ドラポン 第二章 その2


 踊るきつね亭は、店主の亡き妻がその由来となった酒場兼宿屋である。
 きつねのように細い目をした彼女は、いくら客が口説いても言葉巧みにそれを交わし、あべこべに一品余計に注文させたらしい。
 まさか本当にきつねだったわけではあるまいが、もしかしたらという可能性をぬぐいきれない証拠物件がある。
「いらっしゃー……あれ、“ホン”太郎じゃん」
「そこまで言ったのなら「い」まで言え。まったくおまえという奴は」
 それがこの、我がサルーンを開けて踊るきつね亭に入るなり、上記の失礼な発言をしたこの娘。
 彼女こそがこの店の店主ときつね似の妻の娘であり、踊るきつね亭の二代目看板娘、ミヤゼである。
 髪を後ろできつく縛っており、卵を逆さにしたような輪郭と、外側に引っ張られたつり上がり気味の目が確かにきつねを連想させる。
 我はこの店に半常連と呼べるぐらいには通っており、その際使う格好はいつも同じなので顔もすっかり覚えられていた。ちなみにホン太郎は世を忍ぶ偽名である。
「細かいこと言わないの。後ろは?」
「妹だ」
「あら似てない。ま、恋人っていうより説得力あるけど」
 にやっと笑いながら、接客業にあるまじき暴言を吐き、彼女は我の後ろにいたアグノにいらっしゃいませと頭を下げた。
「う、うむ。くるしゅうない」
 アグノは多少たじろぎながら、ミヤゼに対し何故か薄い胸を張った。人間には媚びへつらわないという彼女なりの矜持であるらしい。
 しかしこんな薄汚れた食事処でそんな事をしても滑稽なだけである。その辺りの常識を学ばせるという意図も、今回の買い物にはあったりしたのだが。
「とっても素敵な妹さんね」
 ミヤゼがにっこり、妹を慈みの目で妹を見る。相手がこれでは、妹の社会勉強も望めそうにない。
「ふふん」
 ふふんじゃない愚かな妹め。更に胸をそらす妹の更正は諦め、我はミヤゼに尋ねた。
「なるべく奥が良いのだが、空いているか?」
「え? あぁ今ひと段落したところだからね。そっちの隅へどうぞ」
 するとミヤゼは少々不思議そうな顔をしたが、すぐに丸テーブルの並ぶ店の奥、寡黙なマスターのいるカウンターと反対側のまさしく奥の席を指さした。
 礼を言うと、我はアグノを引き連れてそちらの席まで向かう。
 そうして席に着くと、我は安い椅子をぎしっとならしため息を吐いた。
 妹だの恋人だの。買い物をする度に同じやりとりを何度繰り返しただろう。この町の人間は、我が女連れであることがそんなに珍しいのか。
 こんな事なら他の姿で買い物をすれば良かったと思わないでもない。が、なじみの客であれば色々と融通を利かせてくれるのが人間の店というものなのだ。
 この席を確保できたのもそうだし、肉屋でオマケしてもらえたのもそのおかげだ。
 我ながらせこいとは思うが、この顔はこの町で買い物をする時のサービス券(先程乾物屋のオバちゃんにもらったあれ)のようなものなのだ。
 まぁ美形の妹、というオプションのほうが価値としてはバカ高いことも学習させてもらったが……。おかげでアグノが調子に乗って仕方ない。
「何か食いたい物はあるか?」
 壁には変色した紙にメニューが張り付けてある。それを見ている妹に我が尋ねると、彼女からは「特に」と素っ気ない答えが返ってきた。
 我がため息を吐いていると、ミヤゼが注文を取りに来た。
「ご注文はお決まりでしょうかー? アンタはどうせきつね亭そばでしょ」
「どうせとはなんだそれを一ついただこう。後は……」
 失礼な店員に抗議しながら、我は妹に視線を送った。視線がうろうろとしている所を見るとまだ迷っているのだろうか。
 とりあえず我がお薦めのメニューでも教えてやろうかと口を開きかけると。
「とりあえず、海鮮の叩きというのとケダ鳥の肉盛り、パン盛り合わせ、あとサラダ、それと……」
 我の考えたとりあえずとはまるで違う量の注文を、アグノがずらりと並べだした。この店にあるもの全部と注文した方が早いのではないかという勢いである。
「ちょっと待て、待て! 我が愛しの妹! ひとまずそんなものだ!」
 それに慌てた我は妹を制止し、細い目を丸くしているミヤゼにオーダーを締め切るよう促した。
 買い物代は母上にいただいているが、昼食に関しては我の自腹である。我自身は決して裕福ではない。
「え、いいの? この機雷魚の唐揚げなんかもオススメだけど」
「いいの! 即座に商魂出しよってからに」
