「Iam Not Heroine――僕らのモラトリアム」

第三章 「They are Heroines, Too」 その1


 さて、話を戻そう。俺が次の日直面した厄介な事態の話だ。
 それというのが、昨日最悪の――いや、最高だったのか? そんなタイミングで乱入してきた女、桐生院織江に連れ回される羽目になるというものだった。
「おい、どこまで行くんだよ」
 その行き先はさっぱり分からない。
 何せ俺も、放課後いきなり顔を貸すよう言われたのだ。
 それまでずっと音沙汰無しだった不気味さも相まって、つい首を縦に振ってしまったのが失敗だった。
 彼女は既に十分以上、何も言わずズンズンと俺の前を怒り肩で歩いている。
「昨日のアレは誤解だって貴人が言ったろ! えーとそう、耳掻きをしてただけだって!」
「耳掻きでも相当許し難い行為なのだ。風営法に引っかかるのだ。そんな理由で誤魔化そうとするなんて、実際はどんな変態行為を行っていたのかしら……なのだ」
「誰が変態だ! あれは……」
 ようやく俺の言葉に反応した桐生院に早足で追いつき、風営法については置いといて弁解の言葉を口にしようとする。
 そして、そこではたと考える。
 実際あれを正直に説明すると、どういうことになるのだろう。
 えーと、同じ女性に抱かれたいわゆるブラザーを。
 その女性が使っていたテクニックで。
 優しく慰めた。
 ……変態じゃね?
 いやいやいや。
 違う。そうじゃないんだ。端的に切り出すとそうなってしまうが、俺は心身ともに複雑な事情をはらんでいるのだ。
 大体俺は……。
「俺は、別にあいつが好きな訳じゃねーよ」
 嫌いなわけでもないが、それはあくまで同性としての感情だ。
 あいつとねんごろになりたいなんて感情は一切ないと断言できる。
 そりゃぁ、似た境遇の男として共感する部分はいくつかあるが。
 だからってこいつらのようにアイツに対して発情している訳じゃない。
 これは絶対にだ。
「そう言っていた瑠可は一週間で落ちたのだ」
「チョロいなアイツ!」
 嫌な前例を作らないで欲しい。
 ……まぁ、俺が美冬さんに惚れるのは、もっと早かったが。
「とにかく、アンタは信用できないのだ。特に名前が」
「名前ぇ?」
 無茶な因縁の付け方に、思わず首を捻る俺。
 俺の親からもらった名前に何の文句があるんだと考えた後で、今の自分が源氏名を名乗っている状態なのだと思い出した。
 ……美冬。良い名前じゃないか。
 いや、ちょっと待てよ。この名前に忌避感を持つって事はこいつって……。
 それを問いただそうと俺が彼女の隣へ早足で追いついたところで、桐生院が「げっ」とうめき声を上げた。
 彼女の視線を追うと、そこには買い物袋を下げた中年女性の姿がある。
「に、逃げるのだ」
「逃げるってなんで?」
「あの女は地底からの侵略者なのだ!」
「いや俺宇宙人と同居してるし」
 俺の袖を引っ張り、来た道を戻ろうとしている桐生院。
 彼女とそんな問答をしているうちに、中年女性は周囲の目も気にせずこちらへと大きく手を降ると、その丸い体に不釣り合いな真っ白いスポーツシューズで軽快に大地を蹴りながらこちらへと走ってきた。
 そして大声で叫ぶ。
「みーさきー!」
 俺がまるで知らない人間の名前を。
「みさき?」
「マ、ママは人違いをしてるのだ! とっとと行くのだ!」
「ママっつったか今?」
 俺の手を引きながら、ついにはそんなボロを出す桐生院……たぶん桐生院。
 彼女がママと呼んだ女性は俺達の前で止まると、今更買い物袋の中を気にしてから俺ににっこりと微笑みかけた。
「あら、あなた美咲の友達? あんま男の子っぽい立ち方してるからおばちゃん彼氏さんかと思たわ」
「え、あ、はぁ」
 オバちゃんは標準語に関西系の発音が混ざった奇怪な言語で俺にまくし立てる。
 俺はこいつと友達になった覚えはないし、ましてやその美咲という女は知りもしない。
 スカートまで履いているのに初めて男と間違えられ(正解ではあるのだが)、動揺したせいもあってまともに返事ができず、曖昧な言葉を返す俺。
「あー、いやそんな訳無いわぁね。この子昔っから貴人ちゃん一筋やし。まったく引っ越すときも相当ダダこねて……」
 その間にもおばちゃんは全く意味の分からない事を延々と話している。
 しかしその中に、俺は妙にひっかかる言葉を聞き取った。
 昔から……それに引っ越しってどういうことだ?
「ちょ、ママやめてよもう!」
 そんなオバちゃんのマシンガントークに、桐生院(仮)が割り込んだ。
 やはり聞き違いではなく、オバちゃんは彼女の母親らしい。
 いや、もしかしたらこのオバちゃんはバーのママなのかもしれない。
 この女がまるで違う名で呼ばれているのも、源氏名の関係だ。
「って美咲! アンタまたそんな水商売みたいな化粧して!」
 かと思えば、オバちゃんは急に桐生院(仮)に矛先を向け、彼女のパンダみたいな化粧を批判し始めた。こんなホステスいねぇだろ。
「もう、恥ずかしいからはよ家帰って化粧落とし! タカシも姉ちゃん恥い言うとったで」
「わ、私これからこの娘に話つけなきゃ……」
「そんなん家でやったらええ! ほら、はよ!」
 怪しい関西弁もどきを使うおばちゃんに対し、桐生院(仮)は散々抵抗していたが、やがて買い物袋の反対側の手に引っ張られ、オバちゃんに連行されていく。
「ホラ、アンタも!」
「は、はい」
 それを唖然としながら眺めていた俺だが、オバちゃんに呼びかけられ、その後を追うことになった。
 まぁどちらにしろ、説明が必要なのは確かだ。
 もはやぐったりした様子になった誰だかも判然としない娘のパンダ顔を眺めながら、俺は彼女達の家へと向かった。

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