ドラポン 第二章 その13


 ある日の朝。我は居間で毛づくろいをしていた。
 自らのではない。このふさふさのしましま。フウ姉さんの毛皮をである。
「他に痒いところは無いですか?」
「んー……心が痒い」
「かけませんしどういう心境なのかも察することが出来ません」
 我が尋ねると、前足を枕に寝そべっているフウ姉さんは上手い事を言おうとして失敗したのか、よく分からない返事を返す。
 尻尾は中ほどから揺れているので、不愉快なわけではなさそうだ。
「まぁ、後は大丈夫そうですね」
「んむぅー……」
 そもそもフウ姉さんの毛皮には、ノミなどほとんど生息していない。
 水浴びも我より高い頻度で行っている姉さんである。我は彼女の毛皮を一通り梳いて、指が引っかかるところがあればそれをほぐしてやるぐらいで充分なのだ。
 そんな訳で一通り毛づくろいを終えた我が、こんなものかと考え仕上げに彼女の毛並みを整えていると……。
「じゃぁ次はこっち」
 そう言った姉さんの体が、急にパァっと光りだした。
 あまりの眩さに我が前足を離し、目を細めていると、その間にも姉さんの体がにょきにょきと体が伸びていく。
 そして光が収まると、そこには手足をすらりと伸ばしたスリムな体のフウ姉さんがいた。
 体は短い毛で覆われているが、肉付きは並の人間以上に良く、我を困らせる。
 ドラゴンの能力である形態変化。これはその二形態目。半獣態のフウ姉さんである。
「やはりこちらは別枠なのですか?」
「うん……色々と、構造が違うし」
 問いかけると、フウ姉さんはその違いを見せ付けるように体をくねらせた。
 それをなるべく見ないように、毛皮だけに集中するようにして我は作業を続ける。
 我はドラゴン特有の、決まった体型への形態変化という機能を持たない。なので何とも言えないのだが、フウ姉さんに言わせると、この二形態の毛皮は似て非なるものらしい。
 アグノに聞くと消し炭にされそうだし、ユマ姉上は毛皮など無いし、ミュッケ姉様は我と同じで形態変化を持たない。
 結局確かめようが無いのだが、まぁ姉様は満足しているようだし、どうでも良いといえばどうでも良かろう。
 しかし、他の姉妹方を思い出したおかげで、一つ疑問が残っていた。
「それで、その、良かったのですか?」
「ポンの手は、いつでも気持ち良いよ」
 我が尋ねると、姉さんはそう答えながら、その尻尾を我の体へと擦り付けてくる。
「い、いえ、光栄ですがそうではなく」
 フウ姉さんの言葉と行為に照れつつも、我は彼女の毛皮を丹念に撫でながら再度問いかけた。
「姉さんは、姉様方とマジカル☆バブルタイムを味わわなくて良かったのですか?」
「何それ」
 我がそれの正式名称を一字一句間違いなく発音すると、姉さんが怪訝そうな目で我を見る。
「グランデ姉君の手紙に同封されていた、魔法のアイテムです」
 もしかして知らなかったのか? そう思った我は、姉さんに追加で説明をした。
「魔法の泡が体を包み、水を使わずとも汚れをすっかり落とすという石鹸だそうですよ。しかもしばらく泡をつけた後は布で拭くだけで、屋内でも使えます」
「後処理が大変そう」
「ところがどっこい、床も濡れないという素晴らしいアイテムらしいです。それどころか泡が残っているうちに床を拭けば床掃除まで出来てしまう!」
「まぁ、お値段は?」
「10回入りで200ベイツの高級品! でもお客様! それだけの価値はあります!」
 我が前足を掲げポーズを取ると、姉さんが微笑んだ。
「ポンの仕事は順調みたいだね」
 どうやら職業病が出てしまったらしい。きっと働き過ぎのせいだ。給料を上げてくれるよう直訴しよう。
「それはともかく、姉さんは一緒に泡にまみれなくて良いのですか?」
 照れ隠しに論理的な三段論法をキメたインテリな我は、それはともかくとして姉さんに問いかけた。
 現在アグノ、ミュッケ姉様、ユマ姉上の三姉妹は、我の部屋であわあわと戯れているはずである。
 何故我の部屋であわあわしているかと言えば、そこがこの家で一番汚れているからである。