 先程まで驚いていたくせに、金が毟れそうだと踏むと即座に追加で一品薦めるミヤゼ。冗談ではないと我が断ると、アグノがポツリと呟いた。
「……唐揚げ」
 妹の表情を見れば、まるで夢破れたかのような至極残念そうな顔である。
「ではそれも一つ追加で!」
 半ばやけになり、我はミヤゼ店員にそう告げた。
「まいどありぃ。いいお兄ちゃんね」
 ミヤゼは細い目を線のようにして笑顔になると、あからさまに弾んだ足取りでカウンターへと向かった。
「まったく……」
 あそこまで現金だと怒る気もなくなる。あのがめつい女が看板娘を名乗っていられるのも、そういうまっすぐさが評価されてのことだろう。
「……もしや、今のは頼み過ぎかの?」
 妹は妹で、今さらそんなとぼけた事を聞く。
「まずはテーブルに乗りきる量を注文するのが一般的な作法だ。覚えておけ」
 そう注意して、我は店内を見回した。
 飯時から少々遅れたせいか、店内はそう混み合ってはいない。
 ピーク時に当たるときつね亭は町の住人と冒険者でごった返し、ミヤゼ一人では手がまわらなくなる程に忙しくなるので、これはまぁ僥倖といえるだろう。
 二階は宿屋となっており、料金の割りに上等なベッドが用意されているのでこれもまた評判となっている。
 我がそんな事を考えていると、ミヤゼが早くも一品目の料理を持ってきた。
「とりあえずサラダね。えーと……」
「ア、アグノ……じゃ」
「そう、アグノちゃん。すぐに次のお皿も来るから」
 おずおずと名前を答えるアグノに、まるで彼女の新しい姉になったかのような笑顔で頷くミヤゼ。
 彼女はテーブルにサラダを置くと、仕事に戻っていった。
「ふん」
 アグノは得意の鼻ブレスを吐くと、サラダを引き寄せてがっつき始める。普段ならもう少し行儀良く食べるのだが、きっと照れているか慣れない人間界での食事で浮き足立っているのだろう。
 我は頬杖をつき、それを微笑ましい気持ちで眺めた。
「な、何じゃ」
「いや、お前はそうしている方が似合うと思ってな」
「わ、わらわを子ども扱いするな! わらわは高貴で偉大なドラゴ……」
 大声で自らの正体をカミングアウトしかけたアグノに、我は人差し指を立てて注意した。
 まるで色男のような我の気障な仕草に、アグノは言葉を飲み、それから眉根を寄せる。
 なんだ兄に見蕩れたのか? サービスでウィンクをしてやると、アグノがザシュッとサラダにフォークを突きたてながら睨んできたので、慌ててごめんなさいと謝る。
 少々の沈黙の後、彼女は苦い表情のままぽつりと言った。
「昨日の事も、感謝などせぬからな」
「昨日? あぁ、アレか」
 アグノの言葉で、我は昨日自分が危うく鍋にされかけていたのだと思い出した。我ながらどうかと思わないでもないが、我は過去を引きずらない性質なのだ。
「しかし何故お前が感謝する必要がある」
 我が尋ねると、アグノはドラゴン特有の威圧感を発揮して我を睨んだ。
「とぼけるでない。あの人間の目当てはわらわであろう」
 なるほど。あの人間がドラゴンを狙ってやってきたのだと聞いていたらしい。それならこやつでも気づいてしまうな。
 我は観念してため息をついた。
 ミュッケ姉様やユマ姉上は、一般的にドラゴンと言われて想起するような形態には変化しない。
 フウ姉さんはドラゴンよりトラ成分のほうが大分高い。
 我はドラゴンに変化することもあるが、あれ戦闘力皆無な見掛け倒しであるわけだし。
 となると残る原因は、自然に目の前の妹のみとなる。
「この前の満月の晩、飛んでいる時に人間の悲鳴を聞いた。聞き違いではなかったのじゃな」
 我のため息で答えを悟ったらしい。アグノは机を睨みながらポツリと呟いた。
 魔物の活性化する夜中に森に入るなど、人間とは時たま不可解なことをする生き物だ。
 そのせいで、ドラゴンの噂があの冒険者の耳にも届いてしまったのだろう。
 とすればその噂は町中に響いていてもおかしくはない。我は周囲を見回し、ちょうどこちらのテーブルへ向かってきたミヤゼに聞いてみることにした。
「ヘイ、ウェイトレス」
「ヘイ、お客さん。追加注文?」
「追加注文はないが質問がある」
「追加注文がない人の質問には答えられません」
「この辺にドラゴンがいるという噂を聞いたことがあるか?」
「へ、ドラゴン?」
 ふざけた事を抜かすウェイトレスに構わず我が質問をすると、彼女は呆けた顔を晒した。それが答えだ。
