「Iam Not Heroine――僕らのモラトリアム」

 第四章 「Their Moratoriums」 その7


 その日の夜。
「どうだった?」
「めっちゃめちゃ怒られました」
 二時間程してからゲヘナの部屋から出てきたカノヌが、珍しくげっそりした様子でそう呟く。
 あの寡黙なゲヘナがこんなに長い時間かけたという事は、相当怒っていたに違いない。
 ……あれから家に戻った俺達は、何はともあれゲヘナに謝る事にした。
 今回の件に関しては俺にも多大な責任がある。のだが今後も活動を続ける上で俺の正体を言う訳にはいかず、結局はゲヘナがカノヌとマンツーマンでお説教となった訳だ。
 多少きまりが悪く、俺も部屋の外でじっと待っていたのだが、予想以上に時間がかかり、もしや中でバターにでもされてしまったのではないかと心配していた所だった。
「でも、許してはもらえたんだろ?」
「ええ、危うく明日のパンに塗りつけられるところでしたが」
 ……ジャムにされる寸前だったのかもしれない。
「それと、もう一つ許す条件が」
「ほう」
「私も料理を覚えること。ただしお弁当以外。だそうです」
「可愛い事言うじゃないか」
 元々レパートリーの少ない俺に料理初心者のゲヘナである。
 料理の作り手が増えるのは大変助かる。
 しかし彼女は、昼休みの弁当だけは自分の役目と考えているようだ。そのうち俺もお役御免になるかもしれない。
「貴方がたは、私の不器用さを舐めているのです」
 そんなことを思っていると、カノヌは唇を尖らせそんな風に愚痴った。
 まるで童女のようだ。
「人の体こんだけ器用に改造しといてそれはないだろ」
「アレは愛情の賜物です」
 ……間違いなく俺への愛情、じゃないんだろうな。
 まぁいいけど。
「へいへい、んじゃ料理にも愛情篭めれば大丈夫だよ」
 適当にあしらってから、俺はこの二時間考えていたことを、彼女に尋ねてみることにした。
「何で、俺だったんだ?」
「何がです?」
「彼女に、彼女と関係した人間がそんなにいたなら、もっとアイツと年の近い奴はいたはずだ。女だっていたんだろ?」
 それを、改造してまでなぜ俺を選んだのか。
 問いかけるとカノヌは、半眼になってから「今度こそ真剣に尋ねますが、本当に聞きたいですか?」と尋ね返した。
 彼女の関係人数に関してはいいえと答えたのに勝手に言ってきた女が言い淀むとは、余程のことだろう。
 しかし今回ばかりは気になる。そんな態度を取られれば余計に。
 覚悟を決め、俺は頷いた。
 カノヌはふぅと息を吐くと、唐突に尋ねた。
「宇宙クジラミアという病気をご存じですか?」
「いや、クラミジアなら知ってるが」
 一瞬言い間違いか? とも思ったがそうではないらしい。彼女の表情は揺るがない。
 言い間違いだろうが揺るがない気はするが、唐突である事もまた揺るぎない。
「宇宙クジラミアは、クラジミアと同じく陰部に感染する病気です。ですが、潜伏期間は十年以上、男性が発病すると天文学的な増殖速度になり、痒みも増幅、治療は困難、挙げ句の果ては発狂死という悲惨な末路となります。感染原因は主に性交で、感染確率は低めなのが救いでしょうか」
「え、まさか」
 猛烈に嫌な予感がして俺が尋ねると、カノヌは若干眉根を寄せた表情で頷いた。
「姉は宇宙クジラミアのキャリアでした」
「のおおお!」
 あ、憧れの人がパンツの中の病気。
 しかもそれを自分にうつしてただって?
 ショックにも程がある出来事に、俺は胸を押さえのたうちまわった。
 部屋の前で騒がれてはまずいと判断したのか。カノヌは俺を廊下の奥へと引きずっていく。
「貴方に感染した宇宙クジラミアは頑強極まりなく、その進行は既に妨げる事ができない状態でした。私は仕方なく貴方を女体に改造し、ついでなので計画に巻き込むことにしたのです」
 寝そべった俺の首根っこを掴んだまま、カノヌは語る。
「ちょっと待て、俺はお前に仕事の依頼をされてから改造されたんだぞ。それじゃつじつまが合わないだろう」
