「Iam Not Heroine――僕らのモラトリアム」
第三章 「They are Heroines, Too」 その2
「オバちゃん関西が長かったからな。つい関西弁が出ちゃうんよ」
「オバちゃんの名前は秋菜な。秋菜さんって呼んでくれてもいいんよ」
「オバちゃんダイエットの為に靴通販で買うたらこれが大当たりでな。ついいつもより遠くまで歩いてきてもうた」
オバちゃんが語ったのは、主に上記の三点だった。
そこにたどり着くまでに寄り道回り道を繰り返したがとりあえず割愛。
俺に分かったのはオバちゃんがネイティブ関西人でない事と、この人をオバちゃん以外の呼び名で呼ぶことは無いであろう事だけだ。
そんなこんなでオバちゃんが俺達を連れてきたのは、貴人の家より築十年は経過していそうな木造の家だった。
表札を見ると「織江」と書いてある。
桐生院が名字で名前は織江だったはずだよなとパンダ顔を見るが、彼女はパンダ頬を膨らまし、ふてくされたように顔をそっぽへ向けた。
遠慮せんと入って。とおばちゃんに家の中へと通され、買い物袋を降ろすおばちゃんの横を通り、俺はいつの間にか妙にこざっぱりとした部屋へとたどり着いていた。
「ここは……」
「私の部屋。ちょっと待って……なさい」
それだけ言うと、彼女はバタンとドアを閉め、外へ出ていってしまう。
……よくわからん内に女子の部屋へと進入してしまった。
畳の上にカーペットを敷いてある部屋の中に、主な家具は勉強机にCDラック。それとパソコン。
部屋の隅にあるタンスは妙に古く、なんだか分からないキャラクターのシールが張ってある。
総じて普段派手派手のだのだしている奴の部屋とは思えないほど、生活感に溢れていた。
しかし女子の部屋だというのは所々に置いてある小物や雑誌が主張しており、俺を妙な緊張へと誘う。
「何正座してんのよ」
ガチャっという音と共に再び扉が開いたのは、それから十分ほど経ってからだった。
「な、何もしてねぇ証明の為に正座をだな……」
振り向いた俺だったが、そこに桐生院はいない。
「どなた?」
「だから織江美咲よ」
「はぁ、初めまして」
「あなた本当に性格悪いわね!」
そう言われても、俺だって別に意地悪で言った訳じゃない。
俺の目の前にいる桐生院――織江は本当に先程までとは別人のようだった。
あの痛々しいツインテールはほどかれ、髪は少々癖のあるストレートになっている。
そしてあのパンダメイクが剥がれた顔は、薄い眉が少々キツめの印象を与えるが、それもコミでまるで抜き身の刀のような美しさを持つ物へと変容していた。
「……何で普段からその格好してねぇんだよ」
あんな奇怪な格好をするより、この方が余程貴人の気を引けるだろうに。
今まで気にもしなかった長い足で俺の目の前を通る織江に、ゲヘナを応援しているという自らの立場も忘れ、俺は思わずそう尋ねていた。
「こ、これは、変装よ」
すると彼女はスカートに包まれた尻を向けたままそうやって答え、そのまま口をつぐんだ。
変装……少々聞き捨てならない言葉だ。
彼女の今までの態度が演技であり、本当は貴人に危害を加えようと画策している等の理由であれば放置する訳にはいかない。
「貴人に聞いてみても良いんだぞ」
我ながら卑怯であるとは思うが、そんな脅迫の言葉を俺は彼女の尻に投げざるを得なかった。
「ぐっ」
すると織江は短く呻いて、ベッドに体を預けた。
ローアングルからの無防備な姿勢に俺がドギマギしていると、彼女はやおら上半身を持ち上げ、やけくそ気味に言い放った。
「分かったわ! 言えば良いんでしょ、言えば!」
足を組み、俺を睥睨する。
「私はタカとは幼なじみなの。私は五年前に引っ越したんだけど」
「オバちゃんが言ってたな。再婚が決まって旦那の方の家に引っ越したんだっけ?」
オバちゃんが言うには、元旦那と死別した後こちらに来ていた現旦那と激しい恋に落ち、彼を追って関西へ一度引っ越したらしい。
その後、両親の介護の為今年この街へ戻ってきたそうだ。
なんか物凄くどうでもいいノロケ話に聞こえたので、今まで忘れていたが。
「そうよ、それで苗字が織江に変わったの」
「で、それを名前って事にして貴人に近づいた訳か」
「近づいたなんて言い方しないで! ただ、その、あの後タカがどうなってるか気になって様子を見に行ったら、あんな事になっちゃっただけで」
「あの後?」
「タカが、あの家庭教師と別れてからよ」
織江の言った家庭教師という単語に、ビクリと体が震える。
俺は平素でも家庭教師という単語を聞くと落ち着かない気分になってしまうが、今回彼女が指しているのは、俺をそんな気分にさせる元凶ズバリその人だ。
「あの人、か」
「聞いているのね。そう、あなたと同じ名前の家庭教師よ」
俺が呟くと、織江は貴人にでも聞いたと思ったらしく重々しく頷いた。
