「Iam Not Heroine――僕らのモラトリアム」
第二章 「He is Not Hero」 その8
三十分後。俺はようやく屋上の扉前まで戻ってきた。
ブラ一枚を報酬にどこぞの男子に身代わりを頼まなければ、危ない所だったな。
……一番外側のだったし新品だったから、ブルセラにはならないはずだ。
あれがその後どう使われるのか考えないようにしながら、どっかりと腰を下ろす。
そう言えば、屋上の方はどうなっているのだろうか。
盗み見たりするのは悪いと思うが、俺が追いかけっこをしている間に他の女に邪魔されたなんて事態も有り得る。
心の中で二人に謝って、俺はそっと扉を開けた。
「ふぅ、すごく美味しかったよ」
隙間から中を覗くと、腹をさすりながら、貴人が満足そうな声を出している。
位置の関係で奴の顔は見えないが、どうやらちょうど完食したところしたらしい。
「……」
ゲヘナの方は貴人の様子を窺っていたのか元々食べるのが遅いのか。
無表情に彼の感想を聞きながら、自らの弁当を少しずつその小さな口に運んでいる。
しかし彼女が緊張している事は、その箸の行き来する速度で窺い知ることができた。
おいゲヘナ。黙ってるだけじゃダメだろう。俺は扉の外から焦れったい思いでそれを見つめる。
幸い貴人から俺は死角になっている。
俺は昨日食糧のついでに買ったノートに、こんな事もあろうかと用意していたマジックで殴り書きをし、扉の隙間から差し出した。
文面は『とりあえず相槌!』
ヒラヒラと紙を振っていると、やがてゲヘナも気づいたらしい。
「どう、いたしまして」
彼女はぎこちなく返事をした。そこはお粗末様とかじゃないの? とは思うがまぁ上出来だろう。
「これってゲヘナが作ったの? 料理ができたなんて知らなかったよ」
返事が返ってきたのが嬉しいのか。 貴人が更に口を開いた。
うむうむ、ここは当然ゲヘナの手柄にするべきだろう。
『私が作った』そう書いて扉の隙間から差し出す。
彼女はそのカンペに目をやった。
そして、しばしの沈黙。
彼女は俺の目を一瞬見てから、貴人に視線を移しはっきりと言った。
「そのお弁当は、美冬と一緒に作った」
……どうにもこの少女は、生き方が不器用すぎる。
弁当を作った手際は悪くなかったのに。
わざわざ正直に話す彼女を見て、俺はそう考えるしかなかった。
「そっか、良かった。二人が友達になれたみたいで」
すると貴人は爽やかな声で、そんなコメントを吐く。
本当にさらりとこういう事言うんだよな、こいつ。
「友達、に、なれたのかな?」
呟くと、ゲヘナがチラリとこちらを見る。
その返答に、俺はしばし逡巡した。
俺がゲヘナの手伝いをしているのは、結局は元の姿に戻りたいからだ。
後は仕事でもあるし、失敗したらカノヌに何をされるか分からないという思いもある。
だが……。
『友達だ!』
そう書いたカンペを作って俺が隙間から掲げると、ゲヘナが目を見開いた後、力強く頷いた。
そういう面倒くさい事情を差し引いても、俺が彼女に悲しい思いをさせたくないと思っている事も事実だ。
だから、実際に誰かが見たらこんなの友達じゃないと叫ぶとしても、俺はそう答えた。
貴人はゲヘナの視線を追い一度こちらを見たが、俺が慌ててカンペを引込め隠れるとゲヘナの方に向き直り口を開いた。
「そっか。心配だったんだ。ゲヘナは引っ込み思案だから」
ゲヘナの頷きを肯定と取ったらしい。俺に彼女を紹介した時と同じセリフを言って、ここからじゃ見えないが多分例の爽やかすぎる笑顔を振りまいた。
「これ、また作ってくれるかな?」
そうして、弁当箱を掲げてゲヘナに問いかける。
これはチャンスだ。どんなにすばらしい時間でも次に繋がらないデートというのは無意味だと同僚が言っていたことがある。小さくても約束を積み重ねる事で、関係というのはステップアップしていくものなのだからと。
『返事だ! 笑顔で!』
殴り書いて、俺はカンペを掲げた。
ここで無愛想に返事をすると、嫌々だと取られかねない。彼女だって笑えば並みの美少女では太刀打ちできないほど魅力的なのだ。
そう考えての指示だったが、ゲヘナはこちらを見ていない。
貴人の方を見たまま固まっている。
いかん、笑顔にやられたのか完全に機能停止しているようだ。