 何故自分の部屋の事なのに、我が参加できないという理不尽に遭っているかと言えば、アグノの奴がいっちょ前に思春期かまして「おにーちゃんと一緒のお風呂なんて恥ずかしいのじゃ……」という言葉をもうちょっとキツい物言いで告げたからである。
 おかげで我の心はちょっぴり傷ついていた。血がどくどく止まらない。
「あぁ、アレね。私は良いんだ」
 前足の動きが止まった我を見て、姉さんがごろりと体を返した。
「どうせ今日は汚れちゃうし。ポン、今日の約束……忘れてないよね」
 四肢をゆるく伸ばした姉さん。細長い瞳孔を持つその瞳は、先程までまどろんでいたためか涙がこぼれそうなほど潤んでいる。
 先程までうつ伏せだったその体は、普段ふさふさの毛が寝、彼女の体のラインを普段より強調していた。
「え、えぇもちろんですとも」
 それにドキリと胸を揺らしてから、我は勢いよく首を振った。そうだった、今日はアレをやる日なのだ。
 汚れるから洗ってもしょうがないというのであれば、今している毛繕いも無駄ということになるのだが……。
「それじゃぁ、次はこっち側をお願い」
 言いながら、姉さんが仰向けになった体をくねらせる。
 こんな事を頼まれて断れる雄、弟、たぬきとドラゴンのハーフがいるだろうか。
 何かを誤魔化された気もするが、とにかく我はそぉっとその体に手を伸ばす。
 その時――。
「こらポン太郎」
 背後から声がかかった。 
 ビクリと体を震わせながら我が振り向くと、そこには我が母たま美が仁王立ちで立っている。
「ははは母上!? これは別にやましいことなど一つも……」
「何言ってんだい? ちょっと話があるから座んな」
 慌てて姉さんから離れる我に、母上が不審そうな声を上げる。そうして彼女は顎を使い、居間のテーブルへと我をいざなった。
「あ、いや、我は今姉さんの毛繕いの途中で……」
 なんだかあまり良い予感がしない。我は姉さんのケアを理由に断ろうとした。
 だが、我が視線をそちらに向けなおすと、姉さんは既に子虎の姿に戻り、背を向けて丸くなっている。
 毛繕いはもう良い、という意思表示だろうか。
 母上はそんなフウ姉さんを一瞥したが何も言わず、自らはぴょんと椅子に飛び乗って茶の用意をしだした。
「あ、あの……姉さん」
 呼びかけたが、返事はない。
 ――フウ姉さんと母上の間には、妙な隔たりがある。
 ミュッケ姉様は母上を本物の母だと思っていると言ったが、やはり義理の母というのは微妙なものなのだろうか。ましてや相手はたぬきであるし。
 いや、それを言うなら先程のあわあわの件といい、姉さんは他の姉妹とも変に距離を取っている気がするのだが……。
「ほれポン太、何してんだい」
 思案する我を、母上が急かす。姉さんの様子は気になったが、とりあえず我は椅子によじ登り、そこに座った。
 そういして机を挟んで鼻を突き合わせる二匹のたぬき。
 やはり説教をされるのではないかと我がびくびくしていると、お茶を飲み干した母上が口を開いた。
「見合いをするよ」
「この前やったばかりではないですか!?」
 もうボケたのかこの母だぬきは!? 仰天しながら我がつっこむと、母上はギロリとこちらを睨んできた。
「アンタ、この前の見合いは相手の顔見るなり逃げ出したじゃないか」
「母上より年かさが出てきたら、誰だって逃げます!」
 そんな母上に、我は声を荒げて抗議する。
 この間の見合いとやらは散々であった。母上より明らかに年長の婆たぬきが、どういう気の利かせ方か顔に白粉まで塗ってきて、出会い頭に我へとウィンクを向けてきたのだ。
 逃げないほうが男として、いや、野生動物としてどうかしている。
「まったく……贅沢者だねぇこの子は」
「これで贅沢と言われる我の価値は、母上の中でどうなっているのですか?」
 この間姉様に愚痴ったばかりだが、やはり母上は我を、ぽっきり折れて値がつけられない野菜のようにしか思っていないのではなかろうか。
 もしくは熟女の価値を高く見積もり過ぎ。つまり自分でもまだまだ再婚の目があるとか思っているかである。
「まぁ安心しな。次の嫁さんはアンタと似たような年だから」
 恐ろしい想像に我が体を震わせていると、母上はそう言ってにやりと笑った。
「勝手に嫁にしないでいただきたい。というか、見合いに行くとも言っていません」