 一生懸命抵抗すれば起き上がれるが、それをするほどでもない微妙な姿勢と言う事でそのままのポーズで甘んじている俺が問うと、カノヌはふっと息を吐いた。
「貴方は覚えていませんが、私達は事前に何度も会っているのです」
「お前みたいな奴、忘れるとは信じ難いな」
 カノヌは俺の頭側から俺を覗き込んでいる形になるため、普段より唇の動きが妙に目立つ。俺が密かにドキドキしていると、奴はしれっと答えた。
「キャトルミューティレーションという言葉をご存じありませんか? 私達からすれば地球人の記憶を改変するなど容易いことです」
「つまり俺は事前に拉致されて調査されてたってのか!?」
 奴が放った発言は、唇なんぞより俺の胸をもっと盛大に跳ねさせた。巨大宇宙船が街に光臨したときより宇宙人の脅威を感じたぞ今。
「個人面談も行いました。その結果貴方は非常にノせられ易くお嬢様に手を出しそうにはない童貞野郎だと判明しましたので、採用したのです」
「他にもうちょっと言い方あるだろ!? つうか俺お前に何話したんだ」
 何を吐かされてるんだ記憶を消された俺。具体的にはどんな乗せられ方をしたのだ。気が気でない。
「言えば心臓が停止してしまいますよ?」
「そんなにか!」
「私の」
「本当に何を言ったの俺!?」
 俺の叫びに、カノヌはウフフと笑って返した。
 ……今普通に笑ったよな、こいつ。
 それに悔しくも見惚れた隙に、カノヌは俺の首根っこと床の間に自らの膝をさしいれ、その太ももの上に俺の頭を落とした。
 ぽふんと、冗談みたいに柔らかい感触が俺の後頭部に響く。
 しかしそれに動揺するのが癪で、俺が平然とした顔を保とうとしていると、カノヌはいつもの鉄面皮に戻って再度語りだした。
「クジラミアのキャリアは貴方だけでした。響野貴人はもちろん、あの女と関係を持った他の人間にも感染は確認されておりません」
「そりゃ良かったな」
「今、嫌な顔をしましたね」
「うっ……」
 カノヌに指摘され、俺は呻いた。
 自分の膝枕では表情を変えなかったくせに、彼女の事で動揺したのが余計にまずかったのかもしれない。カノヌは気のせいか憮然とした顔をしている。
 しかしその、俺が表情を変えたのはそういう事ではないのだ。
 彼女には他にも沢山俺の代わりの存在がいて、そいつらは今も彼女を想い続けている。
 確かにそう考えるとやはり胸がざわめくが、きっとこの気持ちもその内落ち着いていくことだろう。
 俺にはあのめんどくさい連中の為に、もうちょっとだけ時間を稼ぐという骨の折れる役目があるのだから。
「そうそう」
 俺が未来に目を向けていると、カノヌが思い出したかのように呟いた。
「あん?」
「貴方が宇宙クジラミアだという情報を送ったのは、うちのアレです」
「アレってーと……」
「あ………ねです」
 心底言いたくなさそうに、絞り出すようにカノヌがその単語というか文字を口にする。
 あ、ね。こいつの姉っていうと……。
「なんだとぉ!」
 ようやくカノヌの言葉の意味に気付き、裏返った声を出す俺。
 ガツン。同時にカノヌが俺の頭の下からいきなり膝を抜き、俺は後頭部を床に激突させた。
「うっ、っつぅぅ」
 ……彼女。美冬さんは任務を放棄して逃亡中の身のはずだ。それが、わざわざカノヌに連絡を取って俺の病状を知らせるなんて。
 そうか、彼女は俺を見守ってくれていたのか。
 痛みに呻きながら、そんな事を考える。
「……嬉しいですか?」
「そんなに子供じゃねぇよ」
 少なくとも、それを表に出す様なヘマはしない程度には。
 しかし立ち上がって俺を冷たくカノヌにはばっちり見破られているようで、その試みも失敗気味なのかもしれない。
 ……俺が未来をしっかり見据えられるのも、もうちょっと先かね。
 流石に何事かと顔を出したゲヘナに何でもないと手を振って、俺は息を吐いた。

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