「Iam Not Heroine――僕らのモラトリアム」

第三章 「They are Heroines, Too」 その4


「それじゃ、また明日ねー」
 絹子が満足げに手を振り、一時間前よりツヤが増した感のある髪をなびかせながら出ていく。
 俺は男の尊厳を破壊つくされ、お姉座りからよろよろと立ち上がった。
 年下のお姉様に着せかえ人形にされることが、こんなに精神を磨耗させるとは。
 違う違う、あいつはけっしてお姉様とかではない。
 いかん、完璧に混乱している。
 頭を振って、俺が正確な認識を取り戻そうとしているところで、またも玄関の扉が開く音がした。
 絹子の奴、なんか忘れ物でもしたか?
 恐る恐る玄関まで出迎えに行くと、そこにいたのは貴人だった。
「おかえり。あれ、ゲヘナは?」
 問いかけるが返事がない。
「おーい?」
「え、あ、はい。なんか一人で買いたい物があるって言うから」
 途中で別れた、と。
 何だろう。もしかして貴人にプレゼントでも思いついたか?
 いや、でもゲヘナだしなぁ。
 などと俺が考えている間も、貴人はこちらをじぃっと見ている。
「な、なんだよ」
「いや、その格好……」
「似合わなくて悪かったな」
「そんなこと無い! すごく似合ってるよ!」
「……そう力説されるのも、なんか複雑だな」
 めくるめく着せかえの末、絹子が最終的に選んだのは黒いミニスカートに、胸の所にフリフリのひだがついた丈の短いシャツとしたという組み合わせだった。
 それに合わせて髪もアップでまとめられ、絹子の所有物であるクリップで留められている。
 フリフリで敢えて胸のボリュームを誤魔化し、美冬ちゃんの持つ可愛さ、愛くるしさを引き出したファッションですとは絹子の解説である。
 酷い目にあった末の格好なので褒められると報われた気もするが、相手は男だし自分もそもそもは男なので、あまり嬉しくもない。
「今着替えて飯の準備するから、ちょっと待ってろ」
「えー! 絶対もったいないよ!」
「……お前って、結構絹子に人格形成担われてるのな」
 先程絹子に全く同じセリフを聞かされたことを思い出した俺は、苦笑せざるを得なかった。
 やはり絹子はこいつが立ち直るのに大きな役目を果たしていたらしい。
 ま、ミニスカに興味があるのは健全な男子の証拠だ。
 こいつにそんな物があったことに敬意を表して、俺はしばらく着替えないでやることにした。
 回れ右して台所へと向かう。
「……あ。あ、絹子ちゃん? あぁ、そういえばその髪留め」
 一瞬間があったが、貴人がめざとくそれに気づく。
 なんか間がある場所がおかしかった気もするが。
「このカッコ、あいつがやってったんだよ。俺の趣味なんかじゃねぇからな」
 ついでにこの際きちんと誤解を解いておく。
 普段はガサツだけど実は可愛い物好きなんて属性をつけられたら、たまったものではない。
「絹子ちゃんとも仲良くなれたんだね。良かった」
「んだからそんなんじゃねぇよ。こっちは人質を取られて無理矢理だな」
「人質?」
 正確にはちちじちだが、経緯的にも発音的にも言いにくいことこの上ないのでその後は言わないでおく。
 エプロンをつけ、調理再開である。
 切っておいた野菜を火にかけ、菜箸で均等に火が行き渡るようにしていく。
 アップで髪をまとめるのはアリかもしれない。
 普段無造作に束ねるより邪魔にならないしな。
 これだけは詳しいやり方を絹子に尋ねようかなんて俺が考えながら料理していると、なんだか妙に視線を感じる。
 背後をチラリと見ると、貴人が頬杖をつきながら俺を眺めていた。
「ジ、ジロジロ見てんなよ」
「比べろって、君が言ったんじゃないか」
 俺が注意すると、貴人はニコニコしながらそう答えた。
 こいつ、どっちかって言うと俺が嫌がる姿を楽しんでやがる。
「俺は対象外だっての!」
 俺は攻略ルートの無いただのモブキャラだ。
 お前に脈はないとはっきり言ってやったのに、貴人は相変わらずアルカイックスマイルを浮かべている。
「アホ言ってる暇があったらお前も手伝え」
「あ、うん、分かった」
 仕方なくそう言うと、彼は返事をし、隣へ来て俺の指示の元晩餐作りを手伝う。
 しばらくして行程が一段落したところで、俺は魔が差し貴人に言った。
「お前のこと、ちょっと見直した」
「へ、何で?」
「さっき絹子と話してて、その、あの人と別れた後もがいて立ち直ったんだって話を聞いて」
 俺は、そんな風には生きられなかった。
 彼女がいない生活から耳を塞いで目を塞いで、ここまで乗り切っただけだ。