 まったく、母親といえど、我の未来を好き放題できると思ったら大間違いである。
「おや、そりゃぁ困るよ。先方さんに今日行くって伝えてるんだから」
「日取りまで決めてあるとな!?」
 と思ったら母上は、我の今日のスケジュールまで勝手に決めようとしていた。
「だってアンタ、今日は仕事休みだろう?」
「そうですが、今日は予定があります」
 確かに今日は、ガッツ&ガンツの仕事は休みである。だが、だからと言って暇な訳ではない。
 我は先程から耳を立て、ぴくぴくと動かしているフウ姉さんに目を向けた。
「今日はフウ姉さんとトラポンライダーをする予定なのです」
「却下」
 しかし我の大切な予定は、母上によってあっさり却下された。
 ひどい話である。
「トラポンライダーってアレだろ? 要するにお馬さんごっこだろ?」
 ショックを受けている我を、母上が半眼で睥睨した。
 トラポンライダーとは、姉さんの上に我がまたがり、野山を駆け回るというとても開放的な遊びである。
 まぁそもそもは、幼い我を姉さんが背中であやした事が始まりで出来た遊びであり、お馬さんごっこでも間違いではないと思うのだが、いくらなんでも枝葉を切り落とし過ぎではないだろうか
「そこまで要約すると、大抵の物事がお馬さんごっこになると思います」
「なるもんかい」
 我が生命の真理をついた発言をするが、母上はやはりあっさりと否定する。
 この母親には、息子の知的さを育む粋が足りない。
「お前がそんなんだからね、母ちゃん心配なんだよ。今回は母ちゃん顔を立てると思って、行くだけでも行ってくれないかい?」
「そんなんとはなんですか。そんなんとは」
 知性溢れる今の会話のどこに、そんなん呼ばわりされる要素があったのかとんと分からない。
 見合いなど行くものかと決意をより硬くしかけた我だが、ちらりと考えもする。
 それは、少し前に縁側でミュッケ姉様と交わした会話の事だ。
 自分を生んだ母とは、生き別れになってしまった姉様。彼女は、この母上と仲良くして欲しいとおっしゃっていた。
 そう考えると、この毛艶の褪せた我が母を少しは大事にしたほうが良いのかとも思えてくる。なんだか最近は、とみに老けたような気もするし。
 そもそもは我がドラゴンらしくないせいで、母上を心配させているのだし……。
 でも、フウ姉さんとの約束のほうが先だし。我はちらりと彼女を見る。
「行ってきなさい」
 するとフウ姉さんは、顔をこちらに向けぬまま、そう呟いた。
「や、しかしですね」
「いいのよ私は。今日は運動する気分じゃないし」
 尻尾で床を掃く彼女に抗おうとするも、姉さんはこちらに顔を向けない。
 嘘だ。先ほどはやる気満々だった出はないか。我は姉さんの顔を覗こうと椅子を降りた。
 そして彼女の顔が見える位置に回りこもうとする。だが――。
「ぐぇっ」
「そんじゃ、話も決まったみたいだから早速行こうか」
 そんな我の首を、母上が前足でガッチリ掴んでいた。
 よく見れば、前肢が金属製の輪に変化している。
 抜け出そうとした我が蛇へと変化すると、待っていましたとばかりに反対側の手が網に変化する。
「アタシに変化で勝とうなんて、まだまだ」
 言いながら、母上は我を捕らえると、いつの間にか背負っていた籠に我を放り込んだ。
 先程までの、我が子を憂うちょっとくたびれた母親の面影はまるでない。
「変化小町の異名。まだまだ返上できないねぇ」
「小町の部分は流石に返上してください!」
 悦に浸る母上に思わずつっこむが、優先すべきはそちらではない。
 今度は蛙に変化をして籠を飛び出そうとするが、その前に母上が籠に蓋をした。
 視界が真っ暗になる。
「フ、フウ姉さん! この埋め合わせは必ずしますから! というかすぐ帰ってきますから!」
 籠の中から、我は姉さんに叫んだ。
 だが、姉さんからは返答は無い。
「さ、とっとと行くよ。あちらさんも待ってるからねぇ」
 母上が勝手な事を言って、軽い振動と共にどこぞへと運ばれていく。
 こうなっては仕方がない。我は抵抗を諦め、ゲロゲロと鳴いた。

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