ビュゥ! っと強い風が吹いた。
手に持っていたカンペが飛ばされる。これは所謂絶体絶命のピンチだ。
彼女の目が、空を舞うカンペをぼうっと追う。
俺がハラハラと成り行きを見守っていると。
「……分かった」
ふんわりと、ゲヘナが笑った。
それは一枚の絵画というより一切れの、しかし極上の厚焼き卵のような心を満たす笑顔で、それを与えられたわけではない俺は、ぐぅと腹を鳴らしたのだった。
そのような訳でゲヘナの笑顔を見届け、後は若い二人に任せようと決めた俺はゆったりと階段を下り始めた。
幸せな二人を見ると腹いっぱいになるというが、これでは逆だ。すきっ腹を宥める為にも、どこかで手早く弁当をかっ込んでしまおうなどと俺が考えていると、階段の先、廊下の影からまたもやスッと人影が現れた。
三瓶が戻ってきたのかと身構えたが違う。
「お疲れさまでした」
「え? ……うお、何やってんだよお前!」
唐突に現れたのは、カノヌだった。
彼女の髪は最初に出会った時のように、安っぽいピンクから茶髪に変じており、何のつもりか制服まで着こんでいるので一瞬誰だか分からなかった。
バーで会った時は俺より少し年下程度に見えていたのに、今はしっかり女子高生に見える。
地球人だろうが宇宙人だろうが女は魔物だ。美冬さん以外。
「屋上の鍵を渡したのは誰だと思っているのですか? 三瓶瑠可に関しても、他の女子に関してもあの後私が必死で妨害したのですよ」
カノヌはおそらく伊達である眼鏡を何のアピールかクイッと上げると、つらつらと愚痴を並べ始める。
屋上が使えたのは、確かにこいつのおかげだ。
俺達が弁当を作り終え良しと頷きあった時、唐突に帰ってきたカノヌが渡したのがこの鍵だった。
計画筒抜け……まさか盗聴でもされてるんじゃあるまいな。
「まったくずさんな計画です。一歩間違えばお嬢様の心に消えない傷を残すところでした」
俺に説教するのが趣味なのか。それとも俺が見ていない所で本当に苦労したのか。
くどくどと眉間に皺を寄せ言い募るカノヌ。
「しかしまぁ」
が、彼女はそこで言葉を切り、鼻から息を抜くと少々柔らかめの口調で言った。
「良い働きでした。あくまで第一歩としてですが」
「へいへい、あんがとよ」
飴と鞭のつもりなのか。それにしては少々辛めの飴ではないか。
そんな評価を俺がありがたく受け取ると、カノヌは急に押し黙り、俺の顔をじっと見つめる。
彼女の表情は変わらないが、妙に静謐な空気が場に流れ始める。
「これからもお嬢様の友人として、サポートをよろしくお願いします」
そうして、ぺこりと、カノヌが頭を下げた。
彼女の言葉を、どうとって良いか迷う。
俺は彼女の友人となっていいのか、それとも友人のフリを続ければいいのか。
こいつの側から見れば後者以外あり得ないのだが、そう神妙に頭を下げられるとおかしな勘違いをしそうになる。
「それとこれは、報酬です」
が、俺のそんな妄想を打ち砕くタイミングで、カノヌは懐から茶封筒を取り出すと俺に差し出した。
「……そんなもんいらねぇよ」
急に現実を突きつけられた気がして、鼻白んだ俺はその受け取りを拒否した。
俺は何を考えているんだ。自分が元はおっさんだという事も忘れて。
「そういわずにホレホレ」
「あ、バカ! どこにねじ込もうとしてやがる!」
だが、そんな人の気持ちも知らず、カノヌはこちらに報酬とやらを押し付けてくる。
人の胸元に茶封筒をねじ込もうとするカノヌに抵抗すると、ちゃりんちゃりんと音が鳴った。
……ちゃりん?
とりあえず封筒を受け取って中を覗いてみると、そこには硬貨が数枚入っているのみだった。
「小銭じゃねーか!」
「今回の働きではその程度です」
言いながら、カノヌは自らのポケットをまさぐり始めた。
「ほうひんしてくだはい。ほへへは」
そうして、取り出したパンを頬張りながら喋る。
「何言ってるか分かんねぇ! ていうかこれ、そのパン買ったお釣りだろ!」
ツッコむが、奴は聞いちゃいない。
ほふほふ言いながら、どこぞへと去って行ってしまった。
……一応俺を労いにきたってことでいいんだよな?
後で数えてみた所、今回の報酬は七七六円だった。
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