「Iam Not Heroine――僕らのモラトリアム」
第四章 「Their Moratoriums」 その8
――平凡な貴人家にも特筆すべきところがある。
彼の家の裏は立ち入り禁止ではあるが空地となっており、ベランダから空を見上げると妙な解放感があって気分転換にはもってこいなのだ。
動乱の一日を終え風呂から上がった俺は、絹子に教わったブローとやらを半分ぐらいの行程だけこなしベランダに向かった。
するとそこにはゲヘナが先客となって星を眺めており、俺が来たことに気づくとこちらに顔を向け、恐らく若干頬を緩ませた。
「長居してると風邪ひくぞ」
「美冬、こそ」
茶化す俺に、ゲヘナが言い返す。
言うようになったもんだ。俺は彼女の隣に並んで空を見上げた。
半田舎だけあって星もうるさくない程度に見える。満天の星空というのも悪くないが、毎日見上げるのであればこの程度の方が落ち着くものだ。
「カノヌの事、ありがとう」
そんな事を考えていると、不意にゲヘナがぽつりと呟いた。
「あぁ? いや、あれは俺の手柄じゃねぇよ」
カノヌを止めた事についてだろう。バツが悪くて俺は痒くもない頭をかいた。
あれは俺じゃなくて、勇気を出して告白したゲヘナとそれに答えた貴人のおかげだ。
しかし彼女はゆっくりと首を横に振ると、口の端をわずかに上げながら言った。
「カノヌが、美冬のおかげで目が覚めたって言ってた」
「あいつが……」
そんな殊勝な事を言うだなんて。そういうのはぜひ本人の前で言ってもらいたい。
いや、そんなセリフ聞いたらどんな意図があるか戦々恐々としそうだから、やっぱり言わんでいいか。
「そういえばお前、アイツにたっぷり説教してやったみたいだな」
「うん、貴人に、私の気持ち知られちゃったし」
俺が先程のカノヌの様子を思い出しながら問いかけると、ゲヘナはむっと眉間に皺を寄せて呟いた。
それが照れ隠しのポーズである事ぐらいは、俺も見抜けるようになっている。
「まぁまぁ、返事は保留になったんだし、あんまり意識しないでやってこうぜ。また俺も手伝うからさ」
そんな訳で笑いながら彼女を励ますと、ゲヘナの表情がふっと消えた。
いや、少し真剣なものになった。
「ううん、いい」
「いいって? まさか貴人の事諦めるとか」
「そうじゃないの。でも、美冬の手伝いはいらない」
「えぇ!? な、なんでだよゲヘナ」
困惑する俺に、彼女は真面目な顔のまま言い放った。
「だって美冬は、らいばるだから」
「ら、らいばる?」
俺が問い返すと、ゲヘナは力強く頷いた。
それから、俺の前で両手を大きく広げ、自らの肩を抱くジェスチャーをした。
――これは、アレを示しているのだろう。
俺が宇宙船から帰還し、ゲヘナ達の前に戻った時の事だ。
カプセルから出された貴人の野郎が、いきなり俺に抱きついたのだ。
乳を押しつぶされ悲鳴を上げる俺に構わず良かった良かったと連呼する貴人が離れるまでに、俺は三途の川を三往復はした。
お前女性恐怖症はどうしたとか、女子に告白された直後にそんな事すんなとか、その後散々抗議したのだが、貴人には例の爽やかスマイルで「ごめん心配だったから」で済まされた。
それに対し「ば、バカ……何言ってんだよ」みたいなリアクションを返してしまった事を、俺は一生後悔しようと思う。
そんな訳で俺にとっては痛みしかないエピソードだったが、ゲヘナの闘志を燃やすには十分な出来事だったらしい。
「美冬はライバルだから、手は借りない」
そう、はっきり宣言した。彼女の瞳の奥に例の虹色の光がちらついている。
「え、いやだからあれは誤解だって。俺はあいつの事なんて全然何とも思ってないから」
「ツンデレ」
「違ぇよ! ちょ、ゲヘナってば!」
どこで教わったのか、多分あの腐れ宇宙人だろう。ゲヘナは俺の弁明を一言で切って捨て、ベランダから出ていこうとする。
そしてガラス戸に手をかけたまま、振り向いて一言。
「でも、友達だから」
そう言って、彼女はガラス戸を閉め寝室へと帰っていった。
俺はその卑怯な一撃で、なんかもう全身の力がへなへなと抜け、その場にへたり込む。
そっか、友達か。友達ではいてくれるのか。
でもライバル……いつの間にか俺は、あいつを取り巻く女子の一人としてカウントされてしまっている。
……まぁそれも別に。ってアホか。こんな状態に居心地の良さを感じてどうするんだ。
くそ、それもこれも全部……。
思ったところで、ガララっとガラス戸が開いた。
「ゲヘ……」
ゲヘナが戻ってきたのかと、忠犬の如く俺が笑顔で顔を上げると、そこにはすべての元凶。
「あれ、こんな所で何やってるの、美冬?」
響野貴人が立っていた。
奴は何が嬉しいのかいつものニコニコ顔で俺の傍に寄ると、伸びをした後俺の顔を覗き込んだ。
ドキッっと、俺の心臓が自らの意思と関係なく跳ねた。
……いや、ビクリと、だった気がする。うん、きっとそうだ。こ、この野郎。
怒りに燃えた俺は、ゆっくりと貴人の首に手を回す。
「み、美冬?」
近づいていく二人の顔、そして赤く染まる貴人の顔。
「うるせー! お前のせいで俺は、俺はなぁ!」
そして俺は、何か期待している様子の奴の首を掴み、ブンブンと振った。
「ちょ、危ないって美冬! お、落ち着いて」
「俺は、お前になんか絶対攻略されるもんか!」
――こうして、俺の奇妙な生活はもう少しだけ続く事になった。
こいつらが答えを見つけるのが先か、それとも俺の忍耐が限界を迎えるのが先か。それは分からない。
ただ、それが。その終わりができればもうちょっと先であることを。
「こんな所で暴れたら本当に落ちるって! わ、わ!」
「バカどこ触って……んっ、わ、ギャー!」
俺は心の底で願っている。多分。
I am Not Heroine 了
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