それから、声のトーンを落とし、顔を俯かせながら話し出した。
「その時の私は母が再婚することもあって……これは言い訳ね。まぁその、荒れていたわ。それをタカにぶつけて、結果タカがあの女に泣きついて、よけい苛ついていた」
オバちゃんは世間話で軽く語っていたが、子供にとってはそう浮かれた話では無かったらしい。あるいはオバちゃんにとっても大変な決断を迫られた出来事なのかもしれないが、どちらにしろ余人である俺が知るところではない。
「だから、あの女とタカの関係を知ったとき」
途中で彼女は言葉を切った。
関係について俺から質問が飛ぶと思ったのだろう。
しかしそれがないと知ると彼女は「それも知っているのね」と呟いて話を続けた。
「それを彼の両親に話してしまったの」
頭の中で、イメージが重なる。
折り重なった俺と先生を見つけ、目を見開いていた妹……。
「それから、タカはあの家庭教師と離れ離れになった。私は怖くなって、それからタカには会えなかったから人づてに聞いただけだけど」
「怖い?」
「だって、私は彼を最愛の人から引き離したのよ!? どんな顔で会えばいいの!?」
「……それでパンダメイクか」
変装するっつっても、そりゃまた極端な方法だ。
俺が思わず軽口を叩くと、織江は「好きでやってるんじゃない」とばかりに俺を睨みつけた。
「アイツはお前が織江美咲だって知っても、態度を変えたりしねぇだろ」
「分かっているわ、あなたに言われなくてもそんな事」
その視線にたじろぎながらも俺が反論すると、織江は更にきつく俺を睨みつけながら言う。
彼女にしてみれば新参者(俺はそのつもりは無いが)の俺が貴人について語るのは、確かに腹が立つ行為かもしれない。
しかし彼女はやおらその強い視線を伏せると、一転泣きそうな声音で呟いた。
「でも、私が正体を話したらきっと、彼が私を見る目は織江美咲を見る物になる。癇癪持ちで、複雑な家庭の事情を持ってて、密告したのを気に病んで変装までしていた可哀想な子って」
「そんなこと……」
無いとは、言い切れない。
あいつは、響野貴人は優しい。しかしその優しさの半分は美冬さんとの約束から生産されており、そこから生まれた優しさは多分ひどく見当違いな物になりがちだ。
織江は膝の上で拳を強く握ると、喉を搾りながら声を出した。
「言わなきゃいけないっていうのは分かってるの。私はタカに謝らなきゃいけない。だけど、もう少しだけ待って」
本当に、なんであの男はこんなにモテるのか。
優しさだけでなんとかなるのなら、俺だってもうちょっと良い目にあっていいと思うのだが。
などとひとしきり人生の理不尽について思いを巡らせてから、俺は彼女に言った。
「ま、お前の好きにすればいいよ」
露骨に他人事めいた空気を出した俺に、織江はハッと顔を上げる。
その瞳から輝くものがこぼれた気もしたが、顔を背けて見ないふりをした。
「タカに、言わないの?」
「隠し事ぐらい、誰にでもあるだろ」
俺の性別偽りに比べれば、化粧の濃さなんざ些細な問題だ。
俺がそう答えると、彼女は口をもごもごとさせて俯いた。
何か言いたいようである。
……ふむ、なるほど。
「信用できない、か」
「ちょ、そうじゃなくて私はお礼を……」
「分かってる分かってる。じゃぁ俺からも秘密を一つ話すから」
「あなたの、秘密?」
弁明しようとする織江を遮ってそう言ってやると、彼女はキョトンとした顔になった。
本当は秘密にしておきたいが、まぁフェアじゃないしな。
息を吸い、真剣な顔で俺は口を開いた。
「実は俺、胸が弱いんだ」
「へっ!?」
織江が裏返った声を出す。まぁ、こんな重大告白をされるとは思っていなかったのだろう。
彼女はしばらく硬直した後、俯いて震えだした。
なんだ、秘密を共有した感動で泣いているのか?
そう思い、俺が慈愛の目で彼女を見ていると。
「こんのアホ女ー!」
織江が突如修羅の形相で俺を睨みつけ、襲いかかってきた。
彼女は何の迷いもなく、俺の胸をむんずと掴む。
「ホギャーーーーーーー!」
線香臭い家に、俺の悲鳴が響く。
――三分後。俺はようやく痛みから立ち直った。
「よ、弱いってそういう意味だったの?」
自分でやっておいて、信じられないような表情で呟く織江。
「だから言っただろうが! 絶対他の奴に言うなよ、生きていけなくなるから!」
こんなこと知られたら、ある意味俺の性別が知られる以上の人生の危機が訪れる事になる。
涙目で念を押す俺に、織江は胸を握った手を閉じたり開いたりしながら。
「……ありがとう」
と礼を言った。
「そのタイミングで言われると、何の礼か分からんからやめろ」
結局その日は、オバちゃんに漬け物をもらって帰った。
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