。
「あぁ、それではいただきましょうか」
 母上が湯飲みを彼女に差し出すと、相手方は急須を近づける。そして――。
「あらっ!手が!」
 明らかにそう叫んでから、急須を我にぶん投げた。それはもう見事に、あからさまに。
 危機を察した我は即座にチャガマ……もとい茶釜へと変化。鉄の体で急須を弾く。
「キャッ」
 すると中からお茶が飛び出し、それがバチャっとチャガマさんの着物の裾へとかかった。
「も、申し訳ありません」
「い、いえ、良いのです」
 我が謝ると、彼女は足を伸ばし、着物の具合を確認しながら気弱な笑顔でそう言う。
 捻った腰から覗く尻尾が、ゆっくりと揺れていた。
「まぁ大変! ちょっとお色直しさせていただきますわね!」
 彼女の母は自らの凶行について特にコメントをすることも無く、そう言うと彼女を立ち上がらせる。
 そして、肩を貸してチャガマさんを茶室から連れ出した。
 取り残された我と母上。
 お互いの顔には先程まであった、取り繕った笑顔はない。
「……どうだい?」
 前を向いたまま、母上が我に尋ねた。
「母親が三流ですな。娘さんも色々とやらかしていましたが」
 同じように目線を合わせず、母上に言葉を返す。
 ――見合いというのは、そもそもは人間の文化であった。森で隔てられた人間たちが、他所の血を取り入れる為に行われ始め、交通の便が多少改善された今もそれは続いている。
 たぬき達にこの風習が導入されたのは、おおよそ百年ほど前。初対面の相手を欺き、自らを高く買わせるという所業が、たぬきの本能にビビッとフィットして、あっという間に定着した。
 そう、たぬきにとって見合いとはつまり、真剣勝負の騙しあいなのである。
「おや、良い娘だと思うけどねぇ。どこが気に入らない?」
「まず顔と尻尾を変化させていますな。母親の顔と彼女の目の動かし方から見て、もう少し釣り目のはずです。それとお茶がかかった後の、尻尾の毛の流れがおかしい。おそらく元々は縞がないものかと」
 理由をつらつらと述べた我に対し、母上が目を見開いてこちらを見た。ちなみに茶を引っかけたのもワザとである。
「姉ちゃん相手にキュウキュウ鳴いてる奴と、同じたぬきとは思えないねぇ」
「キュウキュウはたまにしか言いません」
 息子の成長を素直に褒めることが出来ないのか。この母だぬきは。
 たぬきの見合いというのは、変化の腕前を見せて自分の価値をアピールする場でもある。なので自らを普段より美たぬきに変化させ、相手を騙すというのも決して悪い事ではない。
 上手く騙すほど、自分が優秀だという証になるのだから。
 ……ただ、たぬき文化を象徴するようなそんな価値観に、我はイマイチ馴染めない。
 我とて人間を謀ることもあるし、それに快感を覚えたりもする。だが、長い生涯を連れ添う相手を決める時に、こういう駆け引きを要求されるのは気が滅入る。
 そういうのってもっとこう、真心とかでするもんじゃないの? と、我は考えるのだ。
 結婚生活というものは最終的にどちらかが主導権を握る、お馬さんごっこのような物だとしてもである。
 根本的に、普通のたぬき社会というものに我は適合できないのかもしれない。
 母上が我を心配しているとしたら、こういう所なのだろうな。そう思って彼女を見てみると、母は呆れ顔でため息をついていた。
「その様子じゃ、今回もダメみたいだね」
「めんぼくない」
 無理やり連れてこられたとは言え、さすがに申し訳ない気分になって我は素直に謝った。
 そもそもこう、胸がときめかないのだ。あのチャガマとやらの笑顔や揺れる尻尾を見ても。
 彼女の笑顔の裏に打算があるせいかもしれない。いや、もしかしたら、自分は半分たぬきでありながら、同じたぬきに欲情できぬ性質なのかも。
 母親もうろこフェチである訳だし。
「アンタといい、フウといい。とことん捻くれものだねぇ」
 そんな風に自分の性癖を疑っていると、母上が、やれやれと呟く。
 フウ姉さんがなんだって? 急に彼女の名前が出、びっくりした我は目線で尋ねる。
 すると母上は湯飲みをあおり、それが空だと思い出したようで苦い顔をしてから口を開いた。
「あの子にもお見合いを薦めてるんだけど、一向に受けないんだよ。そろそろ独り立ちするって言うから相方ぐらいは見つけてやりたいんだけどね」
「独り立ち!? 離れて暮らすということですか!?」
「アンタは……本当に姉ちゃんの事になるとガキに戻るね」
 母上が我を半眼で見るが、それどころではない。フウ姉さんが、そんな事を考えていただなんて……。
 先程我が毛繕いをしていたときは、何も言ってくださらなかったのに。
「グランデの件もあって、あの子も色々思うところがあったんだろうさ。あぁいう性格だから、詳しいことは何も言わないけどね」
 母上が、寂しげに息を吐く。彼女も義理とはいえ、母として感じるものがあるのだろう。
 フウ姉さんは、特別甘えたがりの割に、他の生き物……我ら家族とさえも妙に距離を置くところがある。
 食事を床で食べるのは好みの問題として、他の皆が一緒に出かける時も自分だけ残ったり、会話をする時も一部の話題を除いては遠巻きに見ているのが常だ。
 あるいは、普段我々の輪に混じれない事情があって、その所為で甘えられるときはひたすら甘えてしまうのかもしれない。
 我は姉さんの事をまるで知らないのだ。今日、改めてそれを理解した。
 それに気づくと、なんだか落ち着かない気分になってくる。
 今日の約束を先延ばしにしたことも、取り返しのつかないことをしたような気が……。
「ポン太郎」
 そわそわしている我に、すっかり存在を忘れていた母上が声をかける。
 気づけば我は、先程から床を尻尾でぽんぽんと叩いていたようだ。
「……見合いどころじゃないみたいだね。もういいよ、帰んな」
 そんな我に、母上は呆れ顔でそう告げた。
「い、いいのですか?」
「どーせ今回の娘ともピンと来ないんだろう? 母ちゃんだって嫌な相手と結婚して欲しい訳じゃないんだよ」
 問いかける我に、少々疲れた笑みで答える母上。
「母上……」
「先方には母ちゃんが言っとくよ。さっきアンタが指摘してたこと言ってやれば、相手も文句は言わないだろうさ」
 我はやはり、この方にはいつまでも頭が上がらないようだ。
「ほら、そうと決まったらさっさと行きな。いつまでもシケた顔見せてるんじゃないよ」
 思わず胸がつまった我を、母上が叱咤する。彼女に頷いて、我は茶室を飛び出した。

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