ドラポン 『第二章 たぬきと世界』 その1
「アグノー。アグノー。出ておいでー」
「わーい。なんなのじゃ兄うえー?」
「今日は世界のべんきょうをするぞー。アグノはここがどこか分かるか?」
「もりなのじゃ!」
「じゃぁここは?」
「もり!」
「ここは?」
「もーりー!」
「よくできました!」
「えへへへへ」
「世界は大体が森だ! むかしは人間が石で道を固めてらしいけど、今はちがう!」
「なぜなのじゃ?」
「いきなりあらわれた魔王が、一瞬で世界を森に変えてしまったのだ!」
「おー」
「森は石の道を叩き壊し、そして森からは魔物があらわれた!」
「わー」
「人間達は怒って魔王とけんかになった! 色々あって人間が一度は勝ったのだけれど、魔王はちょっとすると復活して、またけんかになったらしい」
「なぜなかよくできないのかの?」
「まったくだな。そんなわけで人間は今、森のないところでぎゅうぎゅうにつまって暮らしている。そして今も魔王とけんかをしているのだ」
「ねえ、あにうえ」
「なんだろうかわいい妹よ」
「まおうとにんげんがけんかしているとき、どらごんとたぬきはなにをしていたのじゃ?」
「まったくの不明だ」
カザブランという町は、我の(四本の)足で一時間程の場所にある人間の小さな集落である。
立地としては首都からも魔王の城からも離れた田舎町だ。
しかし、海に面した港町ということもあり、それなりの賑わいを見せている。
未発見の遺跡(数千年前に隆盛を極めていた人類のものである)も多数眠っているという噂もあり、遺跡荒らしもとい冒険者や、それをカモにしようと道の左右に露天を広げる商人達が相まってごった煮となっていた。
町というのは除草の魔法結界を円形にかけ、足下から迫る森の進行を食い止めて形成するものだ。
しかし、この町では冒険者の落とす金を、組合の許可を得ていない商人が吸っているのか。それとも町長がケチっているのか。
それほど強い結界を維持することができず、道のあちこちに生えた雑草を抜くことが、子供達の良い小遣い稼ぎになっている。
「おうい、アグノー!」
時たま籠を背負った子供達が足下を通る。それを避けるたびバランスを崩しながら、我は妹に呼びかけた。
「何じゃ?」
振り向いた妹はもちろん人間の姿をしている。その顔は平素通り……と言ってはなんだが非常に不機嫌そうだ。
十年ほど前まではこんな顔が基本ではなかったのだがなぁ。我は心の中で嘆息した。
「もう少しゆっくりと歩いてくれ。もしくはこの荷物を少し受け持ってくれ」
我もまた、この町に入る前に人間の姿へと変化していた。
一見冴えないけれどよく見るとハンサム。というトラブルに巻き込まれにくい絶妙な変化である。
しかし今の我の表情は困り顔。そして手にはいっぱいの荷物を抱えていた。
「フン」
だが、妹はそんな困り顔の我のことなどそ知らぬ顔である。
彼女は形の良い鼻からブレスを吐き、スタスタと先を歩いて行ってしまった。
荷物を持ってもらう方は望み薄と判断して後者に回したのに、前者まで叶えられないとは。
妹の機嫌は今日も悪い。彼女がいたいけな市民に八つ当たりしては困るので、我は急いでアグノに追いついた。
「何を怒っているのだ」
「何ゆえ、わらわがそちと買い物など……」
問いかけると、彼女は我に答えると言うよりは独り言を呟くような調子で愚痴った。
「仕方がなかろう。ユマ姉上は小さいし、フウ姉さんは目立つ。ミュッケ姉様は日光に弱いしな」
ユマ姉上は、影を操れなければ見た目通りの腕力しかないし、フウ姉さんは人間と言い張れるよう姿をお持ちではない。
気を抜かなければ大丈夫とはいえ、太陽と衆人が見ている中にミュッケ姉様を連れ出すのも危険である。
ちなみに我が家にも陽が射しているが、これはミュッケ姉様自身が所望したもので、除草用の結界も彼女が定期的に張っていた。
縁側が彼女のベストプレイスであることが示すとおり、吸血鬼でありながら彼女は日光の奴を愛しているのだ。
それこそ身も焦がれるほどに、である。
それを思うと今我をじりじりと焼く熱線がより憎らしくもなるが、我が姉様の膝の上でぽかぽかと眠れるのは奴のおかげでもある。
なので寛大な心で許してやろう。
「母上は仕事だしな」
我が家の暮らし向きは、そのほとんどが母上が人間界で稼いだ金によって維持されている。
我や妹が大食いであることを考えると、毎月結構な出費だと思うのだが、我は特にひもじい思いをせずに今まで育ってきていた。
となると不思議なのは母上の収入源なのだが、彼女は自らの仕事について明かしたことはなく、その働きぶりは息子の我にすら謎のままである。
見つかったらたぬき鍋にされるような職種でないことを祈るばかりだ。
しかしまぁ、このあたりのことはアグノも分かっているのだろう。彼女の言葉はやはり愚痴である。
そんなに我と買い物がしたくないか。荷物持ちにすらならないのなら、一人で来れば良かった。
などと、妹とは違い内心でつつましく愚痴る我。
だが、その前に腕のキャパシティが限界を迎えようとしている。今日は我が家の備蓄食料、日用品などが一斉に破損、もしくは底をつき、必要な荷物が大量にあるのだ。
おかげで我は現在、皿を回しながら細い縄の上を往く、茶釜をかぶったたぬきのような曲芸を強いられている。
嘆くべきは人間社会の利便性に浸りきった自らの脆弱さなのかもしれないが、でもマジで便利なんだってこれら。
「なぁ愚妹よ」
「誰が愚かな妹か!?」
「愚妹というのは愚かな私、その妹と言う意味で、お前が実際に愚かかどうかは関係ない」
「馬鹿にしておるとしか思えぬのじゃが?」
インパクトのある言葉で振り向かせたまでは良かった。だが、それが利き過ぎたようで妹はずんずんとこちらに詰め寄り、口の中の小さな牙を見せた。
「い、いや、そうではない。とりあえず昼食にしないか?」
その脅威に若干おびえつつ、我は誤魔化す訳ではないが妹にそう提案した。腕もそうだが我が腹も中々の疲労具合である。
「別に、かまわぬが」
叱り飛ばされるかなとひやひやしたが、妹は目を逸らすと拍子抜けするほどあっさりと頷いた。
案外彼女も腹の虫をぐぅぐぅ鳴らしていたのかもしれない。そう思うと愉快である。
「よし行こう。あそこにある踊るきつね亭の麺は最高だぞぅ」
言って、我は妹を追い越し先を歩き出した。アグノは何やら暗い顔をしていた気もするが、まぁ気のせいであろう。
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