「Iam Not Heroine――僕らのモラトリアム」

 第二章 「He is Not Hero」 その6


「ありがとう」
 彼女が再度その言葉を口にしたのは、学校から帰って来て部屋に荷物を置いている時だった。
「何が?」
「爪を、褒めてくれて……おかげで、貴人にも」
 鞄をかけ、パツパツのブラウスのボタンを開けながら俺が尋ねると、彼女はポツポツとそう語りだす。
「あぁ、あれなら素直な感想言っただけだ。礼を言われるような事じゃない」
 半分は仕事だしな。
 そう思いながら彼女を見ると、もじもじと「でも……」なんて呟いている。
「何か昨日とはえらく違うなお前」
「ごめんなさい、その、昨日はどう話していいか分からなくて」
 別に責めるつもりは無かったのだが、俺が尋ねると彼女は気の毒なぐらい縮こまった。
「あの、途中でお風呂ならって思ったんだけど、断られたから、嫌われたと思って」
「はぁ!?」
「ごめんなさい」
 裏返った声を出す俺に対し、ゲヘナはまたも律儀に謝る。なんだか彼女を苛めてしまったような気分になりながら、俺は彼女に言った。
「違ぇって! 風呂入るの断ったのは、その、恥ずかしかっただけだ」
「恥ずかしい……?」
 俺がそう弁明すると、ゲヘナは目を丸くして首を傾げる。
 さっきは赤面してたくせに……。こいつ、恥ずかしいって感情が無いんじゃなくて、裸が恥ずかしくないだけなのか?
「お前の事嫌いな訳じゃないって事。前の席に誘ってくれたのも感謝してるしな」
「迷惑じゃなくて、良かった」
 考えながら訂正すると、彼女はほっと溜息を吐いた。
 ……せっかく彼女からアクションを起こしてくれたんだ。もう少し突っ込んだ質問をしてみるか。
「お前ってさぁ。貴人の事好きなのか?」
 尋ねると、ゲヘナははっと目を見開いたがすぐに伏し目がちになり俯いた。
 カノヌが俺に話した事情。そして昼休みのゲヘナの態度を鑑みるに、これはほとんど確定と言ってもいい。
 だからこれはただの確認、のはずだった。
「分からない」
「煮え切らない答えだな……」
 しかし、彼女は目を伏せたままゆっくりと首を振る。
 言いたくないというならともかく、分からないとはどういう事だろう。
 俺は着替えを中断し、彼女の傍へと寄った。
「私は、地球人じゃないから」
 すると彼女は、しばらく迷った様子を見せた後ぽつりとそう答えた。
「はぁ?」
 その所為で思わずガラの悪い声が出てしまう。
「その、私の好きが、地球人の好きに該当するのか、わからなくて」
 ……こんだけ地球人にそっくりなくせして、今更何を言ってるんだろうこの娘は。
 ため息をついて自らを落ち着かせた俺は、彼女になるべく穏やかに問いかけた。
「お前は、なんで貴人を好きかもしれないって思ったんだ?」
「え?」
 彼女にしてみれば話題が飛んだように思えただろう。戸惑った声を出すゲヘナに、肩をすくめて世間話だよとアピールしてみせる。
 すると彼女は地球人と同じように唇に手を当て考える仕草を見せた後、俺に答えた。
「この星に着陸する時、宇宙船が故障して、その時に助けてもらって」
 宇宙船……俺が改造されたアレか。
「助けたって、どうやって?」
「擦りむいた膝を、痛いの痛いの飛んでけってしてくれた」
「そりゃ助けたとは……」
 まさか炎を上げた宇宙船に飛び込んで瓦礫に挟まったゲヘナを救助して、その後彼女を抱え上げて墜落直前の宇宙船から飛び降りて三回転後着地したなんて事ではあるまいとは思っていたが、それはレスキューには入らないだろう。
 俺がそんな風に思っていると、ゲヘナが恐る恐るといった感じで付け足した。
「私達の種族は、興奮するとその度合いによって目の色が変わるの」
「あぁ、そういや一回なってたな」
 俺は今日、学校で三時間目辺りに起こった出来事を思い出した。
 彼女に椅子を勧められた時、確かに目が虹色に輝いていはずだ。
「あの時は、ごめんなさい」
「いや、良いけど興奮する場面だったかアレ?」
「良いアイディアだと思ったら、興奮しちゃって……」
「そ、そうか……」
 しょんぼりとするゲヘナに、アレはそんな良い案でもなかっただろとは言えず曖昧な返事をする俺。
「墜落のショックで、私の目はすごいことになっていたと思う」
「すごいこと……」
「すごいこと」
 聞き返すと、ゲヘナもまたおうむ返しで頷いた。
「それでも貴人は怖がらずに慰め続けてくれて」
 そこで一度、当時の情景を、心情を思い出しているのか言葉を切る。
 確かにあのラブコメ野郎はそういう所に躊躇はしなさそうだ。それは俺にも想像できた。
 自らの中で確認が取れたのか。ゲヘナはうん、と頷くと。
「多分、それから好きになった」
 そう、告白した。
「立派な理由じゃないか」
「そう、なのかな? 簡単すぎたり、しない? 私は、宇宙人だから……」
「ストップ」
 不安そうに言い募るゲヘナを、俺は手を上げて制した。
 なるほど、こういう事か。
 自分では同じ宇宙人のゲヘナを説得できないから、わざわざ地球人を呼んで彼女の話を聞かせたと。
 カノヌの奴め……迂遠過ぎるだろう。
 そんなことをしなくたって、だ。
「俺は昔家庭教師のお姉さんに、字が綺麗だって褒められただけで好きになっちゃったぞ」
 言ってやると、ゲヘナはえ? という顔をしたまま、俺の顔をじっと見た。
 その後で自分の性別を忘れていたことに気付いたが、もはや訂正するのも面倒だ。
 生まれた星なんて飛び越えるほどはっきりと伝わるように、ゲヘナの顔を見つめ返しながら俺は告げた。
「いいんだよ。きっかけなんて小さい事で。簡単すぎるなんて事は無い」
 多分、その気持ちのきっかけなんかより、今現在の気持ちの方が重要だ。
 生涯の中、小さなきっかけで一人の人を好きになった事しかない俺が言っても信憑性は薄いかもしれないが。
「宇宙人だからとか、そんな事はまるで関係ない。それでもお前がやっぱり自分の気持ちに自信が持てないってなら、なおさら確かめなきゃな」
「確かめるって、どうしたら……?」
 縋るような目を向けられ、その瞬間の俺は仕事の事など完全に頭から吹っ飛んでいたと思う。
「とりあえずアイツとまともに話せるようになる所から始めようぜ。俺も手伝うからさ」
 言うと、ゲヘナは目を見開いた後、はにかむような笑顔を見せた。
「ありがとう……」
 正直、初めて真正面から見た彼女の笑顔は眩しすぎて、彼女に慕われている貴人に少し嫉妬するほどだった。