「知らんなら良い」
 冒険者、町の住人。その両方がそれなりに利用するこの店の看板娘が知らぬのなら、この話はまだこの町に浸透していないのだろう。
 ふふふ、うまく情報を引き出すことができた。我がほくそ笑んでいると。
「この羊のシチューを所望するのじゃ」
「りょうかーい」
「こら!」
 妹が勝手にミヤゼへ追加注文していた。我が取り消そうとする前に、ミヤゼは体をくるりと躍らせるとテーブルから離れていった。
「勝者の余韻をどうしてくれる。というか羊のシチューは昨日食べただろう」
「食べ比べじゃ」
「あまり高貴な趣味と言えんぞそれは。というか」
「何故わらわを庇った」
 我がそこから流れるように別の話題に転じようとした所で、アグノがぴしゃりと話を前の前の話題へと戻した。その目には我を射抜くかのようなドラゴンの威圧感が灯っている。
「お、お前を庇った訳ではない。その、脅すのに失敗しただけだ」
 その眼力から逃げるように視線を一旦そらすが、そのまま目を離していると不意に噛み付かれそうで、またそちらに視線を戻す。
 戻すたびに妹の視線が厳しくなっているような気がして、我の狼狽はどんどん大きくなっていった。
「あの人間に言った、頭の葉っぱが飛んでしまったという理由かや」
 そんな我を嘲るように、アグノが小さな牙を見せて笑う。
「わらわはそなたが変化に葉っぱを使うところなど、見たことないのじゃ」
 その通り。我が変化をするのにあのようなものは必要がない。ああいったものが必要なのは、たぬきの中でも老人か赤ん坊ぐらいのものである。
「……盗み聞きなどドラゴンの所業ではないぞ」
 完全に逃げ道を塞がれ、我は苦し紛れにそう呟いた。しかしアグノはそれを歯牙にもかけず、更に強い視線で我を睨みつける。
「何故、わらわに黙ってあのような事をした」
「……知ったらお前は気にするだろう。飛ぶことを遠慮する」
「そんなこと、ないのじゃ。というかわらわが飛ぼうが飛ぶまいがそちには関係あるまい」
 アグノは一瞬言葉を詰まらせた後、我にそう切り返した。その言葉で、我もまたぐっと喉が詰まる。
 確かに妹が飛ぼうが飛ぶまいが、我の生活には影響がない。というか飛ばない方が平和に暮らせるというものである。
 しかし、だが、それでも、である。色々と頭の中で理由を並べたてて、我はようやく言葉を搾り出した。
「飛ばないと勿体無いだろう。お前はドラゴンなのだから」
 しかし、それを言った瞬間、そういう事を言いたかったのではないと、心の内から声がする。何やら胸に穴が開き、そこから流れ出た良くないものが胃に流れ込む感触がした。
 空っぽの胃に突如流れ込んだ不快感に、我が座りを悪くしていると。
「そなたとてドラゴンじゃろう!」
 アグノがやおら立ち上がり、机に手を叩きつけると我に向かってブレスを吐くかのような勢いで叫んだ。
 あまりに急な出来事に、我はぽかんと口をあけることしか出来ない。
「それを……それを……」
 そんな我にいっそう怒りが蓄積された様子のアグノの体が、ぶるぶると震えた。そして蓄えられたそれを即座に解放。
「それをあのような人間にヘコヘコしおって! そなたにドラゴンの矜持はないのか!?」
 アグノは怒りの咆哮を放った。
 彼女の剣幕と、その発言の内容に、我の頭がくわんと鳴った。
 ドラゴンの矜持? そんなもの、我には……。言い返そうとしたが言葉が出てこない。口をパクパクと動かす我。
「どったの?」
 隅とは言え、これだけ大声を出せば目立つ。盆を持ったミヤゼが何事かとこちらに向かってきた。
「あ、あ、う、な、なんでもないなんでもない」
 ようやく硬直が解け、我は彼女に対し必死で誤魔化す。
 アグノもさすがに注目を集めていることに気づいたらしく、大人しくなって椅子に座りなおした。
「アグノちゃんのこと、いじめちゃダメよ」
 なぜ我が一方的に悪者になるのだ。と、アグノを見るとこれがまたシュンとした顔をしている。
「はい、アグノちゃん。これ食べて元気出してね。アンタにもほら、これ食って反省しなさい」
 ミヤゼがアグノと我の前に、それぞれきつね亭そばを置いた。
 頷いたアグノはそれをひと口で吸いつくすかのような勢いで啜り始める。
 何なのだ一体。混乱した胸のうちで呟いて、我もまたそばをかっ込み始めた。

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