 そんな俺の横顔をちらりと見てから、貴人が答える。
「……僕ががんばった訳じゃないよ。絹子ちゃんには、いっぱい迷惑をかけたし。それに」
 まだ立ち直れた訳じゃない。多分そう言おうとして、貴人は口をつぐんだ。
「また撫でてやろうか」
 褒めたかったのにまた貴人を傷つけてしまったようで、俺は冗談めかしてそう提案した。
「いや、今はいいよ」
 いつもみたいに慌てるかと思ったが、貴人は存外クールにそれを流し、俺の顔をじっと見た。
「な、何だよ」
「代わりに、君に触れせてくれないかな?」
「はぁ?」
 貴人の唐突な提案に、俺は裏返った声を上げた。
 いくら中身が男とは言え、俺の外見は女だぞ。今日は特に。
 それに触りたいとはどういう了見だ。
「その、練習したいんだ。相手から触れられるより、自分から触った方がすぐにやめられると思うし」
 不審な顔をする俺に対し、貴人は慌てて弁解した。
 普通の女子に言ったらあんまりなセリフだと思うが、まぁ相手は俺なので良しとしよう。
「練習、ねぇ……」
 確かにこの間みたいにゲヘナをはねのけられても困る。
 それに俺が断って、他の女に「練習だから」なんて迫っても面倒な事になりそうだ。
「しょうがない。どうぞ」
 ため息をついた俺は、両手を後ろに組んで体を貴人に差し出した。
「いや、触りたいのは手、なんだけど」
 すると貴人はやおら赤面し、俺にそう訂正する。
「なんだ。それならそう言えよ」
「ぼ、僕が言わなかったら、どこ触らせるつもりだったのさ」
「俺はお前の良識を信頼してるよ」
 言いながら手を差し出す。そうは答えたが、実際は特に考えていなかったというのが本当の所だ。
 無抵抗で実験台になるってイメージが強すぎたせいだな。
 貴人はしばらく口の中でもごもご言っていたが、やがて俺の手に自らの手を伸ばした。
 二、三回躊躇うように中空で指を動かした後、覚悟を決めたようで俺の手を握る。
「あふん」
「は!? ご、ごめん、痛かった?」
 女のような悲鳴を上げた俺に、貴人が慌てて自らの手を離そうとする。
 それをとっさに逆の手で包み大丈夫だと訴えながら、俺は悲鳴の原因について答えた。
「痛くはないけどその、エロい」
「エロい!?」
「なんだ、その、手の動かし方が」
 貴人の手は俺の手を握ってはいるのだが、それがモニモニと蠢くのでこそばゆいったらない。
 つうか今ので確実に女性ホルモン出たぞテメェ。
 ……やっぱり、まだ女に触れるのが怖いんだな。
 そう察した俺は、貴人に言ってやる。
「ま、前も言ったろ。俺のことは男だと思えって」
 すると貴人は難しい顔をして、俺と同じように空いた手を更に俺の手に重ねながら、力強く言った。
「それじゃ意味がないんだよ。僕は、君が魅力的な女の子だと思うからお願いしたんだ」
 今まで言われたことのない褒め言葉に、一瞬頭が真っ白になる。
 俺が、魅力的な女の子?
 そりゃ、カノヌに美少女に改造されたし今日は絹子にも着飾られたけど、中身はただのおっさんだぞ?
 嬉しくない訳じゃないが、あくまで絹子のコーディネートが褒められて嬉しくない訳じゃないが、俺はその、こいつを騙してるわけで。
 そうまっすぐ見つめられると、罪悪感で胸がドキドキしてくる。
 その振動が手首の脈まで伝わり、貴人に伝わってしまうのではないかと考えると余計に鼓動が早くなる。
 やめろ。誰か俺の心臓をいろんな意味で止めてくれ。
 顔を俯かせながら、俺がそう願っていると。
「……あ」
 ビクゥ!
 不意にあげられた声に、背中がビクリと震える。
 本当に心臓が止まりかけた俺が恐る恐る振り向くと、居間の入口にはいつの間にかゲヘナが立っていた。
「お、おかえり」
「おかえり……」
「ただいま」
 挨拶をしてから、ゲヘナが俺と貴人の繋いだ手をじっと見ていることに気付く。
 お互い慌ててシェイクハンドのような事を二三回してから、その勢いで手を放した。
 そしてしばらく、沈黙が続く。
 それから俺は、遅まきながらゲヘナが後ろ手に何か持っている事に気付いた。
「えーっと、何買ってきたんだ?」
 まるで娘のご機嫌を取ろうとする父親のように、恐る恐る尋ねる俺。
「……内緒」
 短くそう答えると、ゲヘナはスタスタと部屋へ帰ってしまった。
 結局、彼女が俺達の行為をどう思ったのか。そして彼女が去る時に見えた、後ろ手に持った箱の正体も分からずじまいだった。

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