「弁当ってのはどうだろう」
 ひとまず着替え終えしばらく考えた後、俺は彼女にそう提案した。
 ちょうど腹の虫が鳴ったから思いついたってのもある。
「……ベントウ?」
「そ、弁当。お前があいつの分も昼飯を作ってやって、それを二人で食べる訳」
 ベタだが、古来より伝わる清く正しい男女仲の進展方法だ。
 それにあの男の食糧事情は、近頃かなり悪いはずである。
 胃袋の危機を救うだけで、がっつり感謝される可能性が大きい。
「でも私、料理なんてできない」
 まぁ、だろうな。できるならあんな惨状は無かっただろうし。心中で頷いた俺は、彼女に微笑みかけて言った。
「本に従えば大抵の料理は作れるって。基本的な事は俺が教えるし」
 しかしまぁ、今時料理なんてのはその辺に売ってる本やネットで調べた手順通りに行えば簡単にできる。
 多分彼女の場合、あのお付に任せるお嬢様気質と地球人ではないという引け目から、今までやってこなかったという方が正しいだろう。
「教えて、くれるの?」
「さっき手伝うって言っただろ? まぁそんなに難しいものは作れないけどな」
 俺はと言えば、長い事一人暮らしを行っていたおかげで手間が一時間以内の物ならそれなりには作れるつもりだ。
 美冬さんが昔、料理を作れる男に対して好意的なコメントを出したのも影響しているが。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 見目麗しい女子に礼を言われるというのは、何度体験しても気分がいい。
 彼女にそう答えて、立ち上がった。
「とりあえず買い出しからだな。メニューはどうしようか」
 そんな訳で俺達は近所のスーパーに材料の買い出しに行ったのだが、自分が金を持っていないと俺が気付いたのは、会計の段になってからだった。
 ゲヘナが万札を無造作にポケットに入れていなければ無駄足になった所だ。

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